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今日、5月3日は憲法記念日。
せっかくなので、今日は「憲法」のこと。
「憲法」の話になると、決まって「憲法改正」論議になってしまう。
でも、そもそも「憲法」って何のためにあるのか、そこが案外語られない。
たとえば、第99条。
憲法を守る義務があるのは、天皇、大臣、議員、裁判官、公務員。
国民には義務はありません。
ぼくも、10年ほど前にこれを知って、とてもビックリした。
知ったきっかけは、『この国が好き』という、鎌田實さんの本を読んだから。
上の文章は、その本のオビに書かれたもの。
その本の「あとがきに代えて」の中で、永六輔さんが「99条が憲法の要」という話をされている。
ぼくの周りでは、それを知らない人はほとんどいないけど、今でも知らない人はたくさんいるし、知ったとしても頭の中が簡単には切り替わらなかったりする。
学校で、少なくともぼくはそういう風には習わなかった。
むしろ、「国民の三大義務」なんて教わり方をするから、誤解が生じるんじゃないだろうか。
(「義務」という言葉を、改めて考えてみたい)
そして、その「憲法」を守らなかった権力者はどうなるのか?
そこがイマイチわからないし、改憲論争の前にすべきことなんじゃないのか。
(「付随的違憲審査制」や「憲法裁判所」について、調べてみないとなぁ)
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最近では、タレントなどが不倫をすると、ものすごいバッシングするくせに。
憲法を無視したような発言や法案が、現政権では特にスルーされたりしている。
これじゃあ、ただの「正義の矛を振りかざした、弱い者いじめ」じゃないか、とさえ思う。
(そのことについては、また改めて掘り下げてみたい)
「権力」をもてば、誰だって暴走しがちなもの。
それによって、さまざまな歴史的悲劇が繰り返されてきた。
まず、そのことを知っておく必要があるんじゃないか。
そして、だからこそ「憲法」という、歯止めが大事なんだよね。
一時期、「ブレーキのない自転車」ってのが問題になったけど。
今はまさに歯止めの効かない、誰もブレーキをかけられない政治になっていて、それを許してしまっている状態だと言える。
本当にそれでいいの?
これからは、「上からのお達し(ちなみにこれは「重言」なのかな?)」で動くことをやめる、自分で考えて人や世間に流され過ぎない。
そういうことを踏まえないと、「憲法」の本当の意味が見えてこないんだと思う。
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考えていたことがいろいろあるんだけど、どうも思うようにつながらない。
たぶん、「憲法」そのものについてもそうだし、「人権」や「権利」について、まずはもっと考えてみたらいいんだろう。
それには、本当の意味での自主的な「憲法私案」づくりとか、できならいいな、なんてことも思っている。
(以前、「憲法」について書いた記事は、こちら↓)
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