とむやんの氣まぐれ雑想記

〈探幸王〉を目指して、さまざまな想いを綴ります☆

あとのまつりごと。


びっくりちゃっかり140万人しが県民集会、無事終了しました☆
この日(2016.5.29)も、たくさんの方に出逢えました、ありがとう♪

いつものイベントとはちょっとちがう、今まで交わりそうでまだつながっていない、そんな縁がたくさん袖振り合わせた一日だったと、個人的に感じました。

一つ前の投稿にも書いたように、ここからおもしろいことがますます拡がっていくでしょう。

一方で、これから日常の中で何をしていくのか。
そこがますますとても重要になると改めて考えています。


今日の市民参加型野外劇「米喰う花」の中の野外寺子屋で、『まつろわぬもの』を歌わせてもらいました。

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(↑この写真は集会の一週間前、「むすひ縁日」で歌ったときのもの、庭師だいすけさんが撮ってくれました☆)

そしてその前に、歌をつくった経緯のようなことを喋りました。

ありらん食堂などで、さまざまな楽器を操るオールラウンドプレイヤーのシンペイさん。
彼があるとき、たしかアーサー・ビナードさんのお話会のときだったか、井上ひさしさんの言葉を引用していました。
それがとてもいいなと思って、後でネットで調べてみたら、『ボローニャ紀行』という本の中にあると知って。
 
このところわたしは「平和」という言葉を「日常」と言い換えるようにしています。
平和はあんまり使われすぎて、意味が消えかかっている。
そこで意味をはっきりさせるために日常を使っています。
「平和を守れ」というかわりに「この日常を守れ」という。
 
これはもちろん、「平和」という言葉を貶めているわけではなくて。
昨今では「積極的平和主義」が真逆の意味合いで使われたり、この指摘は決して杞憂ではないなぁと。

そしてそれ以上に、「日常」というものの大切さというか、日々の暮らしをどうしていくのか。
最近改めてその重要性を考えています。

集会のチラシにもあったけど。
これからの「革命」は劇的ではない、「しなやかに始まるやわらかな革命」。

ゆるやかでやさしい変化。
当然それは強引でも暴力的でもなく、突発的でもなくなるだろう。
日々の中の何氣ないようなところからこそ、湧き上がっていく。

たとえば、野の花を愛でるひとときだったり、お茶をしながらのお喋りだったり。
繕いものをしながらだったり、みんなでご飯をつくりながらだったり。

ichi ichi PEACEの、「いちいち幸せ いちいち平和 それ、いちいち言うていこ。」もまさに、それ。

その中にある変革の風を感じて、そこを意識していくことこそが、これからの「革命」なんだろうと、ここ最近痛感している。

その流れの中で、ぼくは何ができるだろう?何がしたいだろう?と。
ひとつが、歌をつくること、だったんだろうな。


この日感じたこと、これからのこと、藤原先生のことや『ボローニャ紀行』のこと、そして歌のこと、そのへんはまた改めて徐々に書くことにします。
あ、ちなみに、今回のタイトルにはあまり意味はないですw


                    せれんでぃっぽ☆とむやん