とむやんの氣まぐれ雑想記

〈探幸王〉を目指して、さまざまな想いを綴ります☆

チョコレートから思うこと。


今のこの感覚。
いつだったか、以前観た映画を思い出す。

『チョコレート一揆』という映画。

ACE設立15周年記念映画『バレンタイン一揆』特設ページ


「ごく普通の女子大学生」3人が、アフリカのガーナを訪れる。
カカオ農園での「児童労働」の現実を知って、ショックを受けて。
日本でもっと知ってもらうために、「チョコレート一揆」というアクションを起こす。
銀座の街頭でフェアトレードのチョコレートをアピールし、大勢で買いに行ったり…。

細かいところは忘れてしまったけど、そんなドキュメンタリーだった。

一般的には、フェアトレードのことや児童労働の問題を知る、そんな内容の映画なのだと思う。

でも、ぼくにとってはちょっと自戒的に、自分を振り返るための「モノサシ」として、心に留めている。


女性のひとりが、銀座で「チョコレート一揆」をするのだけど。
街行く人々はほとんど関心を示さない。

彼女はそのことに苛立ったのか、ただ悲しんだのか、無力感に陥ったのか。
細かくは憶えていないのだけど。
いずれにしても、自分も氣もちはすごくよくわかるシーンだった、と記憶している。

だけど、「ほんのちょっと前まで、あなたも街の人と同じだったでしょう?」なんて、イジワルを言いたくなったりもする。

言い方は悪いけど、自分のことは棚に上げて、人々の無関心に腹を立ててしまう。
そのことが非常に如実に描かれているようで、興味深かった。

それはもちろん、その女性を責めてるわけじゃない。
現実を直視して、アクションを起こしたことは本当にすごいことだと思う。

でもだからこそ、その街行く人々は過去の自分自身。
その「鏡」に向き合わなければならない。

そしてぼくにとっては、この映画がその「鏡」だった。


ぼくはガーナにも、それどころか海外旅行というものをしたことがない。
そんなぼくがフェアトレードの商品を買ったり売ったりしているのは、自分なりに考えた結果でもある。

その女性たちからしたら、児童労働の現実からしたら、その程度では「甘い」のかもしれないけれど。

現実にしても現場にしても、それは絶対条件ではない、とぼくは思っている。
もちろんその方が、リアリティに近付くチャンスは格段に増える。

ただ、〈当事者性〉はそれとは別で。
今いるところから、世界をいくらでも考えることができるはずだと、思う。

直接的経験だけが〈当事者性〉の条件だとしたら、みんなが悲しいつらい経験をしなければならなくなる。
それはある意味、その経験をしろと要求するようなもの。
結果的に、ぞれは悲しみの連鎖になりかねない。

そもそも、その直接的経験だって主観によって人によって、まったく違うものになったりするのだし。

繰り返すけど、それは何かに対してとか誰かを、非難したいんじゃない。
ただ、自分が正しくあることに振り回されていると、周りが見えなくなっていく。
安っぽい正義や正当性を、今度は振り回したくなる。

それよりは、自分の不甲斐なさや無力に、ただ寄り添うこと、その方がいいように最近は思ったりする。

チョコレートひとつ買うのに、何かを正当化する必要なんてない。

それは日々の中で、安易な情報に惑わされない訓練みたいなもの、かもしれない。
それが本当かどうか、もしくはたとえウソだとしても、それでもそうしたいと思うかどうか。

フェアトレードのチョコレートを買うことが、世界を変わるのか?
まあ、そうなったらいいのだけど。

チョコレートを買うことで何かが変わるとしたら、それは「自分自身」だ。


たとえば児童労働のことを知っても、いくらでもスルーできる。
でも逆に、知らないから平氣で買えるし、それを何となく知っているからこそ、「知りたくない」というバイアスがかかる。
それをブラックボックスにして、どんなチョコレートを買ったからいいとか悪いとか、そんなことを言っても意味がないはず。

人を見て自分を見てない、自分は悪くない、人の批判ばかりしてしまう、などなど。
そういうことを自分も何度も繰り返してきたから、とてもよくわかる。
だから、その後に波が引くように、虚しさばかりが残される、そこもよく知っている。

いいじゃないか、自分のしたいことできること、地道なことをしていけば。
タツムリの速度で、ちょっとずつ変化を受け入れていけば。
クリキンディのように、ひとしずくでも運べるなら。

フェアトレードのチョコレートを買うことの意味よりも。
チョコレートってこんなに美味しいんだって氣付かされたりして、それは自分を劇的に変えるかもしれない。

自分がどんな情報を選んで、信じるのか。
世界は見る角度によって、まったく表情が違う。

フェアトレードチョコレートの美味しさを知らないなんて、もったいないねって。
そのくらいの感覚の方が、世の中数倍楽しくなる。

知ってるか知らないか、それだけの違いだとしたら。
知らないでいる人を責めるより、知っていることを楽しんだり喜び合ったり、そっちの方が断然いい。

何度も言うけど、自分だって知らないことだらけだったし、今もきっとそうだ。
何かを知った途端、すべてをわかったかのように振る舞うなんてこと、自分としてはもうしたくない。



回りくどい言い方になってしまった。

時間は限られているけど焦らなくていい、いつでも振り返ることはできる。
自分の正しさなんて、主張しなくてもいいんだ。

でも一方で、あなたの感じたこと、怒りや悲しみや喜びや、そういうことは聞いてみたいと思う。
聞かせてほしい、もう誰も責めたりしなくていいから。


ふと思ったことを、チョコレートを例にしていろいろ考えてみた。
それがかえってわかりにくかったかもしれない。

たかがチョコレートに、何熱くなってんだ?って。
まあ、それはそれでいいのだけどね。

この流れで最後に、宣伝をするのはちょっと誘導的かつ強引過ぎるかな。


今日(2015.11.16)から三日間、ぼちぼちだけど自宅ショップをオープンしています。

せれんでぃっぽ☆中野アパートフェア。
ぼくたちが滋賀に移住してから4年、みなさんと出会えたご縁に改めて感謝しています。
ここで一度立ち止まって区切りをつける意味も込めて、在庫一掃セールをします。
(食品などはセール対象外)

また、火曜日には妻のメイコの「ゆっくり学校トーク」もあります。
11時ごろからお昼をはさんで13時ぐらいまで、テーマは「まなぶ」。
お昼はお弁当持参か、キシダ家土鍋ごはんとスープのセットをワンコインで。

明日は雨予報なので、15時くらいには撤収してしまうかも。
駐車スペースもないので、来られる方はご一報くださるとありがたいです。

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フェアトレードのチョコレートは乳化剤を使用しないので、冬季限定。
少量ですが今年も入荷したので、よかったら遊びに来てください。


                    せれんでぃっぽ☆とむやん