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なぜか最近、タイトルが長めです。
先日、図書館で『奇跡のレッスン』という本を借りた。
「今日から理想の自分になる4つの法則」、というサブタイトルが付いてる。
著者はオグ・マンディーノ、『この世で一番の奇跡』という本をすでにもっていたので、これもおもしろいかなと直感的に手に取った。
読もうと思ったら…、あれ?なんだろう、この感じ。
そう、この『奇跡のレッスン』は『この世で~』の新訳版、つまり同じ本だった!
まあいい、違う訳でまた読んでみよう。
正直言うと、『この世で~』はおもしろいとは思ったけど、そこまで響いた感じがしていなかったから。
それはタイミングなのかもしれないし、新しい訳との相性がよかったのかもしれない。
この『奇跡のレッスン』は、とてもおもしろくて、響くポイントがたくさんあった。
この本は、メインテーマ以外にも楽しめる要素がたくさんある。
今回、カテゴリーに「book report」も入れてはいるけれど、ブックレビューというよりは、ちょっと脇道的な話。
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最近ふと、こんなことを思った。
自分の考えや感じたことに、支持や賛同を得たいと思うのは、ある意味自然なこと。
ただ、それって「諸刃の剣」でもあるんだよなぁ。
このブログを書いていて、「読んだよ」とか「今回のよかったよ」って言ってもらえると、やはり嬉しいしちょっと安心したりもする。
まあ、それぐらいならいいのかもしれないけれど、少し過剰にもとめてしまうときがあるなぁと、自己分析したりする。
そして、そういうときは決まって、ちょっと自己嫌悪的な氣分で落ち着かなくなる。
自分の主張というのを押し付けるというようなことは、基本的にしたくない。
普段はそう思っているはずなのだけど。
たとえ目の前の相手から全面否定されたとしても、「それはそれ」とは、なかなかいかないものだ。
自分としては、支持や賛同というよりも、「共感」的なものを大切にしたい。
若干のニュアンスの違いだけれど、その辺もまた関係してくるように思う。
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さて、先述の『奇跡のレッスン』にはいろいろな名言などが多数引用されている。
聖書の言葉も多く、今回氣になったのはこんな一節だった。
《「自分の義を、見られるために人の前でおこなわないように、注意しなさい。
もし、そうしないと、天にいますあなたがたの父から報いを受けることがないであろう。」》
(手元には今、『この世で~』しかないので、そちらから引用)
つまり、人に褒められようとしてやったことは、当然人に見られるようにやってしまう、それはあまりよろしくないのだろう。
神さまという存在をどうとらえるか、または信じるかどうかは別にしても。
本当に「いいおこない」はちゃんと報われるらしい。
ただ、人々から「褒められた」なら、それでもう「報われた」ことになる、完済したことになる。
うまくは言えないけど、何となくわかる、いやとてもよくわかる。
それで、自分の主張というのも、これにちょっと似ているんじゃないかって。
そうだとすれば、このブログをfacebookにシェアするのもどうなんだろう…?とか。
その辺はまだよくわからないし、今はそこは保留にしておこう。
歌も、秘かにつくってるものもあるけれど、基本的にはやはり発表したい。
支持や賛同をやたらともとめない、それを目的化しない、ってことが肝要なのかな。
このブログも、一応自分のメモのつもりだし、まあ支持や賛同を強引に取り付けるようなチカラもない。
でも、それでいいんだろうと思う。
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ふと氣付いてしまったんだよね。
賛同や支持は嬉しいけれど、それって全然新しくないって可能性が高いんじゃないか?
大抵新しいことって、周囲の理解が追い付かないもの。
だから、最初は案外批判だったり、反発だったりが多かったりもする。
そして、そんな意見はあまり氣にせず、自分を貫いたものが時代を変えていたりする。
先駆者が、のちのち多大な影響力をもつことがあるのは、それがただ人々の支持や賛同を得たのではなく、「報われる」ってことの一つなのかもしれない。
かと言って、それをまた見返り的にもとめちゃうと、遠ざかっちゃうんだろうけどさ。
せれんでぃっぽ☆とむやん