とむやんの氣まぐれ雑想記

〈探幸王〉を目指して、さまざまな想いを綴ります☆

ドネーションのこと、ふたたび。


昨日(2017.12.3)も書きましたが、明日は「ブックカフェ」をやります。

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https://www.facebook.com/events/148722725888303/

「今回は誰のリアクションもない場合は中止にするつもりでいます」と書いたけど。
そして、今現在リアクションはないのだけど。


実は今日、満月マルシェに自転車で向かっている途中、自転車のクランク(ペダルの付いてる柄)がポロンと外れてしまいました。
幸いなことに事故にならず、家からそれほど遠くなかったので、自転車を転がして帰ってきて。

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そうやって、行こうと思っても行けないこともある。
今日はあきらめて、自転車整備したり、ほかのやろうと思っていたことをやったりして。
結果、それでよかったなぁと。

そんな一日を過ごしてみて、明日どうしようかなと考えていました。

普段のように、明日もSTILLROOMに行って、その時間を過ごしてみようかなと。
ブックカフェにはならなくても、元々自分がそこにいて楽しいと思える企画なのだから、とりあえずお茶しに行こう、と。

なんだか、そんな大袈裟なことでもないのに、あれこれ考え過ぎかもしれない。

でも、とりあえず明日はやってみて、それで今後どうするかまた考えようと思います。



ひとつ思うのは、「ドネーション制」というのが壁になっているのかな、ということ。
なので、「ドネーション」について、ちょっと書いてみたいと思います。


なぜ、ドネーション制で企画するのか。

ぼくが企画するものって、ちょっと「ゆるい」ものが多い。
人によって価値観や金銭感覚って、もちろん全然ちがうものだから、こういうものを「一律いくら」ってしたくないなぁというのがあります。

今は「労働」とか「所有」には相対的な価値基準みたいなものがある。
けれど、「共有」的感覚のものには、正直お金を払いたくない人も多いのかなぁと。

商品を見れば、だいたい検討がつくから、その値段に見合ってるかどうか判断できる。
けれど、「時間」や「空間」って、それがむずかしい。

だから、実際その場に居合わせてもらって、自分の感覚で値段を決めてもらえたらいいのかな、と。


もしくは、その「時間」や「空間」を共有する相手(この場合はぼく)に対して、支援的な意味で考えた方がわかりやすいかも。

心屋さんの本だったかな、「存在給」という言葉があって。
そこで言う「存在給」の意味は忘れてしまったけど。

たぶん、「存在給」は「固定給」とも「歩合制」ともあまり馴染まない、またちがう感覚じゃないかな。
ぼくなりに解釈すれば、「いてくれてありがとう」という氣もちに「色」を付ける。
数値化するわけじゃないので、必ずしもお金じゃなくてもいい。

今までも、お菓子を焼いてきてくれたり、その場のお勘定をもってくれたり、いろいろありました。

そして、おもしろいなぁと思うのは、「存在給」を考えたとき、相手へのドネーションは鏡のように自分への「存在給」にも関わってくるんじゃないか、ってこと。

値段が決まっている商品だって、提供する側と受け取る側の感覚がちゃんと釣り合っていればいいんですよね。
「高いなぁ」と思えば、買わないわけだし。
(でも他にないし、と渋々買うとしても、それもある意味「釣り合ってる」のかもしれない)


友人に先日聞いておもしろいなと思ったのは、酉の市などで売られている縁起熊手を、「値切って買わない」という話。
値切ると、夢や願いを小さく「見積もった」ことになるんだそうです。

お賽銭とかでも、同じ感覚があると思います。
そういえば、先述の心屋さんの本に、「お賽銭に一万円を入れる」という話もあったなぁ。


それとはちょっとちがうかもしれないけど、お布施の話。
お布施って、いわゆる「貧しい人から」お金をもらうんだそうです。

今はもうよく知られた話なのかな?
でもぼくはちょっとビックリというか、意外だなと。

理由を聞いたら納得だと思うのですが、貧しさとは「自分のためにしかお金を使ってこなかったこと」なんだそう。
だから、そういう人から1円でももらうと、その人は「他人のためにお金を使ったこと」になり、それこそが「豊かさ」なのだと。

普段の値段の決まったものに対しても、本当は同じなんですよね、きっと。
値切るのがダメってことじゃなく、買うときも氣もちよく払わせてもらうことが大切。

だから、値切るというのもお互いが楽しければ、アリなんだと思います。
(そんな話をひろさちやさんの本で読んだことがあります)


以上、ちょっとわかりにくいかもしれません。
そして、そうは思わないのなら、もちろんそれでいいです。

意味はわかったけど、それでもドネーション制に抵抗がある、という方がいたら、是非そう言ってください。
そこから、値切るのとは逆(なのか?)に、一緒に値段を決めても楽しいと思うし、あとでそれ相応のプレゼントをします、とかもいいかも。

ぼくもそうやって、「受け取る」修行をさせてもらっている、そんな感じです。

だから小銭を用意して、氣軽に参加してもらえたら、もしかしたら意味がわかってもらえるかもしれません。
こちらも、予定外にお札で入れたくなるような、そんな「ゆるい」けど「来てよかった」と思っていただける企画にしていきたいと思っています。


実験的にやってみている部分があるので、おかしいと思ったら指摘してください。
もちろんよかったことも、是非フィードバックしてほしい。

それもまた、ひとつのドネーションの形でもあります、たぶん。


追記:
自分でもすっかり忘れていたのですが、以前にもドネーションについて、書いていました。

ドネーションのこと。 - とむやんの氣まぐれ雑想記


10ヶ月ほどで、自分の認識がどれだけ変わったのか、変わってないのか。
また自分でも読み返してみようと思います。
(書き終えてから氣付いたくらいで、何を書いたかもう忘れてしまった)


                    せれんでぃっぽ☆とむやん