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前回と前々回、ありがたいことにいろいろと反響がありました。
特に前々回の記事にコメントをたくさんいただいて。
お返事を書きながら、何を書こうとしていたのか、より明確になってきた氣がします。
ありがとうございます。
続きはまた別の機会に書きますが。
ちょこっとだけ書くと。
「脱いっちょかみ」としたけれど、「いっちょかみ」を否定しているわけじゃなく。
ただタイミング的に、自分は「脱する」ときなんじゃないか、じゃあどうするのか。
それと、「雲の意図」という誤変換から、いろいろ氣付きがあったこと。
雲の流れって確かに意図的じゃない、だけどそれを見ていると癒されたり。
そこから、「わかってもらえない、わかってもらいたい」ってことではないな、って。
これはもう少し、自分としても深く追ってみたいと思っています。
そして、「雲の意図」という歌も制作中。
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さて、今日は9月4日。
三番目の息子の誕生日、4歳になりました☆
そして、実はこのブログを始めて3年が経ちました。
(↑息子3の一歳の誕生日のときにはじめました)
(↑2年前の今日)
(↑1年前の今日)
今日は台風21号の接近で、かなり荒れた天氣となりました。
おかげさまでウチは被害もなく、無事でした。
そんな嵐の中、ささやかなお誕生日のお祝いをしました。
いつものように、妻がケーキをつくり。
長男も次男も、プレゼントをあげていました。
4歳、毎回同じようなことを思いますけど、ほんと早いなぁ。
三番目は特に、上2人を見ているので成長度がすごい。
この夏の帰省では、ぼくの両親もビックリしていました。
喋りもますますしっかりしてきて、いろいろとこだわりも出てきて。
まあ、メンドウごとも増えたりはしていますが。
長男が切り紙が得意で、下2人もかなり影響を受けていて。
息子3のハサミさばきは、かなりのものだと思います。
(↑今回の帰省、帰りの電車で切り紙をしているところ)
今回、実家にいるときに、息子3が切り紙で「タヌキをつくる」と言い出して。
最初に母がそれを聞いて、なんで急に「タヌキ」なんだろう?と。
信楽のタヌキみたいなかわいいのをつくるのかな~?ぐらいに、思っていたのですが。
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ここでちょっと、話が脱線します。
こういう話が苦手な人もいるので、まあ冗談半分で聞いてもらえればと思いますが。
ぼくの母方のひいおばあちゃんの話です。
もちろん、直接は知らないので、聞いた話。
ひいおばあちゃんは、麻布のあたりに住んでいたそうです。
旦那さんと庭師をしていたらしい。
心優しく、また世話焼きな性格で。
自分もそんなに裕福ではないのに、近所の人に野菜をあげたり。
タヌキにエサをあげたりしていたんだとか。
麻布は今でこそ、高級マンションやビル、大使館がたくさんありますが。
その当時はまだ何もなく、自然も多かったのだと思います。
(狸穴町や狸穴坂という地名もあるみたい)
ある日、庭仕事で遅くなり、家に帰ってきたけれど辺りはすっかり暗くなっていて。
家までの道がわからないくらいの、闇。
そうしたら急に、道の両側に明かりがぽつぽつと灯り始めて。
あれは、狐火ならぬ、狸火だったんじゃないか。
いつもかわいがっていた、タヌキのちょっとした恩返し。
本当かどうかは知りませんが、そんな話をおばあちゃんから聞きました。
まあ、そんなわけで、ウチの家系ではタヌキって何だか近しい氣がしていて。
息子3が実家で、急に「タヌキをつくる」と言うのも、妙に曰くあり氣に思えて。
しかも、つくったタヌキが、これ。
なんか、やけにクオリティーが高い。
図鑑とか見てないし、そもそもリアルのタヌキをあまり知らないと思うのだけど。
いくつかつくったみたいですが、母にあげたのは結局この一個だけ。
普段はすぐにプレゼントするのに、これは出し渋っていました。
それで、かわいいからまたつくって~と、言ってみたのですが。
滋賀に帰ってきたら、もうつくる氣なくなったみたい。
今日も聞いたら、最初は「うん」と言っていたのに。
「アクタ(実家のこと)に行ったら、つくるね」と。
うまく説明できたかわかりませんが。
ご先祖さまはしっかりと見守ってくれているんだろうなぁと。
そんなことを感じた、息子3の誕生日でした。
↑銀座の教文館ナルニア国にて。
「安野光雅 絵本の世界展」、『もりのえほん』拡大パネルの前で。
ここだけ、撮影OKでした。
せれんでぃっぽ☆とむやん