とむやんの氣まぐれ雑想記

〈探幸王〉を目指して、さまざまな想いを綴ります☆

長男の誕生日に思うこと。


今日は6月6日、うちの長男の誕生日。

早いものでもう9歳、つまり父親というものになって9年が経つのか。

もっとも、父親らしいことをしてきた、というわけでもなく。
まあでもそういうものか、とも思う。

本当にさまざまなことを経験させてもらい、日々たくさんの氣付きをもらっている。

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長男が産まれたときには、まさか自分たちが滋賀で暮らすようになるとは夢にも思わなかった。

妻もぼくも埼玉の川口の出身で、長男も川口で産まれた。
その当時暮らしていた妻の実家の部屋での自宅出産。
あの頃はまだ不安なことが多かった。

ぼくは自分の実家のカフェを手伝ったりしていたので、そこに連れて行っての子育てが中心だった。
じぃじばぁばによく懐き、とてもかわいがられた。

だから、震災があったその年、移住に一番難色を示したのは長男だ。

つい最近までときどき、川口に帰りたいとぼやくことがあった。
滋賀に不満があるとかそういうことではなく。

滋賀に移住という流れは必然だったと思いつつも。
長男がそのことをどう受け入れるのか、そこは押し付けず見守るしかない。


先日の集会で、フリーライターの守田敏也さんとお話することができた。

いろいろな人から、すごい方だステキな方だと、噂には聞いていたけど。
タイミングが合わなくて、ちゃんとお話を聞いたりする機会がこれまでなかった。

実際、初対面でお話させてもらって、噂通りというか噂以上というか。
本質を突く視点と、それをやさしくわかりやすく語る姿勢、真のジャーナリストだ。

時間としては15分弱だったろうか、その間に多岐にわたってあれこれお話をした。

どんな話の流れだったか、滋賀に来て4年半だということ。
そのときはほぼ周りに友人知人がいないところから、自分たちも含めて急速につながりができてきたこと、などを話した。

そして、移住のきっかけは原発事故で、放射能汚染の心配ももちろんあったけれど。
それ以上に、「東京的なシステム」に疲れたというか、見切りを付けたことの方が大きかったことも聞いていただいた。

だから、関東にいる友人知人も、やり方やスタンスは違えど、結局はいろいろな方法で「東京的な暮らし方」から抜けたり、それを終わらせるために動いている。

嬉しいことに、滋賀移住とその動機について守田さんは「それはいい選択をしましたね」と、にこやかに言ってくださった。

守田さんが見ている、視えている世界はとても広いなと感じた、もちろんいい意味で。
移住の選択もそうだし他の話題でも、本質を見ているから話が早い。

(ちなみに、6月11日に甲賀市の宇川会館で守田さんのお話会があって、ぜひ行きたいと思っている。)



なぜ長男がぼくたちの元に産まれてきてくれたのか。
どうして自分たちは川口という地で生まれ育ち、なぜ滋賀に移住することになったのか。

自分たちなりの理由もいくつか考えられるし、でもそれは神さま(その存在がどういうものであれ)視点での意味がきっとあって。
そこはわからなくてもいいのかもしれない。

ただ今ある状況に感謝し、ありがたい(有り難い)ことだと噛み締めていくことが肝要なんだろう。

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↑これは次男が産まれた日の写真、滋賀に移り住んで間もない4年半前。


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↑こっちは1年半前、三男が産まれて何日か目の朝。


ぼくたちの元に産まれてきてくれて、本当にありがとう☆


                    せれんでぃっぽ☆とむやん