★
視点や感じ方を変える、真逆の経験をしてみる。
自己中心的な考えや、常識に捉われていたり、そんな自分への「縛り」を外してみる。
たとえば、オーストラリアやニュージーランドでお土産として売られている地図。
そこに書かれた「no longer down under」。
自分にとって、膠着しやすい意識を再確認するための、ある意味象徴的な〈踏み絵〉的存在だったりする。
今朝(2018.1.4)、何氣なく実家の部屋の壁を見たら、その地図が貼ってあった。
そういえばあったんだっけと思いながら。
よく見れば地図には違和感が、ある?ような、ない?ような。
確かお土産でもらったもの、だったと思うけど。
そのニュージーランドの地図が〈逆さま〉に貼られてしまっている。
つまり、「New Zealand」も「no longer down under」も、それぞれの国名の文字も、みんな〈逆さま〉になっているわけ。
〈逆さま〉にわざわざつくられた地図なのに、これでは「形無し」だろう。
この発想は、自分にはなかったなぁ。
たぶん、母はこの地図の意味を知っているはずだ。
知った上で、見慣れた形、落ち着く形に貼っているんだと思う。
〈逆さま〉を、また〈逆さま〉にする。
それじゃあ、最初のままだ、と思うかもしれない。
けれど、その過程とひっくり返ったままのアルファベットにこそ、意味がある、のかもしれない。
★
いつだったか、ウクレレサロンに参加してくれた女性が二人、意気投合していた。
音楽の趣味が結構似ているみたいで、そしてある歌の話で盛り上がっていた。
ところが、ひとりはその歌詞は男女について歌っているといい、もうひとりは同性同士のことだと思っていた、と。
どちらが正解というわけじゃない、もちろん作詞した人には意図しているものがあるのだろうけど。
歌にしたって何にしたって、受け取り手の解釈は自由だ。
そう、それがかえって、話を盛り上げていたんじゃないかと思う。
★
昨年末12月5日、cafe salon STILLROOM(滋賀県栗東市)で、ブックカフェをさせてもらった。
(嬉しいことその1、入り口にお知らせを出してくれていたこと)
(嬉しいことその2、机には本がずらり、「一日ブックカフェ」になっていたこと)
この日は「BROOCHES」という ビーズ刺繍などをされているKumiさんが来てくださり、水木しげるの『猫楠 - 南方熊楠の生涯 - 』をもってきてくれた。
(ブックカフェでは、任意で紹介したい本などをもってきてもらっている)
Kumiさんには何度かお会いしたことはあったけれど、お喋りをする機会はなかった。
それが、水木しげるが好きで、南方熊楠が好き、とは!
もちろん、そのマンガに出てくる台詞などにも共感するところがあるということで、もってきてくれたのだけど。
ある種のギャップ、だけどそれで一氣に親近感がわく。
ぼくも『猫楠』は読んだことがあったのに、彼女が示してくれた台詞のところは、まったく記憶になかった。
そういう人それぞれの読み方が見えてくるのも、ブックカフェの醍醐味だと思う。
これには後日談があって。
このブックカフェに、KumiさんはSTILLROOMの「珈琲一杯」をドネーションをしてくれた。
ちなみにこの写真は、店主のちすずさんがそのことを忘れないために、さっとメモしたもの、だそう。
なんとも格好いいチケットなので、撮らせてもらった☆
それで、その数日後にたまたまKumiさんとお会いしたときに、〈リリくじ〉を引いてもらった。
(〈リリくじ〉は、ぼくのオリジナルソングの歌詞の一部を書いた、おみくじのようなもの)
それで、またまた数日してお会いしたときのこと。
(そうそう、この月はなぜか遭遇率が高かった、〈ご縁〉があるのかなと勝手に嬉しくなってしまう)
引いた〈リリくじ〉には、『Slow Walker』という曲のサビの部分が書かれていたと言う。
ぼくは のんびりと行くよ
だから お先にどうぞ
それを見て、Kumiさんはちょっと悲しくなった、と言うのだ。
ぼくは正直ビックリして、いろいろ聞いてしまった。
だって、自分は『Slow Walker』に悲しい要素を盛り込んだつもりがなかったから。
でも、聞いてみて、なるほどな~と思った。
もちろん、歌詞の一部を抜き出したから余計に意味が変わる、というのはあるかもしれない。
それにしても、解釈というのは本当に人それぞれだなぁ、と感心してしまった。
Kumiさんの感性を否定するつもりは、もちろんまったくない。
むしろ「それがおもしろい」と感じて、あれこれと聞いたり、自分があの歌詞を書いた意図を話したりした。
「こういうつもりで書いたのだから、こう思ってほしい」ということでは、ない。
こちらの意図とは異なる解釈があるというのは当たり前にあると思いながらも、自分にとっては意外な盲点を突かれた感じがする。
スポーツやゲームなどの競技のおもしろさも、共通したものがあるかもしれない。
自分の想定と違う動きを相手がするのでなければ、つまらないだろう。
競う競わないに関係なく、そこを探り合ったり予測したりする楽しさや、慌ててみたり余裕で返したり、そんなことがおもしろいんだと思う。
★
100人いたら100通りの感性がある。
それは、経験というものはある程度共有できたとしても、やっぱり捉え方で違ってくる。
たとえば、ひとつ前に書いた記事のように。
同じ映画を観て、違う感性を確かめてみるのも一興。
もしくは、ぼくが企画する【ABC】というブックカフェのように。
同じ本を読んだわけでもない(たまたま読んでた、ということはあっても)不特定多数が集まる、その「読めない」からこその展開を楽しむ。
さまざまな経験を経て、多種多様な感性をもち、その人たちがふらりと集まる。
その集まりの場で、異なる感性を「交流」させることで、自分はしないかもしれない経験を垣間見させてもらう。
映画を観たり小説を読んだり、それ自体が「異なる感性」「異なる経験」の「交流」だとも言える。
★
さて、まとめどころがわからなくなってしまった。
最後に恒例?の告知。
明後日(2018.1.6)は埼玉・川口の実家、カフェ・ド・アクタで「オルタナティヴ・ブック・カフェ【ABC】」を開催する予定です。
氣構えることなく、だけどある意味刺激的なイベントになるはず。
来てくださる方によって雰囲氣も変わるし、でも毎回それぞれおもしろいんです。
是非、遊びに来てみてください。
せれんでぃっぽ☆とむやん