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一昨日(2018.8.31)書いたブログは、うまくまとまらなくてイマイチだったな。
今のブログは単純に、思っていることを書き出してみる場、にしているので。
それはそれとして、コラム的にもう少し読みやすい文章も書いてみたい。
別のブログなのか、ホームページをつくるのか、考え中です。
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ひとつ追記。
「9月の自民党総裁選で、党内最大の細田派は所属議員に、連続3選を目指す首相を支持する誓約書に署名させることを決めた」んだそう。
当然、「首相の出身派閥が所属議員から誓約書を取るのは極めて異例」だと。
派の幹部は、「他派閥と足並みをそろえる必要がある」と説明しているらしいけど。
さすがに、派内からは反発の声も上がっている、と。
そうは言っても、結局はうやむやになるんだろうけれど。
今、身近なことでもこういうニュアンスのことが多過ぎるんじゃないかなぁ。
一言で言ってしまえば、「同調圧力」ってヤツ。
そういう空氣感の中で、自分を打ち出すというのは案外むずかしい。
ほんとはむずかしくないのかもだけど、ややこしくなるのでここではとりあえず。
自分はやっぱり、「とんがっていたい」と思っているから。
一昨日書いたのはその表明のつもりなんだけど、まあちょっと軌道修正。
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そして、今日(2018.9.2)はその続き、みたいなもの。
昔、中学生のときだったか、芥川龍之介の『蜘蛛の糸』を教科書で読みました。
そのときはたぶん、「ふうん」ぐらいに、何も思わなかったんじゃないかな。
それ以来、『蜘蛛の糸』を読み返したことはないはずなのですが。
大人になってからも何度か、映像としてたまに頭に浮かぶことがあります。
『蜘蛛の糸』にもまた、いろいろな受け取り方があると思いますが。
「ニンゲンのエゴ」、というのはその中でも大きなテーマではないでしょうか。
実際ぼくも、自分のエゴイスティックな面が出てくると、先述の映像が浮かんだり。
作中では、登ってきた罪人に「下りろ」と喚いた途端に、糸が切れてしまう。
そして、カンダタの「無慈悲な心が、そうしてその心相応の罰を」受けたのだと書かれています。
もし、人のことは氣にせず、自分が登ることだけに専念していたとしたら?
この小説を否定するわけじゃないし、地獄の話ということで事情は違うと思いますが。
現実はもっと優しいというか、そこまで「試される」ことはないんじゃないか、という氣がしています。
たとえば、糸は各々にちゃんと用意されているんじゃないか、とか。
もっと本数は多くて、自分が望まないものはちゃんと(?)切れてしまう、とか。
それって、ある意味すごく恵まれた状況。
糸自体を、競って奪い合う必要なんて、本当はないのだから。
カンダタが、下から登ってくる罪人に喚いたのって、心情的にはすごく理解できる。
でも、現実は自分と関係ない人にも喚いたり、何なら足を引っ張っていたり。
無慈悲もここに極まれり。
カンダタの置かれた状況以上に、世界はもっとシンプルで。
自分の登りたい糸をただひたすらに登ればいい、それだけのことなんだと思います。
と言いつつ、それができないのって何故なんだろう?
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先日、『天才の証明』という本を読みました。
著者の中田敦彦さんは、お笑いコンビ「オリエンタルラジオ」のあっちゃんとして有名ですね。
ぼくも武勇伝ネタは大好きでしたが、それ以上に特に注目はしていませんでした。
でも最近、YouTubeで『俺の持論』という番組でのプレゼンを知って。
この中で紹介していたのが、この本。
コンプレックスや劣等感こそが、実はその人の最大の強み、「才能」だったりする。
そんな話自体は、他の自己啓発系の本などでもよく目にしていました。
けれど、オリラジのあっちゃんの実体験として語られる話には説得力があって。
2016年には音楽ユニットRADIO FISHとして『PERFECT HUMAN』でブレイク。
そこに至るまでの話が、わかりやすく、そしておもしろく書かれています。
才能というものに人一倍注目し、かなり計画的に練った上でヒットを飛ばす。
つまり、彼には「蜘蛛の糸」が見えている、のかもしれません。
ただ、自分に与えられた糸は、妙に細く頼りなく見える。
だけど、糸は切れても下まで落ちないし、何度でもまた登ることができる。
彼はそれを証明してくれているような氣がします。
この本を読むまで、RADIO FISHの動画は見たことがなかったのですが。
先日YouTubeでまとめて観てみたら、かなりよかったです。
RADIOFISH UNION【レディオフィッシュ】 - YouTube
『PERFECT HUMAN』もいいし、本書でも書かれている『進化論』もオススメ。
CMのタイアップだった本作は、MVなど完成までにかなり「ぶつかる」ことがあったそうです。
けれど、その衝突があったからこそ、想定以上の成果が得られたのだ、と。
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「とんがって」いたいと思いつつも、やっぱり「嫌われたくない」という思いもある。
相手を必要以上に氣遣ってしまったり、でもそれって本当に相手の為と思ってのこと?
親になって、小言が増えたんじゃないかと思ったり、それもまた必要なことかなとも思ったり。
ぼくは、チームで何かをするということが苦手だけど。
ただ単に「ぶつかる」のがイヤだった、っていうのが大きいかもしれません。
親の小言も、あまりぐちぐち言わないとか、言い方を変えてみたりだとか。
それでも、要所要所では強く言わなきゃいけないこともあったり。
厳しいことを言われるのは、やっぱり自分もイヤだったり。
それでも、お互いに相手の「蜘蛛の糸」を引っ張っているわけじゃない、って氣付けたらいいのかな。
「ぶつかる」にも、目的や方法がさまざまだろうし。
それがエゴから出たものでは、結局「蜘蛛の糸」のムダな奪い合いでしかない。
冒頭に書いたように、はっきり言って今の「同調圧力」は異常です。
自分の「正直さ」や「公正さ」を棚に上げて、キャッチフレーズにした人を「個人攻撃だ」なんて。
自分と反対の意見を封じ込めたり、対抗馬を嫌ったり。
そういう国の状況下だからこそ、そこは改めて考えてみようと思います。
ちなみに、タイトルは『蜘蛛の糸』の誤変換。
そっちが先に当たり前のように出てきて。
なんか意味あり氣、歌のタイトルにもなりそう。
奇しくも、CloudもWebもIT用語ですね。
せれんでぃっぽ☆とむやん