とむやんの氣まぐれ雑想記

〈探幸王〉を目指して、さまざまな想いを綴ります☆

身体のストライキ。


昨日、10月1日は「コーヒーの日」。
日頃、コーヒー好きを公言しているからには、何かしら書こうと思っているのに。

なぜか、いつも過ぎてから氣付くのです。

ブログを始めた2015年↓

ナマケモノカップ♡ - とむやんの氣まぐれ雑想記


2016年はスルーしてますね、どうやら…。

2017年、昨年は書いているときに思い出していますが。
結局、別のことを書いています(笑)

9月後半のライブ、3つ。 - とむやんの氣まぐれ雑想記



で、今年こそは~と思っていたのに。
前日から風邪っぽく、ちょっと回復したかな?と思ったら、結構熱が上がって。

ブログどころではありませんでした。

実はさっきTwitter見たら、書こうとしていたことがかなりタイムリーだったみたいで。
まあ、しかたないですね。

今日(2018.10.2)は他のことを書きます。
コーヒー関連?の話はまたそのうちに。



そうそう、奇しくも昨年のブログを見ると、同じ時期にやはり体調を崩していて。
そのときは胃腸風邪だったようで、収穫祭なのにほとんど何も食べられず…。

でも、季節の変わり目には大抵、風邪を引いたりしています。

それで、「寝込んでいて」と話をすると、心配してくださるのはありがたいのですが。
「よく体調崩すよね?」とか、妙に「病弱キャラ?」を押し付けてこられたりして。

確かに、子どもができてからは、寝込む機会も増えたような氣がします。
必ずしも、「感染」とか「うつる」わけではない、と個人的には思いたいのですが。
それでも、次の日に看病したこっちが寝込んで、子どもはピンピンしていると、そう思いたくもなりますよね。

まあ、それはともかく。
いずれにしても、体調を崩すというのは、とても大事なことだとぼくは思っています。

現代は氣兼ねなく体調を崩すことができない、のかもしれません。
台風のときですら学校や会社を休めないとか、さすがに今年はちょっと変わってきた?みたいですけど。


身体の言うことを聞く、自然の言うことを聞く。
体調や天候、季節やタイミングに影響される。

そういうことがいつの間にか、当たり前でなくなってきているのでしょうか。

そして、人が他者や自分をコントロールしたり、果ては「支配」したりできると、思い込んでいるのでしょうか。
それは、思い上がりというもの。

学校も会社も、たとえば家庭でも。
ストライキ」とか「ボイコット」って、もっとあってもいいと思うんですよね。
ところが、実際には逆行している、「ストライキ」なんてほとんど見ない。

で、体調を崩すって、言ってみれば「身体がストを起こしている」ってこと。


体調を崩したら、しっかり寝込む。
もちろん、そうは言ってられないということも多々あるでしょう。

だけど、結局後々「ツケ」が回ってくる。

自分の都合で体調を崩せない、ぼくはそんな生き方にはどうしても戻れないなぁ。
それだけを見ると、すごく生きづらい感じに思われるかもですが。

でも、おかげさまで日々元氣にハッピーに暮らしています。
それは、何ヶ月かに一度しっかり寝込むから、と言っていいのかもしれません。



そんなわけで、2日間しっかり寝込んで。
お昼ご飯をつくって(自分はほとんど食べずに)、歩きに行くことにしました。

以前にも書いたことがありますが、お氣に入りのコースがあって。

歩くこと。 - とむやんの氣まぐれ雑想記

(↑このときは遠回りしたり、別ルートも通っていますが)

細い曲がった坂道、小さな土手。
そこにはいつもこの時期、彼岸花がキレイで。

残念ながら、今はもう全部散っていました。

曼珠沙華☆ - とむやんの氣まぐれ雑想記

(↑以前書いた記事に載せたのは、そこで撮った写真です)

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(↑写真は9月半ば、別のところで撮ったもの)


その後はBOOK OFF寄ったり、マックスバリュで買いものしたり、世俗的な時間を過ごしましたよ(笑)

でも、そこでふと思ったこと。

身体の言うことを聞くってことは、人によってはオーガニックにこだわること、かもしれない。
ある人にとっては、ジャンクなものを食べたいと、そのときはそれが最良の選択かもしれない。

当たり前だけど、人によって違うんですよね。
人によって、だけじゃなくて、その人の今日と明日だって違うかもしれない。


パートナーのメイコは、付き合い始めたとき、「糖尿病一歩手前」の状態でした。
だから、デートしてても急に座り込んじゃったり、飴玉は手放せなかったり。

結婚してからはぼくも玄米菜食になって、いろいろ買いに行ったりしました。
大変な面も多かったけど、学ぶことも多かったと思います。

そして、きっと子どもは無理だろうという状態から、今では3児の母ですからね。

今ではもう、厳密なマクロビオティックとかできないと思うし、ベジタリアンでもなくなってきています。
でも、そのときは本当にやっていてよかった。

結果、ぼくは結婚してから2年間、毎月2キロずつ体重が落ちて、最終的に18キロ痩せました。
それに、料理が楽しくできるようになったのも、この時期があったから。


ぼくの周囲には、「砂糖断ち」をしている人が結構います。
ぼく自身も、そういう経験があるから、本当はそうしたいのですが。

で、こういう話をすると、「砂糖は悪だと言うのか」とか、その逆のことを言う人が出てきたりだとか。
あのね、そういう話じゃないんだって。

でも、なんですぐにそういう対立構造になってしまうんだろうと、いつも思っていて。
(実際、友人は周りにはなかなか理解されないんだよね~」と言っていました)

それって、ひとつには「身体の言うことを聞く」習慣がないから、なんだろうなぁ。
コントロールしたい、支配したいという、そこから抜けられない。

だけど、そういう意味で言うなら、人生はコントロールできない。
身体は支配できないし、思い通りになんてならない。

じゃあ、どうするのかと言うと。
世界をもっと信頼してみる、委ねてみる。

流れに乗って生きると、もっと楽になる。

これ、言葉にするとどっちにも解釈できるので、余計伝わらないんだと思いますが。
(まだこねくり回している、「雲の意図」という歌は、その辺がテーマになりそう)

自分の身体がストライキも起こせないくらいになっていると、世界というものに対して「疑心暗鬼モード」が解除できなくなるのでしょう。
そしてぼく自身、ずっとそうだったんだろうなぁ。

「疑心暗鬼モード」は、「許さない」「許したくない」が凝り固まったもの。
まずは自分の身体が寝込むことを許すことから始めたら、案外うまくいくかもね。


                    せれんでぃっぽ☆とむやん

子どもたちの成長。


昨日(2018.9.25)は満月マルシェへ。
午前中は雨が降っていたので、お昼過ぎに出て、午後3時頃に到着。

少ししたら帰るつもりが、案の定いろいろとお喋りしていて、終わり際までいました。


9月25日は、次男のちーくんの誕生日。
簡単にだけど、夜にお祝いをしました。

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いつものように、メイコがつくったケーキをみんなで食べて。

ほんとに大きくなったなぁと、しみじみ。


今朝は、実家の両親が送ってくれた「家音-kaon-」さんのモカヘーゼルケーキでお茶しました。
大人には珈琲を淹れて。

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一昨日(2018.9.24)は、栗東のトレーニングセンターへ。
「馬に親しむ日」に、子ども3人と行ってきました。

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出た時間がちょっと遅くて、イベントは終わっていたりしたので。
全体をまわって、あまり長居はせずに帰ってきました。

クイズラリーとか、ゲームとか、それなりにいろいろあったのですが。
どれも「やらない」と言って、一番氣に入っていたのは競馬実況の映像。


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宮崎県の伝統馬事芸能だという「ジャンカン馬踊り」のお馬さんかな。
そこ見て、馬の靴屋さん見て、そしてまた競馬実況の映像見て(笑)

普段、テレビのない生活をしているせいか、こういうときあまり飽きないのです。


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とは言いつつ、3レース見た時点で次男は飽きてきたので。

近くのフレンドマートでモナカアイスわけわけして食べて。
これまた普段しないことなので、そんなことでも満足してくれたみたいです。



子ども3人と、もしくは誰か1人と、一緒に出掛けたりすると。
「大人しいね~」とか、「いい子だね~」と言われることがあります。

確かに、一般的なオトコの子に比べたら、だいぶ手が掛からないかもしれません。

以前も書きましたが、夏と冬は青春18きっぷで10時間くらいかけて、帰省します。
「大変でしょ?」って言われるけど、年々ラクになっているし、ぼくも楽しんでます。

ちょうどいい、を考える。 - とむやんの氣まぐれ雑想記



そう言えば、最初の頃は新幹線で帰っていて、そのときの方が大変だったかも?

その頃はまだiPadが健在で。
そういうときだけ、ちょっと見ていいよと、恐竜や動物のアプリを見せたりして。

でも、そっちの方が後々「大変」な氣がします。
もっと見たいってなるし、他のことも手につかなくなる。

青春18きっぷの旅ではそれがなくて、最初から長丁場だと案外納得する、というか。
この夏の帰省の行き帰りでは飽きたりぐずったり、ほぼなかったです。

もちろん、そういう兆しが見えたら「おやつタイム」にするとか、タイミングがわかってきたというのは、かなりあります(笑)


ぼく自身、テレビゲームにハマり過ぎて、大変だった過去があるので。

ゲームという「沼」。 - とむやんの氣まぐれ雑想記


そういうものを「ダメ」とは言わない、言えないですけどね。
でも、ないならない方が、後々ラク



長男は、最近はマンガを描くことにハマっていたり。
紙の工作は、相変わらずいろいろつくっています。

次男の誕生日に、「紙のフィギュア」をプレゼントしていました。

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オオワシがサケをとらえているところ、だそうです。
暗くてちょっとわかりづらいですが、かなり完成度が高い。

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子どもたちの成長、これからますます楽しみです。
ぼくも影響されて、まだまだ成長していきたいなと改めて思っています。


                    せれんでぃっぽ☆とむやん

竹テントワークショップ@姫路、二日目。


さて、前回の続き。

竹テントワークショップ@姫路、一日目。 - とむやんの氣まぐれ雑想記


なのですが、2日目はカメラの電池切れで写真はほとんど撮れず。
今回は報告よりも、この二日間で感じたことなど、振り返ってみたいと思います。



この日(2018.9.9)は、朝9時からワークショップが始まりました。
とにかく、2日間で竹テントをひとつ、つくる。

それを立てたり、メンテナンスしたり。
ゆくゆくは各々で後継機をつくり、そうやってその土地の「亜種」が育っていく。
あきさんの構想は、そんな感じだと思います。

そうそう、あきさんが例に挙げたのは、テオ・ヤンセンの「ストランドビースト」。

https://theojansen.net/


「ストランドビースト」とは。
ポリ塩化ビニルのパイプや結束バンドで、テオ・ヤンセンがつくる「生物」。
風の力などで砂浜を歩く姿は、本当に「生命体」のよう。

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(写真OKだったり、実際に体験できるものもありました)


「ストランドビースト」のつくり方の秘密はオープンソースにされていて。
世界各地にさまざまな「ストランドビースト」が生まれているだとか。
日本では竹でつくっている人も、やっぱりいるらしい。

そういえば、「テオ・ヤンセン展」のことを書くはずが、結局書けていなかったなぁ。

人間万事塞翁が馬 - とむやんの氣まぐれ雑想記

それが奇しくも、一年前のこと。

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さて、話を戻しましょう。
要は、その「進化」の過程を2日間に凝縮して、伝授するわけです。

あきさんにしてみたら、ワークショップもなくていい。
各地で「進化」していけばいい、どんどん自分の手を離れてくれたらおもしろい。

まあ、それだとさすがに「竹テント」が知られる機会が非常に少ないので。
それに、今あるものを踏まえれば、「進化」の枝葉の根元まで戻らなくてもいい。

とは言っても、それをどうやって2日で落とし込む、のか。

あきさんの竹テントがここまで進化するのには、当然それなりの年月が必要で。
よく2日間に凝縮したなぁと、改めて感心してしまいます。



そして、結果的なことから言うと。
その意味や価値を、このとき集まってくださった方々は、本当に深く感じ取ってくださったのだ、と思います。

つまり、「つくり方」よりも、概念的なものを共有できた、ってことかな。

ワークショップが終わって、みなさんの感想を聞いていて、強くそう思いました。
だから、あきさんも「これまでの努力が報われた」というような言葉もあったり。

それって、すごいことだなぁ、って。

あきさんは「報われる」ためにやってきたわけでは当然なくて。
でもだからこそ、「報われた感」があるというのが、その場にいたぼくも何だか嬉しかったのです。

来てよかった、と心から思いました。



「かつらぎ自然のまなび舎」の方々と、ワークショップ参加者の方と。
短時間に、こんなにお互いに敬意を払うことができるというのは、やはりすばらしい「ご縁」なのだと思います。

日頃の想いや日々の積み重ねたものが、事柄自体は同じでないとしても、根底に共通するものがあったのでしょう。

用意してくださったご飯が、とにかく美味しいというのは、その象徴と言えるかも。

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(2日目は本格的なインドカレーと、サブジ


じゃあ、滋賀にいてそういうことはないのか、と言うと。
もちろんあるんだけど、やはり距離感の問題とか、「当たり前」になってしまっているとか、いろいろあるのかな。

そもそも、そこは「比較」してもしょうがないというか、「ご縁」ってそういうものなんだと思ったり。
「ご縁」の深さを比べてみたり、ましてや「優劣」で考えてしまったら、本末転倒。



それで、実はお昼を食べてから、ちゃたくんとぼくはちょこっとお出かけしたんです。

この日から、「山と畑のまるごとえん」の写真展があるということで。
こどものじかん写真展@旅する雑貨屋itsumo」。
(9月9日から24日までの開催でした)

旅する雑貨屋itsumoは、食堂itsumoというカフェが併設されているステキなお店。
それは是非、ワークショップを抜け出して、行ってみなくてはと、冗談半分で言っていたのです。

お昼過ぎ、「山と畑のまるごとえん」スタッフのゆきちゃんが誘ってくれて、車を出してくれて。
「これも仕事!」と、はりきって行ってきました(笑)


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これまた、ほんとに行けてよかった。
雑貨屋さんは、近くにあったらある意味キケン、というくらいツボ。

そして何より、ゆきちゃんといろいろお喋りできて楽しかったです。


前日の交流会では、『満月マルシェのつくりかた』や「満月マルシェ」の話もして。

マルシェが本になりました。 - とむやんの氣まぐれ雑想記


ちゃたくんもぼくも、「月のリズム」で暮らすこととか、そういうことを別段「前置きもなく」喋れたことがすごく心地よかった。
普段だったら、「ちょっと飛ばし過ぎかも?」というぐらい「いきなり本題」みたいな、そんな交流会。

ゆきちゃんは、それを男性が当たり前のように喋っているのがおもしろいと思ってくれたみたいで。
このほんのひとときのコーヒータイムを、楽しみにしていてくれたんだとか。

もちろん、それでもまだまだ話し足りないぐらいだし。
他の方たちの話も、もっともっと聞いてみたい。


いずれにしても、この「前置きなし」に話せる間柄、というのがとにかくよかった。

日本語では「氣の置けない」という、ちょっと不思議な?言い回しがあるけど。
この「前置きなし」で即本題で通じ合える=「氣の置けない関係」、と考えたら自分としてはすごく納得できた。


真意を伝えるのってむずかしいもの。
そうすると、「前置き」だったり「定義付け」だったりがすごく大切なのですが。

一方で、それがなくてもいいのなら、それが最初から共通認識があるのなら。
いきなり本質から入って、「そうそう」と頷く。

姫路での2日間は、まさにそんな感じでした。

だから、何をしたってわけじゃないのに、ぼくもすごく「報われた感」があって。
特にこの後の一週間は、夢心地でいました。
(こういう余韻って、ぼくは『のだめカンタービレ』の三木清良を思い出すんですが、どうでもいい情報ですね(笑))


それでもって、やっぱりあきさんと、あきさんの竹テントってすごいな~と。
自分も、それをどこかで「当たり前」と思っちゃってたひとりだったわけで。



そうそう、後日談。
このときできあがった竹テントはこの週末、ロハスパーク姫路という野外イベントで無事、初披露されたそうです。


そして、見本でもっていった竹テントは。

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栗東のcafe salon STILLROOMに、7周年のお祝いとして進呈されましたよ。
先日の日曜日、立て方も伝授されて。

こちらは、10月7日[日]のいちょうまつりで見ることができます。
STILLROOMの前、タコ公園にて。
(ちなみに、ぼくたちSLOWWALKERsも出店します)


そして、あきさんの竹テントの今後の展開ですが。

ワークショップのテキストとして使える本をつくろう、という話があったり。
その本と竹テントを広める行脚として、ゲリラ的に竹テントを立てて、そこでお話する、なんておもしろいんじゃない?と提案したりとか。

マルシェやマーケットなどのイベントでも、ますます活躍していくと思います。
ぼくも何かしら、関わっていけたらと思っています。


                    せれんでぃっぽ☆とむやん

竹テントワークショップ@姫路、一日目。


先週の土日、姫路市に行ってきました。
「竹テントのつくりかたワークショップ」をやるということで、そのお手伝い。


竹テントとは。
最近よくイベントなどで使うタープテント、それを竹でつくったもの。
あきさんの竹テントは「組竹式テント」という名称で、金具なども自作するのです。

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(↑今回、こんな立派な冊子ができていましたよ)


「竹テント」といえば、渋谷で開催されている「東京朝市アースデイマーケット」。

自分なりの、マルシェの楽しみ方。 - とむやんの氣まぐれ雑想記


マーケットの日は、代々木公園けやき並木に「トージバ」の竹テントが並びます。
これが、なかなかの見もの。

アースデイマーケット « TOZIBAトージバ


その「トージバ」の竹テントを、あきさんは独自に進化させています。
針金で金具を自作したり、麻紐や太い輪ゴムを使ったり。

とはいえ、あきさんは「竹テント」づくりが本業ではないので。
彼ひとりでたくさんつくるにも、限界があります。
それに、いろいろな人が関わることでまた別の進化をしたり、拡がっていったり。

そういうことを期待して、あきさんは竹テントワークショップをはじめました。

そして、以前それに参加された方が、今回ぼくたちを姫路市に呼んでくれたのです。
組竹式テントのあきさんと、ちゃたくんとぼくと。


あきさんとはバンド仲間でもあるし、竹テントにもワークショップにも興味あったし。
でも、ぼくが同行する必要、あるのかなぁ?
ちゃたくんから誘われたものの、最初は躊躇してました。

結論から言ってしまえば、行けて本当によかったです。
なんだか、自分の中のまだ少しバラバラだったジグソーパズルのピースみたいなものが、一氣にピタっと揃った感じ。

もちろん、ワークショップ自体もとてもよかったのですが。
今回のご縁があまりにもすばらしかった。

ぼくにとっても、そしてきっとあきさんにとっても、ちゃたくんにとっても、大きなターニングポイントになる、と思います。



ぼくたちが向かった場所は、「かつらぎ自然のまなび舎」。
(余談ですけど、「まなび舎」と書いて「まなびや」と読むんですね、知らなかった)

[食・農・環境・コミュニティ・自然とともに生きる暮らしを一緒に学ぶ場です]
(パンフレットより)
関西で初の「ゆっくり小学校」をされていたり、小さなようちえん「山と畑のまるごとえん」をされていたり。

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(↑まるごとえんの冊子は、あとで出てくるお店で販売していました)


ちゃたくんの運転で高速道路をひた走り、山陽姫路西インターで降りて30分ほど。
急に細くなった道は、小さな橋を渡って大きく右に曲がったところから、ますます細くなって。

Googleが「目的地です、お疲れさまでした」って言っても、何もない細い道の途中。
本当にこの道でいいのか、でもUターンもできない、半信半疑で進んでいくと。

ありました、「かつらぎ自然のまなび舎」。

かつらぎ自然のまなび舎


いかにも山奥、って感じじゃなかったのに、最後の細道で急に別世界。
それこそ、別次元に入ったみたい、ジブリのあの映画みたいに。

ちなみに、写真はあまり撮りませんでした。
このときは記録的な大雨だったのと、カメラの充電が途中で切れてしまったので。



ワークショップは2日間、でもやることが多いので着いてすぐ準備に入ります。

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竹テントは、こんな感じでコンパクトに包まれています。
白いシート(ブルーシートの白版)が屋根の部分のタープです。

自己紹介は追々ということで、まずは竹テントの立て方、しまい方。

なのですが、あきさんのロープワークにみんな釘付け。
この時点で参加者さんはみんな、心奪われたそうです(笑)

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確かに、ぼくも竹テントは何度も見ているし、あきさんの道具の手さばきがすごいのは知っていたつもりでしたが。
ひとつひとつが入念に練られていて、すごく合理的なんですね。

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もちろん、あきさん曰く、何度も改良に改良を重ねてきた結果だから、なのですが。
そのこと自体が、常人には到達できないわけで。

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竹テントが立ち上がり、一同ため息。
つくりのすばらしさと、これを自分たちがつくるのか、つくれるのか?と。


もちろん、いきなりはつくれないので。
まずは部品となる針金ワークの練習と、構造の理解から。

そのためのサンプルを各自つくっていきます。

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そうそう、外は雨だったので、部屋の中でのワークショップでした。
背の高い竹テントがそのまま立てられるし、目の前には大きな池と山。
水の音と鳥の声、雨の音も心地よくて。

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参加者さんたちは真剣に、黙々とつくったりしていました。
ぼくもシロウト側の目線から、あきさんに聞いてみたり、作業を見てまわったり。

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そんなこんなで、サンプルとなる部位をそれぞれがつくりました。

最初見ただけでは、こんなの自分につくれる氣がしない。
けれど、実際つくってみると案外できるもの。
というか、あきさんがそういう風に試行錯誤してきた結果、なのですけど。

それに、あきさんの手元を見ていると、すごく簡単そうに見えちゃうんですよね。

ともあれ、各自苦労しつつつくり上げたので、みなさん感動していました。


そして、待望のお昼ごはん。

今回、まなび舎の方々も参加者も、竹テントづくりをしたのはほぼ男性。
女性陣は写真やメモなどの記録、ご飯の用意などのサポートをしてくださいました。

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ご飯がこれまた感動的に美味しくて。
話もはずみ、場と人とが揃うと、ご飯ってますます美味しくなりますね。



そして、午後。
実際の竹テントづくりに入っていきます。

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竹はそれぞれ場所が決まっていて、適度な長さに切ってあります。

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ここに針金でつくった部品を付けていき、組み立てていきます。

練習ではアルミの針金だったのですが、今度は本番なので鉄の針金。
部品自体は料理番組よろしく、あきさんが用意したものを使ったのですが。
それを巻き付けたりするのは基本、参加者さんです。

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これが結構苦戦するわけですが。
みなさん、すごく熱中していました。

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そうして、午後目いっぱいの時間をかけて、足組が完成。
2日目に来られない方のための個人レクチャーがあったり、みんなでスーパー銭湯に行ったり。

そして、またまた待ちに待った晩ごはん&交流会。

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山梨県醸造所「うちゅうブルーイング」の「宇宙エール」をいただきながら。
話はあっという間にディープな世界へ。

竹テントやあきさんの話、「満月マルシェ」や『満月マルシェのつくりかた』の話。
まなび舎のこれまでの経緯やこれからのことも聞いて。



何だろう、このところちょっと迷いながら?このブログを書いてみたりしていて。

脱いっちょかみ。 - とむやんの氣まぐれ雑想記


それは「愚痴」みたいなものではないつもりで、でもうまく書けていない氣がして。
そのおかげで、『雲の意図』というタイトルで歌をつくってみたり。
(4日でつくれるかに挑戦してみたけど、8割できて、今保留にしてます)

雲の意図。 - とむやんの氣まぐれ雑想記


そう、このときの2日間で自分なりにすごく「合点がいった」んです。

その辺は、また続きを書いたときに。
今回は報告だけでも結構な長さになりましたので。

とにかく、最近で一番の「ここにいられて、ほんとによかった~」という経験でした。
続きで、その感動を言葉にできるか、どうか。


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(↑ワークショップの部屋にいた、埴輪のぬいぐるみ、終始見守っていてくれました)


                    せれんでぃっぽ☆とむやん

ちょこっと、コーヒーゼリーのことと、歌のこと。


台風の影響は、思った以上に被害が大きかったようです。
みなさん、大丈夫でしたか?

被害に遭われたところは、一日も早く復旧されますように。


さて、今日(2018.9.5)はハクハク茶小屋が臨時休業になったため。
お昼前に、茶ノ木カフェに行ってきました。


茶ノ木カフェ
〒520-3016 滋賀県栗東市小野371-45
1,000円(平均)1,200円(ランチ平均)


滋賀に来て、キシダ家にとって最初の「拠り所」だった、茶ノ木カフェ。
栗東の図書館や歴史民俗博物館がすぐそばにあって、子連れで行きやすくて。

ただ、子どもが3人になって、最近はなかなか行けなかったりしますが。
今日もひとり、ふらっと行ってきました。


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コーヒーゼリーと、ホットのココナッツチャイ。


2年前、コーヒーゼリーについて、こんな記事を書きました。

それぞれの正しさ。 - とむやんの氣まぐれ雑想記



結局、昨年も今年の夏も、あまりコーヒーゼリー食べなかったなぁ。

茶ノ木カフェに近い、Santai137のコーヒーゼリーはなぜか妻のメイコが氣に入って。
7月に一度、一緒に食べにいきました。

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(かなり大きく写ってますが、小さめのサイズです)

Santai137には「シーズナルコーヒー」があって、それをコーヒーゼリーにも使っているそうです。
なので、また今月から変わっているらしい。
また近々、食べに行きたいと思っています。


他にも氣になっているところはたくさんあったのですが。
コーヒーゼリーは夏季限定のところも多いみたいですね。


そんなわけで、また『コーヒーゼリーの時間』を図書館で借りてみたり。

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前々回のブログ。

雲の意図。 - とむやんの氣まぐれ雑想記


昨日も書きましたが、あれから早速『雲の意図』というタイトルの歌をつくってみています。

そして、最近たまたま斉藤和義さんの動画を見ていたら。
40枚目のシングルとして発表した『月光』、カップリングの『メトロに乗って』『今夜、リンゴの木の下で』は、どれも3~4日で書き下ろしたんだそうです。

斉藤和義「月光」Special Website


作詞作曲自体もそうだけど、演奏して録音して、完成までが4日とかなので。
それはもう驚異的だと思うのですが。
(ツアーの合間とかで、時間が取れなかったらしい)

まあ、そこまでじゃないにしても、「歌を4日でつくる」というのはちょっと挑戦してみてもいいかも、と。
奇しくも『雲の意図』という題材があって、しかも台風の日はカンヅメだろうから。

つくり始めたのが、ブログを書いたときなので。
構想は9月2日、日付が変わった頃。
実際につくりはじめたのは、9月2日の昼過ぎ、だったかな。

今、歌詞は7割くらい書けて、メロディーも何となくできてきて。
あとは詞と曲を馴染ませて、修正して。

4日で、はちょっとムリかもですが。
(明日の昼過ぎまでに、ということ)
何とか5日で一応の完成となれば、自分としては最短。


何で急に、コーヒーゼリーのことを書いたかというと。
お察しの通り、ちょっとした現実(曲づくり)逃避、というわけです。

いずれにしても、完成したらまたブログに書きます。


                    せれんでぃっぽ☆とむやん

切り紙のタヌキ。


前回と前々回、ありがたいことにいろいろと反響がありました。

特に前々回の記事にコメントをたくさんいただいて。
お返事を書きながら、何を書こうとしていたのか、より明確になってきた氣がします。
ありがとうございます。

続きはまた別の機会に書きますが。

ちょこっとだけ書くと。
「脱いっちょかみ」としたけれど、「いっちょかみ」を否定しているわけじゃなく。
ただタイミング的に、自分は「脱する」ときなんじゃないか、じゃあどうするのか。

それと、「雲の意図」という誤変換から、いろいろ氣付きがあったこと。
雲の流れって確かに意図的じゃない、だけどそれを見ていると癒されたり。

そこから、「わかってもらえない、わかってもらいたい」ってことではないな、って。
これはもう少し、自分としても深く追ってみたいと思っています。


そして、「雲の意図」という歌も制作中。



さて、今日は9月4日。
三番目の息子の誕生日、4歳になりました☆

そして、実はこのブログを始めて3年が経ちました。

自己紹介。 - とむやんの氣まぐれ雑想記

(↑息子3の一歳の誕生日のときにはじめました)

2歳と一周年。 - とむやんの氣まぐれ雑想記

(↑2年前の今日)

マルシェが本になりました。 - とむやんの氣まぐれ雑想記

(↑1年前の今日)


今日は台風21号の接近で、かなり荒れた天氣となりました。
おかげさまでウチは被害もなく、無事でした。


そんな嵐の中、ささやかなお誕生日のお祝いをしました。

いつものように、妻がケーキをつくり。
長男も次男も、プレゼントをあげていました。


4歳、毎回同じようなことを思いますけど、ほんと早いなぁ。
三番目は特に、上2人を見ているので成長度がすごい。

この夏の帰省では、ぼくの両親もビックリしていました。
喋りもますますしっかりしてきて、いろいろとこだわりも出てきて。
まあ、メンドウごとも増えたりはしていますが。


長男が切り紙が得意で、下2人もかなり影響を受けていて。
息子3のハサミさばきは、かなりのものだと思います。

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(↑今回の帰省、帰りの電車で切り紙をしているところ)


今回、実家にいるときに、息子3が切り紙で「タヌキをつくる」と言い出して。
最初に母がそれを聞いて、なんで急に「タヌキ」なんだろう?と。

信楽のタヌキみたいなかわいいのをつくるのかな~?ぐらいに、思っていたのですが。



ここでちょっと、話が脱線します。

こういう話が苦手な人もいるので、まあ冗談半分で聞いてもらえればと思いますが。
ぼくの母方のひいおばあちゃんの話です。
もちろん、直接は知らないので、聞いた話。

ひいおばあちゃんは、麻布のあたりに住んでいたそうです。
旦那さんと庭師をしていたらしい。

心優しく、また世話焼きな性格で。
自分もそんなに裕福ではないのに、近所の人に野菜をあげたり。
タヌキにエサをあげたりしていたんだとか。

麻布は今でこそ、高級マンションやビル、大使館がたくさんありますが。
その当時はまだ何もなく、自然も多かったのだと思います。
(狸穴町や狸穴坂という地名もあるみたい)

ある日、庭仕事で遅くなり、家に帰ってきたけれど辺りはすっかり暗くなっていて。
家までの道がわからないくらいの、闇。

そうしたら急に、道の両側に明かりがぽつぽつと灯り始めて。

あれは、狐火ならぬ、狸火だったんじゃないか。
いつもかわいがっていた、タヌキのちょっとした恩返し。

本当かどうかは知りませんが、そんな話をおばあちゃんから聞きました。


まあ、そんなわけで、ウチの家系ではタヌキって何だか近しい氣がしていて。
息子3が実家で、急に「タヌキをつくる」と言うのも、妙に曰くあり氣に思えて。

しかも、つくったタヌキが、これ。

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なんか、やけにクオリティーが高い。
図鑑とか見てないし、そもそもリアルのタヌキをあまり知らないと思うのだけど。

いくつかつくったみたいですが、母にあげたのは結局この一個だけ。
普段はすぐにプレゼントするのに、これは出し渋っていました。


それで、かわいいからまたつくって~と、言ってみたのですが。
滋賀に帰ってきたら、もうつくる氣なくなったみたい。

今日も聞いたら、最初は「うん」と言っていたのに。
「アクタ(実家のこと)に行ったら、つくるね」と。


うまく説明できたかわかりませんが。

ご先祖さまはしっかりと見守ってくれているんだろうなぁと。
そんなことを感じた、息子3の誕生日でした。


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↑銀座の教文館ナルニア国にて。
安野光雅 絵本の世界展」、『もりのえほん』拡大パネルの前で。
ここだけ、撮影OKでした。


                    せれんでぃっぽ☆とむやん

雲の意図。


一昨日(2018.8.31)書いたブログは、うまくまとまらなくてイマイチだったな。

今のブログは単純に、思っていることを書き出してみる場、にしているので。
それはそれとして、コラム的にもう少し読みやすい文章も書いてみたい。
別のブログなのか、ホームページをつくるのか、考え中です。



ひとつ追記

「9月の自民党総裁選で、党内最大の細田派は所属議員に、連続3選を目指す首相を支持する誓約書に署名させることを決めた」んだそう。
当然、「首相の出身派閥が所属議員から誓約書を取るのは極めて異例」だと。

派の幹部は、「他派閥と足並みをそろえる必要がある」と説明しているらしいけど。
さすがに、派内からは反発の声も上がっている、と。
そうは言っても、結局はうやむやになるんだろうけれど。


今、身近なことでもこういうニュアンスのことが多過ぎるんじゃないかなぁ。
一言で言ってしまえば、「同調圧力」ってヤツ。

そういう空氣感の中で、自分を打ち出すというのは案外むずかしい。
ほんとはむずかしくないのかもだけど、ややこしくなるのでここではとりあえず。

自分はやっぱり、「とんがっていたい」と思っているから。
一昨日書いたのはその表明のつもりなんだけど、まあちょっと軌道修正。



そして、今日(2018.9.2)はその続き、みたいなもの。


昔、中学生のときだったか、芥川龍之介の『蜘蛛の糸』を教科書で読みました。
そのときはたぶん、「ふうん」ぐらいに、何も思わなかったんじゃないかな。

それ以来、『蜘蛛の糸』を読み返したことはないはずなのですが。
大人になってからも何度か、映像としてたまに頭に浮かぶことがあります。

蜘蛛の糸』にもまた、いろいろな受け取り方があると思いますが。
「ニンゲンのエゴ」、というのはその中でも大きなテーマではないでしょうか。

実際ぼくも、自分のエゴイスティックな面が出てくると、先述の映像が浮かんだり。

作中では、登ってきた罪人に「下りろ」と喚いた途端に、糸が切れてしまう。
そして、カンダタの「無慈悲な心が、そうしてその心相応の罰を」受けたのだと書かれています。

もし、人のことは氣にせず、自分が登ることだけに専念していたとしたら?


この小説を否定するわけじゃないし、地獄の話ということで事情は違うと思いますが。
現実はもっと優しいというか、そこまで「試される」ことはないんじゃないか、という氣がしています。

たとえば、糸は各々にちゃんと用意されているんじゃないか、とか。
もっと本数は多くて、自分が望まないものはちゃんと(?)切れてしまう、とか。

それって、ある意味すごく恵まれた状況。
糸自体を、競って奪い合う必要なんて、本当はないのだから。

カンダタが、下から登ってくる罪人に喚いたのって、心情的にはすごく理解できる。
でも、現実は自分と関係ない人にも喚いたり、何なら足を引っ張っていたり。

無慈悲もここに極まれり。


カンダタの置かれた状況以上に、世界はもっとシンプルで。
自分の登りたい糸をただひたすらに登ればいい、それだけのことなんだと思います。

と言いつつ、それができないのって何故なんだろう?



先日、『天才の証明』という本を読みました。

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著者の中田敦彦さんは、お笑いコンビ「オリエンタルラジオ」のあっちゃんとして有名ですね。
ぼくも武勇伝ネタは大好きでしたが、それ以上に特に注目はしていませんでした。

でも最近、YouTubeで『俺の持論』という番組でのプレゼンを知って。

11月11日放送 【俺の持論】 - YouTube


この中で紹介していたのが、この本。

コンプレックスや劣等感こそが、実はその人の最大の強み、「才能」だったりする。
そんな話自体は、他の自己啓発系の本などでもよく目にしていました。

けれど、オリラジのあっちゃんの実体験として語られる話には説得力があって。

2016年には音楽ユニットRADIO FISHとして『PERFECT HUMAN』でブレイク。
そこに至るまでの話が、わかりやすく、そしておもしろく書かれています。

才能というものに人一倍注目し、かなり計画的に練った上でヒットを飛ばす。

つまり、彼には「蜘蛛の糸」が見えている、のかもしれません。

ただ、自分に与えられた糸は、妙に細く頼りなく見える。

だけど、糸は切れても下まで落ちないし、何度でもまた登ることができる。
彼はそれを証明してくれているような氣がします。


この本を読むまで、RADIO FISHの動画は見たことがなかったのですが。
先日YouTubeでまとめて観てみたら、かなりよかったです。

RADIOFISH UNION【レディオフィッシュ】 - YouTube


『PERFECT HUMAN』もいいし、本書でも書かれている『進化論』もオススメ。

CMのタイアップだった本作は、MVなど完成までにかなり「ぶつかる」ことがあったそうです。
けれど、その衝突があったからこそ、想定以上の成果が得られたのだ、と。



「とんがって」いたいと思いつつも、やっぱり「嫌われたくない」という思いもある。

相手を必要以上に氣遣ってしまったり、でもそれって本当に相手の為と思ってのこと?

親になって、小言が増えたんじゃないかと思ったり、それもまた必要なことかなとも思ったり。


ぼくは、チームで何かをするということが苦手だけど。
ただ単に「ぶつかる」のがイヤだった、っていうのが大きいかもしれません。

親の小言も、あまりぐちぐち言わないとか、言い方を変えてみたりだとか。
それでも、要所要所では強く言わなきゃいけないこともあったり。

厳しいことを言われるのは、やっぱり自分もイヤだったり。
それでも、お互いに相手の「蜘蛛の糸」を引っ張っているわけじゃない、って氣付けたらいいのかな。

「ぶつかる」にも、目的や方法がさまざまだろうし。
それがエゴから出たものでは、結局「蜘蛛の糸」のムダな奪い合いでしかない。


冒頭に書いたように、はっきり言って今の「同調圧力」は異常です。

自分の「正直さ」や「公正さ」を棚に上げて、キャッチフレーズにした人を「個人攻撃だ」なんて。

自分と反対の意見を封じ込めたり、対抗馬を嫌ったり。
そういう国の状況下だからこそ、そこは改めて考えてみようと思います。


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ちなみに、タイトルは『蜘蛛の糸』の誤変換。
そっちが先に当たり前のように出てきて。

なんか意味あり氣、歌のタイトルにもなりそう。
奇しくも、CloudもWebもIT用語ですね。


                    せれんでぃっぽ☆とむやん