とむやんの氣まぐれ雑想記

〈探幸王〉を目指して、さまざまな想いを綴ります☆

ちょうどいい、を考える。


昨日(2018.8.6)から、埼玉の実家に来ています。
子ども3人と青春18きっぷの旅、もう何度目だろう?

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子どもたちももうすっかり慣れっこで、10時間の行程も比較的すんなりでした。

と思ったけど、今日はぼくだけひとり実家で休むことに。
(子どもたちは上野のかはくへ、両親が連れて行ってくれました)

昼過ぎにちょこっとだけ、実家の周辺を歩いてみましたが。
その辺のことは、また改めて。



山本珈琲倶楽部のマスターが、前回のブログをfbでシェア、コメントもくださって。
せっかくなので、〈ちょうどいい〉について書いてみます。

そもそも、「ちょうどいいお店」って何なんだろ?って話ですよね。
お題なので、とりあえず書いてみたものの。


たとえば、どこか普段あまり行かないところに外出したときとか。
そういうときは大抵、前日とかに調べてみたりします。
「カフェ ○○駅」とか、その周辺のmapを見てみるとか。

スマホがあればいいんでしょうけど、でもそれはそれで楽しかったりします。
だから、あえて調べずに「行き当たりばったり」に賭けることも。


結論から言うと、「ちょうどいいお店」だったなってこと、3割くらいなのかな。

そもそも「なかった」とか、その日は残念ながら「お休み」だとか。
結局都合付かなくてってこともあるし、行ってみて「悪くはないけど」ってことも。


カフェとか喫茶店って、ぼくにとっては点数付けられるものじゃない、上下がない。
「人」だってそうだけど、「能力値」で友だちになったりするわけじゃない。

逆に、味も美味しいし、インテリアも好きだけど、お店の人がつっけんどんだったり。
そんなときは他が全部プラスでも、一氣に冷めてしまったりもします。

結局のところ、「フィーリング」。
いわゆる「氣が合う」とか「波長が合う」ということ。

これには、自分の波長も高めていく必要があるんだと思います。

紹介した2つのカフェに関係している、野洲のル・シエルさん。
メールでやりとりしていた中で、こんなことを仰っていました。

「みんなが自然と幸せになっていける世の中になっていけたらと思っているんです」

実際、ル・シエルのパンやケーキは、本当にそういう〈しあわせ〉そのもの。
まさに〈ちょうどいい〉とも言えるし、まだまだその域にはぼく自身は行けていませんが。

すばらしいなぁと思ったり、美味しいなと思ったりすることが、そういう感覚を少しでも共有できているのだとしたら。
それが「ご縁」だったり、何かしらの要因で、〈ちょうどいい〉感じでぴたっとハマるのかもしれません。

〈しあわせ〉と〈ちょうどいい〉って、密接な関係がありそう。
〈ちょうどいい〉を掘り下げてみると、案外おもしろいですね。


追記
このブログの「記事を検索」で〈ちょうどいい〉を見てみたら、結構使っていました。
その中でも、一年半前のこの記事は特に、今日書いたことともリンクしているかも。

不マジメのススメ。 - とむやんの氣まぐれ雑想記



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