とむやんの氣まぐれ雑想記

〈探幸王〉を目指して、さまざまな想いを綴ります☆

着物縁。


守山にある「ル・ラヴァージュ(le-lavage)」。
守山駅からすぐ、マンション1階にあるレンタルカフェやレンタルギャラリーです。

Le-lavage(ルラヴァージュ) | 滋賀県守山駅前のレンタルギャラリー&レンタルキッチン | 展示会・料理教室に


ぼくは以前にも一度か二度、お邪魔したことがあります。

3月11日の「守山わくわくマルシェ」も、この場所でした。
(わくわくマルシェ、次回は別の場所での開催になるそうですが)

輝かしい日々に。 - とむやんの氣まぐれ雑想記

(↑「守山わくわくマルシェ」に行ったこと、ちょこっとだけ書いてます)



先月末も、「ル・ラヴァージュ」へ行きました。
「二部仕立て着物 湖布koff」の月イチお店ギャラリーへ。

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湖布さんは、昨年うの家で開催された「キモノことはじめ いろは市」で出会った方。
いろは市は二日間あって、ぼくはハクハク茶小屋として珈琲を淹れてました。

ノッポさんになる。 - とむやんの氣まぐれ雑想記

(↑これまたちょこっとですが、以前書いています)


昔から、着物は着てみたいと思いながらも、なかなか重い腰が上がらないまま。
そしたら、〈ご縁〉の方から動いてくれた、そんな感じです。

うの家での二日間、妙に盛り上がって。
ハクハク茶小屋で着物イベントしよう!ってことになったんです。

出店していた3人が、今年になってハクハク茶小屋に来てくださって。
なんと、第一回目が4月25日[水]に開催されることになりました。
「普段着キモノのおしゃべり会」、詳細はまた後日。

こういうのって、「できたらいいね~」で終わってしまいがちですが。
着々と計画していく女性3人、さすがですね。

でもほんと、今から楽しみです。



それで、せっかくできた〈ご縁〉なので、湖布さんの月イチお店ギャラリーにも行ってみようと思ったのです。

とは言え、男性がノコノコとひとり、行っていいものか迷いました。
湖布さんは、「よく聞かれるけど、もちろんOK」とは言ってくれましたけど。

実際、入り口から中を覗くと、ステキな女性たちでにぎわっている様子。
扉を開けるのに、結構勇氣がいりました(笑)

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でも、この日は「おうちcoffee miki-78」さんがコラボで来ているということで。
珈琲に釣られる形で、中へ。


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湖布さんは、二部仕立て着物なので氣軽に着れるんです。
(ぼくは着てないので、詳しくはわかりませんが)

そして、今回ギャラリーには着物と帯がセットで、キレイに展示されていて。
初心者でもコーデや着方に悩まなくてもいいように、いろいろきめ細かい配慮がなされていました。

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同じく、いろは市で出会ったReinetteさんも、お手伝い&小物の出店がありました。


そして、「おうちcoffee miki-78」さんの珈琲。

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珈琲を飲んでいたら、カフェで何度かお会いした方がいらして。
いろいろとお喋りさせてもらいました。

山本珈琲倶楽部のマスターが、「珈琲縁」という言い方をしていて、ぼくも使わせてもらったりしていますが。
この場合は、「着物縁」といったところでしょうか。


さて、湖布さんのお店ギャラリーは今月もあります。
場所はもちろん、「ル・ラヴァージュ」。

ちなみに、最初はこの名前が全然憶えられなかったのですが、何度も言ってたらさすがに言えるようになりました(笑)

3月25日[日]am10:00~pm19:00。
今回も「おうちcoffee miki-78」さんの美味しい珈琲とスイーツもあるそうです。
(この日ぼくは別件があるので、残念ながら行かれません)

着物に興味ある方は特に、是非チェックしてみてください。
詳細はまたUPしますが、ハクハク茶小屋での着物イベントも是非。


                    せれんでぃっぽ☆とむやん

したことないけど、「ひとり暮らし」の話。

お題「私の一人暮らし」


「ひとり暮らし」について、ということですが。
よく考えたら、「ひとり暮らし」ってしたことがない、かもしれない。


20代前半まで、ずっと実家暮らし。

20代後半は少しだけ山梨の富士吉田にいたことがあります。
そのときは友人とのシェアハウスというか、居候状態だったので。
あれはあれで、感慨深いものがあるのですけどね。

その後、結婚して妻の家での「マスオさん状態」が始まります。
そして、震災から半年後、そこを離れて滋賀に来たわけです。

で、今に至る。
「ひとり暮らし」、したことないなぁ。

と、それで終わってしまうと、何のために書いたかわからなくなってしまうので。

強いて言うなら、滋賀に移住前の二ヶ月間が、「ひとり暮らし」に一番近かった。
ちょっと強引ではありますが、今回はそのことを振り返ってみることにします。



と、その前に。

先日、とあるミーティングに参加したときのこと。

打ち合わせも何となく終わって、ゆったりとした時間の中での雑談。
友人が、「これまで、実家を出て暮らしたことがない」と言うので、このお題のことをぼくはすぐ連想したのです。

そこから話は発展して、そこにいた人それぞれの「今に至る経緯」を聞く流れになったりして。
普段、わざわざ聞いたりしない話題だから、すごく興味深かったなぁ。

振り返る機会があることで、案外自分でも意識していなかったことが出てきたり。
人の半生の話を聞くというのも、なかなかないことなので、貴重な時間でした。


それに、3月11日が近かったこともあったからなのか。
東日本大震災と、あの日を基点にした話が自然と出てきました。

あの日を境に、やはり多かれ少なかれ影響があって、誰もが人生観変わったりして。

そういうことが、何かしら共有できたのも、すごくよかった。



そんなわけで、ぼくの話も震災があったあの日から、振り返ります。

ちょっと前にも、3.11を振り返って、ブログを書きましたが。

輝かしい日々に。 - とむやんの氣まぐれ雑想記



あの日あの時間、ぼくは長男と家にいました。
パソコンで何かをしていたとき、だったと思います。

夜になって、福島第一原子力発電所が事故を起こしたと知りました。

あの頃はまだ家にTVがあって、TV番組やパソコンからの情報をとにかくチェック。
余震があると長男は怖がって、ぼくの傍に駆け寄ってくる、そんな日々が続きました。

計画停電だったり、街の混乱だったり。
原発事故が起こったことの絶望感だったり。

妻はそのとき、次男がお腹にいたこともあって、ぼくたちはいろいろ考えました。
できれば移住、でもともかく出産だけでもどこか別の場所で。

その後も地震は頻繁にあったし、そもそも「東京周辺で暮らしていくこと」にいろいろな面でもう限界を感じていました。


そして、紆余曲折あって。
2011年夏に開催された「アースデイしが7.03」のときに、滋賀に来ました。

栗東のさきらにはたくさんの人、けれどそのときのぼくたちは、つながりほぼゼロ。
関東で仲よくなった友人一家と、その前に滋賀での合宿で出会った人と何人か再会しましたが。

「心援隊びわこ」に助けていただいて、イベント後に貸してもらう予定のアパートを見せてもらったのです。
(それが今、住んでいるアパート)

部屋を見て、その場で二つ返事で借りることにしました。

そして、その部屋に妊婦の妻と、4歳になったばかりの長男を置いて。
ぼくは引っ越し作業のために、埼玉へすぐに戻りました。



「ひとり暮らし」的な話をするはずが、だいぶズレてしまっている氣もしますが。
話を戻すと、その二ヶ月の間が、ほぼ「ひとり暮らし」状態でした。

料理するのは基本的に好きだけど、やはり誰かのためにつくらなくていい、となると途端にやらなくなってしまうもの。
(正確には、別の階に義理の母も弟もいましたが)

しかも、あのときは夏真っ盛りだったので、ますます「自堕落」になって。
まあ、毎日ひどい生活をしていたと思います。


ちなみに、このお題は「投稿された中から「一人暮らししてみたい」と思わせる素敵なエントリーに、優秀賞」が与えられるんだそう。
とてもじゃないけど、そんなステキなエントリーからは程遠いです(笑)


それでも何とか、引っ越し作業を終えて、9月頭にぼくも滋賀に越してきました。

「ひとり暮らし」状態は、かえって「好きなこと」ができないものかもしれません。
そうは言いつつ、だいぶ好き勝手はしていたけど、氣力はかなり低下していたなぁ。
引っ越し作業を2ヶ月で、というミッションがなかったら、徹底的に「腑抜けて」いただろうと思います。


滋賀に移り住んでからは。
9月半ばから、長男をシュタイナー系の幼稚園に自転車で送り迎えしなきゃだし。
9月後半には次男が産まれて、家事とかもしばらくぼくがやっていたけれど。

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(↑写真は、次男が産まれた日の朝に撮ったもの)

「ひとり暮らし」的なときよりも、大変なことは当然あったはずだけど。
正直、そのときの心境はあまり記憶にありません。

一緒に暮らせる人がいるって、やっぱり幸せだな。
そのときそう思えたかどうかはわからないけど、今なら改めてそう思える。


どちらがいいとか、そういうことではなく。
「ひとり暮らし」も、それはそれで楽しめたらいいですよね。
そのときにしか味わえない経験や学びがあるはずだし、嬉しいことも淋しいこともあるだろうし。

ぼくの場合は、「ひとり暮らし」と呼べるかどうかわからない経験だったとはいえ。
それもまた必要なことでした。


ひとつ言えるのは。
どういう暮らし方にしても、「人とのつながり」というのは大切だってこと。

何を当たり前のこと、と思われるかもしれないし。
人との関係性が煩わしいから「ひとり暮らし」がいいのに、と言うかもしれない。

けれど、「ひとり暮らし」のときこそ、「人とのつながり」のありがたみや重要さを知る絶好のチャンスなんじゃないかな。

「人とのつながり」というのは、何も誰彼構わず会え、ということではありません。
逆に、SNSもTVもOFFにして、〈孤独〉に浸る時間も確保した方がよかったり。

これが、高齢者の「ひとり暮らし」となると、ますます深刻な問題になったりします。
自分自身も可能性としては充分あるわけだから、今から考えてみるのもいいかも。



もうすっかり春めた今日この頃。
昨日(2018.3.19)、雨の中を歩いていたら、桜が咲いているのを見つけました。

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新しい生活が始まる、という方も多いことでしょう。
何かが「変わるとき」って、不安だったり戸惑いだったり、そういうネガティブなものに支配されそうになることも、もしかしたらあるかもしれません。

けれど一方で、ワクワクできることもたくさんあるはずです。
大変だったとこも、過ぎてしまえば笑い話になったりするもの。

この春、あなたにとって「よい変化」が訪れますように☆


最後はいい感じ風に、無理矢理まとめてみました(笑)


                    せれんでぃっぽ☆とむやん

満月マルシェから見る、その日の運勢を決めるということ。


シンクロニシティ〉の話など、続きものがいろいろ溜まっていますが。
今日(2018.3.16)はちょっとひと休み。


先々週の金曜日(2018.3.2)、満月マルシェに行ってきました☆

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今年から、1月2月はお休み。
なので、久々の満月マルシェでした。

(そう言えば、満月マルシェの公式ページがオシャレに生まれ変わってますよ、そちらも要チェック↓)

満月マルシェ公式サイト 滋賀県 琵琶湖畔で開催されるマルシェ



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お天氣にも恵まれ、相変わらずの大にぎわいでした。
出店はおよそ100店舗、ひしめき合うようにテントが並びます。

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まずは恒例(?)、美味しかったもの紹介。

今回初出店、「大黒珈琲」さんのコーヒー。
豆はエチオピア、すっきりとした飲み口でした。

珈琲が美味しいと、その後のすべてがうまくいく氣さえしますね♪


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コーヒーのお供に甘いものがほしくて、このときは「和」な氣分。
そしたら、ドンピシャな大福がありました。

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(↑大福自体の写真は撮りませんでした、看板の写真だけはなぜか撮ってた)

くるみ大福をいただきました、これがまた美味しかったこと!


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↑ランチは、モンカジさんのチキンケバブ
写真はイマイチですが、味は格別♪


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↑これもわざわざ撮らせてもらったのに、これまた写真はイマイチですが。
ラ・シェーヌさんの、カヌレ(チョコ)がまだひとつだけありました。
これはお土産用に。


この日はお手伝いとして参加、朝イチから現地入り、夕方の撤収までいました。
最初から(ほぼ)最後までいたのは、今回が初めて。

長丁場だったので、午後にも珈琲が飲みたくなります。

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↑「Soma Coffee」と、「近江園田ふぁーむ」の米粉ビスコッティ。
「近江園田ふぁーむ」では、大豆のポン菓子「大豆ぽん」などの試食をさせてもらいました、美味しかったなぁ。


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↑茶楽園のたい焼き(抹茶)と、MANMAさんのレモンケーキ。
どちらも終わり際でも買えたのは、ラッキーでした♪
今ではすっかり満月マルシェの「顔」の二組。


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↑こちらは番外編、次の日に妻と食べました。
カヌレとレモンケーキと。
ガトーショコラはハクハク茶小屋のパティシエールさやちゃんがつくったもの。



前述したように、今回はお手伝いとして参加した満月マルシェ。
朝の会場設営もちょこっと手伝って、その後は出店者さんの駐車スペース案内。

出店者さんの車だけでも、相当数あるわけで。
奥にある広場に、順々に止めてもらいます。

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その広場の入り口は、ちょっとわかりづらいのです。
本来は車が出入りしたり、止める場所ではないので。

入り口となる場所の手前に立って、誘導していきます。



当たり前と言えば当たり前なのですが。
本当に、人って「それぞれだなぁ」とつくづく思いました。

普通に挨拶して、入っていく人もいれば。
「え?ここ入るんですか?」と戸惑う人もいる。
その辺は序の口。

基本、こういうマルシェイベントに出店しよう!と思われる方々なので。
9割方は、とてもフレンドリーだったり、礼儀正しい感じだったりします。

出店自体初めてで不慣れで、という人もいたかもしれません。
でもまあ、「客商売」という認識はそれなりにあるんだろうけども。

挨拶も言葉も交わさない人がいたり。
挨拶なしに、いきなり要件だけ告げて走り去る人もいたり。
ごく少数、なんですけどね。

あと、不機嫌そうだったり、何だかしんどそうな人。
妙に焦っている感じの人もいるし。

それがダメとか、批判したいわけじゃないんです。
でも、申し訳ないけど、「確実に運氣は下がるよなぁ」と思っちゃった。

ぼくもスタッフ側として、駐車場係をさせてもらいましたけど。
それが終われば、「お客さん」でもあるわけです。

やっぱり、そのときの反応を見て、お店を選びたくなりますよね。



一日の始まり、どんなスタートを切るのか。
自分は、笑顔で上機嫌でいたい、出会う人とも氣もちよく言葉を交わしたい。
そういう心もちでいたら、挨拶も自然と出てくるでしょう。


そして、それが「その日の〈運勢〉を決める」のだとしたら?

ぼくは長年「運がわるい」と思っていたし、今は相当「運がいい」と思っています。
だから、「自分の朝の機嫌でその日の〈運勢〉が決まる」というのは、経験的に実感していることなんです。

〈運勢〉はまさに「勢い」ですから、朝起きてすぐでも「声が出てるな」というときは、その日何をしていても絶好調。
あ、信じられる人だけでいいですからね、是非実験的にやってみてください。

「人の振り見て我が振り直せ」とはよく言ったもの。
自分にもまだまだな部分がいっぱいあったし、今もあるかもしれません。
そういう「勢いのない」姿が氣になるってことは、自分の中にその要素が強いとき。

だからこそ、自己チェックする機会を与えてもらえたこと、すごくありがたかったな。

そんなわけで、すごくいい経験をさせてもらいました☆
いろいろな意味でおもしろかったです。



そうそう、この日はハニカム出版としての出店もありました。

オリジナルのエコバッグ、ワークショップも午後からする予定でしたが。
1組だけやってみたのですが、今後やるならやり方を見直したいところ。

でも、ワークショップ自体はとても楽しかったです。

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ちなみに、『満月マルシェのつくりかた』の出版からもう半年が経ちました。
ありがとうございます。
まだまだ販売していますので、プレゼントなどにも最適ですよ☆


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↑さて、最後はステキな二人、キュートな笑顔♡
フォトグラファーの二人、何氣に貴重なツーショット☆

やっぱり、出店者さんもお客さんも、自然とこういう表情になっちゃう。
そしてそれが「満月マルシェ」の醍醐味だと、ぼくは思うのです。

こういうスタンスはダメ!とか言うのではなく、でもお互いがいい影響を与え合える。
そんな関係、そんな空氣感が広がっていくといいなぁ。


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次回は3月30日、満月の日の一日前開催です。
(会場の関係で、平日にしかできないため)

同時開催で、「+BOOK FULLMOON」という、本との出逢いも加わったマルシェになります。
彦根の半月舎さんも出店してくださるそうで、ますます楽しみ♡


それと、もうひとつお知らせ。
今度の日曜日、3月18日は「トレモロピクニック」が開催されます。
烏丸半島にあるカフェ・イントロの横、地元滋賀スタイルの地産地消マーケットです。

企画・運営は、ハニカム出版。
(ちなみに、ぼくの思い付きで「トレモロピクニック」という名称になりました)

ぼくは午前中に予定があるので、後半に行くつもりでいます。
2回目の今回、出店者さんの顔ぶれがすごいです。

それから、滋賀県民はこの日、琵琶湖博物館が無料で入れますよ~♪
(博物館はカフェ・イントロから歩いてすぐ)

もしくは、三井寺のオーガニックマーケットや茶ノ木まつりとハシゴ、なんていうのもオススメ☆


                    せれんでぃっぽ☆とむやん

オワコン。


〈オワコン〉というネットスラングを、最近知りました。
と言っても、この下書きを書いたのが一年近く前なのですけど。

それに、実際はそれ以前にも何度も聞いたことがあったのだろうと思います。
ただ、何だかイヤな感じしかしなくて、全然興味がもてずにスルーしていました。


〈オワコン〉とは、「終わったコンテンツ」ということ。
人氣があったアニメやゲームに対する「煽り文句」として使われるそうで。

そこには「揶揄」だったり、「やっかみ」だったりが根底にあったりして。
その対象に「時代遅れ」の烙印を押し付けることで、自分の劣等感を軽減しようという、そういう側面もあるのでしょう。

それって単なる「悪口」のようなもの、わざわざ略語にして自分を正当化するなんて。
だから、〈オワコン〉という言葉に、いい印象はまるでなかったわけです。



けれど最近、〈オワコン〉という言葉でなければ表現しきれないものがあるのかも?
そんな風に考えてみたりしました。
(この「最近」も、一年くらい前から、のこと)

ただの「嘲り」や「妬み」として切り捨てず、別の捉え方をしてみたらどうだろう?

というのは、「主流」というのはもちろんあっていいわけだけど、「時を経て変化していくこと」って、とても重要だと思うから。
そして、それはひとつの「正解」だけがあるのではなく、何本もの「主流」があっていいはずだから。

それなのに、どうも「ひとり勝ち」的な「主流」ばかりが、未だに横行闊歩している。
その警鐘としての意味なら、〈オワコン〉という言葉にも一定の存在価値があるのかもしれません。

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(文章はまだ続きます↓)



「柳の下の泥鰌」の感覚ぐらいなら、まだかわいいもの。
「腐肉に群がるハイエナ」のような、「利権を貪り喰う輩」が、どうもたくさんいるんじゃないかな。

もっとも、ハイエナをわるく言うつもりはありません。
彼らがいてくれてこそ、生態系や食物連鎖が成り立つわけです。

ところが、ヒトの社会(特に日本の社会)では、その「循環」が滞っているのかな。
喰い切れないほどの腐肉で溢れながらも、一部の連中がそれを占有していたり、とか。


マーケティングなどによって「つくり出された」人氣は、「循環」やそのバランスをますます崩してしまいます。

いわゆる〈ステマステルスマーケティング)〉はその最たるもの。
〈オワコン〉というより、〈駄コン(しょうもないコンテンツ)〉と言えばいいかな。

例え、違法でない〈ステマ〉だったとしても、やはり「信頼感」を低下させるやり方でしかない。
単なる「バッドアイデア」だ、と個人的には思います。


アニメでもアイドルでも、政治でも同じこと。
つくられた「ブーム」や「流行」もそう。
「騙しの手口」に何度も引っかかったり、「二番煎じ三番煎じ」でも踊らされたり。
そういうのは、もういい加減終わりにしたいですね。

もちろん、残念ながら相手はどんどん狡猾になっていったりします。

でも、毎回不思議に思うのだけど。
そうやってイリーガルなこととか、スレスレのことをあの手この手でやる人って、その能力をまともな方にシフトしたら、案外すごいんじゃない?って思ったり。
だけど、そういう発想自体、思い浮かばないんだろうなぁ。



原発なんて、とっくに〈オワコン〉なんです。
オリンピックだって、最早〈オワコン〉かもしれません。
(スポーツや競技自体はわるくないですよ)

今の内閣は〈オワコン〉どころか、最初から欠陥だらけ。
終わったも何も、最初から機能していないんだから。

公文書の改ざんなんて、本当にもうどーかしてる。
民主主義を〈オワコン〉にしたらダメでしょう。

それって、最高責任者が「責任」を取るのは当然のはずだけど。
それを野放しにしていた連合の与党も他人ごとでは済まされない。

そうなれば、それを見過ごしてきた国民にも「責任」があるわけだけど。
だから今こそ、「No」を言うべきときなのだと思います。

そう、あんたらは〈オワコン〉なんだよ、と。
そう言えない人は、「騙された」状態の方がラク、だと思っているのかなぁ?


「メディア」のすべてが〈オワコン〉だとは言わないけれど。
あらゆるこの国のシステムの「破綻」が、一氣に噴出しているように思えます。

でも、だからこそ大きなチャンス到来。
今こそ膿を全部出して、総点検総入替する絶好の機会ではないでしょうか?

本当は、7年前にするべきだったんでしょうけど。
今からでも全然遅くありません。

〈オワコン〉があるのなら、〈コココン?ハジコン?(ここから始まるコンテンツ)〉があったっていいはずです。

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追記(2018.3.15)。

アベコベ⇔シンドローム - とむやんの氣まぐれ雑想記


この曲を書いたのは半年前。
その頃から変わっていないどころか、ますます悪化している氣がします。

根底から変えていく時期がようやく来たのでしょう。
今こそ、「regaindemocracy」ですね。


                    せれんでぃっぽ☆とむやん

妻不在中の、料理いろいろ。


先週、日曜の夜から急遽、妻が3日間関東へ。
月曜から水曜までは、いわゆる「ワンオペ育児」状態でした。

アパートの1階には、義理の母がいるものの、今はあまり動けないので。

それでも、長男は最近特にいろいろ手伝ってくれるし。
下2人もそれほど手がかからなくなっているし。

まあ、楽笑(勝ち負けではないので、この字にしてみた)かなと、思っていましたが。


もちろん、それなりに楽しもうと思っていたし、実際楽しかったですよ。
最初の夜はさすがに、下の子がちょっと泣きましたけど。
その後はぐっすり寝てくれて、ひとり時間を満喫させてもらったり。


でもねぇ、こないだも友人(2児のお母さん)にちょっと喋ったんですけど。
いや、世の中の「お母さん」、ほんとすごいわ。

朝起きて、朝ごはん用意したり片付け、洗濯して干して。
って、あれこれしてたら、もう昼ごはんの催促…。


ぼくはよく、午前中のイベントとかも計画します。
これに来てくれる人、大抵が「お母さん」なわけですけど。
それがどれだけ大変なことか、ありがたいことか、身に沁みました。
改めて、本当にありがとう☆


それでもって、こういうことを政治家とか行政の人はしておくべきだよ、と思いましたね。
別に「罰ゲーム」的な意味で言ってるんじゃないですよ。
「わたしおかあさんだから」的な、浅はかな共感とかでもなく。

楽しむことだってできるけど、でもそれを個人の所為にされてもなぁ。

旦那さんに問題がある場合も多々あるとは思うけど、これはこの国の仕組みの問題。
政権変えて、根本から考え直した方がいいです、今からでも。



まあ、それを踏まえて。

料理をつくるのはキライじゃない、むしろ好きなことなので。
せっかくだから、その3日間の料理を記録してみよう、と。

秘かな計画、でも写真は撮ったけど、記録まではしていなくて。

ぼくは、そのときにある野菜や食材で、直感的につくるのが好きなんです。
大抵は2~3種類の組み合わせで、味付けをかぶらないようにして。
2品、それも質素なものですが、それでも子どもたちは喜んでくれます。

ただ、この方法って、何をつくったのか憶えていないんですよねぇ。

今、写真を見返してみても、何だかあまりわからない…。


曖昧で、何の参考にもならなそうですが。
とりあえず、UPしてみようと思います。



一日目、3月5日のお昼ごはん。

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早速ですが、何だったか全然思い出せません。
いずれにしても、こんな地味な料理が多いです。
味は美味しいと思うのですが、基本ベジだったりするので、好みが分かれそう。


3月5日の晩ごはん。

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これはよくつくるので、何となく憶えています。
左が、板麩を使った「生姜焼き」風。
右が、チンゲン菜(だったかな)と人参、しいたけの三宝菜。
(八宝菜と違って、3種類しか具材を使っていないので)


ちなみに、朝はおむすび、写真は撮っていません。

3月6日、お昼ごはん。

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値引き品のうどんを「救出」してきました。
最近はいろいろな理由から、「SALE品」には手を出さないのですが。
食材は捨てられてしまっては悲しいので、「救出」することにしています。

具材は水菜と油揚げ、ワカメも入れたような。


3月6日の晩ごはん。

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奥は、余った玄米+すりおろした高野豆腐を、キャベツと炒めたもの。
チャーハンというよりは、おかずっぽいイメージで。
(こんな風に、名前もないし説明しづらい料理ばかりです)

左が、切り干し大根とエノキと人参の甘酢煮。
手前右が、セロリの葉とエゴマでつくった常備菜


そろそろ飽きてきたかもしれませんが、3月7日のお昼ごはん。

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前日に、ルシエルさんから山食パンをいただいたのです、ありがたい♡
チーズをのせたり、ソーセージと卵をのせたり。
スープは米粉のシチュー風、白菜とか入っていたはず(これも忘れた)。


3月7日の夜。

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定番、カレーライスでした。
スパイスでつくるカレーは、最近子どもに不評なので。
桜井食品の「ベジタリアンのためのカレー」というカレー粉で。
ジャガイモとキャベツが入っています。

前日の甘酢煮を付け合わせに。


そんな感じで、怒涛の3日間でした。
見ておわかりいただけるかと思います、地味で質素でしょ?
それでも、これだって毎日となると結構追われるもの。


ちなみに、妻は高速バスで木曜日の朝に帰ってきて。
あれって、結構ダメージが残りますよね。
そんなわけで、4日目もぼくがつくりました。

3月8日、昼ごはん。

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もやしとキャベツの温野菜、素揚げの桜エビをかけて。
ゴボウと舞茸のキンピラ。


料理をつくるのは全然「苦」ではありません。
メニューを考えるのも、まあこんな感じですから、悩む必要もなし。

それでも、妻とだいたい交互につくる、それぐらいがちょうどいいなと思いました。


高速バスの発着が、今回は横浜だったということで。
朝、お土産の月餅と中国茶でお茶タイム。

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妻が帰ってきて、子どもたちは飛びつくだろう、と思っていましたが。
意外と落ち着いていて、まあそれだけ成長しているということなのかも?

一番下が、母親にではなく、真っ先に紙袋に駆け寄って。
「おやつだ~」と嬉しそうに言うもんだから、みんなで笑ってしまいました。
一番下が一番、したたかに育ちそうです(笑)


妻は自分のブログに、その3日間のことをちょこっと書いています。
よかったら、読んでみてください。

アドラー心理学に学ぶ。「家族会議」の効果✨|メイコのブログ




そうそう、3日目には子どもたちと近所を散歩しました。
4人で、というのは案外なかったりするので、いい機会でした。

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土手を登って、お稲荷さんにご挨拶して。
畑に寄って、公園にも行きました。

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畑には梅が咲いていました。
この日はちょっと肌寒い感じでしたが、あちらこちらに春を感じます。

子どもたちにとっても、意味のある3日間になったようです。
ぼくにとっても、絶好の〈感謝の棚卸し〉期間になったと思います。


                    せれんでぃっぽ☆とむやん

輝かしい日々に。


年月を振り返るとき、「もう」なのか、「まだ」なのか、毎回考えるわけですが。
7年、やはり「もう7年」か、という想いの方が、個人的には強い氣がします。

2011年3月11日。
あの日のことは、忘れることはできないけれど。

このブログで今まで、震災や原発事故のことって、実はほとんど書いていないのです。
7年経っても、どう言葉にしていいものか。

その意味では「まだ7年」、ということかもしれません。


(↓2016年の長男の誕生日に、ちょこっと振り返ってみたことはありました)

長男の誕生日に思うこと。 - とむやんの氣まぐれ雑想記




先月のオーガニックマーケットでの、ピースミーティングテーブルで。

ピースミーティングテーブル。 - とむやんの氣まぐれ雑想記


後半でぼくは、〈絶望〉の話をしました。
まだ自分の中でも消化できていなくて、うまく喋れませんでしたが。


「絶」は人が刀で糸を切る形から、「それ以上続けない」という意味。

何となく、〈絶望〉という言葉だと、ちょっとつらい印象ですが。
でも、望みが一度「絶たれ」ても、また歩き出すこともできる。

そして、そのどん底の経験があれば、その後は何があっても「大丈夫」って思える。

「崖っぷちありがとう!!最高だ!」って、松岡修造さんの名言があるらしい。
もちろん、みんながそう思えるわけではないし、押し付けるわけではなく。

自分はその境地に行けたらいいな、なんてことを思ってみたり。


ただ、〈絶望〉とか「崖っぷち」とかって、あまり言わない方がいいんでしょうねぇ。
「ピースミーティングテーブル」で言ってしまってから、「しまった」と思ったものの、後の祭り。
(喋ってしまったことは仕方ないので、「今後は」ということで)


〈絶望〉の裏側にこそ「希望」があって、人に向けるのはその「希望」の側。
例えば〈孤独〉とかもそうだけど、仮面(ペルソナ)の裏にはそういうある種の「ネガティブ」を秘めているもの。
そして、それ自体は殊更言わなくてもいいこと、なんでしょう。

それは、「強がり」とか「やせ我慢」とか、そういうことではなく。
また、「もっとつらい人もいるから」とか、そういう遠慮とかでもなく。

ある種の〈覚悟〉、ということなのかもしれません。

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(↑写真はたまたま今月撮ったもの、内容とは無関係です)



誰かを犠牲にしたり、その犠牲を前提にした社会なんて、もう懲り懲り。
それを変えるために、3.11以前からもいろいろやってきたつもりではいたのです。

それでも、ある種の〈本氣度〉が全然足らなかったんだと、今は思います。

じゃあ、その〈本氣〉ってどんなだろう?
もしかしたら、「顔で笑って心で泣く」ってこと、かもしれない。
この慣用句って、本当はニュアンスが違うんだろうけど。

それって、〈我慢〉とも違う。
ある意味での〈代償〉、みたいなものだろうか。


震災後、〈危機感〉に煽られ、焦りや不安ばかりが自分の中に渦巻いていました。
そのときが一番つらかったし、それでは何も変わらなかった、変えられなかった。

いわゆる、じっくり「腰を据えて」というスタンスが重要なのだと、改めて思います。

結局、その年の夏に滋賀に移住することになり、滋賀に定住することにして。
それもひとつの「腰を据える」やり方だったし、ぼくたちにとってはそれがよかった。

〈絶望〉のいいところは、そこに向き合ってみると、感謝できることにたくさん氣付けるということ。
以前書いた、「感謝の棚卸し」ともリンクする話ですね。

感謝の棚卸し。 - とむやんの氣まぐれ雑想記




実は、震災の後の心境を歌詞にしたオリジナルソングがあります。
以前、「歌詞はまた別の機会に」と書いたのに、結局まだ載せていなかったので。

ROOM - とむやんの氣まぐれ雑想記



完成から2年が経ってしまって、「今さら」な感じですが。
せっかくの機会なので、最後に歌詞を貼り付けておきます。

ストレートに心情を語る、のではなく。
「失恋の喪失感と、そこから立ち直る」、そんな風に解釈できる歌詞にしました。



そうそう、歌詞の前にもうひとつだけ。

昨日、2018年の3月11日は、「守山わくわくマルシェ」に行ってきました。
お目当ては、「パン工房まひろ」の天然酵母パン☆

「パン工房まひろ」の郁子さんと喋っていると、本当にいろいろな氣付きをもらうことがあります。

(↓昔、こんな記事も書いたりしました)

人生はタカキビのコロッケ☆ - とむやんの氣まぐれ雑想記

手間隙。 - とむやんの氣まぐれ雑想記



今回もいい話をいろいろ聞かせてもらいました。

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(↑あんぱんと、初めて挑戦したグリークコーヒー)


ぼくがさっき言いたかった〈覚悟〉って。
「幸せになっていいよ」という許可を自分に与えること」なのかな。
「やりたいことやっていい」し、「どうせ自分にはムリ」なんて思わなくていい。

今日、たまたま出会った方とも、そういう話になったのです。
「またいつか」はもう巡ってこないかもしれない、というようなこと。
震災後は特に、多くの人がそのことを痛感したんだと思います。

焦ってやることはない、だけど今やれることは後回しにしない。
逆に、今できないということ、それにもちゃんと意味がある。

これも以前、「神さまの時間調整」で書いたこと。

神さまの時間調整。 - とむやんの氣まぐれ雑想記
(今日は過去のブログ記事のオンパレードになってしまいました)

今、自分が「やりたいこと」と「やるべきこと」って、実はちゃんと一致する。
あとは、自分に「OK」を出すだけ、なんでしょう。


これ以上書くと終わらなくなるので、今日はここでやめておきます。
やはり、「どう言葉にしていいか」わからないものほど、長くなってしまうものです。


                    せれんでぃっぽ☆とむやん



  輝かしい日々に

出会わなければよかったなんて 悔やんでも
時が経てば都合よく 忘れてしまうから
本当のしあわせ 見失うままに
道をあやまった

見上げた空は染まった 紅くどこまでも
鳥は何も知らないで 彼方へ飛んでいく
茫然としながら 覗いた箱には
希望が映った

偽りを続けて 命まで預けて
何も学ばないのなら
お互いに無理して 気付かないふりして
何を得たというのだろう?

輝かしい日々に お別れ
素直にもう言えるよ ありがとう
あたたかい陽射しに 抱かれ
ぼくは次へ 向かっていくよ


軽く涙をぬぐった 夢をあきらめて
同じ嘘を信じても 元には戻れない
不自然な理屈を 押し付けた先に
未来はなかった

街に灯りがともった 夜の静けさに
君のことを考えて しばらく目を閉じた
闇雲に答えを 探すのはやめて
小さく歌った

不要なものばかり 不幸なものがたり
いつ終わりにするのだろう?

〈ソロ〉

取り残された心は ふるえている
行き場のない淋しさに ゆれている
もういいよ そっとしておいてあげて

新しい扉は開かれた

季節を変える風 の力
ここからまた明日へと 旅立とう
眺めのいい丘の 上から
ぼくは次へ 向かうよ

輝かしい日々の 想い出
素直にもう言えるよ ありがとう
受け継いだ光を 紡いで
ぼくは次へ 向かっているよ

〈香味Labo〉のこと。


以前、「やっていること一覧」というのを書きました。

やっていること一覧。 - とむやんの氣まぐれ雑想記

今回は、その中から〈香味Labo〉のことを掘り下げて、書いてみようと思います。



最初に〈香味Labo〉について書いたのが、ちょうど一年前。

香味Labo☆ - とむやんの氣まぐれ雑想記


その中で、「昨年のちょうど今頃だったか」と書いているので。
「自宅アパートde珈琲スタンド」は2016年から始めたのかな。
(記録も見当たらないし、自分でもよく憶えていません)

〈香味Labo〉のFacebookページを立ち上げたのは、2017年5月5日。
そのときの投稿に、「さまざまな情報を共有できる場(ネット上のサロン)」になれば、と書いていました。

Instagramから、カフェや珈琲のことをUPし始めたのが、2017年9月27日。
fbと連動させるはずが、PCからだとどうもうまくいかない。
現在、コピペで手動で連動させております(笑)

Tomoyuki Kishida (@serendippo2012) • Instagram photos and videos

 

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そもそもで言うと、「せれんでぃっぽ☆」は神出鬼没のフェアトレードSHOP。
今は実店舗もないし、仕入れもほとんどしていないので、実体のない感じ。
極々たまに、珈琲や紅茶などを扱ったりはしています。

最初は珈琲豆を売るための試飲として、珈琲を淹れていました。


実は、珈琲やカフェが好きになったのって、結構最近になってからなんです。
20代も30代前半も、カフェにはほとんど行ったことないし、珈琲もそんなに好きではありませんでした。

それがどうして変わったかというと、母が喫茶店を始めたから。
詳しいことはここでは書きませんが(また改めて)。

もし母が喫茶店をしていなかったら、もしくはぼくがそこを手伝わなかったら。
今みたいに珈琲淹れるなんて考えもしなかったかもしれません。

カフェ・ド・アクタのこと。 - とむやんの氣まぐれ雑想記



母の喫茶店を手伝っていたときも、ぼくは珈琲を淹れませんでした。
誰が淹れてくれるのか、そこはかなり重要だと思っていたので。

だから、自分で珈琲を淹れるようになったのも、極々最近のこと。
いろいろ試行錯誤したり、それは今も続いていますが。

それが、今ではいろいろな方に「美味しい」と言ってもらえて。
中には「珈琲ニガテだったけど、これは飲める」なんて言ってもらえたり。

そんなときは本当に嬉しくて、やっていてよかったなぁと思う瞬間ですね。



さて、前置きがだいぶ長くなりました。


そんなわけで、珈琲やカフェについてはまだまだシロウト。

だからこそ、珈琲が好きだったりカフェが好きだったり、そんな人との交流の機会をつくりたいと思いました。
先述のように、ネット上のサロン的位置づけとして、〈香味Labo〉を始めたのです。

だけどぼくは、珈琲を淹れるテクニックだったり、とにかく味にこだわって、というわけでもない。
あくまでも「きっかけづくり」、なんですね。

だから、カフェや喫茶店に求めるのは、やはり「人」なんです。
味とかコスパさえよければいいわけじゃなく、むしろそっちはぼくにとっては二の次。

そういう意味では、「香味」というネーミングはそぐわないのかもしれない。
いずれ変えようかな~とは思っていますが、今は思い付かないので、そのままで。
(fbページのアドレスは、「Enjoy Coffee Labo」にしています)



それで、今のところ〈香味Labo〉には柱が3つ、あります。

ひとつは、カフェや喫茶店のこと、珈琲にあうスイーツだったり、珈琲の道具だったりを紹介すること。
本当は珈琲以外、紅茶やお茶、ハーブやスパイスも含むのですが、そこは今回はちょっと脇に置いておいて。

これも先述したように、Instagramからの投稿が中心です。
名前は特になくて、〈香味Labo〉の一環としてやっていたのですが。

これに、「Coffee Cappo(コーヒー・カッポ)」というハッシュタグを、先日から付けてみています。

カフェ好きでいろいろなところに行くので、せっかくだから情報をシェアしたい。
そこに告知が入れば見てもらえる機会も増える、という打算もあります(笑)

でも、おかげさまで最近は「見てるよ」とか、「どこどこ行ってたね」なんて声を掛けられることが多いのです。



もうひとつは、珈琲豆の販売。
「販売」と言っても、一種の〈御用聞き〉的な感じです。

SLOW COFFEEのフェアトレード珈琲を主に、扱わせてもらっています。

SLOWCOFFEE


ただ、ほしいという声と、発注するタイミングがうまく合わなかったり。
その辺をどうするか、今後の課題です。


そして将来的には、やっぱり自分で焙煎もしたい!
そんな夢もあったりします。



さて、最後が現在のメインでしょうか。
珈琲をいろいろなところで淹れる人、をしています。

エスプレッソを出す「バル」の場合は、〈バリスタ〉ですけど。
ハンドドリップで珈琲を淹れる人も、何か呼び名があるのかな?


この形態にも、いくつかバリエーションがあります。

「自宅アパートde珈琲スタンド」
特にステキなアパートなわけではないのですが。
氣軽に来てもらえて、お喋りとかできたらいいなというのが目的。
これももう少し発展させていきたいと思っています。

「ハクハク茶小屋で〈black coffee FRIDAY〉」

〈black coffee FRIDAY〉 - とむやんの氣まぐれ雑想記

このブログで何度も登場している、友人ちゃたくん。
彼のステキなカフェ、ハクハク茶小屋で珈琲担当をさせてもらっています。

最初は金曜日だけの予定だったのが、今は主に水・金の出勤。
そんなわけで、名前にFRIDAYが付いていますが、曜日に限らずいるときといないときがあります。
(前日などに、Instagramで出没予告をしています)

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それから、ちゃたくんとのコラボで、ということが多いのですが。
要請があれば、イベントなどへの珈琲出店もしています。


そして、これはまだ思い付きの段階なのですが。
もし需要があれば、「おうちに珈琲出張」とかできたらいいな、なんて思っています。

「おうちカフェ」的なことがしたい、でもお菓子はつくれるけど、とか。
ドリンク類も用意できるけど、お手伝いがいた方がやりやすい、とか。

そんなときに「出張しますよ~」というアイデア、どうだろう?


ひとつネックなのは、ぼくは車も免許もないので、移動がむずかしい点。
自転車で行ける範囲ならありがたいですが、悪天候の場合とか荷物はどうするかとか。
そこは相談で決められたらと思います。

その日の集まりが6人くらいまでで、3000yの売り上げになれば、というのが目安。
例えば6人だったら、珈琲1杯が500y換算。
それが3人だと1000y換算になってしまうので、何かプラスアルファが必要かな。

その場合は、2~3種類淹れて飲み比べの会にしてみる、とか。
珈琲の簡単なワークショップなんかもやってみたい。

料金的なことは、あくまでも目安です。
おもしろい企画なら、そこは度外視で。

ぼくが企画するブックカフェとかお喋り会などと合わせて、というのも嬉しいです。

興味ある方は、まずは是非ご連絡、ご相談を。



長文になってしまいました。
ここまでお付き合いいただき、ありがとうございます。

もうひとつだけ、今後やりたいことを書いて終わりにしたいと思います。

Coffee Cappoをやっていると、「オススメのカフェを紹介する本をつくって」という声をいただいたりします。
どうせやるなら、雑誌みたいに写真と情報を載せるのではなく、取材とかもしたい。
いずれにしても、どういう形になるかはわかりませんが、チャレンジしてみたいです。

それと関連するのかな、珈琲にまつわる自己啓発的な本もつくりたいと思っています。
(実はもう、ちょっとだけ書き始めました)


今後もいろいろと、アイデアをよりおもしろく実現化させていくつもりです。
どうぞ、〈香味Labo〉をよろしくお願いいたします。


                    せれんでぃっぽ☆とむやん