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改めて。
7月21日はぼくの誕生日、45歳になりました。
今年もまた、お祝いのメッセージやコメントなどをたくさんいただきました。
ありがとうございます。
昨年はこんなことを書いていました。
44歳。 - とむやんの氣まぐれ雑想記
今年も子どもたちから、手づくりのプレゼントをもらいました。
ちょっと手抜き感…いえいえ、いつもが凝りに凝っているだけ。
今年は何かとみんな忙しいこともあって、それでも用意してくれて嬉しい。
ちなみに、手前が長男、真ん中が次男、奥が末っ子の作品です。
妻からのプレゼントは、一緒に奈良デートに行くこと。
奈良に行ったことは、また書くつもりでいます。
そうそう、今年の7月21日は参議院選挙の投票日でした。
それもあって、氣忙しい感じがあったなぁ。
ゆるい選挙ソング、つくってみました。 - とむやんの氣まぐれ雑想記
以前も書きましたが、それだけおもしろい選挙だったとも言えます。
そして、選挙ソングを急ピッチで仕上げたので、誕生日どころじゃなかった。
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誕生日についてはこれくらいにして。
今日(2019.7.25)は、先日家に来てくれた友人と喋ったこと、そこから考えたことを書いてみようと思います。
45歳の抱負、というほどではないけど、そういう意味も込めて。
奇しくも、一年前に書いた記事ともリンクしそうな内容です。
あなたがいたくないところに、いることはできない。 - とむやんの氣まぐれ雑想記
そういえば。
ここで紹介した本の著者であり、ビートルズのレコーディング・エンジニアを務めたジェフ・エメリックさん、昨年10月に72歳で亡くなりましたね。
では、本題。
「人に好かれたい」と思ったとき、あなたならどうしますか?
誰からも好かれたいとか、嫌われることを恐れるとか、そういうことではなく。
この人が好き、そう思ったらやっぱり同じように好きになってほしい。
恋愛に限らず、一方的に想うだけというのはやっぱりちょっと辛く感じてしまう。
でも一方で、相手にどう思われようと好きなんだからしょうがない、というのもあったりします。
それで、恋愛だと「好きです」と自分の氣もちを押し付けてしまって、かえって疎ましく思われてしまったり。
まあ、人によって状況はさまざま、なのでここでの提案が誰にでも有効かどうかはわかりません。
それでも、試してみる価値はあるかも、と思っています。
まず、以前「報われない感」について、何度か書いたことがあるのですが。
「報われない」と感じたときに、やってみること。 - とむやんの氣まぐれ雑想記
ここでも同じように、「与えること」がキーになってくるように思います。
相手に「好かれたい」という、見返り的なものをもらおうとするのではなく。
この人のために、自分は何ができるだろうと考えてみる。
例えば、いわゆる「聞き上手」になってみる。
場合によっては話を聞くこともない、ただ傍にいられたらそれでいい、とか。
だって本当に相手のことが好きなら、それを望んでいるはずなんだから。
自分をわかってほしい、よりも相手のことを知りたい。
自分のことはオープンマインドでいたら、それでいいだけのこと。
そうやって考えていったら。
人と同じことをして同じところに立って、というのはアピールとしては弱い。
もちろんそれは、ただ目立てばいいというのではなくて。
ほかの人のいない、もしくは氣付かない「隙間」を意識してみる。
例えるなら、「不毛の地」があったらそこで咲いてみる、という感じかなぁ。
ふと、『置かれた場所で咲きなさい』という本を思い出しました。
昨年開催したブックカフェイベントで、ぼくはこの本をいただきました。
タイトルにもなっている「置かれた場所で咲く」ということ。
これは実は、さっきの「不毛の地で咲いてみる」とほぼ同じ、とぼくは思っています。
「置かれた」という言葉のイメージが、案外人によってまちまちな氣がしますが。
まとめのところに書かれた文を読めば、理解が深まるはずです。
《境遇を選ぶことはできないが、生き方を選ぶことはできる》
「敢えて不毛の地」を選ぶということは、境遇としてではなく、生き方として。
草木のないところだからこそ、そこに花を咲かせたい。
自分がその花になれたらいい。
これは、岡本太郎さんの「いつも危険だと思うほうに自分を賭ける」に通じることじゃないかな。
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ここまで書いてはみたものの。
思ったよりうまくまとまらなかったなぁ。
いっそのこと、単純に「天邪鬼モード」を生活に取り入れる、のでもいいのかも。
「残りものには福がある」というのも、結構使える。
人と同じにならない練習、みたいなことかな。
人のいない隙間があったら、自分の「置かれるべき場所」かも、と思ってみる。
そこに行ってみてしっくりきたら、すぐに答えは出ないけど、居続けてみるとか。
まずは意識の問題。
やり方だって、人や自分の失敗したことを繰り返しても、ね。
ちょこっとずつ、やり方を変えてみる、まるっきり同じことをしない。
きっとその人を好きになった理由って、人とは違う部分に輝きを見出したから。
違いがあるって、やっぱりすごく大切なことだと氣付く。
次はこの辺のことを、以前書いた「迷いと決断」の話につなげてみたいと、秘かに目論んでいます。
今日書いたことも、また補足や修正を加えていくかもしれません。
せれんでぃっぽ☆とむやん