とむやんの氣まぐれ雑想記

〈探幸王〉を目指して、さまざまな想いを綴ります☆

自分がまず楽しむ、ということ。


今回は、お題。
(締め切りが1月30日なので、ちょっと焦って)

「チームワーク」を語ってください、ということで。



一番に思い付いたのは、「ハニカム出版」のこと。

マルシェが本になりました。 - とむやんの氣まぐれ雑想記


一年半ほど前、『満月マルシェのつくりかた』という本ができました。

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本なんてつくったこともない友人たちと、出版チームを結成して。
2017年9月6日の満月マルシェに発売。

顔合わせをしたのが、その年の5月。
ちゃたくんとは、その前から構想や計画を練ったりしていたけど。
チームとしてはそこがスタートだったんじゃないかな。

それからはイベントをしたり、バッグをつくったり、さまざまなところで出店したり。
トレモロピクニックという新たなマルシェにも関わらせてもらったなぁ。
都ファーマーズマーケットでお話させてもらったり。



ただやはり、チームというのはなかなかむずかしいものですね。
特に、ぼくはいわゆる「協調性がない」方なので。

実際、何度か「もう関わらない」と宣言したりもしているんです…。

でも、いいものをつくろうと思うと、どうしてもぶつかる部分が出てくる。

ぼくは距離の取り方というか、その辺が本当にヘタだったなぁと思います。
今なら、もうちょっとうまくやれるのかな、と思ったりもしますが。


振り返ってみると、メンバーはみんな「つくる側」だったんだなぁ、って。
自分はどちらかというと、「売る側」のスタンスだったんですね。

「売る」というと語弊があるのかな、「広めたい」という感じ。
要はプロデューサーの役割がしたかったんだと思います。

そこに自分で氣付いていなかった。
氣付いていたらうまくできていたのか、もちろんそうとは言えないけれど。

ぼくは逆に、うまくいかないのは何でだろう?って考えていて。
どうやら、プロデューサー的なことをしようとして、意見や方向性がぶつかっただけでめげてしまった、ということだったんだな、と。


例えば、スタジオジブリ鈴木敏夫さんの鼎談記事に、「決闘こそがプロデュースの根っこにある」というのがあって。
「間」が大事だと、やはり距離感のことも語られています。


井上陽水のアルバム『氷の世界』のプロデューサー、多賀英典さんもたぶんそう。
第一弾シングルのA面を、多賀さんは周囲の反対を押し切って『心もよう』を選んだのです。

『帰れない二人』はいい曲だし、それはそれでヒットしたのかもしれません。
けれど、結果としては『心もよう』だったからこそ、『氷の世界』は日本初のミリオンセールスになった、と言っていいでしょう。

そのときの心境を、「オレだけ孤立するわけだよね」「自分に重荷があって、制作をやめたい」と思っていた、と。
ドキュメンタリー番組の動画を見ながら、わかるなぁって勝手にシンパシーを感じてしまいました(笑)



もしかすると、満月マルシェの広がり方がそうであるように、プロデュース的なことなんて考えない方がよかったのかもしれません。
これを書きながら、そんなことを思ったりもしました。

『満月マルシェのつくりかた』も、そういう内容なのだし。

とは言っても、やっぱり自分なりのやり方でしかできない、とも思うし。


それで、話はいきなり結論的なことに飛ぶんですけど。

たまたまつい最近、友人とメッセージのやり取りをしていて。
彼女がその日の体験を、「自分がまず楽しむって大事」と総括したんです。

ぼくは、それって実は「最高の氣遣い」なんじゃないか、と返しました。
どういうことかというと。

前提として相手も同じことを考えている、とします。
お互いに、「相手は楽しめているだろうか?」だけだと、想いがループしたまま。

それをどちらかが、「私は楽しめている」としたら、相手だって嬉しいですよね?
そうすると、相手もまた「私は楽しめているだろうか?」と考える。

極論的に言うと、自分がまず楽しむのはひとつの礼儀、じゃないかと。

言うまでもなく、「自分さえ楽しければいい」とは真逆のマインドですよ。

〈メンドウ〉をおもしろがる。 - とむやんの氣まぐれ雑想記

(↑前々回に書いたことと合わせて考えると、またおもしろいのかも)


だいぶ遠回りしましたけど。
チームワークもまた、各々が「自分がまず楽しむこと」、そこから始まるんでしょう。

なんだ、自分がまず『満月マルシェのつくりかた』を読み返さなきゃだな。
実は引っ越し作業中で、今見当たらないのですが(笑)


1月と2月と、満月の日にちょっとしたキャンペーンをした(しよう)という話は、また今度改めて。

ぼくが滋賀を離れてしまうので、結果的にハニカム出版からも少し遠くなってしまうのですが。
でもだからこそ、この距離感(物理的にも精神的にも)がかえっていい効果をもたらすかもしれないと、ちょっと期待していたりもして。



「チームワーク」というと、「一致団結!」みたいなイメージなのかな。
今ならもっと、新しい「チームワーク」の形を提案できるかもしれない。

ぼくが今興味あるのは、「行き当たりばったり」。
鈴木敏夫さんの鼎談にもそんな話が出てきたり、先日友人がfbでシェアしていた記事がまさにそういう話だったり。

行き当たりばったりで年商2億円の経営者が語る、「自分の好きなことで生きない選択肢」|ALL YOURS木村のよりみち見聞録×白水高広 #002 | NEUT Magazine


その辺はまだ消化できていないので、また改めて。

チームについても、これから実践的にいろいろ考えてみたいと思います。
今日のところは、この辺で。


                    せれんでぃっぽ☆とむやん

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Timing is Money


前回の記事を投稿するとき、「今月はなかなか書けそうにない」とつぶやいたのに。
早速、また書いています(笑)

「書きたい」がいつの間にか「書かなきゃ」になっていると、しんどくなるもの。
だから、「書けないかも」と思った方が、案外楽に書けたりしますね。

まあ、それはともかく。


昨日(2019.1.12)は、妻と京田辺市に行ってきました。
ぼくは、初☆京田辺



降り立ったのは、新田辺駅
駅を出てすぐ目の前に、一休さんがいました。

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なぜ、そんな高いところにおわすのか。
(写真はズームで撮っています)


ぼくは知らなかったのですが、京田辺には一休禅師ゆかりのお寺があるのですね。
帰ってきて調べたら、「一休とんちロード」というのもあるらしい。

一休とんちロードを整備 | 京田辺市ホームページ




さて、引っ越ししてからのこと、まだまだ不確定な要素がたくさんあるのですが。
ひとまず、移り住む家が決定しました。


最寄りの駅は、三山木駅
JRと近鉄の駅があります。

新しい家の周辺は、いい意味で田舎な感じ、いいところだなぁと。


同志社大学京田辺キャンパスが、すぐ近くにあります。
お昼は、その中のカフェレストラン「Hamac de Paradis Latte(アマーク・ド・パラディ・ラッテ)へ行ってみました。

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京田辺というところは、もちろん知ってはいましたが。
まさか自分がそこに住むことになるとは、思ってもみませんでした。

けれど、やはりそういう「タイミング」なんだな、と感じました。

Time is Moneyならぬ、Timing is Money。
もしくは、Timing is Everything。


今までにも、何度か「タイミング」については書いてきています。

あなたがいたくないところに、いることはできない。 - とむやんの氣まぐれ雑想記

最近(と言っても半年前)だと、こんな記事。

この中で紹介した本の著者であり、ビートルズのレコーディングエンジニアを務めたジェク・エメリックさん、昨年の10月に亡くなりましたね。
自分としては、いいタイミングで読んだんだなぁと、しみじみ思いました。


神さまの時間調整。 - とむやんの氣まぐれ雑想記

このときは、「タイミングは神さまの采配」というようなことを書きました。


偶然の一致。 - とむやんの氣まぐれ雑想記

「偶然は偶然じゃない」、こういうことも何度も書いていますね。


今また、「タイミング」について読み返したり、考えてみています。

「タイミング」って、「合わせようとする」というよりも。
「合った」という事実から入る、というのかな。


ぼくはまだ、シュタイナー教育については聞きかじった程度にしか知りませんが。
おもしろいなと思ったのは、たぶん「タイミング」の考え方、なのかな。

例えば、「出合わせるタイミング」とか、そのときの「出合わせ方」とか。
そこがすごく絶妙なんですよね。


一般的には、「いつ出合わせよう」というか、極端に言うと「早ければ早いほどいい」という感じ。

でも、シュタイナー教育では「いかに出合わせないでおくか」ってこともすごく重要。
ぼくは、そんな風に感じました。


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帰りに、同志社前駅から興戸駅へと歩く途中、見えた空。


ほんのちょっと「タイミング」がずれたら、出合わなかっただろうなってこと。
この数年、そんなことがいっぱいあったから。

このブログも、このタイミングで書きたかった。
書けないでいる記事も、それはそれで仕方ないんでしょう、きっと。


                    せれんでぃっぽ☆とむやん

〈メンドウ〉をおもしろがる。


今月は引っ越し準備やらなんやらで、やっぱりバタバタしそう。
書きたいことはたくさんあるけど。

今日(2019.1.11)はさらっと、メモ程度に。



何の為に生きるのか。
アンパンマンの歌みたい、ですけどね。

なぜ「身体」をもって生まれてくるのか。
そして、なぜわざわざ不自由な状況で、人生を送るのか。


あんまり、意味とか考えなくていい、とも思ったりもしつつ。

〈メンドウ〉なことって、実はそれを考える上でとても重要なんじゃないか。
そんなことを思ったので、書き残しておきたくて。



人と揉めたり批判されたり、人間関係ってわずらわしいことが多いけれど。
でも、結局「どこにフォーカスするのか」、なんでしょうね。

自分もすごく〈メンドウ〉なニンゲンだな、って自覚しているつもり。
ただ、そういう〈メンドウ〉な人ほど、おもしろいと思っていたりもする。

まあ、〈メンドウ〉にも種類があって、関わらなくていいものもあるのかも。
ここで言いたいのは、何でも「〈メンドウ〉だ」で済ませてしまうと、人生がつまらなくなる。

だって、言ってみれば「人生なんて〈メンドウ〉なことだらけ」だもの。


スポーツやゲームだってそう、〈メンドウ〉なときほどおもしろがれるかどうか。

大概「イヤだな~」って思っちゃうし、それがダメってことじゃなくて。
ゲームで例えるなら、「Normalモード」終えて、「Hardモード」に挑戦するように。

体験する、体感する。
ときには痛みを怖れず、行動する。

岡本太郎的に言えば、〈メンドウ〉な道にこそ挑む、みたいな。



と、ここまで書いてみて、調べてみた。
〈メンドウ〉と、わざとカタカナで書いてみたけど、「面倒」の語源は?

「ほめる」や「感心する」という意味の「めでる」から、という説と。
モノをもらったときに言う感謝の言葉「めったい」などから、という説と。

いずれにしても、感謝を表す言葉から、だそうです。
意外。

語源を知ると、ますます〈メンドウ〉が人生のカギなのかな、って思っちゃう。

「ままならぬ」を楽しむ。 - とむやんの氣まぐれ雑想記

最近では、こんな記事も書きましたが。

〈普通〉の人。 - とむやんの氣まぐれ雑想記

以前書いた〈普通〉についても、合わせて考えてみたいところ。


〈メンドウ〉なことを一緒に楽しめる人がいたら、それってやっぱり幸せなこと。
思えば、結婚だったり家庭だったり、チームってそういうことなのかもしれない。

今年はさらに、〈メンドウ〉をおもしろがってみたい。
改めて、そう思ったところです。

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(↑年始に行った科学博物館で撮ったもの、ちょっと幻想的でおもしろかったので)


                    せれんでぃっぽ☆とむやん

「考える」を考えてみる。


今日(2019.1.5)は「オルタナティブブックカフェ【ABC】」のこと。
そして、ナナイロつーしんのこと。

そこから、「考える」ということについて、考えてみたいと思います。


【ABC】は今まで、自宅アパートで開催したり、埼玉に帰省したときに実家の喫茶店でやらせてもらったりしていました。
cafe salon STILLROOMでも何度かさせていただき、でもこれまでは不定期開催。

それが、何きっかけだったのかは忘れたのですが。
サブタイトルを、「非常識」を楽しむための《ABC》にして。
昨年の6月から、第三火曜日に定期開催させてもらったのでした。

うずうずライブ。 - とむやんの氣まぐれ雑想記


8月はお休みしたので、全部で5回。
(8月は実家に帰省していたので、実家のカフェ・ド・アクタで開催)

それぞれのレポートも書くつもりだったのに、結局ずるずると年が明けてしまい。
せめて、全体の振り返りはまた改めてやろう、と思っています。


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さて、ちょっと間が空いてしまいましたが、ナナイロつーしんVol.24について。

読書の秋、ブックカフェABCのお誘い。 - とむやんの氣まぐれ雑想記

 

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実はまだ、一部しか読めていないのですけど。

ぼくは名刺代わりにお渡ししていて、今回川口にももってきています。
各所で配っていると、結構喜ばれます。


ぼくがいつも真っ先に読むのは、たーさんの文章。

今回は、映画『ハンナ・アーレント』のことなどが書かれています。

映画『ハンナ・アーレント』予告編 - YouTube


この記事の中や映画に出てくる、「思考」について。
個人的に思うところがあったので、ちょうどいいタイミングでした。


ハンナ・アーレントやたーさんが書いていること、その通りだと思います。
ぼくは一方で、現代の人は「考え過ぎ」の側面もあるのではないか、と。

そこはどちらかが正しい、もしくはどちらかが間違っているのではなく。
双方が馴染むような着地点があるはずで、それを探してみたいと思いました。



「食べる」ことの例えを並列させて、考えてみます。

現代人は何かと「食べ過ぎ/考え過ぎ」ていることが多いのではないでしょうか。
しかも、Too Muchな状態ってなぜかますます「足りない」と思ってしまうことも。

「これが食べたい」と欲する、特定の味だったり栄養素だったりがあっても。
感覚としては大雑把に「お腹が空いている」としか認識しなかったとしたら?

その必要としている味や栄養素を摂らない限り、いくら食べても満たされない。
そういう経験、ありませんか?


自分に必要なものがわかっていないうえに、とにかく「時間を掛けなさ過ぎる」。

たくさん食べているのに、ほとんど「咀嚼」をしていない。
本人は考えているつもりでいても、ゆっくりと「咀嚼」するような思考ではない、のかもしれません。

たくさん情報はあるのに、ほとんど「思考」をしていない。
そのうえ、他者の意見を自分の考えにしてしまう、そのことを本人は忘れてしまう。

それが極まると、アイヒマンの「命令に従っただけだ」になってしまうのでしょう。


そう言えば、「思考」という言葉は「考える」だけじゃないんですよね。
「思いを巡らす」ことも「思考」の大切な要素のはず。
食べることで言えば、「味わっていただく」という感覚でしょうか。

ところが、口当たりのいい噛まずに消えてしまうような食感ばかりがもてはやされる。
固いものや複雑なものは「食わず嫌い」で避けてしまうので、ますます偏っていく。



先ほどのたーさんの記事、2ページ目には書き起こしが載っています。
(映画『ハンナ・アーレント』の「最後の講義」シーンの文字起こし)

ソクラテスプラトン以来「思考」をこう考えます。》
《「自分自身との静かな対話だと。》


【ABC】では、度々「孤独」をテーマにしています。
そもそも、読書という行為は大抵、「孤独」が前提のもの。

「孤独」に向き合うこと、そうでなければ自分自身との静かな対話はできない。

そしてそれを外に表現すると、大抵「誤解」が生じます。
でも、そのうまくいかない状況もまた、とても重要な「思考」の過程。


【ABC】を始めたとき、そういう意識はなかったのですが。
本を読むという非常に個人的なことを、アウトプットできる場があるということ。
それは当然、すぐには馴染まなくて、だからこそおもしろいわけで。

「思考」って、孤独で育むのと、外に放つこと、それを交互に繰り返していく。
まるで、熱い鉄を叩いたり、急に水で急激に冷やしたりするように。

たぶん、「思考」を鍛えるのに、【ABC】という場はとてもよかったのではないかと。
少なくとも、ぼくにとってはそうでした。


そうやって考えると、やはり現代の多くの人が「思考停止」になりがち、なのかもしれません。
基本的には、こういうことってメンドウなことだから。

「考えること」に限らず、今の社会では多くの「スイッチ」をOFFにしていたり。
だから、「感じなさ過ぎ」だったり「憤らなさ過ぎ」だったり。


ぼくが「考え過ぎ」と感じたものは、考えるのをやめるべきというのではなくて。

そもそも、それは自分の考えなのか、そしてそれは何なのか。
考える以外にも、思いを巡らせたり、突発的に行動してみたり、別の方法はないのか。

自分自身にもっと問いかける必要があるんだろう、と思いました。


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まずは「孤独な時間」をつくること。
読書はきっと、その手助けをしてくれます。

その後、「誤解」や「摩擦」、もしくはうまく伝えられない、などなど。
そういう「歯応え」がないと、「思考」は活性化しないもの。



そうそう、自分の過去記事を見返してみたのです、検索に「思考」を入れて。
そしたら、自分では忘れているけど、同じようなことを書いているんですね。

話半分。 - とむやんの氣まぐれ雑想記

(↑二年くらい前にすでに、鵜呑み/咀嚼について書いていました)

話が通じない感。 - とむやんの氣まぐれ雑想記

(↑今またちょっと変わってきているので、改めて考えてみたいこと)

そうやって、繰り返し同じことを考えているというのも、これはこれでいいのかな。
それがある日突然、全然変わってしまうこともあるし。



最後はさらっと告知です。
と言っても明日の昼のこと、しかも関東でのイベントなので、意味はないかもですが。


オルタナティブ・ブック・カフェ
~非常識を楽しむためのABC~

場所:カフェドアクタ(埼玉県川口市
日時:2019年1月6日[日]
   13時から15時ごろ(出入り自由)
参加費:要ワンドリンクオーダー+参加費はハート♡マネーで。
   (あなたの直感・お氣もちで、お金でもお金じゃなくても)

埼玉・川口/オルタナティヴ ブック カフェ

(↑詳細やお問い合わせは、fbのイベントページへ)

この日のカフェドアクタは、通常営業お休みです。

カフェ・ド・アクタ|Home|


毎回、一応テーマを決めています。
今回は、「何か、新しいこと」。

今読んでいる本や、テーマに沿ったオススメの本、などなど。
テーマとちがっても、本をもってこなくても、大丈夫です。


                    せれんでぃっぽ☆とむやん

太陽に問う。


あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。

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(↑長男が年末につくった、白イノシシ)


このブログを初めてからは、4回目の新年。
その度に書いているかもですが、ぼくはできるだけ旧暦を意識したいと思っています。

でもそれはそれとして、新暦でのお祝いをしないわけではなく。
逆に「二度おいしい」みたいな感じでもいいかな、と。

これもまた以前、書いたことがありますが。
新暦元日から旧暦元日までの期間を、リレー走のテイクオーバーゾーンとして捉えて。

やり残したことやバタバタの年末を、そこで調整しようという企みです(笑)
(ちなみに、2019年の旧暦元日は2月5日だそう)



さて、今日(2019.1.2)は昨日できたオリジナル曲のこと。

昨年12月(2018.12.16)に行った「オーガニック&つながるマーケットしが」。
その中の野外寺子屋で、歌わせてもらった曲です。

ただ、そのときはサビと1番しかできていなくて。

先日(2019.12.29)、自分で企画した「滋賀暮らしの記録Ⅱ」というトーク&ライブを実家のカフェ・ド・アクタで開催しました。
そこに間に合わせたくて、曲の残りを完成させるためにギリギリまで練って。

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その日の朝、なんとかできあがって歌うことができました☆

ぼくは作詞をするとき、いくつかマイルールを設定していて。
安易に英語を入れないとか、同じ言葉を使わないとか。
あえてそれを外すこともありますが、基本はその制約の中でつくっています。

で、1番の中に同じ言葉が出ていたのに昨日氣付いて。
1月1日の昼間に書き直したので、これで一応完成です。

歌っている中で氣になるところが出てきたら、また微調整するかもですが。
(いつものように、ブログの最後に歌詞を載せておきます)



例えば、冬至

一陽来復」という、陰が極まり陽が生ずるという冬至を表す言葉があって。

太陽の力が弱まる時期だけど、逆にそこから復活してくる。
言ってみれば、落ちるとこまで落ちたら後は昇るしかない、という感じでしょうか。

クリスマスも、起源は冬至祭だった、なんて話もありますね。

元々は、冬至を一年の区切りとしたところも多いらしく。
この時期に「太陽」に関する曲をつくったのは、とても意味のあることのように思えてきます。



この曲は、まずタイトルが決まりました。
ある日、YouTubeを何氣なくスクロールして、見ていたら。

「太陽に問う」と見えた氣がして、スクロールを戻してみると。
実際には全然違う、「太陽」の文字はあったけど、漢字4~5文字のタイトルがありました。

つまり、見間違えから生まれたのです。
「太陽に問う」か、これはおもしろいなと。

サビの「太陽に訊いてみなよ」、後に「太陽に訊いてみればいいのさ」と少し変えて。
そこからメロディーが生まれ、歌詞を足していって。


説明するまでもないとは思いますが。
この歌は、「太陽」についてだけではなく。

太陽の塔」をもじったもの、掛け言葉的なタイトルです。
だから、岡本太郎さんや彼の言葉、生き方などを自分なりに盛り込んでみました。

まあ、ご本人には「ぼくとは関係ない」と言われるとは思いますが。

岡本太郎さんの本や言葉にかなり影響を受けたし、部分的に使わせてもらっています。
サビにはひとつ、言葉遊びを入れてみました、偶然なんですけどね。


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ただ、「訊いてみれば」は、『太郎に訊け』という本のタイトルから、ではなく。

というか、この歌詞が思い浮かんだときは、この本のタイトルを失念していて。
(だから、最初のメモには「訊いて」ではなく「聞いて」としていました)

もちろん、存在は知っていたし、部分的には読んだこともあったので。
どこかで憶えていた、その可能性はあります。


ちなみに「太陽の塔」、ぼくはまだ実物と対面していません。
大阪が近くなるので、今年は会いにいけるかな。

最近知ったんですけど、岡本太郎さんと信楽って、深い関わりがあるんですよね。
太陽の塔」の背面、「黒い太陽」は信楽焼のタイルでできていたり。

そうだった、昨年9月公開の映画『太陽の塔』、これも時期的には同時期でした。
タイトル自体は、この映画の予告編を観るより前、だったかな。
タイトルとサビとできてから、その後しばらく放置していたので。

またつくりはじめたのはマーケットの一週間か10日前くらいから。
構想からは長く掛かりましたが、着手してからはぼくにしては比較的早かったです。



このタイトルを思い付いた頃、「質問力」みたいなことにすごく興味がありました。
と思って振り返ってみたら、それ自体は結構前からのこと。

Let 'Em Eat Cake - とむやんの氣まぐれ雑想記


要するに、忘れていたんだな。
それが、司会をちょっとお休みしようと思った頃に、やっぱり「問う力」だよな、と。

遊びをせんとや - とむやんの氣まぐれ雑想記


上記のブログを見返したら、この時期の〈へいわのじかん〉のテーマがまさにそれ。
「耳を傾けること」、でした。

念頭にはミヒャエル・エンデの『モモ』のことがあったり。
今読んでいる本がまさにそのテーマなので、読み終えたらまた書こうと思います。


いずれにしても、この歌をつくろうとしていた頃。
SNSで、「自分はまちがってない」的な投稿を立て続けで見たりして。

自分もそういうマインドだったときがあるし、今も多少あるのかもしれませんが。
そういうときって、「自分だけが正しい」と頑なになりがちで、人の声が届かない。

そして、そこがある意味ウラハラで、おもしろいと思うのですが。
その「聞く耳をもたない」のって、自分に自信がないから、だったりして。
自信過剰のようでいて真逆、というか、そもそも両極が同じ性質だというか。

だから、こういうときこそ思い込みを捨てた方がいい。
せっかくのチャンスなんだし、「聞く/訊く」ことが大事なんだろうなって。


そんな経緯がありつつ、新曲『太陽に問う』ができました。

実は結構自信作なので、実家滞在の間にデモ動画を撮れたらと思っています。

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(↑次男が書いてくれたお正月の絵の一部、太陽と虹が描かれていました)


                    せれんでぃっぽ☆とむやん


太陽に問う

太陽に訊いてみればいいのさ
太陽に訊いてみればいいのさ

狭い枠の中で どれだけもがいても
行き着く先は たかが知れてる
人とちがう道を えらべば運命は
暗く輝き 絡み合う

なまぬるい風に流されて
何も感じなくなって いるのなら

太陽に訊いてみればいいのさ
太陽に訊いてみればいいのさ
世界中に大笑いされたって 平気で
自分のやりたいように やるんだ

夜が明けたらまた 生命(いのち)はよみがえる
目的なんて 別にいらない
だから今はひとり 自由にどん欲に
子どもみたいに 遊びたい

 間奏】

常識の頭、捨て去って
情熱の炎、飛び散って
燃えあがる 燃えあがる

正しさにばかり縛られて
大事なものうしなって 気付くより

太陽に訊いてみればいいのさ
太陽に訊いてみればいいのさ

 サビ】

自分のやりたいように やるんだ

太陽 太陽に問う
太陽 太陽に問う

学ぶ、遊ぶ、2019年の抱負。

今週のお題「2019年の抱負」


毎年恒例、なのかな?
今年も、「お題」で締め括りたいと思います。


昨年は、こんなことを書いていました。

ノッポさんになる。 - とむやんの氣まぐれ雑想記

ノッポさんになれたかどうかはわかりませんが、というかなれていませんが。

2018年は「よくやったなぁ」という感慨深さと。
「だからこそ、すごく楽しかったな」、そんな感じです。

そういえば、2016年最後の投稿はこんなでした。

2016年を振り返ってみる☆ - とむやんの氣まぐれ雑想記


この中で、しいたけ占いのことに触れています。
この頃知ったのだったかな?
いずれにしても、今も楽しみにチェックしています。

占いに対しては、それぞれ思うところはあるでしょう。
当然、あまりのめりこみ過ぎはよくないです、あくまでも人生を楽しむためのツール。

それを踏まえて。

2019年上半期しいたけ占い | VOGUE GIRL

踏まえてですが、すごい当たってる~(笑)

蟹座は2019年、【新しい楽しみに「オラオラ」言って向かっていくために、「今までの自分については、いったん大切に卒業させていただく」という周期】だそう。

参謀ポジションではなく、日々学んでいく殿様へ。



「学ぶ」ということ。
以前から、「この経験から何を学ぶのか」という視点はもっているつもりでした。

でも、ある本を読んで感化されて、最近また心掛けようと思っているところです。
その本については、また機会があれば書こうと思います。


ここ何年か、そして2018年は思い付きでも何でも、いろいろやってきました。
ときには「報われない感」なんかも出てきたりして、ブログにも何度か書いたり。

その「報われない感」が何なのか、今ならわかる氣がします。

それは、そこに学ぶべきことがあった、ということ。
当然薄々わかってはいたことですが、真っ只中にいると認めたくなかったりで。

「学ぶ」ということに深く関係しているのが、「遊び」。
遊びがなければ、学ぼうという意欲が湧かないもの。

遊びをせんとや - とむやんの氣まぐれ雑想記
(↑以前、こんなことも書いていました)


2018年から始めた〈へいわのじかん〉や、ハクハク茶小屋でのコーヒー担当。
試しに定期開催させてもらったブックカフェ【ABC】、そしてウクレレサロン。

自分がまず楽しめるもの、そしてみんなにも喜んでもらえるもの。
「楽しむ」という要素に不可欠なのが、「新しいことに挑戦する」こと。

この辺の流れは、また整理して考えてみたいことでもあります。



さてさて。
それなら、2019年に新しいことで楽しめること、何がしたいだろう?

ひとつは、ずっと「やりたい」と思っていたことなんですけど。

来年は、本を書きます。
吟遊ソングライターとしての、本。

ちなみに、なぜかぼくの周りで「来年は本を書く」と言っている人が何人かいます。


吟遊ソングライターと名乗るようになって、オリジナルソングもだいぶできました。
ありがたいことに、CDは?音源は?と聞かれることが多くなってきて。

たぶんだけど、それは「売りもの」としてではないけど、つくりたいなと思っていて。
なぜ「売りもの」ではないのか、そこは今回は詳しく書きませんが。
時代的には、そういう選択肢もありだろうなと、それが何となくの理由ではあります。

かといって、録音にお金だってかかるし、どうやって生計を立てるのか。
それで、本を書きたい、そっちを売りたい。

実際、採算とかまだ何も考えていません。
だから、どうなるのかはわかりませんが。

今の感覚として、書き残しておきます。

そうそう、友人が冗談半分?で「京田辺に行っちゃうなら、メルマガ配信してよ」というようなことを言っていて。
メルマガの形で書いて、書籍化するのもいいかも、ですね。

今のところ、まだ戯言の範疇ではあります。
でもきっと、学ぶこと、遊ぶことを念頭に、何かしらやろうと思います。

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(↑八丁堀で立ち寄ったギャラリー、外にはスズメたちが寄り添い合っていました)


あ~、まとまらない。
もうあと数分で年が明ける。

それでは、みなさまよいお年をお迎えください☆


                    せれんでぃっぽ☆とむやん

新しいことに、挑戦してみたいときには。


今日は12月30日。
ほんとにもう、あっという間ですね。

2018年の振り返りは、明日書けるかな。
今日はカフェスローのこと。



一昨日(2018.12.28)は、カフェスロー感謝祭&望年会に行ってきました。
カフェスローは、国分寺にあるオーガニックカフェ。

カフェスロートップページ|カフェスロー


関東にいるときは、イベントなどがあるとよく行ったりしていました。
よく、とは言ってもまあまあ遠いので、頻繁には行かれませんでしたが。

以前は府中の、どの駅からも遠い場所にあって。
そこも何度か行ったけど、やっぱり今の場所の方がだいぶ行きやすいなぁ。

そう、今の場所に移転してから10周年なんですね。

ぼくにとって、カフェスローはすごく大きな存在でした。
そのことを以前書いたはず、と思っていたら、下書きのままでまだUPできてない…。

SLOW DOWN その1 - とむやんの氣まぐれ雑想記

(↑これの続きで、カフェスローのことを書くつもりでした)


SLOW DOWNのその2はまたUPするとして。

今回ゲストは、スローコーヒーの小澤陽祐さんということもあって、是非行かねばと。
(スローコーヒーの珈琲豆で、いつも珈琲出店などをしています)



久々のカフェスロー。
滋賀に移り住んでからは、もしかしたら一度行っただけ、かもしれない。

で、それっていつだったっけ?と今調べてみたら。
なんと、ほぼちょうど1年前、2017年の12月27日でした。


カフェスローのスタッフさんもかなり変わったので、知っている方もだいぶいなくなりました。
当初からのスタッフさんと、もうひとりは元々フェアトレード関連で知り合った方。

そして、最近キッチンに入った若い男性は、たまたま日野の友だちから紹介されて。
二度目に会ったときに、「実はカフェスローで働き始めて」と聞いてビックリしたものです。


そうそう、カフェスローと言えばストローベイル。

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藁と土、自然素材でできた空間は、とても居心地がいい。

ぼくも何度かストローベイルWSに参加したことがあります。
残念ながら、カフェスローのWSには参加していませんが。



今回の食事メニューは、Thank youサンド。
天然酵母パンに、季節野菜のデリ数種類を自分で好きに挟むスタイル。

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コロッケが転げていますが。
どれもしっかりとしていながら優しい味、美味しかった☆

この日は、オーナーの吉岡さんの一日限定BARもありました。

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せっかくなので、ぼくもラム酒をいただきました。
ドライカレーのおむすびは別途注文したもの。

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イベントはゆるく進行していきます。
オープンマイクでは、カフェスローを取り巻く個性的&ステキな方々が紹介されて。

メインはサンキュートーク、テーマは「これまでのスローと、これからのスロー」。
小澤さんと吉岡さんのクロストーク

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ここでムチャぶりがあって、小澤さんがラップを披露することに。
実は小澤さん、ラッパーでもあるのです。

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DJは、松戸のレストランOrganic CAMOOの野菜ソムリエさん。

小澤さん、かっこよかったな~。
ご本人は歌詞を覚えてリベンジします、と言っておられましたが。



この会の本題は、カフェスローの「新しい挑戦」について。
さっきのThank youサンドの写真にも、ちょこっと写っています。

「カフェスロー発電所プロジェクト」/「カフェスローオフグリッド化計画」。
カフェの屋根に太陽光パネルを設置して、「発電所」にしてしまうという試みです。

カフェスローでもついこないだ、『おだやかな革命』の上映会などがあったばかり。
この映画はまさに、エネルギー問題からつながりや本当の豊かさを取り戻そうとする挑戦の話、でした。

はなうた交じりの、革命的な楽器。 - とむやんの氣まぐれ雑想記



吉岡さんのお話にもあったけど、カフェスローは常に新しいことを模索してきた存在。
ぼくもそういう点にすごく影響を受けたし、応援してきました。

このプロジェクトは、クラウドファンディングがはじまっています。

まちのみんなで自然エネルギーの恵みをシェアしたいから。 カフェスローに発電所をつくろう。 - クラウドファンディングのMotionGallery


今現在、残り8日で目標額まではまだまだという状況。
(プロダクションファンディングなので、目標額に達しなくても集まった金額がファンディングされるそうです)


「常に新しいことに挑戦する」ということ。
実は今年のはじめに、一年の抱負として書いていました。

New Year's Resolution - とむやんの氣まぐれ雑想記


一年間、ぼくはそんなスタンスでやってきたつもりですが。
今また更に、「何か新しいこと」というのがテーマとしてやけに聞こえてくるのです。

だから、吉岡さんの「カフェスローとして、新しいことにまた挑戦します」というような話を聞いたときは、ビックリしました。
ぼくだけじゃなく、周りの多くの人にとって2019年は転換の年になりそうなので。

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自分が変わる、これはもちろん基本中の基本。
ですが最初はなかなか、それがむずかしかったりします。

そういうときは、変わろうとするものや新しいものへの挑戦に対して、応援をする。
言ってみれば、そういうものに〈一丁噛み/いっちょかみ〉するわけです。

普段はあまり、いい意味では使われない言葉ではありますが。

そんなわけで、カフェスローの新しい挑戦、そんな観点からチェックしてみてはいかがでしょうか。
カフェスローに行ったことがなくても、〈いっちょかみ〉したことがつながり/ご縁をつくることにもなる。

実はカフェスローの移転の際には、ぼくも出資をしました。
だから、たまにしか行かれなくてもある種の「ホーム感」がある。

余談ですが、カフェスローのサイトにあるリンク集には、実家のカフェ・ド・アクタも入れていただいています。

カフェスローでつながる:おすすめスローサイト|カフェスロー




最後はちょこっと告知。

来年1月6日[日]に、実家のカフェ・ド・アクタでブックカフェイベントをします。
いつものようにゆるい感じで、13時から15時のあいだに来ていただければ。
ワンオーダー+イベントの参加費はハートマネーで。
(お金でもお金じゃなくても)

また詳細はUPします。

今回のテーマは「何か、新しいこと」。
この日は新月でもあるので、願いや抱負なども聞かせてもらえたらと思っています。


                    せれんでぃっぽ☆とむやん