とむやんの氣まぐれ雑想記

〈探幸王〉を目指して、さまざまな想いを綴ります☆

話が通じない感。


先週の木曜日(2018.6.15)、自宅で〈へいわのじかん〉を開催しました。

やっていること一覧。 - とむやんの氣まぐれ雑想記


今回は少人数でしたが、ゆっくりと濃い話ができて、本当に楽しかったです。

しかも、参加された方がマクロビ仕様のスコーンを焼いてきてくださって。
紅茶を淹れて、ティータイムを楽しみながらの〈へいわのじかん〉。

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今回は、「耳を傾けること」をテーマにしてみました。

今、妻が長男に『モモ』の読み聞かせをしている、そんなタイミングでもあったので。
(妻曰く、声に出してより味わう体験をしている、とのこと)

「モモ」を読んで・子育てヒント2 | メイコのブログ MANABUCLASS -学ぶ・暮らす-


ぼくは、『モモ』は最近になって一度読んだだけなので、また読んでみたいです。
そして、〈へいわのじかん〉番外編で「モモトーク」をしてみたい。

〈時間〉というもの。 - とむやんの氣まぐれ雑想記



で、なぜ今回のテーマを「耳を傾けること」にしたかというと。

特に最近、「話が通じない」というようなことが、何だか多く感じるのです。
「話が通じない感」、と言った方がいいかも。


ぼく自身、まだまだだな~と思う部分も多々あります。
でも、以前の自分と比べたら、格段に「聞ける」ようにはなっていると思います。

まあ、逆に言えば過去、あまりにも「聞けて」いなかったのです、実は。


その原因となるのは大抵、「相手との違いを埋めようとする」こと。
「埋めようとする」こと自体は、決して悪いことではないのだけど。

問題は、自分の意見や主張を押し付けてしまいがちなこと。
そして、相手のは受け入れずに否定したり、変えようとしたりしてしまうこと。

これでは溝が埋まるどころか、壁さえつくってしまっている。
溝にしたって、埋めずにそのままの方がいい場合もあったりします。


ちなみに、これを解消するために、ぼくが最初にしたこと。
それは、話し始めるときに、「いや」とか「でも」を使わないこと。

否定から話を始めたら、「自分の意見を曲げる氣がない」って捉えられても仕方がないですよね。

だけど、これって本当に最初から相手の話を聞く氣がないかと言うと、そうでもない。
ただクセになっているだけ、だったりします。

とは言っても、この「クセ」がまさに「くせ者」。
当たり前に使っていると、思考まで実際にそっち寄りになってしまう。
少なくとも、ぼくはそうでした。

なので、そこを意識して変えただけでもすごく効果があったと思います。
否定から話し始めない、ぼくもまだ完璧にはできていないかもですが。
おもしろそうだなと思ったら、是非試してみてください。



さて、先ほど「話が通じない感」を多くの場面で出てくる、と書きましたが。
それは、相手をどうにかしたいとか変えてやろうとか、そういうことではなくて。
まあ、「歯がゆさ」みたいなものは感じたりしますけど。

それが何なのか、自分にとっては考えるいいきっかけになっています。

「話が通じない感」は、面と向かって人と話すとき、というよりも。
TwitterだったりSNSだったり、特にネット上ではそれを強く感じたりします。
相手も友人ではなく、見ず知らずの相手。

まあ、知らない相手なんだから、そうそう簡単に話が通じたりはしない、それは当然かもしれません。
でも、何だかそれだけじゃないような、そんな氣もして。


先日STILLROOMで開催したブックカフェ。
(報告はまた改めて書くつもり)
参加してくださった方から、こんな言葉を聞きました。

【人飲食せざるは莫(な)し、能く味を知るもの鮮(すくな)きなり】
北大路魯山人の本に出てくる、孔子の言葉なんだそう。

つまり、「人は誰でも食べたり飲んだりするのに(しない者はいない)、ちゃんと味を知る者は少ない」ということ。
これは、「話を聞く」ということにもすごく当てはまるなぁ、と。


実際、この日の〈へいわのじかん〉に参加してくださった人とは。
お互いに「ジャッジ」したりするのではなく、考え方や価値観を受けとめ合う感じで。
すごく心地のよい時間と空間、になったのです。

そしてとても嬉しいことに、こんなことを言ってくださっていました。
「〈へいわのじかん〉みたいに、言える場が増えてきた」と。

ぼくもまた、そういう感覚がよくわかります。
だからこそコントラストとして、SNSの世界とかがすごく遠く感じてしまうのかもしれません。

それは、SNSがダメとかそういうことではなく、あくまでも付き合いかたの話。
結局のところ、「楽しんで」やっているかどうか、ですよね。

そうそう、「耳を傾ける」というテーマにしたものの。
話を聞いたり相手を受けとめるのって、耳だけでするものじゃないなって。
当たり前かもだけど、改めてそんなことを思いました。

ガマンやストレスが腰痛の原因になったり、そんな話も聞いたことがあります。

〈へいわのじかん〉では結局、まずは自分との対話、ということに辿り着くのですが。
自分の「ワクワク」や、その逆の「ガマン」を無視している人は、そもそも対話自体を求めていないのかもしれません。

今のところ、〈へいわのじかん〉ではそこがうまく流れていて、とても嬉しい。
一方的に喋ったりする人もいないし、意見が対立することもない。
(ヘタすると、ぼくが一番喋ってたりして、要注意かも(笑))

もちろん、違う意見が出ていい、出る方が楽しい。
だけど、すぐ拒否反応を示して、「否定された」と捉えちゃう人が多いみたい。

あまりにもひどい言葉だったり、そういう場合はスルーするかもですが。

他者の意見を聞きたくない人はそもそも対話を求めているわけではないので。
わざわざ〈へいわのじかん〉に来たりしないでしょうし、その方がありがたい。


伊藤詩織さんが、ノルウェースウェーデンのTV番組に出演されている動画で。
「言いたいことは何でも言えるんです、今はロンドンに住んでいるから」
「私にとって、居られる場所があり、話せる自由があるのは素晴らしい」

この国に望みがないとは言わないけど、相当「末期」だと思っています。
だからこそ、地道に「楽しいことをやって」いきたい。
それが自分にとっての「抗うこと」なので。


                    せれんでぃっぽ☆とむやん