とむやんの氣まぐれ雑想記

〈探幸王〉を目指して、さまざまな想いを綴ります☆

ワクワクをわかち合う。


今日(2017.2.19)は第三日曜日、オーガニック&つながるマーケットしがに行きました。

先月のマーケットが雪で中止、企画されていた野外寺子屋も延期となり。
(昨日の記事も雪で延期って話、この冬なぜか週末に大雪になりますね)

タイトルがちょっと長くて。
「学び」をみんなで語ろう
子どもたちと一緒に「育ち学ぶ場」をつくるお母ちゃんたち座談会。

妻のメイコもトークのメンバーに加えてもらい、そしてなぜか直前にぼくが司会進行役を仰せつかり。
(なんだかんだ言って、案外こういう流れはキライじゃないのかも)


一時間ちょっとの間だったけど、とても実りの多い座談会でした。
何しろ、メンバーそれぞれがおもしろ過ぎた☆



トークの振り返りは、憶えていない部分も多々あるし、何しろ一時間分あるので今日のところはやりませんが。
そこからちょっと発展的に、思い付いたことを今回は書き残しておこうと思います。


今日のトークの中で、「頼る/頼らない」という言葉も、ちょっとしたキーワードとして出てきました。

言葉として、「委ねる」とか「任せる」とか、さまざまな言い換えもできるでしょう。
この辺はまた改めて整理できたらおもしろそうですが、今日はざっくりと。

今の社会では、政治も教育も誰かや何かに「頼り」過ぎている部分があるかも?
もっと自発的に、自主的にできることがある、やりたいことがある。
ここもざっくりですが、そういう流れから「自分たちで教育の場をつくっちゃおう」となったのは、ある意味自然なことかもしれません。

一方で、もっと他者に「託した」方がいいよねってことも、出てきている。

同じようだけど、ちょっとの違い、そこに「ズレ」があるように感じます。
(今日のトークの内容は、その「ズレ」を戻すヒントがたくさんあった)


今回のトークでも、「ワクワクすること」をやる、というのが大きなテーマとしてありました。
そういうことって、一人で背負うより「わかち合い」たくなるもの。
(独り占めしたくなるときもあるけど…、シェアして食べた方が美味しい、とか)

ところが、「やらなきゃいけない」ことは、「押し付け合い」になりがち。
そして、誰かが「貧乏くじ」を引かされ、誰にとっても後味の悪い結果になっていくことが多い氣がします。


最近騒がれている「PTA問題」も、庇護する側は「子どものために」と言います。
でも、本当にそうなのかな?
その「やらなきゃいけない」ことは本当に誰かのためになっているのか、「やらなきゃいけないこと」なのか、そこまで探ろうとしません。
結局、必要のない本当の意味での無駄なことを押し付け合う構図となる。

原発は、まさにその典型だったはず。
(ここも今日のところは掘り下げずにおきます)

「ワクワクすること」をやっていく、もしくは「ワクワクする人」がそれを請け負う。
そういう流れがいいと、氣付き始めている人が増えている。



前々回などに書いた、ドネーションのことなども、この辺と絡めてまた考えてみたい。
例えば、「貝=お金」で「任せる」というのが「賃」になる、そこから考えてみてもいいのかも。

それから、知り合いのご夫婦といろいろ話していたときにふと出てきた「わらしべ長者」の話。
そこから「わらしべ通帳」という、新しい(たぶん)地域通貨的なもののアイデアとか。

今日のところは備忘録に留めておくことにします。

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(↑写真はマーケットで食べたガレット、美味しかったな~♪)


                    せれんでぃっぽ☆とむやん