とむやんの氣まぐれ雑想記

〈探幸王〉を目指して、さまざまな想いを綴ります☆

ガレットを食べながら、学ばせてもらったこと。


先月末、守山にあるGalette&Cafe Krampouz(クランプーズ)に行ってきました。

以前からお店のことは知っていて、行きたいな~とは思っていたのですが。
何となく男性ひとりでは行きづらいかなぁ、と思っていたり。

そしたら、ガーデンクルーマルシェでクランプーズのオーナーさんとお会いして。
いろいろお話させてもらって、これは今行くタイミングだ、と思ったのでした。



ハクハク茶小屋の珈琲担当の日。
通り道の途中にあるので、出勤前に寄ってみました。


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ガレットはいろいろ種類があって迷いましたが、まずはやはり定番から。
タマゴ・ベーコン・チーズのコンプレ(コンプレット)をオーダー。

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ドリンクはエスプレッソを。

ガレットは案外ボリュームがあって、正直ちょっともて余すかなと思ったのですが。
全然心配いりませんでした、ペロリでした。

エスプレッソも美味しかったし、贅沢なモーニングになりました。
(モーニングメニューがあるわけではありません、念のため)



さて、今日(2018.3.8)はここからが本題です。

ぼくがお店に入ったとき、店内には1組の女性。
顔はジロジロ見ていませんが(当たり前か)、可愛らしい感じの2人。

ランチには早い時間だったので、他にはお客さんはいませんでした。
なので、どうしてもその2人の声が聞こえてきてしまうのですが。

写真を撮ったりしながら、世間話をしている様子。
(内容までは聞こえません)

で、料理が運ばれてきたとき、「わぁ~」と歓声を上げたんですね。

そして、ときおり聞こえる「美味しい~」とか、「しあわせ~」という声。


ぼくもお店に行ったら、できるだけ「美味しかったです」とか伝えるように、最近は意識しているんです。
でも、その若い2人の女性は、ぼくがやろうとしていることを軽く超えている。

もちろん、ムリしてやっているわけじゃなく、たぶん自然体で。


さすがにぼくは、料理を見て「わぁ~」とは言わないかもだけど。
でも、「美味しそう」とかつぶやくぐらいはできるよなぁ、とか。

とにかく、その場にいるぼくも何だか嬉しくなっちゃうような、そんな空氣感。
ぼくがカフェによく行くのも、珈琲を淹れるのも。
結局はそういう場づくりがしたいから、のはず。

それって、「お客さん」という立場でもできるんですよね、当たり前かもだけど。

だけど、最近友人と喋った「能動的/受動的」ともリンクして。
なんか、期せずして学ばせてもらいました。



例えば、「インスタ映え」という言葉。
最近ではどちらかと言えば、けなしたり揶揄する言い方だったりしますよね。

一部行き過ぎた人がいたり、マナーに問題があったり、それはよくないことだけど。
その辺はマスコミなんかが、過剰に騒ぎ立てている側面もあるように思います。


クランプーズにいた女性2人は、写真もたくさん撮っている音がしたし、たぶん「インスタ映え」する投稿なんかもしているんじゃないかな。
いずれにしても、悪い感じは全然しない、むしろ好印象。

「しあわせ~」とか言えちゃうって、何氣にすごい。
皮肉とかじゃないよ、ほんとに素直にすごいな、見習いたいなって。

批判的なことを言う人が、じゃあその場を明るくしたり、喜ばせるようなことをしているんだろうか?
結局、口から出てくるのは、そこにいない誰かの批判だったり、愚痴だったり。

どっちがどうとか、言いたいわけじゃない。
ただ、どういう行動に出るにしても、「怖れ」や「不安」がベースにならないように。
自分はいつも「愛」を軸に行動したい、そう思っている。

だからこそ、「美味しい~」と言えたり、笑顔にでいたり。
そうありたいと、改めて思ったのです。

ハクハク茶小屋や出店のときも、そうやって声かけてもらったり、そういうことがやっぱり嬉しいから。
見返りを求めているわけじゃなく、相乗効果でいい影響を与え合えたらいいなって。

SNSにしても現実社会にしても、お互いがおもしろ楽しく過ごせたらいいよね。

ガレットを食べながら、そんなことを噛みしめたひとときでした☆


                    せれんでぃっぽ☆とむやん

walking distance


「最近、できるだけ歩くことにしている」ということを、以前書きました。

歩くこと。 - とむやんの氣まぐれ雑想記


後になって思い出したことがあって。
疫学者で作家の三砂ちづるさんがイベントのトークで、「歩ける範囲でしか仕事をしない」というようなことを仰っていました。

すべてできているわけではなく、そうありたいというような内容だったと思います。
もう10年くらい前なので、はっきりと憶えていなくて、申し訳ないですが。


そしてもちろん、今すぐ真似したりはできないけれど。
でも、そういう心掛けというか、将来的にそうありたいなぁと多大な影響を受けたのでした。
と言いつつ、忘れていましたけど(笑)



今はできる範囲で、「歩くこと」を楽しんでいるところです。
そして一方で、歩ける距離にステキなお店があったりするのって、とても嬉しいこと。


極々近いところに、「bakery Anne(ベーカリー・アン)」があります。

早いもので、開店されてから2年とちょっと経つんですね。
自宅近くにはお店もあまりなくて、パン屋さんもなかったので。
できたときはすごく嬉しかったし、今でもよく行きます。

人氣があるので、遅い時間にはパンはもう売り切れ、ということも多いですが。
ちょこっとおやつがほしいときは特に、重宝しています。

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(↑パウンドケーキ(チョコ)と、珈琲を淹れて)


ぼくはパンもお菓子もつくらないし、今のところ「つくりたい熱」もないので。
かと言って、コンビニで買うのでは味氣ない。

本当にありがたい存在です。



もう少し歩けば、栗東市役所周辺には案外、カフェがたくさんあったりします。

最近できた(と言っても、もうすぐ一年)「café Porte(カフェ・ポルト)」。
CAFE+ZAKKAの「Olive Branch(オリーブブランチ)」。
イートインもできるシフォンケーキ屋さんの「3じのおやつ」。
などなど。

でもやっぱり、よく行くのは「茶ノ木カフェ」か「cafe salon STILLROOM」かな。
最近はそれプラス、自然観察の森の前にできた「Santai137」。

「ハーブガーデンカフェ光の穂」は、歩いて行くにはちょっと距離があるかなぁ、という感じ。
(遠くても、「ついで」があると行きやすかったりしますが)



今日(2018.3.5)は雨、しかもちょっと激しい降りのときもあったり。
そんなときこそ、歩くのにちょうどいい日。

買いものついでに、cafe salon STILLROOMに寄りました。

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(↑山口県の自転車マニアが、廃棄チェーンでつくったというロゴプレート)


今までも、何度もこのブログに登場しているSTILLROOMですが。
近いとは言っても、歩いて行ったのは今のところ数回だけ。

買いものや図書館帰りとかだと、どうしても荷物が多いので、自転車にしてしまいます。


いずれにしても、歩いてでも行ける距離に行きつけのカフェがあるって、すごく幸せだな。
改めて、そんなことを感じたりしています。

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(↑今日はエスプレッソとガトーショコラ)


お店に入ると、いつものお客さん。
世代の違う人とも自然と交流できるのが、このお店の醍醐味のひとつ。

それと、店主スージーと「まちづくり」のことや音楽のこと、そのほか他愛のないことをお喋りできるのが楽しい。
(余談ですが、最近あえて「スージー」と呼ぶことにしています(笑))

30年続くかはわからないけど。 - とむやんの氣まぐれ雑想記


今でこそ、店内でのイベントをさせてもらったりしていますが。
滋賀でのつながりのないぼくたち家族にとって、STILLROOMや茶ノ木カフェはまさに「拠り所」でした。

つながりがたくさんある今でも、やっぱり特別な場所。
だから定期健診のように、通いたくなる。

滋賀のこの場所に、たまたまご縁があって移り住んだけど。
車なし生活、そして歩くことを習慣にしたいぼくにとっては、今のところかなり「理想的」と言っていいかもしれません。


                    せれんでぃっぽ☆とむやん

ひな祭りと、日野ひなまつり紀行のこと。

今週のお題「ひな祭り」


昨日は3月3日、ひな祭り。
昨日の夜に書こうと思っていたのですが、何となく調子がイマイチだったので、早く寝ちゃいました。

旧暦で三月三日は、今年は4月18日。
「桃の節句」は改めて、その日に何かしたいなと思っています。


昨日は夕方、みんなでお茶タイム。
暦や季節の行事などには、「あかね軒」の和菓子を。

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(↑ひちぎりと、桃の薯蕷饅頭)

夜ごはんは妻が、ウチにしてはかなり豪勢な料理をつくってくれました。



ウチの子どもたちは3人とも男の子なので、ひな祭りに何かすることはあまりなく。
ただ、昨年たまたま妻と子どもたちが、日野の「ひなまつり紀行」に行ったのです。

それがすごくよかったみたいで、ぼくも行きたいなと思っていました。

そんなわけで2月中旬、ひとりで日野へ遊びに行ってきました☆


手原駅から草津線で貴生川、そこからガチャコンで日野駅へ。

日野駅に着いたら、雪がチラついていて、どうなるかと思ったけど。
途中から晴れ間がのぞいたり、天氣のコロコロと変わる日でした。


バスで、日野ひなまつり紀行の会場となる大窪バス停で下車。

早速、かわいい「竹絵」がお出迎えしてくれました。
(「竹絵」はところどころにたくさんあって、一枚一枚違っていました)

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日野ひなまつり紀行は、街中にひな人形などが飾られます。
会場は東西約1.5km、歴史のある街並みを散策するのにいい機会です。

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看板にもありますが、期間は2月11日から3月11日まで。
催しなどで盛り上がるのは、やはり3月3日前後。

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街道を歩き出して最初に見た段飾り。
なんと「埼玉県川口市」と書いてありました。
川口市は、ぼくの生まれ育った街)

何だか不思議なご縁を感じつつ。


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お休み処があったり、「まちカフェ」があったり。
こういう街ぐるみでやっていることって、個人的に妙にワクワクします。

川口にいた頃、街歩き型のアートイベントなどに関わったりしました。
こういうイベントを知っていたら、仕掛け方ももっといろいろ思い付いたかもしれないなぁ。


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観光案内所「まちかど感応館」に到着。
日野には何度か来ていますが、ここにお邪魔するのは初めて。

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中にもたくさんのひな飾りや人形がありました。
休憩もかねて、ゆっくりさせてもらいました。

もらった地図によると、会場は西と東にわかれています。
この辺が西と東の真ん中辺り。

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中田邸にはこんな看板がありました。
「ひなみくじ」、引いてみたかったのですが、見つけられず。

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ここにも立派な段飾り、桟敷窓から見ることができます。

桟敷窓とは、日野祭の見物のために設けられた窓。
この桟敷窓があることで、「おひなさま見て歩き」ができるわけです。

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人様のお家、普段はあまりジロジロと見ることができないと思いますが。
ここぞとばかりに、たくさん見てきました(笑)

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ひな人形だけでなく、建物や街道を楽しめるのも「ひなまつり紀行」の醍醐味ですね。


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ぶらぶらと歩いていたら、あっという間に向町caféに到着。
日野でイチオシのカフェ、そしていつもお世話になっているカフェです。

もうひとつ、近くに「らっこや」というステキなカフェがあって。
本当はそちらも寄りたいと思っていたのですが、乗りたかった電車に間に合わず。
ガチャコンは一時間に一本なので、今回は諦めました。


向町caféの昼時はいつも満員。
このときも混んでいたので、もうちょっと散策を楽しむことにしました。


向町caféからもほど近い、馬見岡綿向神社。
綿向神社も、今回初めて行きました。

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お参りをして、段飾りを見て。
風が強く、かなり寒かったので、すぐに向町caféに戻りました(笑)

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向町caféにも段飾りがありました。
オーナー依味ちゃんのもの、こちらもかなり立派で、向町caféの雰囲氣にもピッタリ。

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さてさて、向町caféと言えばランチプレートです。
この日も嬉しいもりもり、それでも美味しくてペロリ。

ひじきの煮ものとか、若い依味ちゃんがつくったとは思えない。
いい意味で「おばあちゃんの味」がします。

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以前にも書きましたが、この後は伯宮さんのお宅にお邪魔して、お喋りしました。

やっていること一覧。 - とむやんの氣まぐれ雑想記

そのことはまた別の機会に書けたらと思っています。


「日野ひなまつり紀行」、ぼくはとても楽しかったです。
3月11日まで開催、氣になった方は是非行ってみてくださいね。


日野は今、滋賀の中でも「熱い」と思っています。
その街中を歩いてみると、何か感じるものがあるかもしれません。


                    せれんでぃっぽ☆とむやん

SYNCHRONICITY。その1


今日(2018.3.1)は前回の続きというか、補足というか。

シンクロニシティ〉について、いろいろ付け加えたいなぁと思っていたら。
伯宮さんのブログで昨日、〈シンクロニシティ〉のことが書かれていたのです。
これこそ、〈シンクロニシティ〉?それとも、たまたま?

いずれにしても、そこには興味深いことが書かれていました。

シンクロは無視したほうがいいのだろうか|里山成功哲学コラム


伯宮さんは、「〈シンクロニシティ〉を重要視していない、ほとんど無視している」と。

ちなみに、続きもUPされていました。

シンクロの続き こんなことって起こりうるんですね|里山成功哲学コラム



伯宮さんの指摘が、ぼくの思っていることと一致しているのかはわかりませんが。
確かに、〈シンクロニシティ〉を意識し過ぎて、振り回されるのはよくないことです。

シンクロニシティ〉はあくまでも「起こった」ことが重要なのであって、「起きたかどうか」ばかり氣にしていると、本末転倒ではないかと思います。

つまり、「悦に入る」ために〈シンクロニシティ〉が起きるわけではなく、目的とする喜びの「副産物」のようなもの、と言えるかもしれません。

シンクロニシティ〉について、以前こんなことを書いていました。

偶然の一致。 - とむやんの氣まぐれ雑想記


ここでもやはり、「〈指標〉と捉えて人生がより円滑になるなら、いいんじゃないかなぁ」と、同じ主旨で書いていましたね。
実は、自分ではすっかり忘れていたのですけど(笑)



改めて、〈シンクロニシティ〉とは何かを考えてみたいと思います。

シンクロニシティ〉は、カール・グスタフユングによって提唱された概念の英訳。
日本語では、「意味のある偶然の一致」や「共時性(きょうじせい)」などと訳されることが多いようです。

たぶん、この辺が誤解を招くと言うか、理解されないところなんじゃないでしょうか。
というか、そもそもぼくも理解できているか、正直わかりません。

なので、これはあくまでもぼくが考える一つの説です。
正しくないかもだし、信じなくていいし、興味がなければどうぞスルーしてください。



シンクロニシティ〉において重要なのは、単なる「偶然」とは言えないような現象が起こったこと、ではなくて。
その「偶然」に思えることは、実は双方が引き合って起こしていることだということ、そしてそれが不思議に思えてしまうこと、ではないでしょうか。


ユングは、個人的な無意識ともうひとつ、集合的無意識(普遍的無意識)があると主張しました。
つまり、人の意識は深層的につながる領域がある、ということ。

繰り返しますが、ぼくは専門家ではないので、正しいかどうかはわかりません。
話半分で読んでもらえると助かります。


さて、この深層的につながっている領域にアクセスすれば、テレパシー的に「離れていてもキャッチできてしまう」わけです。
しかも、本当はむずかしいことではなくて、ラジオのチューニングよりも簡単かもしれない、そんな風にぼくは思っています。

どちらかと言うと、テレビのチャンネルに近いイメージ。
見たいものがあったら、番組表を見てチャンネルを合わせますよね。

その「見たい番組」がブラウン管に映ったからといって、過剰に一喜一憂する人は最近ではあんまりいないんじゃないかな?(笑)

シンクロニシティ〉って、その程度のことかもしれません。
けれど、スイッチを入れてチャンネルを合わせさえすれば、「見たい番組」が見れる。
「それって、実はすごいことだよなぁ」なんて感謝してみる、そういう楽しみ方。



シンクロニシティ〉は、出発点でも到達点でもなくて。

だから、テレビのチャンネル合わせで言えば、〈シンクロニシティ〉は番組そのもの、コンテンツではない。
あくまでも「チャンネルが合っていることの〈確認〉」なのだと思います。

わかりにくいので、もう少し全体の流れから考えてみます。


あることを達成しようとする、それを「電車での旅」に例えて。

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(↑写真は先日、日野で撮った近江鉄道/ガチャコン)


ぼくは埼玉の実家に帰るとき、よく「青春18きっぷ」を利用しています。
だいたい9~10時間ほどの旅、乗り換えは6~7回。

この場合、まずは実家の最寄り駅を目指すこと、たどり着くことが「目的」。

電車の場合は、乗り換えの度に確認をしなくてはいけません。
この電車で合っているか、どこに向かいどこで降りるのか。
終点で降りることもあるし、途中で乗り換えることもあります。

一度、乗り換えて別のホームから列車に乗り込んだのに、今来た路線を逆戻りする電車に乗ってしまったことがありました。
そのときは長男がすぐ氣付いてくれたので、よかったのですが。


人生でも、「本当にこれでいいのか?」と迷うことがあります。
「自分のやりたいことはこれなのか」、「この方法でたどり着けるのか」。

その点は電車とは違って、人生はもっとシンプルな氣がします。
目的をチャンネル合わせのようにセットすれば、ちゃんとたどり着けるのです。

それなのに、「どうやってたどり着こうか」を思い悩み過ぎているみたいです。

とは言え、迷いがあると微妙に方向がズレたりもします。
そのときに〈指標〉があれば、軌道修正したり、確信したりができるわけです。

止まった駅の名前を見たり、車窓から富士山を見たり。
電車でも停車する度に駅の名前をチェックする必要はありませんよね。
チャンネル合わせがあっていれば、何度も見なくてもいいのです。
(電車の場合は、山科で琵琶湖線に乗るはずが湖西線に間違って乗ってしまい、なんてことも多々ありますが)

見ても見なくても、路線(チャンネル)が合っていると、停車駅を順番に進んで行きます。
それを不思議に思う人は、あまりいませんね。

そしてもちろん、まったく見なくてもいいのです、寝ていてもいい。
(伯宮さんが「ほとんど無視している」というのは、この感じでしょうか)

起きたら終点近くの駅を過ぎたところだった、そんなときも驚きはしないでしょう。
「もうここまで来たのか、案外早いなぁ」と思うことはあっても。

「〈シンクロニシティ〉探し」に夢中になる必要がないことは、こういうことだと思います。
あまり深読みをせず、意味を考え過ぎないこと。



長くなってしまい、説明が回りくどくなってしまいましたが。

シンクロニシティ〉は、「今あるべき自分でいる」ことが軸。
そこを信じることができれば、〈シンクロニシティ〉はどうでもいいんです、きっと。


それで、実はこれの続き「その2」を書く予定だったりします。

もっとややこしいかもしれないこと、今の常識では考えられないようなこと。
だけど、そこまで含めて考えてみると、〈シンクロニシティ〉のおもしろさがわかるかも?しれません。



                    せれんでぃっぽ☆とむやん

神さまの時間調整。


「神さまの時間調整」。
この言い方は、斎藤一人さんの動画(音声)で知りました。
言葉は違うけど、浅見帆帆子さんも「何かの時間調整」という言い方で、本田健さんとの対談で語っていたり。

「起こったことは全部マル」などなど、拡大的に捉えてみると、本当に多くの人が指摘していることです。

先日のRAKUICHIでのコーヒー出店でも、お一人は待てずに帰られ、もう一方はもうどこかへ行かれてしまいました。
前回書いたように、こちらが遅いので申し訳ないのですが。

30年続くかはわからないけど。 - とむやんの氣まぐれ雑想記


でも実際、タイミングというのは「神さまの采配」だと思っているので、何ともしようがないのです。
(ぼくが言う「神さま」は、特定の宗教ではなく、あくまでもイメージ的なもの)



30代の頃、ぼくにとっての「バイブル」だった、ひろさちやさんの『「狂い」のすすめ』。
その中で特に、イスラム教の「イン・シャー・アッラー(インシャラー)」について書かれたところが大好きです。

「もしも神が望んでおられたなら」という意味の言葉で、イスラム教徒は未来のことを言うときには、必ず言わなければいけないとされているそう。

ひろさちやさんは最初、この言葉が好きではなかった、と書いています。
なぜなら、イスラム教徒のガイドさんが遅刻をしても、「神が望んでおられなかったのだ」と、謝罪もしないのだとか。

けれど、後で考えてみると案外論理的だと、ひろさちやさんは氣付きます。

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人間努力で何ごとも何とかなる、というはある意味危険な考え方かもしれません。
ぼく自身、それを手放すようになってからは、イライラすることが格段に減りました。

そして、「これでよかった」と思うことでますます、ビックリするような「偶然」がどんどん起こったりします。



例えば、長男と南草津まで行く用事があって、でももうちょっとのところで電車が行ってしまいました。
走って急いでいたら間に合ったのかもしれませんが、それでケガでもしたらイヤだし、焦るのをやめたのです。

そうして乗り込んだ次の電車で、京都に向かう友だちの子ども2人と会いました。

会ったから何?というわけでもないのですが、そういうことがあると「やっぱり、これでよかったな」ってつくづく思ったりします。
ちょっとしたことだけど、長男も嬉しかったみたい。

一本遅らせてなかったら、そしてその車両でなかったら、出会えていないんですよね。



例えば、草津駅前のエイスクエアで買いものを済ませて、STILLROOMでのイベント(ブックカフェ〈ABC〉)に向かおうとしたとき。
自転車で小道に入ろうとしたら、後ろから声が聞こえます。

振り向いてみると、女性が手を振って横断歩道を急ぎ足でこちらに向かってくる。
その方とはたぶん面識がなく、けれど共通の友人がいることから、憶えていてくださったみたいでした。

近々開催される政治関連のイベントがあまり集客できていないらしく、たまたま見かけたので声をかけた、とのこと。

エイスクエアでの買いものを、もしもっとスムーズに済ませていたら、きっと出会わなかっただろうと思います。
その方とはその後お会いしていませんが、何だか不思議ないい経験をさせてもらいました。

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(↑写真は、その日のSTILLROOM)



斎藤一人さんは「神さまの時間調整」について。

何かを忘れて取りに戻ったとして、でもそれでも「ツイてる」んだよ、って。
もし自分の思う「時間通り」に動いていたら、交通事故にあっていたかもしれない。


いわゆる「シンクロニシティ〈synchronicity〉」と言われるもの。
シンクロニシティを味方につけると、本当に人生がおもしろくなる。

ぼくは実際、最近シンクロニシティだらけです。

シンクロニシティを起こすコツは、「ツイてる」って言うこと。
そうやってスイッチを入れるだけで、「神さまの時間調整」がたくさん起きてることを実感できると思います。


一人さんも言っているけど、「焦る/焦らされる」のって、本当によくない。
前々回にUPした「ピースミーティングテーブル」の中でも、そういう話が出ました。

ピースミーティングテーブル。 - とむやんの氣まぐれ雑想記



すべてがうまくいってる。
だから安心して、人生を楽しんじゃおう☆


                    せれんでぃっぽ☆とむやん

30年続くかはわからないけど。


昨日(2018.2.24)は近江八幡のRAKUICHIへ。
ハクハク茶小屋の一員として、珈琲を淹れました。

cafe salon STILLROOMのスージーに車で送ってもらい、帰りにはお好み焼き屋さんに寄ったりして。

RAKUICHIは酒蔵跡のまちや倶楽部での町屋マルシェで、今回3回目。
ハクハク茶小屋として、1回目にも参加させてもらいました。

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今回の出店も、かなり豪華な顔ぶれ。
お客さんの波もほとんど途切れず、終始にぎわっていました。

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始まってすぐに買いに走り、とりあえず3つだけGET。
手前が「石釜パンcafeつむぎ」のあんくるみ。
奥の右が「プラスエフ」のスコーン(チョコ)。
そして、左が「fujico muffin」のおからのドーナツ。

「fujico muffin」は「ひのまるマルシェ」で食べて、感動的に美味しかったので。
この日来ていた友だち親子にもオススメしました。


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「くいしんぼうかぞくの台所」の、アップルパイ(リンゴの包み焼き、と表記)。
注文してくれた珈琲を届けに行って、買おうと思ったらトレードをしてくれました。

これがまた最高に美味しかった~♪
甘過ぎないスイーツは、ほんと「ド真ん中」です。
(甘くても、もちろん美味しくいただきますけど)


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そして、終わり際にやっと食べれたお昼ごはん。
STILLROOMのナシゴレン、スージー的には今回ちょっと失敗があったみたい。
でも、充分美味しかった☆


ぼくはと言えば、相変わらず〈SLOW〉がmottoな珈琲出店、だいぶお待たせしたり、失礼があったかもしれません。
もしそうでしたら、ごめんなさい。

今回も、珈琲の淹れ方などに興味ある方とお喋りしたり、テンパりながらも終始楽しくいさせてもらいました。
ありがとうございました。



スージーが高校時代に寄り道したというお好み焼き屋さん「こんにちは」。
こんにちは焼きと広島焼きを半分こしました。

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久しぶりに食べたお好み焼き、本当に美味しかった♡

お店の方とお話してみたら、なんと30年前からやっている、とのこと。


一口に「30年」と言っても、20歳過ぎてからまだ30年経っていない自分にとっては、ある意味未知の領域。

敬愛する野洲のパン屋さん「ル・シエル」や、大好きな喫茶店「山本珈琲倶楽部」も、だいたい30年。

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(ちなみに、「山本珈琲倶楽部」のトーストやホットサンドは「ル・シエル」のパン)



だから、「30年」という単位で考えてみるのだけど、今からだと自分は70歳を超えるわけで。
そして、長男は今のぼくと同じくらいの年齢になる。

あ~、ますます想像ができない。



そこまで続けるには、やはり「想い」がないとできないことだと思います。
けれど一方で、最初から「30年やろう」と思っていたわけではないかもしれない。

その「想い」をもち続けていて、氣付いたら30年経っていた。
そんな感じじゃないかと、勝手に想像しています。
当然のことながら、それでも「すごいこと」だし、ただただ「脱帽」です。


だから、自分も30年続くかは考えられないけど、それでも今この瞬間に同じような「想い」をもつことはできるのだと思います。

出店で注文が重なってしまったりすると、お待たせしたりお断りしなくてはいけないときもあります。
だからと言って、何かをショートカットするのは、どうもしっくりこない。

実は、お好み焼きを食べながら、スージーといろいろ「振り返り」をしたのです。

ナシゴレンも、結局は一個一個手間かけてつくらないと、出せるものにならない。
ぼくも、挽きたて淹れたてを飲んでほしくて、そこは妥協できないなぁ。


昨年末の「いろは市」での珈琲出店。
注文が重なり過ぎて、何人かお断りしたときのこと。

少ししてからまた来てくださって、「待つから飲みたい」と。
「そんなに時間かけて手間かけて淹れる珈琲、飲んでみたい」というようなことを言ってくださって。

実際、だいぶお待たせしてお出しした珈琲を、すごく喜んでくださいました。
あぁ、やっぱりそこは曲げなくてよかったなぁって、つくづく思ったのです。

昨日のRAKUICHIでも、以前ハクハク茶小屋に来てくださった方から、「一緒に行った旦那が今まで飲んだ珈琲で一番だった」なんて、嬉しい報告を聞いたり。

ある種、「想い」が報われた瞬間、かもしれません。


最近、カフェや飲食系のお店が増えてきたように思います。
それはすごく嬉しいことなので、できるだけ行ってみるようにしているのですが。

正直、「なんでカフェをやろうと思ったのかな~?」と思うところも多い。
だから、はっきり言ってあまり珈琲が美味しくなかったり、接客がイマイチだったり。

それでもやっぱり、個人店を応援したくなっちゃうんですよね。
最初に「やろう」と思った「想い」は、きっとどこか同じなんじゃないかって、ついつい期待をして。



ぼくがそこにいることで、お互いに楽しい時間を過ごせるかな?
あなたがそこにいてくれたことで、ぼくがどれだけ喜んでいるか、知ってる?
もし知らないなら伝えたい、いてくれて本当によかった、って。

だからぼくも、同じように誰かを喜ばせたい、一緒にしあわせを感じてみたい。

30年続くかはわからないけど。
「想い」が伝わっていくなら、きっとそれは何かの形で30年でも40年でも残っていくんじゃないかな。


                    せれんでぃっぽ☆とむやん

ピースミーティングテーブル。


先日(2018.2.18)のオーガニック&つながるマーケットしがの野外寺子屋
「ピースミーティングテーブル」という、座談会がありました。

ぼくも進行役として、参加させてもらいました。

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早速、あまいろチャンネルにインターネットラジオとしてUPされています。

ピースミーティングテーブル① 20180218@三井寺 - YouTube


実は、糸車の「チャルカ」を、「チャクラ」と言い間違えたりとか。
全体的に、何だかこの日(だけじゃないかもだけど)は、キレがイマイチ。

言い訳してもしょうがないのですが、ほんと最近単語とか出てこないんですよねぇ。
(口から「チャクラ」と出てしまい、すぐ違うと氣付いたのに出てこなかった…)

座談会が終わってからの井戸端会議でも、「最近トイレが近くて、映画館の2時間でもキツイ」なんてカミングアウトをしてみたり(笑)



さて、本題。
座談会の中でも喋らせてもらいましたが、いよいよ来週月曜日。
「へいわのじかん」in STILLROOM。

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滋賀・栗東/へいわのじかん in stillroom



「ピースミーティングテーブル」でも、前回の「へいわのじかん」のことも触れたりしました。

家庭中が「民主的」になれば、世界ももっと民主的になっていくかもしれない。
「家庭内民主主義」についても、また少し喋りたいと思っています。


「へいわのじかん」は、基本的には批判や議論ではなく、対話を大切にしたい。
けれど、身近な「くらし」とか「へいわ」の話の中で、場合によっては旦那さんへの愚痴が出てくるかもしれない。

例えば、「子どもがまだ小さいのに、ウチの旦那はいつも帰りが遅くて」なんて、そんな不満があったとして。
でも、「それって旦那さん個人の問題じゃなく、もしかしたら政府の働き方改革が全然トンチンカンなのも関係あるんじゃない?」という意見が出たりするかも。
(余談だけど、誰かが言ってた「働かせ改革」というのが、妙にしっくりきてしまう)

「結局、政府が憲法を全然守らず、変えようとしてばかりだからだよね」って、そこから憲法談議に発展する、そんな展開だってあるかもしれない。



きっと、誰もが平和な世の中がいい、と思っているはずなんです。
ただ、それが「自分たちさえよければいい」となってしまえば、結局は破綻してしまうでしょう。

自分にとっての「へいわ」って何だろう?「くらし」って何だろう?
日々、何氣なくやり過ごしてしまって、向き合えなかったり大切にできなかったり。

焦ったり不安になったり、そんなときは深呼吸をしてみるみたいに。
「へいわのじかん」に参加して、ちょっと立ち止まってみる。

一息ついて、穏やかな氣もちで現実を見たら、今やるべきことがはっきりとわかるかもしれません。

よかったら、「へいわのじかん」に参加してみてください。


                    せれんでぃっぽ☆とむやん