とむやんの氣まぐれ雑想記

〈探幸王〉を目指して、さまざまな想いを綴ります☆

「報われない」と感じたときに、やってみること。


猛烈な〈報われない感〉に襲われるとき。


例えば、「人の評価にばかり氣にしてしまう」のが大きな原因かもしれません。

本当に自分がやりたいこと、好きなことに向かっているのかどうか。
本当にワクワクすることをしていたら、他人の評価(それが批判であっても称賛であっても)はほとんど氣にならないのだと思います。

本当はイヤなことなのに、「やらなければならない」と自分に課していたり。
いつの間にか少しずつ、目的や目的地が変わってしまっていたり。

人からどう言われるか、嫌われていないかどうかで動くのだとすれば。
それは、自分の舵から手を放してしまうようなもの。


それともうひとつは、「与えること」に不安があるから、かもしれません。

「自分はこんなにやっているのに」とか、「私ばっかりが損している」というときに限って、自分も同じように「与える」マインドになっていない。

「与えること」が充分にできていないと、その逆の「受け取ること」に躊躇してしまうもの。

「呼吸」などを例に考えると、よくわかると思います。
しっかり吐き出すと、自然と息を大きく吸える。



とまあ、分析的なことを書いてみましたが。
いわゆる「五月病」なのか、ココロもカラダも何だかアンバランス。

このブログ記事自体も、書く氣が起きずに何日も下書きのままでした(笑)


そんなとき、畑に行くとかなりリフレッシュできます。

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先週の話なので、今はもう採り切ってしまったのですが。
うちの畑でも、今年もエンドウ豆がたくさん採れました。

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風の強い日に、支柱ごと倒れてしまったりして。
それでも結構な収穫量がありました。

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植物からは、「与えること」とはどういうことか、学ぶことがたくさんあるように思います。

もちろん、植物からしたら「与えている」つもりはないのかもしれません。
でも、実はそこまでお見通しで、「与えること」によって自分たちの繫殖繁栄に協力させているんじゃないか。
そんな風に最近は感じたりします。

だからと言って当然、傲慢に「受け取って」いいわけではありません。
そこは謙虚さが必要なのだと思います。

先日も、「捧げる」ということについて改めて考える機会がありました。
(そのことはまた改めて)



今回、エンドウ豆は煮ものに使ったり、ピクルスっぽくしたり。
美味しくいただきました。

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そうそう、話はちょっと脱線しますが。
つい最近、「タイガー・ウッズ方式」というものを知りました。

プロゴルファーのタイガー・ウッズは、プレーオフのとき。
相手がそのパットを外せば自分が優勝、というときにも「入れ」と心の中で念じるんだそうです。

ライバルがパットを外して、ウッズが優勝したときの動画を見たら。
外した瞬間に、本当にガッカリした顔をしていました。


「報われない」と感じるときは。
タイガー・ウッズのように、「ライバルの成功も願う」マインドが必要なのでしょう。

そういう風に切り替えたいときにこそ、「土をいじる」とか「料理をするとか」。
そういうことが案外、〈特効薬〉になるんじゃないか、そんなことを考えている今日この頃です。


                    せれんでぃっぽ☆とむやん

自分自身への、ラブレターみたいなもの。

今週のお題「あの人へラブレター」


今日(2018.5.23)は、メイコの「まなぶくらす」。
「初夏の庭のブーケを束ねる会」に参加しました。

メイコのブログ MANABUCLASS -学ぶ・暮らす-


「ちょうちょ結び」のちよちゃんに来てもらっての、ナチュラルブーケWS。

こういうのは、子どもの方が「いいもの」をつくりますね。
常識から外れるのがニガテだと、どうもありきたりになってしまう。

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(スワッグ【swag】、壁飾り)


でも、思っていた以上に楽しかった。
いい時間でした。



さて、今日5月23日は「恋文(ラブレター)の日」だそうで。

今週のお題は、「あの人へラブレター」
毎度ながら、普通に書いてもおもしろくない(自分が)ので。


話はズレますが、最近「矢沢永吉(あえて敬称略)」のエピソードを知りました。

矢沢永吉が50歳のときのバースデイスペシャルライブでのこと。

『I LOVE YOU, OK』という曲の途中で、感極まって歌えなくなる場面があって。

  I LOVE YOU, OK
  振り返れば
  長くつらい道も
  お前だけをささえに歩いた

この2番の「お前」と言った後、詰まってしまう。

後に、インタビューで矢沢永吉はこう答えたんだそうです。

「矢沢、お前ここまでよく来たな」
「そういう気持ちがふわーっと出てきて、歌えなくなっちゃった」

歌詞の解釈はいろいろあるけれど。
このときの矢沢永吉は、「お前」に自分自身を感じてしまう。


本当に、それに比べるなんておこがましいのだけど。
何十分の一、何百分の一かもわかんないけど。

自分自身へのラブレターというか、エールみたいなこと、書いてみようかな。
直前に、この矢沢永吉のエピソードを知ったから、余計にそんなことを思ったのです。



よくここまで耐えてきたよね。
もちろん、まだまだ「これから」なんだけどさ。

でも、今「本当にしあわせだなぁ」ってつくづく思う。
それは、10年前20年前には到底ムリと思っていたこと。

たくさんの小さなタネを蒔いて、まだ全然実ってないし、刈り取ったわけじゃない。
ここからひとつひとつ、できることをやっていくだけ、そしたら大丈夫だから。

そりゃ、落ち込むこともたくさんあるよ。
誰からも評価されない氣分になったり、しょっちゅう自己嫌悪にもなる。

だからこそ、それ以上にワクワクすることをどんどんやっていっていい。

せっかくなら、矢沢永吉にも負けないような50歳、60歳を目指してみようよ。
50歳になって、「だからあのとき、言っただろ?」って、言えるように。


                    せれんでぃっぽ☆とむやん

寿長生の郷に行ってきました。


今日(2018.5.12)は、叶匠壽庵の寿長生の郷(すないのさと)に行ってきました。

六万三千坪の丘陵地に、寿長生の郷はあります。
ありがたいことに、石山駅から無料のシャトルバスが出ていて。
瀬田川沿いを約30分。

そこは、自然豊かな「里山」でした。

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今日は、午前中に次男の授業参観があったり。
そして実は、シャトルバスに乗り損ねてしまったので。

無事次のバスには乗れたのですが、滞在時間が1時間ほどしかありませんでした。


そんなわけで、まずは早速お目当てのひとつ、Bakery&Café「野坐」へ。
昨年11月にオープンしたばかりで、前々から来てみたいと思っていました。

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1Fがベーカリー、2Fがカフェになっています。

席は窓際を案内してもらいました、眺めがよかった~♪
時折、鳥の鳴き声も聞こえてきたり。


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コーヒーは1杯ずつ、サイフォンで。
しかも、ハロゲンランプを使った「光サイフォン」。


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クロックムッシュ(チーズとハム、ベシャメルソースのトースト)も頼んでみました。

余談ですが、一時期クロックムッシュにハマったことがあって。
久々に食べた氣がします、野坐のはちょっと高級感があって、上品な美味しさでした。

野坐ブレンド、そして初めての光サイフォン。
こちらもやはり美味しい。


1Fもチェックしてから、散歩道を少し歩いてみました。

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ところどころに花が咲いていたりと、散策にはいい時期だったように思います。


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東屋があったり、標識もあったりで、案外迷いませんでした。
普段ならちょこっと迷いながら歩くのも楽しいのですが。

残念ながら、帰りのバスの時間というタイムリミットがあるので。


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天氣がよくて、光の差し込む雰囲氣がとてもよかったです。


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+plants(プラスプランツ)という、寄せ植えの工房も佇まいがステキ。


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池もいくつかありました。
野の花観音径という雑木林の庭園になっています。


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ゆっくり見れず、ちょっと残念。
結構広いので、次はもっと時間をかけて廻ってみたいです。

山の展望ルートというのがあって。
ちょっぴりきつい坂道を登り切れば、見晴らしのいい山頂に行けるというもの。

今回は当然、行かれませんでした。


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野坐に戻って、山羊農園もちらっと見てきました。

見たいところは他にもたくさんありましたが、今回はあっという間に時間切れ。
帰りのバスはちょうどのところで間に合いました。



思っていた以上に、寿長生の郷はいい意味での「本氣」を感じました。


明日びわ湖ホールで開催のマザーアースデイ2018というイベントに、ぼくも関わっています。
司会進行の役なのですが、もう一方司会をしてくださる人がいます。
それが、叶匠壽庵の広報の方なのです。

それで、最初の顔合わせのときに、叶匠壽庵のことや寿長生の郷のことをお聞きして。
イベント前に、是非見ておきたかった。

やはり、行ってみてよかったし、また行きたいなと思っています。


里山を残しながら、そこで和菓子をつくる。
その想いは、「本物」だろうなと思います。

基本ぼくは、個人が小さくやっているものを応援したい、と日頃から心掛けています。

でも、叶匠壽庵はこの規模でこれだけのことをやってのけるのは、かなりすごいこと。
ぼくなりに、エールを送っていきたいなと、そう思うだけの説得力がありました。


さて、明日のマザーアースデイはどんなイベントになるのか。
おもしろくなりそうです。


マザーアースデイ~森と地球のtalk session 2018~
滋賀県立芸術劇場 びわ湖ホール 小ホール(323席)
前売1,000円/当日1,300円
滋賀県三井寺への植樹チャリティーイベントです。

マザーアースデイ~森と地球のtalk session 2018~



                    せれんでぃっぽ☆とむやん

たまにはひとやすみ、珈琲のこと。


たまには、ちょっとゆるい記事を。

先日もらった、らっこやさんの自家焙煎珈琲豆のこと。


「たゆたうおはなし」という屋号で、マルシェなどにも出店している友人の絵描き、「山田すぴっと」ちゃん。

前回にもちょこっと書きましたが。
彼女がGW中、らっこやさんにお手伝いで入っているということだったので。
向町カフェのウクレレの後、お茶をしに行きました。


お手伝いもひと段落したところだったみたいで、いろいろお喋りして。
ふと、封筒のようなものを彼女から差し出されました。

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そう、らっこやさんの自家焙煎珈琲豆。
パッケージのスタンプは、「山田すぴっと」ちゃんのもの。
(「選別する猫、運ぶ猫」というタイトルだそうです)

嬉しいことに、メッセージ入り♡


珈琲豆は、エチオピアのイルガチェフェ、ナチュラル。
焙煎は、最近のいわゆる「サードウェーブコーヒー」の特徴と同じく、浅めな印象。

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早速、もらった次の日に、淹れてみました。
いつものように、ネルドリップで。

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煎りが浅めなのと、イルガチェフェは元々フルーティーな風味が特徴ということで。
いつもと違うけど、やっぱり美味しい。

妻も義理の母も、美味しいと喜んでいました。

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この後、2日後にも淹れたのですが。
後から思えば、そっちはペーパードリップにしてみるとか、差をつけてみればよかったなぁ。

そんなこと全然思い付かず、普通に美味しくいただきました(笑)



自分で豆を仕入れて珈琲を淹れていると、なかなか他の焙煎所の豆とかを買うことができなかったりします。
でも、全然違うタイプのものを試してみるのは、いろいろな面で勉強になるなぁと改めて思いました。

関東に里帰りしたときに、買ってみたことはありましたが。


滋賀にも氣になる珈琲焙煎所がいくつもあるので、買ってみようかなどうしようかなと思っていた矢先。
珈琲豆をプレゼントしてもらえて、ほんとに嬉しかった♪

しかも、ぼくにとってはちょうどいい量でした。


氣が向いたら、今度は自分で買ってみようと思っています。
いろいろなところのを、ちょこっとずつ。

そのときは、大袈裟じゃない程度の「試飲会」というか、そんなこともできたらいいなと、今思い付きました。


とまあ、紹介になっているのかなっていないのか、わかりませんが。
今日(2018.5.11)のところは、この辺で。


                    せれんでぃっぽ☆とむやん

ゴールデンウィークにしたこと。

今週のお題ゴールデンウィーク2018」


いきなりですけど、「ゴールデンウィーク」って何なんでしょうね?
(以下、略して「GW」)
いや別に、難癖付けたいわけじゃないんです。

ただ、そんなにみんなして同じタイミングで休みを取らなくてもいいのにな、って。

それとも世の中にはまだまだ、「休む」ことへの妙な罪悪感があるんでしょうか?
だから、「みんなで休めば怖くない」的なもの、なのかなぁ。
「GW」って。

(実際のところ、学校とかがお休みになるから、というのも大きいのでしょう)
この辺は、農耕民族と休日との関係性になってくるのかな?



そんなわけで、ぼくは「GW」に対して特別な思い入れはありません。
お題としては、いつもならスルーしてたかも。

でも、今年の「GW」は書き残しておきたいような、ステキなことがあったので。
そのことだけでも記録しておきたいと思います。


まず、5月5日「こどもの日」。

「松永希カルテットライブ@信楽」でのこと。
ぼくはコーヒー出店をさせてもらいました。

友人宅の庭でのライブ、だったのですが。
庭と言っても、ケタ違い、想像を超えてます。

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こんな開放的な空間でステキな音楽を聴けるなんて、なんて幸せなことでしょう。



そして、美味しいものがあるってことも、かなり重要。

ミニマルシェもあって、ぼくはそこでコーヒーを淹れていました。
お隣は「すこやかなおやつ under tree」。

ヒュッゲリなひととき。 - とむやんの氣まぐれ雑想記

(↑何度もこのブログに登場してもらってますが、ここ最近の記事を貼っておきます)

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今回、つくった量が少な目、というのもあるのでしょうが。
いつものように大人氣で、あっという間に売り切れていました。

注目は、手前に映っている「鯉のぼり型」のバナナマフィン。
こどもの日にちなんで、ということなのですが、残念なことに全然鯉に見えない(笑)
でも、かわいいのはかわいいので、こちらも早い段階で完売していました。


そして、反対隣は「アースキッチンたまや」。
今回は、「野草てんぷらサラダ丼」。

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これまた何氣に、かなり贅沢だよなぁ。
米粉を使ったてんぷらはパリパリの衣で、美味しかったです。



ライブはオープニングアクトに、ビスタリ。

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みやもっちゃん、みかさん、よんちゃん。
この三人の演奏、いつまでも聴いていたくなります。
今回はちょっと曲数控えめ、にしたのかな。


そしてメインが、松永希カルテット。

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ボーカルの松永希さん、今井忍さん、ロケット・マツさん、アンドウケンジロウさん。
このメンバーで、昨年の10月にも信楽に来てくださって、そのときもコーヒー出店させてもらったのでした。

前回は地元の会館で、でも音響はかなり立派で音がよかったんですよね。
それでも、今回の「青空ライブ」はそれを上回るような「いい音」。


ぼくもそれなりに、今までいろいろなライブを聴いてきました。
今回のは、ぼくの現時点での「生涯ベストライブ」と言ってもいいかもしれない。

大袈裟じゃなく、感動がじわじわと沁み込んでくるすばらしいライブでした☆

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個人的に、「声」という曲が特に好き。
これまた不思議なことに、直前にセットリストから外れたのに、あることをきっかけに演奏することになったと、MCで言ってました。
つくづく、聴けてよかったなぁ。

松永希さんの声が、ほんとにしみじみ、いいんです。
自分も、こんな風に歌えるようになりたい、ほんのちょっとでも近づけたらいいなと、秘かに誓ってみたり。


今レコーディングをしていて、アルバムがもうすぐリリースされる予定なんだそう。
「声」も収録されるとのこと、楽しみ楽しみ♡



さてさて、ライブが終わって、BBQをしながらの「打ち上げ」。
これがまた、最高に楽しい♪

カルテットの面々も、いい感じでお酒が入って、ぐっと距離が近くなる。


ビスタリのみやもっちゃんが、「また一緒にライブやろう」と言ってくれたり。
よんちゃんが「とむやんも歌ってよ」と計らってくれて、ウクレレも貸してくれて。

自分のオリジナルを2曲、歌わせてもらいました。
『よりそうる』と。

Mariage - とむやんの氣まぐれ雑想記


『Indigo Sky』と。

ええあんばい - とむやんの氣まぐれ雑想記


思えば、『よりそうる』が生まれたのはちょうど二年前のGW、友人の結婚式がきっかけでした。
(曲が完成したのは、もう少し後)

「見返り」的なことを求めたわけじゃなく、感動や感謝を自分なりに表現したかった。

先日、たまたま永六輔さんの言葉を、ネットで見ました。
(正確には、『職人』という本に出てくる言葉なので、誰か職人さんの言葉なのかな?)
「褒められたい、認められたい、そう思い始めたら、 仕事がどこか嘘になります」


『Indigo Sky』も友人の応援のために書いた曲。
褒められるとか認められるとか、そのときはあまり考えていなかったかな。

でもやっぱり、その友人に喜んでもらえたときは、「つくってよかったなぁ」とつくづく思いましたけど。


今回も、『よりそうる』を演奏し終えたとき、ロケット・マツさんが「いい曲だね」って言ってくださって、本当に嬉しかった。

褒められたい、認められたいと思ってつくったものではない(とは言え、100%そうとも言い切れないけど)にしても。
報われた感は、正直じわじわ感じたかな。


それと、もうひとつ。

この友人宅の庭でのライブ、是非キペパピもやって、と友人からコメントをもらいました☆
キペルス・パピルス、最近活動どころか練習もしてないけど(笑)
これは是非、実現させたいな☆



そして、5月6日。
日野の向町カフェでの、「ウクレレ♩みんなでウクレレ♩」。

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5月20日に「ひのまるマルシェ」というのがあって。
そのステージで、向町ウクレレ隊としてみんなで演奏したり、フラダンスとコラボしたりする予定なのです。

その練習もかねてのウクレレサロンでした。

今回は途中からフラの先生も来てくれて、打ち合わせ
もできました。


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ウクレレサロンの後は、いつも楽しみにしている向町カフェのランチ。
この日も盛り沢山、でもどれも美味しいのであっという間に完食です。

そして、ひとしきり喋って笑って、本当に楽しいひとときでした。
(そしてそして、肝心のウクレレ写真が一枚もない(笑))



食後はチャイを飲んで、歩いてもう一軒カフェへ。
らっこやさんという、コーヒーの自家焙煎もされているお店。

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ガトーショコラと、季節のコーヒー。

GW中は友人がお手伝いに入っている、ということだったので。
(今回もたくさんの「友人」が出てきますが、それぞれ別の人です)
無事会えて、ちょこっと話もできて。

しかも、なんとコーヒー豆をプレゼントしてくれて、駅まで送ってくれて。
いただいたコーヒー豆のことは、また改めて。

駅に着いたら、ちょうど電車が出たところで。
でも、30分ほどで次の電車が来ました。

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日野には電車で何度も来ていたのですが、この「あかね号」を見たのも、乗るもの初めて。
ちょっとだけ、ラッキーな氣分になりました☆



そんな感じで、とりとめのないGW話でしたが。
信楽も日野も、とても好きな場所なので、想い出に残るGWになりました。


                    せれんでぃっぽ☆とむやん

憲法記念日に、〈ルール〉について考えてみた。


図書館で借りて本を読むときは、特にそうなのですが。
できるだけ、「フィーリング」や「直感」で選ぶことにしています。

三分の二は今まで通り、関心のあるテーマのもの。
そして三分の一が、何となく手にしたもの。

そう心掛けてからは、不思議と同時に借りた本が妙にリンクしていたりして。


先日借りたのは、アヤパンこと高島彩さんの本。
『聞く 笑う、ツナグ。』というタイトル。

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ぼくは今はテレビを見ていないですが、それでも高島彩さんは知っています。
ただ、知っている程度なので、特に好きとかきらいとかもなく。

タイトルにある「聞く」というのが氣になったのもありますが。
以前だったら、たぶん読もうとは思わなかっただろうなぁ。


読んでみたら、予想以上におもしろかったです。

友人が「なるほど」が口癖で、なんて話をしていたら。
この本に、「なるほど」には5つの「なるほど」がある、なんてコラムがあったり。


個人的には、「ルールより大切なものがある」に出てくるエピソードが特に印象に残りました。

そこには、こんなことが書いてあります。
《ルールを守ることも大切ですが、ときには、ルールを緩めてでも大切にしなければいけないものがあるんだと、教わったのです。》
そして、大人になると自分で決めてしまったことに縛られることが多い、ということも指摘しています。


同じタイミングで図書館で借りて、読んでいた本があります。

『国のない男』、原題は『a man without a country』。

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著者のカート・ヴォネガットは「現代アメリカ文学を代表する作家」ということですが、これを偶然手に取るまでぼくは全然知りませんでした。

この本は、晩年のエッセイを集めた最後の著作。
政治批判やアイロニー、そしてユーモアがふんだんに盛り込まれていて、読んでいて「胸のすく思い」がしました。
言葉の選び方とか、本当にこれ以上ないくらい、どれを取っても的確、というか。

そしたらなんと、本の最後の方に「ルール」についての記述があって。
《つまり、ルールは人を導いてくれるが、それには限度があるということ。どんなにすばらしいルールも万能ではない。》

これは自分にとって、〈ルール〉を説明する言葉として最適だと感じました。


そうそう、これには別のビックリするような「シンクロ」があったのです。

これまた同じときに借りて読んでいた本。
BASHAR 2017 世界は見えた通りでは、ない』。

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読み進めていたら、内容とは直接は関係ないのですが、カート・ヴォネガットの名前が出てきたのです。

それまで聞いたことがなかった(少なくとも覚えていない)作家の名前が、ここに来て立て続けに自分の前に「現れた」のは、やはり意味があるとしか思えません。

カート・ヴォネガットは、他の作品も読んでみたいと思っています。



さて、話を戻します。

今までならセレクトしなかっただろう2冊の本、しかも氣になった箇所が「ルール」について。
〈ルール〉ということを改めて考える時期なんだろう、と思います。

そして、今日5月3日は憲法記念日
打って付けの日、と言えるかもしれません。


まず、〈ルール(rule)〉の語源を調べてみると。

ラテン語の「rēgula」、「木の棒」「真っ直ぐな棒」という意味で、「物差し」という意味もあるようです。
〈ruler〉は「物差し」のことも指し、「規則」や「規定」などの意味に発展したみたい。

ちなみに、〈ruler〉には「支配者」や「統治者」という意味もあるそう。

なんか不思議というか、皮肉というか。
本来、「規則を決める人」ということから〈ruler〉が「支配者」になったのでしょう。

この国では、「ルール無用」な人たちが「ルールを決める国の代表者」。
曲がった「物差し」は、閣議決定で現実の方をねじ曲げてしまう。


ニコニコ大百科には、《現代日本では、「守るべきこと」という意味をもつ場合が多い》という記載があり、まさにそうなんだろうと思います。

〈ルール〉とは、「守るべきもの」ではなく、それがあることで何を「守る」のか、が本来の意味合いなのでは?

検索したら、こんな記事を見つけました。
日本経済新聞の、『ルールと異なる「rule」 まず例外ありきの海外』。

ルールと異なる「rule」 まず例外ありきの海外 :日本経済新聞


日本における〈ルール〉の捉え方の問題点が、わかりやすく書かれているなぁと思います。

ただ、「義務教育の現場では~」の部分は、個人的にはちょっと違和感を覚えました。
その後の、「例外のないルールはない」という流れとしては賛成できます。

「たった1人の子どものために他の子どもの学ぶ権利が阻害される現状」と決めつける前に、できることがあるだろうと思います。


〈ルール〉はあくまで、自分たちが心地よく、そして周囲もまた心地よくいられるための〈ガイドライン〉であってほしい、とぼくは思うのです。

それを、〈ruler〉的な人たちが、自分たちの曲がった物差しに合わせて、自分たちが尊重し守るべき憲法を無視して、改変してしまおうなんて、本末転倒も甚だしいわけで。


街中には、標識や張り紙などがたくさんあります。
改めて注目して見てみると、ビックリすることにそのほとんどが「注意書き」です。

つまり、「従うべき禁止事項」ばかり。

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(公園の滑り台にも、こんな注意書きが)

これではますます、自分で判断して決めていく力は削がれていくでしょう。
もちろん、「安全に使う」ことがいけないわけではありません。

むしろ、そのためにある「通知(Notice)」が、どうして「注意」や「禁止」ばかりなのか。


結局のところ、〈ruler〉にとっては「言うことを聞く、従順な市民や生徒」を求めてしまうものなのかもしれません。
残念ながら、そこは古今東西、どの国どの時代にも言えること。

だけど、この国ではあまりにも多くの人が「従順」になり過ぎている、そう感じます。


憲法」について「立憲主義」について。
これからもっといろいろと考えたり発信したり、していくつもりでいます。
前回ブログに書いたように、「自由民権」ということも絡めていきながら。

〈ルール〉について、うまくまとまりませんでしたが。
今日はとりあえず、今感じたことを覚え書き的に残してみました。
そのうち整理して、またうまく説明できるようにしてみるつもりです。


                    せれんでぃっぽ☆とむやん

〈自由民権ライブ〉、という思い付き。


早いもので、4月も今日(2018.4.30)で終わり。
書きたいことはいろいろあったのですが、結局今月はほとんど書けませんでした。

ブログを書くと頭も整理されたりして、かえって時間に余裕ができたりするのですが。
久々に曲づくりをしていて、そういうときってあまり文章が書けなかったりします。

曲は一応、昨日完成しました。
あとは調整して、練習するだけ。
(その曲については、また後日)



振替休日の今日、自宅アパートの前にタープを張って、「珈琲の時間」をしました。

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(↑妻がつくってくれたカマンベールチーズケーキと、アイスコーヒーと)


以前は「自宅アパートde珈琲スタンド」とか、いろいろ呼び名を考えてはいたのです。
でも、あまりしっくりこなかった。

香味Labo☆ - とむやんの氣まぐれ雑想記


それで、もっとシンプルに「珈琲の時間」にしよう、と。
(当然、水野スウさんの「紅茶の時間」にあやかりました)


滋賀に移り住んで、もうすぐ7年。
これまでもいろいろなことを小さくゆるく、やってきました。

最初、滋賀にはまさに「縁も所縁もない」という状態。
ありがたいことに、今ではたくさんのご縁をつなげていただきました。

でも、そうやって地道にやってきた「種蒔き」も、本当にこれでよかったのかな?と思うときもあります。
手応えの感じられないときや、「実入り」があまりよくないと感じられるときなど。
やっぱり、まだまだ「やれることがやれていない」と思ったりもします。

蒔いた種が実らないとしたら、それはやり方がよくない、ということ。

今は自分と相手が、同じような「引力」で必要とし合える関係性や場所でないと、自分がいる意味がないと感じています。
無理強いしたくないし、されたくない。

これから、ますますその方向で行こう!と思っているところです。


そして、今日の「珈琲の時間」。
家族でお出かけの前に寄ってくださったり、逆にお出かけ帰りに寄ってくださったり。
祝日でお休みのところ、来てもらえて本当に嬉しかったです。

予定が入って急遽来られなくなった方も、でも「行きたい」とリアクションしてくださったことが嬉しい。

今日は久々に、「やってよかったな」と思えた一日でした。



話は変わります。

日本って、やっぱり外交が下手なんだなぁって、つくづく思います。
そして、それは国に限ったことではなく。


なんだろう、「人のことをとやかく言う人が多過ぎる」、そんな氣がして。
ただ、それを言い出すと、いわゆる「ブーメラン」になって返ってくる。
将棋で言うところの、「千日手」になりかねない。

でも、たとえば自国の政治より、他国の政治にばかり文句を付けたり。
相手の言動に難癖をつけて、自分を正当化しようとしてみたり。

その結果、周りから疎まれ、総スカンをくらうことになるわけです。

「あなたたちは何もわかっていない」という人ほど、何もわかっていない。
「それじゃダメだよ」って言う、その言い方自体「ダメだろう」って。

「批判」が悪いわけじゃないんだけど、矛先を間違っているのかな。
いつも言うことだけど、「夷を以て夷を制す」にされているケースが結構あるように思います。

結局、自分がいいと思うことを地道にやっていくしかない。
そう思いながらやってきて、度々めげてしまったりするのだけど。



それで、ここまで書いた話がどうそこにつながるのかは、うまく説明できませんが。
〈自由民権ライブ〉というものをやってみたい、そんなことを思い付きました。

自由民権運動〉は明治初期、政治参加の権利を要求するために起こった運動。
実は詳しくはわかっていないので、これからいろいろ調べてみたいと思っています。

いずれにしても、〈自由民権運動〉を今また起こさなくては、と思っていて。
それも、政治運動としてではなく、トーク&ライブとかでやってみたくて。

と言いつつ、まだ思い付きの段階なので。
どこでやるかいつやるか、どんな内容になるかは未定です。

ブレインストーミング的に、アイデアを形にできたらと思っています。
ぼくがひとりでつくる、というよりはアイデアをもち寄るような、そんな感じになったらいいなぁ。
(批判や評価はめげるので、お手柔らかに)

〈吟遊ソングライター〉としてのライフワークになるかも?
実際にはわかりませんが、乞うご期待、ということにしておきます。


                    せれんでぃっぽ☆とむやん