とむやんの氣まぐれ雑想記

“探幸王”を目指して、さまざまな想いを綴ります☆

Rival

誰かの助けを得たいなら、当たり前かもしれないけど、誰が味方かを見極めないと。
それなのに、誰かれ構わずあれこれ喋ってしまう、なんてことがよくある。

なんで自分は理解されないの?と思うときは、味方を味方につけていないから。
味方にならない人に、情報を洩らしていたりする。
それではますます味方がわからなくなり、かえって敵をつくることになったり。

敵を意識すればするほど、敵をつくり敵を増やす。

味方になってくれるのは誰なのか。
そのときの味方を意識すれば、お互いに力を集められる。
そこをしっかり見極めて、その人と有益な情報を共有するようにした方がいい。


たとえば、夫婦でケンカをして、友人にダンナの悪口を愚痴るとする。
離婚するつもりなら、それもいいかもしれないが。
そのつもりもないのに、あれこれ友人に喋ってしまうのは、結局自らを「間者」にしてしまっているということ。
間者とはスパイのことで、たとえ相手が友人でも、それは本当に漏らすべきことなのか?
そして残念ながら、ダンナの評価を下げれば、自分の評価も落とすことになる。

悪口や愚痴るのが悪いということではなく、相手を見極めてどこまで話すのか。

ライバルという言葉。
ラテン語で「小川」を意味するrivusから派生した言葉だ、というのを何かで聞いた。
調べてみると、最初は「同じ川を共有して使う仲間」、という意味合いだったとか。
ところが、その同じ川の利権を求め争う相手、を指すようになってしまった。

言葉の問題だけじゃない、味方を見極めていないと、協力するべき相手といつしか対立し合うことになりかねない。
逆に言えば、分断によって力を削ぐことも簡単だということ。
対立させられれば、コントロールされやすい、そのことは心得ておかなくてはいけない。

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氣付かないうちに間者になるのも、支配されることに甘んじるのも自由だけど。
それは自分の立場を弱め、価値を低くする。
それでもって、「誰もわかってくれない」と嘆くのは、何とも身勝手なのかもしれない。

「無敵」とは敵がいないこと敵をつくらないこと、これは受け売りだけど。
そしてきっと、誰もが本来は、敵なんていない「無敵」状態。

笑顔と感謝で、無敵の人生を行こう☆


                                                                     せれんでぃっぽ☆とむやん