とむやんの氣まぐれ雑想記

〈探幸王〉を目指して、さまざまな想いを綴ります☆

本当に好きなことを歌う。


先日(2016.10.1)、近江平安教会でのライブで歌わせていただきました。
聴いてくださった方々、ありがとうございました☆

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(↑写真はこのライブを企画してくれた、しんぺいさんが撮ってくださったもの)


毎回思うけれど、人前で何かをするのって、やっぱりむずかしい。
そんなわけで、今回もまた課題は山のようにあるけれど…。

改めて思ったのは、そのとき聴いてくれている方たちに、どう楽しんでもらうかを意識する、ということ。
その点、今回かなり揺らいでしまった…。



と、ここまで弱氣なこと書いておいてなんですけど。
〈弱氣〉というのは本当に注意しなければいけない。
一度入り込んでしまうと、ズルズルと引っ張られてしまう。

よく例えとして登場するけれど、本当に「雪だるま」式に肥大化して抑えられなくなってしまう、そんな感じがします。

わかっているつもりだったけれど、今回また〈覚悟〉を新たにしているところです。
この〈覚悟〉とは、本氣で自分も人も生きていこう、生きていけるんだということ。
そのことに「目覚める」ことが、自分にとっての〈覚悟〉の一歩。



というわけで、氣もち切り替えて。
そのライブのときにも喋ったこと、ここに残しておきます。


最近、ネットでマンガがいろいろ見れるんですね、しかも無料で。
もちろん1巻だけとかだったりですが、それでもあれこれ試し読みできるのは嬉しい。

で、ついこないだ読んだマンガの中で、ちょっと氣になったセリフがありました。

そのマンガの主人公は、人氣バンドのメンバー。
でも、そのバンドがメジャーデビューするときに脱退してしまう。
けれど、その後もバンドに楽曲提供はしていて、という設定。

脱退の理由を、他のメンバーが言うには、「あいつは消費されたくないんだよ」だったかな、確かそんなセリフだったと思う。
商業主義な音楽業界に嫌悪しつつ、それでもそこに籍を置かざるを得ない、そんなジレンマを抱えている、というのかな。

だから、以下に引用するようなセリフが出てくるのも、よくわかる。

 【売れ出したアーティストはなぜ、エコとか世界平和だとか、「大きな愛」を歌い
 出すようになるのか。】
 【ぼくは世界平和よりももっと小さくて身近な歌をつくっていたかった】

ざっくり要約すると、そんなようなところ。

確かに、ヒットチャートを意識した今のミュージックシーンに疑問を感じるし、好感度重視の業界にも嫌氣が差すのもわかる。
そういう流れで、「世界平和」とか言われても、ってそりゃ冷めるかもね。

でも、ぼくが思ったのは。
「あぁ、それだけエコとか世界平和が、一般的には全然身近でも何でもないんだなぁ」って。
自分の生活や人生に、全然直結してとらえてないんだよね、フツーは。

このマンガがどうだとか言いたいのではなくて。
むしろ、このマンガは今の世間の「スタンダード」な感覚なんだと思う。

だから、この部分を読んで何か違和感をもつどころか、きっとすごく共感する人が多いんじゃないだろうか。
もちろん、そのつもりで作者も書いているんだろう。


街ですれ違う女性がステキだなと思うのと、沖縄にヘリパッドに反対して自然を守ってほしいと思うのと。
その愛に大きいも小さいもない、ぼくはたいして差はないと思っている。

実際、本当に尊敬できるミュージシャンやアーティストは、そんな線引きなんてなかったりする。
John Lennonは、War is overと歌う一方で、ヨーコの名を連呼する歌もあったりした。


このマンガ、無料なのは3巻までなので、その先は読めていないのだけど。
この主人公もどう変わっていくのか、変わっていかないのか、機会があったら読んでみたいと思う。
もしかしたら、作者は彼の変化を描いてるかもしれない、ぼくとしてはちょっとそれを期待している。
(なので、もし「あ、その先知ってるよ~」と思っても、ネタばらしはしないで~w)



そして今の自分は、本当に好きなこと、歌いたいことだけを歌える。
しがらみ的なものって、今の自分には基本的にないわけで、それはありがたいことなんだと、改めて強く思う。

もし今後、運命の悪戯か何かで超有名になることがあったとしても(ない、とは言い切れない、よね?)、このスタンスは変わらずにいたい。
もし違っていたなら、「あのときあんな風に書いていたのに」と、そっと指摘してもらえたら嬉しいな。
自分を見失うことは、誰にだってよくあることだから。


                    せれんでぃっぽ☆とむやん