とむやんの氣まぐれ雑想記

〈探幸王〉を目指して、さまざまな想いを綴ります☆

小さな小さな映画館。


先月、友人がオススメしてくれた映画を調べていて、その映画館を知りました。
(映画は『湯を沸かすほどの熱い愛』なのだけど、結局それは観れていない)

上映劇場を調べていたら、田端に映画館がある?!と知って、ビックリ!!
埼玉からも近いし、これは行ってみたい、と。

奇しくも、実家に帰ったその日、東京新聞でもこの映画館が紹介されていました。

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東京都北区田端に、その小さな映画館「CINEMA chupki TABATA」はあります。
多分、田端駅で降りたのは初めてのこと。

調べてみたら、『さとにきたらええやん』という映画の上映時間なら、タイミングよく行けそうだ。
それも前々から観たいと思っていたので、ちょうどいい。


CINEMA Chupki TABATA(シネマ・チュプキ・タバタ)

http://chupki.jpn.org/wp-content/uploads/2016/08/logo_chupki_200.jpg


目の不自由な人も、耳の不自由な人も、どんな人も一緒に映画を楽しめるユニバーサルシアター。
たくさんの人々の募金によって、日本一小さくて、日本一やさしい映画館が、2016年9月1日、東京都北区田端にOPENしました!
新旧とりまぜて、選りすぐりの映画を上映しています。
是非、ご来館ください。
(劇場のサイトより)



確かに、思っていた以上に小さい。
けれど、むしろこんな映画館が近くにあったらいいのにと思う。

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劇場名の「チュプキ」とはアイヌ語で、月や木洩れ日などの「自然の光」。
室内は「森の中」のイメージになっていて、スピーカーの上に鳥の巣があったり。

座り心地も居心地も、個人的にはとてもよかったです

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ユニバーサルシアターということで、上映は字幕付き、座席には音声ガイド用のイヤホンジャックがあります。
親子鑑賞室まであるのがすごい。

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上映が終わって、「撮影してもいいですか?」と声を掛けたら、「スクリーンにロゴ、映した方がいいですか?」と、対応してくださった。
設備面だけでなく、本当に「バリアフリーな映画館」だなぁと感じました。


映画館ロビーの天井には、支援者の名前が書かれた葉っぱがたくさんあって、壮観。
これからも多くの人に愛される映画館であってほしいし、自分も東京に行くときにはできるだけ行きたいと思います。

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滋賀にもこういう劇場をつくりたい、秘かな夢がひとつ増えました。



そうそう、この日観た『さとにきたらええやん』、やはりとてもいい映画でした。

『さとにきたらええやん』
日雇い労働者の街・釜ヶ崎で38年間続く子どもたちの集い場「こどもの里」
人情が色濃く残る街の人々の奮闘を描く、涙と笑いあふれるドキュメンタリー!
(映画公式サイトより)

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「こどもの里」のようなことはできないけど、そんなような「集い場」や「居場所」をつくっていきたい。
この小さな映画館もそうだけど、そういう「多様性のある空間」をどうつくるのか、いろいろ考えるところがありました。
(もちろん、それ以外の点でもあれこれ心揺さぶられる映画でした)

『さとにきたらええやん』は、3月で上映終了。
4月の上映作品も、どれも観たくなるものばかりなので、関東の方や関東へ行く機会がある方は、是非。

『さとにきたらええやん』は、明後日4月9日[日]に大津市生涯学習センターで上映会と講演会があるそうです。

http://cswc2016.jp/
氣になる方は、是非チェックしてみてください☆


                    せれんでぃっぽ☆とむやん

今年も始動!SLOW WALKERs


先週の火曜日(2017.3.28)は新月、「月のはじまりマルシェ」へ。
久々の「SLOW WALKERs」での出店☆

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(↑わかりづらいけど、2人で「SLOW WALKERポーズ」)


「月のはじまりマルシェ」は1月2月はお休みだったので、今年初の開催。

マルシェ関連のこともあれこれ書きたいことはあるのだけど。
今日はひとまずレポートだけ書き記しておきます。



前日に埼玉から鈍行で帰ってきたので、やっぱりちょっと出発が遅れてしまう。
マイアミ浜まで、自転車でだいたい一時間半。

途中で、偶然会った友人が「荷物、どれか車に載せてく?」と声を掛けてくれる。
なんて嬉しいんだろう、でもそのときはスイッチがOFF状態だったので、全然考えられず。

野洲川沿いを走るのは、結構好き。
すっかり春らしくなって、ツクシがたくさん出ていた。

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相方のちゃたくんは、パートナーのさやちゃんと。

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(↑ラブラブの2人、ごちそうさまですw)

今回はいつものホットケーキに加え、ドーナツやレモネードなどもあって、一段とバージョンアップしていた。

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ぼくはいつものように、ネルドリップでゆっくりコーヒーを淹れていく。

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そのあいだに友人といろいろ喋ったり、出店の人は順番を変えてだいぶ待ってもらったり。
「月のはじまりマルシェ」だからこその、SLOWな時間を共有できる喜び。
(そこで喋ったことは、また改めて書くつもり)


なんだかんだで、ありがたいことに他の出店を見に行く余裕はほとんどなく。
茶楽園の抹茶を買って、お茶をいただいた。

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(相楽くん、ありがとう☆)

思わず、出店で来ていることを忘れてしまった。
お客さん待ってるよ~と声を掛けられて、我に返る。


友人が(何度も出てくる「友人」は、それぞれ別の人です)出店していて、瓶入りのクッキーを買って、お土産にする。
(しまった、写真撮るの忘れたっ)

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氣付けばもう夕方、楽しい時間は本当にあっという間。

帰りは友人の車で、自転車も載せてもらって、あれこれお喋りを楽しんだ。


4月の「月のはじまりマルシェ」は、26日[水]。
よかったら、是非☆



もうひとつは、ちょっとオマケ。

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今、実は「満月マルシェの本」というのを企画中なのです。

先日、その打ち合わせがあって、その後ちゃたくんと2人で、守山の「山本珈琲倶楽部」へ行ってきました。
前々から行きたいと思いつつ、そして行ってみたら想像以上にステキな空間だったので、さらっとですが紹介したいと思います。

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中に入ってみると、思った以上に広くて、居心地もgood。

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ぼくはルワンダのコーヒーと、エチオピアの蜂蜜を使ったティラミスをチョイス。

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この日は雨、それがかえってロンドンの片隅にでもいるような、そんな錯覚(というか妄想)にちょっと浸ってみたり。



ちゃたくんとの「SLOW WALKERs」では、出店だけでなく、お店レポートとかもできたらいいなと思っています。


                    せれんでぃっぽ☆とむやん

Ministry of Peace


今週は何だかバタバタで、しかも夜はやたらと眠い。
書きたいことはどんどん溜まっていくのに、なかなか書けないまま。
やはり夜型から朝型へ切り替えたいと、ますます思う今日この頃。



もう一年以上経ってしまったけど。
一昨年のオーガニックマーケットで、リレートークというのがあって。
そこでもちょこっと話したこと、だいぶ時間が経ってしまったけど、書き残しておきます。


以前、実家の喫茶店の手伝いをしているときにも、ブログを書いていた。
そこで、2009年の4月1日のエイプリルフールに、「平和省が設置されます!」と書いたことがある。

その頃、誰かから(確か鎌仲監督だったと思う)「平和省」という発想を聞いて、それだ!と思った。
調べてみると、一時期「平和省プロジェクト」というものがあったらしい。

その趣旨とは、今回ちょっと外れるかもしれないけど。


たとえば、防衛省を「平和省」にしたらどうだろう?

「安保関連法制」に関する議論の中で、賛成する人は「平和のため」だと主張した。
そんな風に平和を願う氣もちが同じだとしたら、そのための法制だと言うのなら。

「積極的平和」を、本来の意味とは取り違えて使われたことも記憶に新しい。
だから、「平和」という言葉がますます形骸化され、軽々しく使われることを、かえって助長しかねないかもしれない。
(環境のこと、本氣で考えてないよね?ってところが、「環境省」を名乗ってたり)

それでも、どんな戦争も「防衛」や「自衛」を理由に推し進められてきた歴史がある。

「平和省」と、名称を変えてみる。
そう考え始めてみたら、なにか見えてくるんじゃないか。

ベルリンの壁が崩壊したときのように、「嘘から出た実」のように。
市民ひとりひとりのちょっとした言動が、本当に世の中を変えてしまうかもしれない。

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                    せれんでぃっぽ☆とむやん

埼玉さんぽ《浦和》


今日(2017.3.25)は浦和へ。

埼玉に住んでいた頃は、何かと行く機会も多かったように思う。
近年、パルコができたあたりからかな、ほとんど行くことはなくなっていた。

そんなわけで、久々の浦和。


行く前にネットで、地図を見ていたら氣になる名前を見つけた。
「魔女のコッペパン」、これはぜひとも行ってみたい。

前回も書いたように、最近『コッペパンの本』を読んだ影響もあるし、「魔女」というのも個人的にスルーできないキーワードだから。


今回も三男を連れて行ったら、待ち構えていたようにすぐ寝てしまった。
場所をちゃんと憶えていなかったので、ちょっとウロウロして、ようやく到着。

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意外と、というと失礼だけど、けっこう原材料にこだわっている。
ちょっと悩んで、「抹茶と有機あんこ」をセレクト。

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今のコッペパンって、比較的「ふんわり」系が多いような印象がある。
ここのはどちらかというと、噛み応えがしっかりあって、でもパサパサした感じではなく。

これ、近所にあったら通っちゃうな、きっと。

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その帰り道、レコード屋さんを発見。
「askatasuna RECORDS&Co.」、看板も外観もいい雰囲氣。
中古のCDやレコード、古本も扱っていて、かなり氣になる。

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残念ながら子どもを抱っこしながらなので、EPコーナーのビートルズ関連だけ物色。
ポールの「MAYBE I'M AMAZED」、前からほしかったやつがあった♪

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高架下をくぐり、商店街を左に曲がると、駅周辺とは思えないような裏路地がある。
そこは以前からお氣に入りの路地で、そしてそこをまた小道に入る。

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もうひとつのお目当ては、「SOLA COFFEE ROASTER」。

スペシャルティーコーヒーの専門店で、コーヒーを飲むこともできる。
外のベンチでも、店内用と同じカップで提供してもらえた。

今回飲んだのは、エチオピアの「イルガチェフェ・ウォッシュド」をドリップで。

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かなり軽めの爽やかな酸味、しつこさが全然ないし、衝撃を受けるほどの美味しさ。

カップを返して、外観の写真を撮ってもいいか聞いてみたら、オーナーさんだろうか、とてもいい笑顔で了解をもらえた。
いい対応をしてくれるお店って、クオリティー的にもいいんだよね、やっぱり。

「ここに来るためにだけでも、また浦和に来たい」と、そんな風に思う。

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パルコにも寄って、アトレもちょこっと覗いてみる。
そしたら、パルコに期間限定で「魔女のコッペパン」が出店していた。

もうすでに、有名店なんだな。

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個人的には、大型店舗にはもうほとんど用がない。
ひとつだけ、そもそも浦和に来ることにした目的があって、でもそれは残念ながらタイミングが合わなかった。

まあ、それは仕方がない。

ともかく、帰省したときにはまた浦和をぶらぶらと歩いてみたい。
正直そんなに期待していなかっただけに、大きな収穫があったような一日だったな。


                    せれんでぃっぽ☆とむやん

東京さんぽ《駒場東大前》


ただ今、埼玉の実家に帰省中。
子ども3人と、今回も青春18きっぷの旅。



そして、今日(2017.3.22)は三男を連れて、都内へお出かけ。
渋谷から歩いて、駒場東大前へ。

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昔、何度か来たはずなんだけど、全然憶えていない…。

今日は日本民藝館駒場公園には行かず。

ル・ルソール(Le Ressort)というパン屋さんでパンを買って、そこから目の前の駒場野公園へ(名前が紛らわしいですが)。
パンはちょっと値段高めですが、素材にもこだわっているみたい。

個人的に、特に美味しかったと思ったのは、あんパン。

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和菓子を食べているような感じ、甘さもちょうどいい。
餡は確か、オーガニックと書いてあったような。

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普段食べているパンより、ちょっと上品な、ちょっと背伸びした感じ。
子どもは関係なく、バクバク食べてましたが(笑)

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駒場野公園の入り口には、コヒガンという桜が開花し始めていました。

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日差しは暖かかったのですが、風が強くて、座っているとちょっと肌寒い。
あまり長居せず、来た道を戻ります。

途中で氣になってた、コッペサンド専門店にも寄ってみました。
半地下の店舗、黒板がかわいくてパシャリ(了解を得ています)。

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あんホイップをひとつ買って、少ししてから食べましたが、結構美味しかった。
もそっとした感じの昔のコッペパンとは違う、ふわりとした食感。

先日、『コッペパンの本』を読んだばかりだったので、なんか嬉しかったな~☆
(店内にも当然のように、『コッペパンの本』が置いてありました)


その後は古本屋さんにも立ち寄って、渋谷への帰り道はわざとちょっと遠回りして。
目星を付けたコーヒーショップは、オシャレな感じに氣後れして、入るのはやめて。


帰りに抱っこのまま寝てしまって、しかも氣を付けていたつもりが靴を落としてしまって、戻って探したりして。
いろいろあったけど、楽しかったな。

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途中何度も抱っこはしたけど、三男もよく歩いてくれました。

さて、次はどこへ行こうかな~☆


                    せれんでぃっぽ☆とむやん

ゴリラから学ぶべきこと。


今月の初め、山極壽一先生のお話が京都で聞けるというので、行きたいと思った。
京都大学総長である山極先生は、ゴリラ研究の第一人者として知られる。
(ぼくは面識もないし教わったこともないけど、「先生」とさせていただく)

残念ながら、場所や時間等々の問題で、結局行くのは断念。
でも、不思議な縁があるのか、そのとき読んでいた本2冊それぞれに、山極先生の名が出てきて驚いた。

そして同じ頃、たまたま行ったコミュニティーセンター内で、山極先生のゴリラの絵本と「出会った」。

『ゴリラが胸をたたくわけ』
山極先生の文、阿部知暁さんの絵。

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ゴリラが、なぜ両腕で胸を叩く「ドラミング」という行為をするのか。

端的に言えば、敵に対する脅しや宣戦布告ではなかった。
むしろ、争いを避けるための手段だったりもする。
ゴリラは一般的なイメージよりも平和的で、高度な社会性をもっているらしい。

人間たちは、動物園に送るために子どものゴリラをたくさん捕らえた。
それを救うためにドラミングで立ちはだかったゴリラたちは、鉄砲で容赦なく撃ち殺された。
その上、勝手に「凶暴な野獣」と見なされ、映画『キングコング』などの影響もあってますます暴力的だと「誤解」をされていく。



本当にひどい話だと思う。

ただ、こういうことって、ブーメランのように戻ってくるもの。
それは、〈因果応報〉であり〈自業自得〉である。

ちなみに、〈因果応報〉も〈自業自得〉も、必ずしも「いい/悪い」をジャッジしてはいない。
それより、〈自業自得〉なんて、「得」という漢字すら入っているのに、どうして今は悪い意味合いでしか使われないんだろう?
長くなるので、その辺のことはまた別の機会に。

ともかく、命を何とも思わず殺戮しようとするマインドは、その逆の「恐怖」もセットになっているもの。



ぼくたちがSFなどでイメージする異星人は、十中八九「好戦的で侵略的な」残忍な性格をしている。
映画『インデペンデンス・デイ』然り、映画『マーズ・アタック!』然り。

単純に映画として「絵になる」とか、そういう事情もあるだろう。
でもやっぱり、それは自分が「好戦的で侵略的な」ことの〈裏返し〉なんだと思う。
映画『プレデター』などは、象徴的かもしれない。

藤子・F・不二雄の少年SF短編『絶滅の島』は、それをはっきりと描いている。

調べてみたら、ホーキング博士ですら同じような見解だというから、ちょっと残念。
この発言もまた、ぼくがここで言いたいことの〈裏返し〉を示してくれている。

コロンブスがアメリカ大陸に上陸した際に発生した先住民族の虐殺のようなことが、地球でも起こりうる」
「高度な文明をもつエイリアンは、征服し植民地にする惑星を探すためとしている」



高度な文明をもっているのなら、友好的で平和的な宇宙人であると想像できるはずだ。

『アミ 小さな宇宙人』という小説の初めの方に、まさにこういう話が出てくる。
ぼくもそれまでは、やはりステロタイプ(ステレオタイプ)な「インベーダー(侵略者)」のイメージが強くて、どうしても偏見を拭えずにいた。

だから、わからない人には本当にわからない話だと思う。

そして当然、この記事でぼくが言いたいことも、ちゃんと伝わらないだろう。
もちろん、それで構わない、「人を変えよう」とかそんなつもりはない。


ただ、自戒的な意味も込めて。

ゴリラに対する無理解と偏見と、それによる理不尽な殺戮という忌まわしい過去から、学ばなければいけないことがある。
そして、ゴリラの平和的で高度な社会性から、自分たちのあり方を見直したい。

「ゴリラができているのに、どうして人間にはできない(できなくなった)んだ?」
そんな簡単な〈問い〉に対して、〈答え〉となるべき行動を選んでいきたいから。


                    せれんでぃっぽ☆とむやん

〈試行錯誤〉


今のぼくは、「議論」というものを求めていない。

もちろんそれは、やりたい人同士でやる分には、全然問題ない。
(その辺のことは以前にも書いたことがあるけど↓)

win-win - とむやんの氣まぐれ雑想記


このブログでもそうだけど、もし違うと思われるなら、それはそれで仕方がない。
以前は言葉の食い違いなどを整理して、説明しようと努力したこともある。

ぼくはそれを「議論」のつもりではなく、「すれ違いの修正」のように考えていた。
でも、相手はそれを「議論」として必要とし、どんどん違いを強調していく。
つまり、自分の方が正しいと主張したいだけ、そういうことが多かった。



ぼくが今、したいと思うのは「対話」なんだと思う。

単なる言葉の違い、ってわけでもない。
前回も書いたけど、「ディスカッション〈discussion〉」の語源は「打ち砕く」という意味のラテン語らしい。

対話の「ダイアログdialogue」は、ギリシャ語(dialogos)が語源。
diaは「~を通して」、 logosは「言葉」。

言葉を通して、二人以上が共通の話をすること。

もっと言えば「たわいない会話」や「雑談」。
けれど、だからこそ交わされる深刻なことも、かえって向き合うことができる。


調べていたら、『ダイアローグ 対立から共生へ、議論から対話へ』という本があるという。
やはりそういう流れが、時代的にも来ているのかもしれない。



これからは、言葉を通してだけじゃない、例えば「音楽を通して」なら?

〈ダイアムジカdiamusica〉とでも言えばいいのだろうか?
(ディア?ダイア?調べてみたけど、それらしいのは出てこなかった)

音楽なんてまさに、対決よりも共演の方がいい。

ぼくにとっての最高の共演は、「プリンス・トラスト」という1987年に開かれたチャリティーコンサートでの、「While My Guitar Gently Weeps」。
ストラトキャスターを弾くジョージ・ハリスンと、珍しく?レスポールを弾くエリック・クラプトンの掛け合いのギターソロ。

確か高校生の頃だったか、借りたビデオで何度も何度も繰り返し見た記憶がある。

それぞれの積み重ね、音楽にしても人生にしても、そういうものがあるから出せる音、旋律。
そして、それにしがみつくのではなく、惜しげもなく音に乗せて解き放ってしまう、そんな感じがする。


もちろんそれにはあまりにも遠く及ばないけど。
最近は友人とセッションなどをする機会が増えて、そういうときはとにかく楽しい。

先月のオーガニック&つながるマーケットでも、nanaotoの二人が「一緒にやろう」と言ってくれた。

ワクワクをわかち合う。 - とむやんの氣まぐれ雑想記


nanaotoの曲は基本、循環コードなので合わせやすい。
音を探しながら、隙間に音を足していく。


そういうセッション的なことでなくても、みんなでワイワイとやるのは楽しい。
最近、ウクレレはレッスンよりも〈サロン〉という形でやる方が、自分には合っていると思う。

昨日(2017.3.18)もcafe salon STILLROOMでの月一のウクレレサロンがあって。
みんなで聞き合ったり一緒に弾いて歌ったり、まさに「対話」的な場だった。

ウクレレとは違う話で盛り上がったり、そこがまたいい。

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お喋りでも音楽でも、料理でもそう。
「打ち負かす」理論が横行し過ぎて、「調和」に目がいかなくなる。
かと言って、「調和」を意識し過ぎるあまり、全体がボケた感じになることもある。

そこを「ああでもないこうでもない」と、〈試行錯誤〉する楽しさもあるし、ポンと一発で「これだ!」ってできちゃうことがあるのもおもしろいし。


「餅は餅屋」、そういう面は確かにある。
でも、何でも専門家に任せておけばいいという、そういう時代が変わりつつある。
プロには一目置きながら、さあ自分たちは何を楽しもう?



〈試行錯誤〉、なるほど改めてよく見ると、すばらしい言葉だと氣付いた。

「試行」は試しに行うこと、「錯誤」は間違うこと。
まず何より、行動すること、それに尽きる。

そして、間違いがあるからこそ、新しいものが生まれる。
間違いかどうかをその都度ジャッジしていると、試すこともイヤになってしまう。

「錯誤」はニュアンスとして、「すれ違う」ことを指している。
そう言えば、「間違う」だって「間が違う」と書くんだった。

違うものは違うままでいい。
どっちがより正しいか、そんなことはっきりさせてみたところで、どんぐりの背比べにしかならないだろう。

むしろ、違いを肯定的に捉えた方が、音楽も料理もぐっとおもしろくなる。


〈試行錯誤〉に生きる。
それが傍からは〈時代錯誤〉に見えたとしても、案外すぐ時代の方が追い付いたりすることもある。
それぐらいに思ってみると、何だかますます楽しくなってきた。

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                    せれんでぃっぽ☆とむやん