とむやんの氣まぐれ雑想記

〈探幸王〉を目指して、さまざまな想いを綴ります☆

New Year's Resolution


新年、あけましておめでとうございます。
2018年もよろしくお願いいたします。


本当は年越す前にもうひとつ、投稿するつもりでいたのですが。
あれこれやっていると、本当にあっという間です。

実際、2017年はかなり早かったなぁ。

一応、日頃できるだけ旧暦を意識しているつもりですが。
せっかく「区切り/句切り」があるのなら、それもまた活かしたい。

ぼくは何年か前から、新暦の元日から旧暦の大晦日までを「移行期間」的に捉えてみることにしています。
つまり、リレー走でいうところの「テイクオーバーゾーン(バトンパスを行う場所)」みたいなもの、かな。

Heart Of Gold - とむやんの氣まぐれ雑想記

(↑2年前にも、ちょこっと書いてました)


そんなわけで、年は明けたけれど。
2017年をちょっと振り返りながら、これからのことを考えてみたいと思います。


2017年にやってきたこと、今やってみたいことを、この機会に書き出してみたい。
ただその前に、改めて「2018年の抱負」に触れてみたいと思います。
前回も書いたけど、それはそれとして。



年末年始は実家で過ごすから、というのもあったりしますが。
実家の喫茶店での経験が今とても役に立っているなぁと、最近つくづく感じています。


カフェ・ド・アクタについては、前にも一度書いたことがありますが。

カフェ・ド・アクタのこと。 - とむやんの氣まぐれ雑想記


母が18年前に自宅の一角で始めた喫茶店で。
ぼくも一時期カウンターに入ったりもしたし、いろいろ手伝わせてもらいました。

今では若い人も来てくださるようになったみたいですが。
ぼくがいた頃は、大抵自分よりも年上の方ばかり。
それも、普通にいたら言葉も交わさないだろう、接点なんてないだろう人たちです。

けれど、話をしてみると、これがおもしろい。
接点が少ないなりに、あえて掘り下げて聞いてみたり、共通項を探してみたり。

たとえば、元新聞社の男性の方。
今もご健在なのかは残念ながらわかりません、あの当時でもご高齢ではあったので。
日本人にはちょっとめずらしい感じの、矍鑠(かくしゃく)とした紳士的な方でした。

その方はあえて、ぼくにいろいろ「質問」をしてくるんです。
「ともくん(とその方に呼ばれていました)は、○○についてはどう思う?」

ぼくが答えると、その反論だったり別の見方を、優しく的確に投げかけてきます。
あれはなんだか、「ぶつかり稽古」のようでした。

その方はそれを楽しんでいたようだし、ぼくも楽しかった。


ほかのお客さんも、基本的には話をするのが好きな人が多いんですよね。
大抵一人で来て、ぼくらや他のお客さんとのお喋りを楽しんでいました。

自分の意見をもつこと、相手の話を聞くこと、そしてそのバランスをどう取るのか。
もしくは視野を広くもって、自分にはない考え方を客観的におもしろがれるか。

いつの間にか、そういう「訓練」みたいなものを、させてもらっていたのです。



一方で、ひとりでいること、「孤独」がちゃんと好きになれました。
いつ誰とでも喋れるということは、かえって「孤独」でいることが大切だったり。
それについてはまた、別の機会に。


2017年の新年の抱負は、「常に変化して、新しい自分であること」でした。

旧暦新年の抱負。 - とむやんの氣まぐれ雑想記


ちなみに、上に貼り付けたのは「旧暦の新年の抱負」。
その中で、「新暦の新年のブログでもちょっと書いたのですが」と書いているのに、自分でその箇所が見つけられない…。

まあ、それはともかく。
「新しく挑戦していく」ことはこれからも続けていくのですが、2018年はますます〈実体験〉が鍵になっていく氣がしています。

〈実験〉的よりも、〈実体験〉。
失敗も含めて、リアルタイムに進行していく。

よりオープンマインドに、けれど自分のペースは確固としてもっている。
相手に対するリスペクトを忘れず、でもだからこそ尊重しつつ距離をもつ、etc.。

カフェ・ド・アクタで経験させてもらったことなどを土台として。
今年はさらにその上に建てるもの、目に見える部分に着手していく、そんなイメージ。

TVなどで「忖度」を茶化しておもしろがっている風潮とか、あれは自分にとっては間逆の感覚、と言ってもいいかもしれません。
当事者ど真ん中でありたい、そんな感じかなぁ。

ちいさな活動、ブックカフェであったり、吟遊ソングライターとしてのソロ活動であったり。
今まではそれを〈実験室〉として捉えて、そこに「社会科見学的」に来てもらう感覚だったのかもしれません。

今年はそれがもっと〈屋外〉になったり、〈SHOP〉になったり。
やっていることはもしかしたら、周りから見たらほとんど変わらないかも?
でも、要は自分の〈心構え〉の問題なのです。



まとまらないふわふわしたものを、綿菓子(綿飴といったら関西では通じないことが多い)のようにからめとっていく。
なので、今日のところは荒削りのままにしておきます。

いずれにしても、「実際に会いに来ました」と言ってもらえる、そんな状況をつくりたいんだろうな、きっと。
(余談だけど、今話題のウーマンラッシュアワーの村本さんも、その辺を突いているんじゃないか、と)


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写真は、うちの次男がお正月に書いてくれた「犬とトンビとカラス」。


                    せれんでぃっぽ☆とむやん