★
埼玉の実家に帰るときはいつも、いろいろとイベントを企画しています。
そんなわけで、まずは告知。
①8月11日[土]13時~18時のあいだ
「オルタナティブ・ブック・カフェ《ABC》」
②8月16日[木]15時~18時
「へいわのじかん ライブ+サークルタイム」
③8月17日[金]
「まなぶくらす@カフェ・ド・アクタ」
③
「まなぶくらす」は、ぼくのパートナーのメイコが主宰する学び場。
この日、ぼくと子どもたちは滋賀に帰るのでいませんが。
1時間目「わらべうたとおはなしのはなし」
2時間目「おうちでたのしく漢字学習」
3時間目「数のアート」
②
「へいわのじかん」は、対話やパートナーシップについて話したり、そんな時間/空間を共有するイベント。
今回はゲストありライブあり、ちょこっとスペシャル版です。
①
そして、「オルタナティブ・ブック・カフェ《ABC》」。
ゆるゆると「本」のこと、そこから脱線して日々のこと。
今回は営業中のカフェの片隅で開催する形。
★
このブックカフェは、滋賀ではスティルルームで定期的に開催させてもらっています。
前回は7月17日、8月はお休みして、9月は18日を予定。
(どれも第3火曜日)
カフェ・ド・アクタの8月と、スティルルームの9月。
どちらもテーマは、「さみしさの論理」です。
(そのタイトルでオリジナル曲をつくったり、ブログも書きました)
今日(2018.8.8)書こうと思っているのは、前回7月に開催した《ABC》のこと。
テーマは、「自由にこんがらがって」でした。
これも実は、オリジナル曲のタイトルにするつもりで、まだできてはいないのですが。
いずれにしても、〈自由〉というのはなかなか一筋縄ではいかないテーマですよね。
7月17日、cafe salon STILLROOM。
いつものように、入り口に看板を出してくれていました。
ラズベリーヨーグルトと。
クリームエリカと。
そして、この日ぼくがもっていった3冊の本。
『砂の女』安部公房
安部公房の名前はさすがに知ってはいましたが、読んだことはありませんでした。
代表作のひとつで、海外での評価も高いそうです。
確かに、今読んでも古さを感じさせず、あっという間に読んでしまいました。
『大事なものは見えにくい』鷲田清一
鷲田清一さんは以前から氣になっていて、やっと読むことができました。
哲学だけど、エッセイ形式なのですごく読みやすいし、どれも頷くことばかりです。
『不自由な男たち』田中俊之×小島慶子
小島慶子さんの本を読んでみたくて、一番氣になったのがこの本。
男性学の田中俊之さんとの対談で、これまた「そう、それそれ」と思うことがたくさんありました。
後半、結論のようなものはあまり出てこないのだけど、かえって自分たちのこととして捉え直しするといいのかもしれません。
前回の記事で、〈ちょうどいい〉について書きました。
〈自由〉というのも、ちょっと似たところがあるかもしれません。
中道というか、バランスの取り方というか。
『砂の女』もそうだけど、案外〈自由〉っていうのは「脅威」になってしまう。
不自由はイヤなのに、籠の鳥として飼い慣らされている方がラクに思えたり。
鷲田先生のように、〈自由〉を改めて定義してみるのがいいんだと思います。
人によって、認識も求めているものも全然違うから。
自分の不自由さを呪いながらも、一方では〈自由〉を怖れる、のではなく。
自分がどれだけ、どんな風に不自由なのかを認知してみる。
そのためには、『不自由な男たち』のような対談を、みんなでもっと日常的にやっていく必要がありそうです。
井の中の蛙のようにすごく狭い常識に捉われていないか。
かといって、いきなり大海原へ漕ぎ出していけ、ということではもちろんなくて。
★
そう言えば、最近YouTubeで井上陽水の動画をいくつか観ました。
45年前、『氷の世界』が日本初のミリオンセラー・アルバムに。
『氷の世界』は知ってましたけど、そんな記録的なアルバムだとは知りませんでした。
なぜ、このアルバムが売れたのか。
作家の伊集院静さんは、若者にとっての不条理で溢れていた時代、「自分たちの目の前の不条理を歌ってくれた」からだと分析されていました。
『氷の世界』もそうだし、その後もある種の「天邪鬼精神」を貫いているというか。
ご本人は「へそ曲がり」だと自己分析しているみたいですが。
糸井重里さんとの対談番組で、糸井さんはこんなことを語っていました。
「一番大事だと思うことって、答える力じゃなくて、問題をつくる力」
「井上陽水自身、絶えず疑問を抱えてて、次々泉のように疑問を生むんですよ」
考えてみると、〈自由〉というの同じかもしれません。
答えをすぐに求めてしまうけど、実は疑問を抱き続けることこそが〈自由〉なのかも。
それは「哲学」のあり方ともリンクするんじゃないでしょうか、たぶん。
最後はちょっと脱線、まとまらないままですが。
「自由にこんがらがって」は、まだしばらくはぼくにとっての大きなクエスチョンになりそうです。
せれんでぃっぽ☆とむやん