とむやんの氣まぐれ雑想記

〈探幸王〉を目指して、さまざまな想いを綴ります☆

アベコベ感。


先週の日曜日(2018.12.16)は、「オーガニック&つながるマーケットしが」へ。
(以下、オーガニックマーケット)
第三日曜日は予定が重なってしまうことが多く、三井寺に行くのはかなり久々でした。

今、手帳を見てみたら。
4月のプチアースデイしがのとき以来で、その前は2月に行っていて。
そうか、ずいぶんご無沙汰していたんだなぁ。


ここでちょっとご報告、また改めて書こうと思っていますが。

実は、来年の2月から京田辺で暮らすことになりました。

それで、ご挨拶をかねて、野外寺子屋で歌わせてもらいに行ったのです。
オーガニックマーケットのこととか、そのときの新曲のことは、これまた別の機会に。


昨年の夏、オーガニックマーケットで歌わせてもらったオリジナルソングがあります。
タイトルは、『アベコベ⇔シンドローム』。

アベコベ⇔シンドローム - とむやんの氣まぐれ雑想記


この曲はどちらかというと「批判ソング」なので、あまり歌う機会がないのですが。
このところ、〈アベコベ感〉と言うか、そういうものを感じることが多々あったので。

今回、この曲と新曲、そしてクリスマスソングを1曲歌ってきました。



〈アベコベ感〉について。

例えば、南青山の児童相談所建設の問題。

反対する近隣住民が、説明会で「ブランドが落ちる」と反発したことについて。
多くの人が、「その意見自体、青山のブランドイメージを落としたね」と。

住民側にももちろん言い分はあるのでしょうけど、何とも皮肉だなと。

児童相談所」というものに対して、漠然とした印象しかないのに。
それが偏見になり、自ら露呈させてしまっている。

人はなぜ〈偏見〉をもつのか、そしてそれが何を引き起こすのか。
その辺はまた考えを整理してみたいところです。



そして、辺野古への新基地建設による強行的な大浦湾埋め立て。

なぜ、美しい海を壊そうとするのか、その一点だけでもぼくには理解できません。

辺野古移設に反対すると、最近はすぐ「なら、対案を出せ」という声が出てきます。
けれど、そもそもがツッコミどころばかりの計画なら、対案すら必要ないはず。

建設費用は?、地盤が軟弱なのでは?、などなど。
辺野古移設か、普天間固定化か」というのも、そもそも沖縄ありき、辺野古ありきの発想しかないからだし。

ところが、防衛大臣は「辺野古への移設は日米同盟のためではない、日本国民のため」なんて言ったのだとか。

これこそ、〈アベコベ〉。
アベコベじゃないとすれば、日本国民の中に沖縄は入っていないのか?と問いたい。


来年2月24日の移設の是非を問う県民投票までの工事中止を、ホワイトハウスに求める請願サイトが話題になっていますね。
先週からバタバタしていたので、ぼくが署名したときには14万筆を超えていました。

これについてもいろいろ思うところはあるのですが、長くなったので一旦置いといて。


まだ関東にいるとき、高尾山に圏央道のトンネルを通す計画がありました。
ぼくは反対の立場で、そうしたイベントなどにも何度か参加して。

結局、トンネルは通されてしまったのですが。

豊かな自然よりも、利便性だとかが優先され、しかもそれだけのリスクと金額をかけるだけの意味が、本当にあるのか。

当然、ぼくもそういう恩恵も受けている部分だってたくさんあります。

でも、迂回路の検討や、トンネルにしたってどういう工法をとるのか、選択肢はあるはずなのに。
辺野古のこともそう、ものごとを単純化して「二元論化」されてしまう。

それが「対立」を生む構図なのだし、両極がひっくり返れば〈アベコベ〉になる。



もうひとつ、映画『水になった村』について。
以前から観たかったのですが、先日やっと観れました。

水になった村 / ポレポレタイムス社 Movies


魅力的な村の老人たち。
村が沈んでしまうとわかっていても、それでも街から戻ってきて、昔ながらの生活をしている。
その様子が楽しくて、またすばらしくて。

こういう生活や、草木や虫や、そういう簡単には取り戻せないものを水没させてまで、追い求めているものって、何なの?
最近また「日本の伝統」とかやたらと聞くけど、ぼくにはこの村の人々の暮らし方こそが「伝統」だと思えるのです。

そういう智恵や技をつぶして、便利さやニンゲンの都合(しかも一部の)を優先して。

日本の自然を守ったり、その中でたくさんの恩恵を受けながらの暮らし。
そこに信仰もあったはずなのに、ヒトはずいぶんと傲慢な存在になってしまいました。

美しい国づくり」なんて言ってた人が、どうして美しい自然を壊すのか。

セヴァンさんの「伝説のスピーチ」で語られたようなこと、何度繰り返せば聞く耳をもつだろう?
「どうやって直すのかわからないものを、こわしつづけるのはやめてください」

辺野古の海も、高尾山やダムに沈んだ徳山村の豊かさな自然も、つくることなんてできないのに。



今日は全然まとまらないけれど、それはそれでいいかな、と。

ただ、これを踏まえて考えてみたいことがあります。
それは、「自分の中にある加害性」について。

一連のこと、そして〈アベコベ感〉について考えてみたら。
誰にでも「加害性」があって、一方でそこはやっぱり向き合いたくない部分。

もちろん、「加害性」がダメと言っているわけじゃないんですよ?
そこに氣付けないことも往々にしてあるけれど、そこに「氣付きたくない」もしくは「認めようとしない」ことが問題なのかな、と。

それよりもむしろ、迷った方がいい。
迷いたくないってのもわかるけど、だからって蓋をしてしまうのはどうなのか。

迷って迷って、その「うしろめたさ」と向き合うことが大事なんだと思います。

この辺のことは、『うしろめたさの人類学』を読むと何か掴める氣がします。
まだ読み終えていないので、またじっくりいろいろ考えてみます。

今日はある意味「予告編みたいなもの」、ということで。



さて、『アベコベ⇔シンドローム』について。
歌詞は上でリンクを貼った記事の最後に貼り付けていますが、この記事にももう一度。

この歌詞は、自分でもよくわからないところがあって。
でも、今回書いたような「二元論化」や「加害性」についてを盛り込みたかった、のかもしれません。

シチュエーションとしては、投票や投票によって選ばれた人/選ぶ人について。

この歌が政権批判的でありながら、それだけではないのは。
やっぱりなんだかんだ言っても、市民が選んでしまっている、ということなのかな。


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今回はちょっとヘビーな内容かも、なので。
写真だけでも脱力系を(笑)

オーガニックマーケットに出店されている菜饅頭さんの、パンダチョコまん。



でも、憤る(いきどおる)ことって大事だよな、って再認識しているところです。
怒る、よりも冷静さをうしなっていないような、そんなイメージ。
(〈憤〉は「心の中を何かが走り回る」ことを表しているのだそう)


最後にもうひとつだけ。
Twitterで見たのですが、渋谷区公園課の警告文に対する「警告」。

「警告:公園内で寝泊まりすることを禁止する。渋谷区・公園課」
この掲示板の下に、こんな文章が置かれていました。
「警告:なぜ公園内に寝泊まりする人がいるのか、根本から目をそらしてルールを押しつけることを禁止します。渋谷区区長へ」

『アベコベ⇔シンドローム』はユーモア感には欠けるので。
狂歌」や「落首(落書)」のようなウィットのある風刺、そんな感じの歌もつくってみたいな。


                    せれんでぃっぽ☆とむやん




アベコベ⇔シンドローム

A1】
救いの手求めても
足元を掬われるだけ
存在の意味なんて
考えもしないのだから

A2】
完璧な歯車も
破綻して空回りする
看板を偽れば
真実は逆さまになる

B1】
Woo 小さな声はすぐにかき消されて
Woo 見せかけの多数派は張り子の虎を放つ

サビ1】
アベコベな心情 常識を振りかざして
ウヤムヤな現状 饒舌に欺いて
恐怖にスリ替える

A3】
監視して禁止して
つぶやきも脅(おびや)かされて
心配の押し売りは
言いなりにするためなのに

A4】
弁明は  無機質に
誤解だと責任転嫁
不都合は知らんぷり
対岸で一日天下

B2】
Woo 相手を貶(おとし)めれば 蔑(さげす)まれて
Woo 迷惑には厳しく 身内にだけは甘く

サビ2】
チグハグな印象 正体をひた隠して
アヤフヤな友情 条件で蹴落として
評価もカネ次第

サビ3】
アベコベな信条 情報に疲れ果てて
アチコチで炎上 冗談で済まされない
ドタバタの劇場 上出来のひとり芝居
イザコザの元凶 競争に巻き込んで
勝利はダレのもの?