とむやんの氣まぐれ雑想記

〈探幸王〉を目指して、さまざまな想いを綴ります☆

5分間スピーチ。


前回前々回と、告知してきたイベント。
おかげさまで、今日(2018.1.30)無事に終了いたしました。

「サティシュ・クマールの 今、ここにある未来 」上映会
〜居ごこちのよい暮らし体験会vol.2〜

すごく楽しくて、本当にやってよかったなぁと思います。
感想や報告はまた改めて書きます。

前々回の続きとか、他にもまだ書きかけがあるのですが。
今回も、実はまた告知だったりします。

今はやりたいことを小さく、次から次へとやっていきたいので、どうしてもそうなってしまうのです。
でも、読むだけでも何かしらおもしろいと感じてもらえるようにするつもりですので、よかったら今回もお付き合いください。



オルタナティヴ ブック カフェ
ALTERNATIVE BOOK CAFE】
~非主流を楽しむための“ABC”~


明後日、2月1日[火]。
いつもお世話になっているcafe salon STILLROOMで、またブックカフェイベントをさせてもらいます。
15時から17時までの、お好きな時間に来ていただく形式です。

通常営業中なので、オーダーをお願いします。

それと、いつもはドネーション、という言い方をしていたのですが。
STILLROOMのご友人が「ハートマネー」という言い方をされていたらしく、それをぼくも使わせてもらうことにしました。

そんなわけで、参加料金はハートマネー(こころ付け。自分の直感を信じて、値段を決めてみてください)で。

今回のテーマは、「愛にまつわるエトセトラ」。
言うまでもなく、バレンタインデーが近いから、という理由です。
だけど、恋愛に限らず大きな意味での「愛」として捉えてみてください。

(例えば、今日上映した「サティシュ・クマールの 今、ここにある未来 」も、すごく愛にあふれた作品です、本ではなく映像ですが)


オルタナティヴブックカフェ【ABC】は、ぼくやそこにいる人たちと本の話をしたり、ときに脱線したり、という。
基本はただそれだけの、ゆるい会。

今回はそこに、「5分間スピーチ」を実験的に取り入れてみたいと思います。
(イヤという人に無理強いはしないです、ご安心ください(笑))

うまく喋る必要なんてありません。
人前で話す好機と思って、氣軽に参加してもらえたらとても嬉しいです。

そんなわけで、紹介したい本を一冊、できたらもってきてください。



「5分間スピーチ」とは。
言葉の通り、5分の間に紹介したい本について、スピーチしてもらいます。

スピーチと言っても、大聴衆の前とかではないので、恥ずかしがる必要はありません。
一応「5分間」という枠の中で喋る、そういう練習をお互いにしていけたらおもしろいかなと思っています。

STILLROOMでも毎月やっているウクレレサロンも、前半はお互いに練習の成果などを発表し合うんです。
当人としては、「練習ではもっとうまく弾けたのに」と思うものですが、本番ってそういうもの。

でも、1年とかのスパンで見ると、本当に上達しているなぁとビックリさせられます。
たとえ相手が1人だったとしても、人前で何かをする、そしてその積み重ねって結構重要です。


ぼくも、「3分経過」とか「リラックス」とか、そんな札をつくってみようかな。
「5分間スピーチ」も、練習してみるつもりです。

さて、どうなるかとても楽しみ。
間近なので集まらないかもだけど、ワクワクしながら準備します。
(準備自体が楽しいし、結構やることがあります)

滋賀・栗東/2・1/オルタナティヴブックカフェ at Stillroom

↑fbのイベントページ、参加もこちらから表明してもらえると嬉しいです。
モチベーションが上がります、是非よろしくお願いします。
(もちろん、飛び入りも大歓迎です)

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                    せれんでぃっぽ☆とむやん

歩くこと。


前回書いた、「劇的に人生を変えちゃう、かもしれない話。」。
おかげさまで好評だったみたいです、ありがとうございます。

次は具体的に、自分の経験談を書いてみようと思ったのですが、ちょっとその前に。
今回は「歩くこと」について、さらっと書いてみたいと思います。

と言いつつ長くなる、そんな予感もしなくはないですが(笑)



今日(2018.1.28)は雪のため、向町カフェでのウクレレサロンが中止になりました。
ウクレレも、その後の向町カフェのランチも、そして午後はある方のお宅にお邪魔する予定もあって、どれも楽しみにしていたのです。

それだけにすごく残念で、だけど天候はどうすることもできません。
無理をして、参加者の方々に何かあったりしたら、本末転倒ですし。


で、話はいきなり脱線しますが。
後から考えたら、向町カフェに普通に遊びに行ってもよかったんだなぁと思ったり。
そしたら午後のアポイントメントもドタキャンせずに済んだのかも。

でも、中止の時点で「日野に行く」という選択肢が〈OFF〉になってしまった、そんな感じです。
そういうときの選択の仕方は、今後改めて考えてみてもいいかなと思っています。


さて、話を戻します。
中止が決まって氣もちを切り替えたのは、それはそれでよかったんだと思います。
(アポイントメントのドタキャンをしてしまった方には申し訳ないですが…)

なぜかと言うと、以前だったらこういうときは狼狽えるだけで、切り替えるのがすごくむずかしかった。
はっきり言ってしまえば、いつまでも「ウジウジ」としているだけで、何もできないままだったり。

そんなわけで、今日は違うことをしよう、今日できることをしよう、と。
昔の自分だったらそれができず、ある意味「ムダ」な時間を過ごしていたでしょう。
(「ムダ」って実は必要なものですが、ここでは掘っくり返さないでおきます)



今日は、今後の活動の準備をすることに。
草津の図書館本館に行って、いくつか氣になっている本を借りようと決めました。

理由のひとつに、またブックカフェ〈ABC〉を企画したいなというのがあって。
2018年版は、また違った形式を考えているところです。


普段なら自転車で行くのですが。
まだ雪がちらついているし、歩いていくことにしました。


ここ最近、なかなか実現できなかった、「歩くこと」。
今年こそは歩くことを習慣化したいな、と思っていて。

一番大きな理由は、昨日も紹介した「サティシュ・クマールの今、ここにある未来」。
その中で、サティシュさんは「歩く」ことについても触れています。

《歩くことなしに生み出された哲学を信じてはいけません》
映画の中で、ニーチェの言葉を引用して、歩くことの重要性を語ってくれます。
(ちなみに、調べてみても元ネタはわかりませんでした)

本当は、目的地に「移動」するための「歩く」、ではなく。
ただ歩く(サティシュさんはそれが「巡礼」だと言います)ことが望ましいのですが。


そうそう、もうひとつ別の観点から。
年始に実家で見たTV番組で、「骨」のことを特集していました。
「骨」って単なる「骨格」、「カルシウムの塊」じゃなくて。

実は「骨」って、体全体の「若さを保つ指令」を出しているという、そんな最新の研究結果があるんだそうです。
それには衝撃、つまり「歩く」などの運動が必要、でも自転車ではダメなんですって。

「若返り」と聞いたら、俄然やる氣度が違いますよね(笑)


とまあ、そんなわけで。
まずはできることから、予定変更や天候が「歩く」機会をつくってくれました。



せっかくなので、「草津川跡地公園」を通ってみることに。
昨年整備された「de愛ひろば(区間5)」、一度は来たことがあったのですが。

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「つくられた」感はどうしてもあるけれど、それでも道路を歩くより断然快適。
この時期は少し寂しさがありますが、それもまたいいものですね。

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都市部にもっと緑を、そして庭や公園もいいけど、最終的には「森」になってほしい。


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この階段の感じ、結構好きです。
歩くには、歩きにくいんですが(笑)


図書館について、どっさりと借りてから氣付きました。
歩きってことは、これを背負っていかなきゃいけないってこと。

そして、図書館を出たのが17時。
日曜日だったこともあって、寄りたいカフェは残念ながら空いていませんでした。


こういうときに、冒頭でも書いた「ウジウジ」が出てきそうに(もしくはちょこっと出てきたり)なるんです。

前から氣になっていたパン屋さんがあったので、そこまで歩いてみました。
ここ、タイミング合わなくて、まだ入れたことがなくて。

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今日はやってました♪
閉店間際で種類は少なかったですが、空いてたことが嬉しい。

しかも、オマケまでしてもらって。


「今日はこれでよかったね」ってことがあると、「ウジウジ」もどこかへ行ってしまいます。

パン屋さんを出ると、もうすっかり暗くなっていました。
Amingという雑貨屋さんにちょこっと寄って、、秘かにお氣に入りのトンネルを通って。

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(↑暗くなってからなので、写真は微妙ですが)



全行程、3時間くらいでしょうか。
図書館には30分以上いたので、歩いたのは2時間強ってとこかな。

久々なのに、ちょっと歩き過ぎたかもしれません。
足がちょっと痛くなりました。

でも、その痛みもすぐに治まるし、痛みを感じるということも喜びだったりします。
(ヘンに受け取らないでくださいね(笑))

次は、というか、サティシュさんのように朝一時間歩くとか、そういう習慣付けをしていきたいなぁと思います。
ちなみに、サティシュさんは海岸を歩くそうで、ぼくも琵琶湖が近かったらよかったな。



いきなり歩く、というのはむずかしいものです。
それでも、そういう意識に変わるだけでも一歩前進。

明後日1月30日[火]の上映会、是非来ていただきたいです。

「サティシュ・クマールの 今、ここにある未来 」上映会
〜居ごこちのよい暮らし体験会vol.2〜
https://www.facebook.com/events/158404111549973/
(↑fbのイベントページから申し込みができます)

「歩く」こと以外にも、さまざまなこと、本当の豊かな生き方についてなど。
興味がある方には、サティシュさんの言葉は深く響くと思います。

「居心地のよさとは?」なんてことも、参加者の方々と一緒に考える、ぼく自身もすごく楽しみです。


                    せれんでぃっぽ☆とむやん

劇的に人生を変えちゃう、かもしれない話。


最近は、何かと大袈裟に「煽る」情報が多いですよね、天氣予報とかも。
そう思ってちょっと甘く見てたけど、今回の寒波は本当に手強かった。

この週末も、お氣を付けてお過ごしください。

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(↑先日、栗東でも雪が降ったときに撮った写真、今日もちょっと降りました)


今週はそんな影響で、いろいろ予定変更があったりしました。
ハクハク茶小屋に「三連チャン」のはずでしたが、残念ながら昨日今日と行かれず。

でも、無事〈ALOHA WEDNESDAY〉と名付けた「ウクレレサロン」も開催できて。
帰りは友人に送ってもらってあれこれと喋れたり、すごく楽しい一日でした。
その辺のことは、また機会があれば書くとして。


今日(2018.1.26)は「劇的に人生を変えちゃう、かもしれない」方法について、書いてみたいと思います。



ぼくは、例えば10年前と今とを比べたら、短期間(と言っていいと思うのですが)で相当変わったなぁと思います。

ひとつ例をあげるなら、ちょっと前まで、すごく「怒りっぽい」性格だったんです。
すぐイライラしてしまって、だけど自分ではどうしようもなかった。
そんな状態なので、当然「幸せ」だと感じることもほとんどありませんでした。

今はビックリするくらい毎日が楽しくて、つくづく「幸せだなぁ」って思います。

もちろん、たまには落ち込むこともあるし、悩むことだって今現在もたくさんある。
イラっとすることもないわけじゃない。
けれど、それさえも「楽しんじゃおう」と思っているところもあって。

本当に、10年前の自分には到底ありえなかったでしょう。



10年前と言えば、ちょうど長男が今10歳なので、大きな「転機」があったわけですが。
子どもができて、まさか自分が「父親」になるというのは、自分としては「想定外」。
そのこと自体はすごく嬉しいことだったけれど、それですぐ人生が変わったわけではありません。

「劇的に」っていうのは、あくまでも「振り返ってみて」のこと。
実際には、本当にちょっとしたことの積み重ねなんだと思います。
そのときは「転機」だと氣付けないくらい、ひとつひとつは「些細なこと」だったり。


そうそう、まず踏まえておきたいのは。
「その人の観念(ものごとに対する考え方)が、その人の現実となってあらわれている」、ということ。

ムリに信じなくてもいいです、これはあくまでもぼくが実感していること。
ただ、言い方はさまざまですが、多くの人が同様のことを言っていたりします。
(〈観念〉などについても、別の機会に改めて定義してみるつもりです)

観念にも現実にも「いい/悪い」はなくて、ただ本人にとって「どう感じられるか」、ということ。
イヤだなと思っていても、実はそれ(例えば不幸なままでいること)を求めてしまっていて、それが現実化しているだけだったり。


この10年は特に、その「せめぎ合い」のようなものが、自分の中にありました。
「幸せ」になりたい、でも拗ねていたい自分もいたり、言い訳ばっかり考えてしまったり。
ついつい「不幸」を演出してしまったり、だけどやっぱり「楽しい」ことや「嬉しい」ことがあれば、そっちにシフトしたいと強く願ったり。

たくさんの「情報」に触れたのも、この時期からでした。

その「情報」は、「本」が多かったけれど、「映画」だったり「イベント」だったりもしました。
その「情報」に関連するイベントなどがあれば出向いたり、そこで「ご縁」が拡がったり。

つまり、「人と出会う」ことが自分にとって、一番の「積み重ね」だったように思います。
「本」や「映画」も、ある意味では間接的に「出会い」だったと言えますね。



さて、ここからは告知です。
「なんだ、結局は宣伝か」とガッカリしたかもしれません、ごめんなさい。

でも、自分がイベントをするようになったのって、その自分がしてきた「積み重ね」を共有したいから、なんです。

自分が人生を変えた機会を、今度は与える方になりたい。
そういう想いがなければ、自分がイベントを主催する側になるなんて、思ってもみなかったかもしれません。


1月30日[火]のスローシネマ・カフェ。
「サティシュ・クマールの 今、ここにある未来 」上映会
〜居ごこちのよい暮らし体験会vol.2〜
https://www.facebook.com/events/158404111549973/
(↑fbのイベントページから申し込みができます)

サティシュさんについてだったり、どんな「出会い」がきっかけとなって人生が変わったのかについては、また今度書きます。

今言えるのは、この上映会とその後のシェア会は、「振り返ってみたら、あの日から変わった」と思ってもらえる機会になるはず、ということ。
そうなるように、ぼくもいろいろ考えています。


自分を振り返ってみると、転機は案外「小さなこと」だったりするんです。
でも、そういうちょっとした行動を起こす、その「積み重ね」で劇的に人生は変わります。

もちろん、「人生は安定的に、変化なんてない方がいい」という方もいるでしょう。
そういう方は、たぶんここまで読んでいないとは思いますが、スルーしていただいて構いません。

だけどもし、これを読んで何か感じてくれた方がいらっしゃれば。
そしてスケジュール帳を見たらなんとビックリ!狙ったように予定が空いてる!という方がいらっしゃれば。

まずはコメントなど、リアクションをしていただければと思います。


                    せれんでぃっぽ☆とむやん

〈レンタル相談役〉と〈双談笑会〉。


Twitterを始めて、2ヶ月が経ちました。

とむやん (@MrUkuleleMan) | Twitter


〈吟遊ソングライター〉として、音楽関係のこと、ライブ情報やオリジナルソングのことなどもつぶやいていこうと思い付いたのが、昨年の11月末。
まだよくわからないままに、でも何となく楽しいなぁという感じです。

さて、そのTwitterのプロフィールにも書いていたのですが。

最近は〈レンタル相談役〉なるものを構想中(詳しくはブログで)。
そう書いておきながら、全然ブログに書けていない。


今日はやっと、〈レンタル相談役〉と〈双談笑会(そうだんしようかい)〉について、書きたいと思います。



まずは、〈レンタル相談役〉について。

以前、まだ名前は決まっていませんでしたが、ブログに書いたことがあります。

毎日を実験的に遊ぶように暮らす - とむやんの氣まぐれ雑想記


繰り返しになりますが、改めて。

何か新しいことをしたいと思っている方の、相談に乗ります。
たとえば、ネーミングを考えたり、キャッチフレーズを練ったり。
もしくは、ただ話を聞いて別の見方をして、ちょっとスッキリさせる、とか。

その、お手伝いをします。

これを書いたときは、料金を決めかねていました。
本当はドネーション制にしたい、でもこれって結構「不評」だったりするんですよね。

ドネーションのこと、ふたたび。 - とむやんの氣まぐれ雑想記


でも、やっぱり「ドネーション制」でやることに意味があると思い直しました。

いつもの通り、そのときの直感、お氣もちで(お金でもお金じゃなくても)。


それで、一応「目安」があるといいのかな、と思いました。
やってみないとわからないので、とりあえず。

「新しく始めるプロジェクト、それに関わること(ネーミングやキャッチフレーズ、実際のアイデアなど)から得られるであろう利益の、10%相当」。

細かく考えると、わからなくなるのであくまでも「感覚」で。
お菓子や野菜だったら、「試供品」としてドネーションしてもらう、とか。
(量が多い場合、一度にもらったら困るかもだけど)

じゃあ、直接利益を生まないものなら、ドネーションはなくてもいい?
なくてもいいかもしれないし、でもそれだとぼくが続かなければ、やめてしまうかもしれないし。

「目安」も含めて、あくまでも「やってみて」、後で変更するかもしれない。



それで、いきなり〈レンタル相談役〉として「雇う」というのも、なかなかむずかしいですよね。
こちらとしても、引き受けられるのか、わからないかもしれない。

そんなときは、〈双談笑会(そうだんしようかい)〉。
カフェなどで、相談したい内容についてお話を聞きます。

実は、〈双談笑会〉というのを構想していたのは、一年以上前から。

旧暦新年の抱負。 - とむやんの氣まぐれ雑想記


〈レンタル相談役〉の窓口的に捉えることで、やっと自分としても糸口が見えた感じ。

新しいことを始めるとき、誰かに話をしたい。
話をしてみて、自分でも氣付くことがたくさんあると思うし、別の視点からアイデアを深めることもできる。

〈双談笑会〉で手応えがあれば、〈レンタル相談役〉としてプロジェクトのお手伝いをする、そんな流れです。

〈双談笑会〉については、まずは固定で¥1500でやってみようと思います。
カフェでの飲食代はそれぞれが支払います(つまり、ぼくは¥1500の中から)。
遠方で交通費がかかる場合は、要相談。

そうそう、〈レンタル相談役〉と〈双談笑会〉、どちらも結果がお氣に召さない場合、報酬はいただきません。


そんな感じです。
もしご興味をもっていただけるなら、まずはご相談を。
(メッセージかメールでのやりとりになると思います)

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(↑写真はcafe salon STILLROOM)


                    せれんでぃっぽ☆とむやん

OK 直感,


やっぱり、イヤなものはイヤ、と言いたい。
それが単なる批判にならないように、ただの悪態にならないように、とは思うけど。

誰かの人生を世間がジャッジするなんてこと、もういい加減やめてほしい。
それよりもっとやることがあるだろう。

誰もが心地よく、お互いをリスペクトできるような社会って、案外そんなにむずかしくないはず。

お菓子をわけて食べるように、だけど誰かが「袋ごと全部食べたい」と言い出す。
もちろん食べ切れないし、そんなことして楽しいわけないのに、ね。

でも、オトナが率先してそれをやっている、そんな風に思えてならない今日この頃。



さて、話題を変えて。


昔のぼくだったら、特に『ナイトライダー』というテレビドラマを大好きで見ていたときだったら、素直に喜んだのかもしれない。
人工知能「K.I.T.T.」を搭載したドリームカー「ナイト2000」、今では全然「夢物語」じゃなくなってきている。

だけど、それが実現したとしても嬉しくないどころか、たぶん怖いなぁとさえ思うかもしれない。

そういう危惧は、カレル・チャペックの『ロボット(R.U.R)』で書かれたように、昔からの〈テーマ〉ではある。

「他力」の続き。 - とむやんの氣まぐれ雑想記


なので、今さらそのテーマを議論したいとは思わない。
問題があるのは、ロボットやAIではなくて、いつだってニンゲン側なのだから。


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写真は上野駅のホームにあった広告、思わず写真に撮ってしまった。
このGoo〇le Homeという、スマートスピーカーAIスピーカー)については、YouTubeのCMとかで知ってはいた。
スマートフォンでも同様のことができることも、何となくは知っている。

でも単純に、「OK Goo〇le,」って呼びかけるの、恥ずかしくないのかな?


ナイトライダー』で主人公のマイケル・ナイトが、コムリンクと呼ばれる腕時計型の通信機に「K.I.T.T.」と呼びかけるワクワク感とは…。
残念ながら、ぼくの中ではまったくリンクしなかった。



今日(2018.1.20)、たまたま手に取った本、石井ゆかりさんの『青い鳥の本』。
「本をぱっとひらいて、そこにある文章を読む」〈ビブリオマンシー〉のための本。

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〈ビブリオマンシー〉は実は古くから、そして世界中にある書物を使った占い。

それとはちょっと違うけど、探していた情報がたまたま手にした雑誌にあったり、誰かがそのことを話していたり。
そんなことって案外多いし、結構重要じゃないかと思ってる。

最近では、自分が今読みたい本は、大抵「本の方から」呼びかけてくれる。
大丈夫、ぼくは正氣ですからね(笑)


別に「電脳社会に警鐘」とか、そんなつもりはない。
ネットの恩恵ってかなりあるし、もちろん問題点だって常にある。

ただ、さっきも書いたけど「問題があるのは、いつだってニンゲン側」なんだよね。
いわゆる「ヒューマンエラー」。
だけど、実はこれって悪いことじゃないんじゃない?ってこと。

「意図しない結果が生じる」って、それこそ〈才能〉、それこそ〈恩恵〉。


スマートスピーカーよりも、『青い鳥の本』をそばに置いて、直感を鍛えた方がいい。
なんかそんな書き方すると、「年寄りの小言」みたいになるけど。

ブックカフェ「ABC」☆ - とむやんの氣まぐれ雑想記

(直感については、以前こんなことも書いています)

そうか、なんならいっそのこと、自分に呼びかけてみたらいい。
「OK 直感,今日はどこのカフェに行こう?」って。

ま、恥ずかしかったら声には出さなくてもかまわないけどね。


                    せれんでぃっぽ☆とむやん

2018年1月の上映会。


1月も、氣付けばあっという間に半分が過ぎましたね。
(今日は2018.1.17)

9日に青春18きっぷで埼玉の実家から滋賀に戻ってきました。
その前々日に熱が出て丸一日寝込んでいたのと、帰る当日の温度変化や疲労が重なって、一週間以上寝込んでしまい。
今週は月曜日からぼちぼちリハビリ的に動いて、やっとブログも書けるまでになりました。



実家で借りてきた本に、今すごく影響を受けています。
もしかしたら、今後のブログの書き方も変わるかもしれないし、変えたいとも思うのですが。

その本は『ニュー・アース』という、タイトルだけ聞くと何とも怪しげ(笑)

サブタイトル?なのかな、「Awakening To Your Life's Purpose」とあります。
人生の目的に目覚めること、この方が内容的にはわかりやすい。

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実は何年か前に、友人と話をしていたときに教えてもらったのです。
そのときは氣になったものの、スルーしてしまいました。

今回の帰省で、実家に置いてあるのを見て、それを思い出しました。
母も、喫茶店のお客さんから借りているとのこと、了解をもらって今ぼくが借りています。


この本の大きなテーマは、「エゴの克服」なのだけど。
かと言って、あまり深刻に捉えるのではなく、「氣付き」さえすればいいのだという。

2017年は激変と言ってもいい、おもしろい一年だったけど。
流れの「滞り」を感じた原因を振り返ってみると、やはり「エゴ」があったように思うのです。


今を生きるということ、その既にある「豊かさ」を受け取ること。
自分なりの言葉にすると、そういうことかなと思います。



1月30日[火]に、滋賀・草津の友人宅で上映会をします。
『サティシュ・クマールの今、ここにある未来』いう映画。

イベントは、碧いびわ湖主催の「居ごこちのよい暮らし体験会vol.2」として開催します。

スローシネマ・カフェ 「サティシュ・クマールの 今、ここにある未来 」上映会〜居ごこちのよい暮らし体験会vol.2〜


まさに、「今、ここ」はドンピシャのテーマ。
いずれにしても、サティシュさんの言葉は何度聞いてもいいし、この映画を観終えてからの感想シェアもたくさんのことを学べます。


映画の内容やサティシュさんについてはまた改めて書けたらと思います。
今日のところは、この辺で。


                    せれんでぃっぽ☆とむやん

異なる感性、異なる経験。


視点や感じ方を変える、真逆の経験をしてみる。
自己中心的な考えや、常識に捉われていたり、そんな自分への「縛り」を外してみる。

たとえば、オーストラリアやニュージーランドでお土産として売られている地図。
そこに書かれた「no longer down under」。

自分にとって、膠着しやすい意識を再確認するための、ある意味象徴的な〈踏み絵〉的存在だったりする。


今朝(2018.1.4)、何氣なく実家の部屋の壁を見たら、その地図が貼ってあった。
そういえばあったんだっけと思いながら。

よく見れば地図には違和感が、ある?ような、ない?ような。

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確かお土産でもらったもの、だったと思うけど。
そのニュージーランドの地図が〈逆さま〉に貼られてしまっている。

つまり、「New Zealand」も「no longer down under」も、それぞれの国名の文字も、みんな〈逆さま〉になっているわけ。
〈逆さま〉にわざわざつくられた地図なのに、これでは「形無し」だろう。

この発想は、自分にはなかったなぁ。

たぶん、母はこの地図の意味を知っているはずだ。
知った上で、見慣れた形、落ち着く形に貼っているんだと思う。

〈逆さま〉を、また〈逆さま〉にする。
それじゃあ、最初のままだ、と思うかもしれない。

けれど、その過程とひっくり返ったままのアルファベットにこそ、意味がある、のかもしれない。



いつだったか、ウクレレサロンに参加してくれた女性が二人、意気投合していた。
音楽の趣味が結構似ているみたいで、そしてある歌の話で盛り上がっていた。

ところが、ひとりはその歌詞は男女について歌っているといい、もうひとりは同性同士のことだと思っていた、と。

どちらが正解というわけじゃない、もちろん作詞した人には意図しているものがあるのだろうけど。
歌にしたって何にしたって、受け取り手の解釈は自由だ。

そう、それがかえって、話を盛り上げていたんじゃないかと思う。



昨年末12月5日、cafe salon STILLROOM(滋賀県栗東市)で、ブックカフェをさせてもらった。

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(嬉しいことその1、入り口にお知らせを出してくれていたこと)


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(嬉しいことその2、机には本がずらり、「一日ブックカフェ」になっていたこと)


この日は「BROOCHES」という ビーズ刺繍などをされているKumiさんが来てくださり、水木しげるの『猫楠 - 南方熊楠の生涯 - 』をもってきてくれた。
(ブックカフェでは、任意で紹介したい本などをもってきてもらっている)

Kumiさんには何度かお会いしたことはあったけれど、お喋りをする機会はなかった。

それが、水木しげるが好きで、南方熊楠が好き、とは!
もちろん、そのマンガに出てくる台詞などにも共感するところがあるということで、もってきてくれたのだけど。

ある種のギャップ、だけどそれで一氣に親近感がわく。

ぼくも『猫楠』は読んだことがあったのに、彼女が示してくれた台詞のところは、まったく記憶になかった。
そういう人それぞれの読み方が見えてくるのも、ブックカフェの醍醐味だと思う。


これには後日談があって。
このブックカフェに、KumiさんはSTILLROOMの「珈琲一杯」をドネーションをしてくれた。

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ちなみにこの写真は、店主のちすずさんがそのことを忘れないために、さっとメモしたもの、だそう。
なんとも格好いいチケットなので、撮らせてもらった☆

それで、その数日後にたまたまKumiさんとお会いしたときに、〈リリくじ〉を引いてもらった。
(〈リリくじ〉は、ぼくのオリジナルソングの歌詞の一部を書いた、おみくじのようなもの)

〈リリくじ〉と、その他告知。 - とむやんの氣まぐれ雑想記


それで、またまた数日してお会いしたときのこと。
(そうそう、この月はなぜか遭遇率が高かった、〈ご縁〉があるのかなと勝手に嬉しくなってしまう)

引いた〈リリくじ〉には、『Slow Walker』という曲のサビの部分が書かれていたと言う。

Slow Walker - とむやんの氣まぐれ雑想記


 ぼくは のんびりと行くよ
 だから お先にどうぞ

それを見て、Kumiさんはちょっと悲しくなった、と言うのだ。

ぼくは正直ビックリして、いろいろ聞いてしまった。
だって、自分は『Slow Walker』に悲しい要素を盛り込んだつもりがなかったから。

でも、聞いてみて、なるほどな~と思った。
もちろん、歌詞の一部を抜き出したから余計に意味が変わる、というのはあるかもしれない。

それにしても、解釈というのは本当に人それぞれだなぁ、と感心してしまった。

Kumiさんの感性を否定するつもりは、もちろんまったくない。
むしろ「それがおもしろい」と感じて、あれこれと聞いたり、自分があの歌詞を書いた意図を話したりした。

「こういうつもりで書いたのだから、こう思ってほしい」ということでは、ない。
こちらの意図とは異なる解釈があるというのは当たり前にあると思いながらも、自分にとっては意外な盲点を突かれた感じがする。

スポーツやゲームなどの競技のおもしろさも、共通したものがあるかもしれない。
自分の想定と違う動きを相手がするのでなければ、つまらないだろう。

競う競わないに関係なく、そこを探り合ったり予測したりする楽しさや、慌ててみたり余裕で返したり、そんなことがおもしろいんだと思う。



100人いたら100通りの感性がある。
それは、経験というものはある程度共有できたとしても、やっぱり捉え方で違ってくる。

たとえば、ひとつ前に書いた記事のように。
同じ映画を観て、違う感性を確かめてみるのも一興。

もしくは、ぼくが企画する【ABC】というブックカフェのように。
同じ本を読んだわけでもない(たまたま読んでた、ということはあっても)不特定多数が集まる、その「読めない」からこその展開を楽しむ。

ブックカフェ「ABC」☆ - とむやんの氣まぐれ雑想記


さまざまな経験を経て、多種多様な感性をもち、その人たちがふらりと集まる。
その集まりの場で、異なる感性を「交流」させることで、自分はしないかもしれない経験を垣間見させてもらう。

映画を観たり小説を読んだり、それ自体が「異なる感性」「異なる経験」の「交流」だとも言える。



さて、まとめどころがわからなくなってしまった。
最後に恒例?の告知。

明後日(2018.1.6)は埼玉・川口の実家、カフェ・ド・アクタで「オルタナティヴ・ブック・カフェ【ABC】」を開催する予定です。

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氣構えることなく、だけどある意味刺激的なイベントになるはず。
来てくださる方によって雰囲氣も変わるし、でも毎回それぞれおもしろいんです。

是非、遊びに来てみてください。


                    せれんでぃっぽ☆とむやん