とむやんの氣まぐれ雑想記

〈探幸王〉を目指して、さまざまな想いを綴ります☆

「ままならぬ」を楽しむ。


昨日(2018.10.14)は自宅アパートで、ちょこっとオープンデイ。

自立って何だろう? - とむやんの氣まぐれ雑想記

↑前々回にも書いたのですが。
ぼくの両親が埼玉から遊びに来る、ということで。

長男の『ぼくの 切り紙の 世界』展をやったり、「珈琲の時間」をやったり。
そんな感じで、のんびりな一日を計画してみました。

2~3組来てくださったら御の字、と氣楽に構えていたら。

10組ほどが来てくださり、子どももいっぱい、にぎやかな一日となりました。
予想以上の反響、長男も戸惑いつつも、嬉しかったみたいです。

本当にありがとうございました。
レポート等は、また改めて書きたいと思います。

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さて、今回は前々回の補足的なことと、告知です。

身体のストライキ。 - とむやんの氣まぐれ雑想記

↑この記事にもちょこっと関連しています。


前々回、ぼくは最近「マイナスをいかにプラスにするか」がテーマだと書きました。

メンドウだなぁと思うことを、「やっつけ」で場しのぎをするのではなく。
そういうものの中に、いかに楽しみを見出すか。

ある意味、それこそリアルな「人生ゲーム」、ですね。
(残念ながら?ボードゲームの方はやったことがありませんが)

メンドウなことって、できれば回避したい、って思うもの。
イヤだったり乗り氣じゃないことから、どうやって逃れようか、とか。

もちろん、はっきりとNoと言う方がいいこともあるし、逃げた方がいいこともある。
けれど、何故だか避けられない、逃げられないことってのもあったりして。

だったら、それが今の自分のミッションだと開き直ってみる。

そうやっていくうちに、今の自分に本当に必要なことと、そうでないものがわかってくるような氣がします。

ところが多くの場合、それを真逆に捉えていたりして、それってすごく残念なこと。
いなくていいところに、世間体だとかしがらみだとかで居続けてしまったり。
いつの間にか、誰かにそれを押し付けてしまっていたり。


食べもので言えば、「食わず嫌い」をしないってこと、かな。
まずは一口、食べてみる。

人生はタカキビのコロッケ☆ - とむやんの氣まぐれ雑想記

(↑昔、こんなことも書いていました)


これはあくまでも、自分の心がけの話。
最近だと「アレルギー」もあるし、ムリにそれをしろ、ってことじゃなくて。

ただ、「ニガテ」とか「キライ」って、実はすごいエネルギーだなって。
好きと同じくらい、場合によってはそれ以上の。

最近、それをすごく実感してる。

だから、今すぐ向き合えとか、ましてや「克服」しろとは言いません。
だけど、その「ニガテ」とか「キライ」って、何かの力を秘めているんじゃないか。

「克服」なんて発想だと、実はプラスにはできない。
それよりも、「敵をごっそり味方に付けたら一氣に形勢逆転」、みたいな。

もしくは、ゴミ焼却場の熱を温水プール施設で使う、とか?
例えがちょっと違うかもだけど、ぼくのイメージはそんな感じ。

「ニガテ」や「キライ」については、また別の機会に改めて書いてみます。



それを踏まえて。
「コントロール」ということも、少し補足的に書いてみます。

身体のことを書いたときに、「人生はコントロールできない」と書きました。
これは誤解されやすいというか、何をコントロールするのか、が明確じゃなかった。

この場合、「コントロールしない/できない」というのは、ハンドルから手を放す、ということではありません。
人生において、ハンドルも、そしてアクセルもブレーキも、操作をするのは自分です。

助手席にナビがいて、それに従ったとしても、運転は自分。
それはもう大前提ですね。

身体について、日頃の「体調管理」はもちろん必要なことです。
でも、それをしているからといって、体調を崩さないわけじゃない。

例えば、熱が出るというのも、メンテナンスの一種。


例えば渋滞に巻き込まれるとか、急にタイヤがパンクするとか。
同じように人生にも「想定外」のことが起こるもの。

そこで、さっきの「ニガテ」と「キライ」が鍵になってくる。
人生のギフトって、意外と「ニガテ」と「キライ」のベールに包まれていることが多いように思うんです。

ぼくはこれまで一連の流れの中で、「コントロール」=「思い通りにすること」として使っています。
でも、この「思い通り」というのが結構「曲者」で。

その逆、「ままならぬ」状態になったときの方が、人生はおもしろくなる。
「まま」をムリヤリ通そうとすると、「我儘(ワガママ)」になるだけ。

それよりは、「まま」はままのままに、「気儘(きまま)」に生きた方がいい。
ちょっとした違い、なんですけどね。
(そして、ややこしいですけど(笑))

前提として、「ままならぬ」のは当たり前、だったら楽しんじゃえ、というマインドがあるかどうか、なのかな。


そう言えば。
先日、京都のマヤルカ古書店で買った本。

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特集が、「好きなことだけ」で生きてみよう!だったので、手に取ってみたら。
巻頭ページが、なんと樹木希林さんでした。
それ見て、すぐ買うことにしました。

帰ってきてインタビューを読んだら、今考えていることとリンクすることばかりで。
とても嬉しかったな。

《「こんなはずじゃなかった」それでこそ人生です。》
《何でもない日常の中から「幸せ」を見つけるのが、人生のおもしろさ。》



さて、最後に告知です。

明日、10月16日[火]10時から12時ごろの間。
滋賀県栗東市の安養寺にあるcafe salon STILLROOMにて、オルタナティブブックカフェ【ABC】をやります。

自由にこんがらがって。 - とむやんの氣まぐれ雑想記

(↑今年7月に開催したときのことなど、書いてます)

参加費はハートマネー、直感お氣もちで。
カフェ通常営業中なので、要ワンオーダーでお願いします。

今回のテーマは、「才能の見つけ方」。
実は、今日書いたことと「才能の見つけ方」って、関係していると思っています。

まだうまくまとまらないですが、明日いろいろ喋ってたらもう少し整理できるかな。

紹介したい本などをもって(なくても、テーマと関係なくても、OK)、是非遊びに来てみてください。


                    せれんでぃっぽ☆とむやん