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「かけた情けは水に流し、受けた恩は石に刻む」。
以前読んだ本に出ていたんだったかな、そんな言葉を知った。
そんな風に生きられたら、と思う。
けれど、どうしてもまだまだ、今でも「拗ねて」しまうことがある。
他人から「理解してもらえない」とか、「評価してもらえない」とか。
あれして「くれない」、これして「くれない」。
でも、本当にそうなの…?
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この一年、いろいろなことを試してきた。
今年もブックカフェ〈ABC〉を何度かやったり、珈琲も出店やハクハク茶小屋で淹れるようになったり。
〈【個別的】くらしとせいじカフェ〉という思い付きや、〈わたし誌〉という超個人的な「メディア」とか。
ウクレレサロンも日野でやることになったり、ライブもいろいろなところで呼んでもらったり。
ライブは、コラボもたくさんさせてもらって、どれもすごく楽しかった。
そんな感じで、一年以上前からやってきたことも、着実にじわじわと発展してきていると思う。
(↑一年前の振り返りと比べると、よくわかる)
どれにしたって「絶賛」されたりするわけじゃない、当たり前だけど。
それでも、誰かが必ず「いいね」と言いに来てくれたり、することが多くなった。
それって、やっぱりすごいことだよなぁ。
今日(2017.12.14)も友人が、「〈リリくじ〉、いいね」と言ってくれて嬉しかった。
どんどん挑戦しながら、続けていく。
やらなくなったものもあるし、新しいこともどんどん思い付いたらやってみる。
毎日を実験的に遊ぶように暮らす - とむやんの氣まぐれ雑想記
(↑以前、こんな記事も書きました、まだ続きが書けていませんが)
「反応」が思わしくなくて、落ち込むこともある、寂しくなったりもする。
一方、「すぐに評価されるんじゃ、そんなに大したことじゃなかったのかも」なんて、考え直したりもする。
でもでも、不思議と少し経ってから、「あれ、よかったです」と声を掛けられたり。
このブログも、つい先日「ファンです」と書いてくださった方がいて。
しかも、こちらも常々ステキだな~と思っている人だったので、続けていてよかったとつくづく思ったり。
「くれない夜叉」歴がずいぶんと長かったぼくも、ようやく卒業できそうな感じ。
(元プロレスラーの紅夜叉とは関係ないですからね)
「夜叉」とは、古代インド神話に登場する鬼神。
鬼神だけど、人に恩恵をもたらす存在でもあるんだそう。
他人からの評価を求めたり、対価を欲したり、それ自体はもちろん悪いことじゃない。
だけど例えば、過去の自分の失敗を認めなかったり、一番最初に書いた言葉とは真逆の感覚でいたり。
別の例えで言えば、「いつまで謝ればいいんだ?」とか、「オレがやってやったのに」とか。
それって、やっぱり〈粋〉じゃない。
そんな生き方はしたくないよなぁ、と改めて。
最後に、ひとつだけ。
先日、カナダのジャスティン・トルドー首相が、「カナダ政府がかつて性的少数者(LGBT)を差別していたこと」を議会で謝罪した、というニュースを見た。
そして、下院議員たちは首相のこの発言を、温かい拍手で歓迎したという。
政治もそう、この国では〈不粋〉だなって思っちゃうことの方が残念ながら多い。
だからこそ、自分は自分なりの「粋」に生きていきたい、とつくづく思う。
せれんでぃっぽ☆とむやん