とむやんの氣まぐれ雑想記

〈探幸王〉を目指して、さまざまな想いを綴ります☆

太陽に問う。


あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。

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(↑長男が年末につくった、白イノシシ)


このブログを初めてからは、4回目の新年。
その度に書いているかもですが、ぼくはできるだけ旧暦を意識したいと思っています。

でもそれはそれとして、新暦でのお祝いをしないわけではなく。
逆に「二度おいしい」みたいな感じでもいいかな、と。

これもまた以前、書いたことがありますが。
新暦元日から旧暦元日までの期間を、リレー走のテイクオーバーゾーンとして捉えて。

やり残したことやバタバタの年末を、そこで調整しようという企みです(笑)
(ちなみに、2019年の旧暦元日は2月5日だそう)



さて、今日(2019.1.2)は昨日できたオリジナル曲のこと。

昨年12月(2018.12.16)に行った「オーガニック&つながるマーケットしが」。
その中の野外寺子屋で、歌わせてもらった曲です。

ただ、そのときはサビと1番しかできていなくて。

先日(2019.12.29)、自分で企画した「滋賀暮らしの記録Ⅱ」というトーク&ライブを実家のカフェ・ド・アクタで開催しました。
そこに間に合わせたくて、曲の残りを完成させるためにギリギリまで練って。

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その日の朝、なんとかできあがって歌うことができました☆

ぼくは作詞をするとき、いくつかマイルールを設定していて。
安易に英語を入れないとか、同じ言葉を使わないとか。
あえてそれを外すこともありますが、基本はその制約の中でつくっています。

で、1番の中に同じ言葉が出ていたのに昨日氣付いて。
1月1日の昼間に書き直したので、これで一応完成です。

歌っている中で氣になるところが出てきたら、また微調整するかもですが。
(いつものように、ブログの最後に歌詞を載せておきます)



例えば、冬至

一陽来復」という、陰が極まり陽が生ずるという冬至を表す言葉があって。

太陽の力が弱まる時期だけど、逆にそこから復活してくる。
言ってみれば、落ちるとこまで落ちたら後は昇るしかない、という感じでしょうか。

クリスマスも、起源は冬至祭だった、なんて話もありますね。

元々は、冬至を一年の区切りとしたところも多いらしく。
この時期に「太陽」に関する曲をつくったのは、とても意味のあることのように思えてきます。



この曲は、まずタイトルが決まりました。
ある日、YouTubeを何氣なくスクロールして、見ていたら。

「太陽に問う」と見えた氣がして、スクロールを戻してみると。
実際には全然違う、「太陽」の文字はあったけど、漢字4~5文字のタイトルがありました。

つまり、見間違えから生まれたのです。
「太陽に問う」か、これはおもしろいなと。

サビの「太陽に訊いてみなよ」、後に「太陽に訊いてみればいいのさ」と少し変えて。
そこからメロディーが生まれ、歌詞を足していって。


説明するまでもないとは思いますが。
この歌は、「太陽」についてだけではなく。

太陽の塔」をもじったもの、掛け言葉的なタイトルです。
だから、岡本太郎さんや彼の言葉、生き方などを自分なりに盛り込んでみました。

まあ、ご本人には「ぼくとは関係ない」と言われるとは思いますが。

岡本太郎さんの本や言葉にかなり影響を受けたし、部分的に使わせてもらっています。
サビにはひとつ、言葉遊びを入れてみました、偶然なんですけどね。


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ただ、「訊いてみれば」は、『太郎に訊け』という本のタイトルから、ではなく。

というか、この歌詞が思い浮かんだときは、この本のタイトルを失念していて。
(だから、最初のメモには「訊いて」ではなく「聞いて」としていました)

もちろん、存在は知っていたし、部分的には読んだこともあったので。
どこかで憶えていた、その可能性はあります。


ちなみに「太陽の塔」、ぼくはまだ実物と対面していません。
大阪が近くなるので、今年は会いにいけるかな。

最近知ったんですけど、岡本太郎さんと信楽って、深い関わりがあるんですよね。
太陽の塔」の背面、「黒い太陽」は信楽焼のタイルでできていたり。

そうだった、昨年9月公開の映画『太陽の塔』、これも時期的には同時期でした。
タイトル自体は、この映画の予告編を観るより前、だったかな。
タイトルとサビとできてから、その後しばらく放置していたので。

またつくりはじめたのはマーケットの一週間か10日前くらいから。
構想からは長く掛かりましたが、着手してからはぼくにしては比較的早かったです。



このタイトルを思い付いた頃、「質問力」みたいなことにすごく興味がありました。
と思って振り返ってみたら、それ自体は結構前からのこと。

Let 'Em Eat Cake - とむやんの氣まぐれ雑想記


要するに、忘れていたんだな。
それが、司会をちょっとお休みしようと思った頃に、やっぱり「問う力」だよな、と。

遊びをせんとや - とむやんの氣まぐれ雑想記


上記のブログを見返したら、この時期の〈へいわのじかん〉のテーマがまさにそれ。
「耳を傾けること」、でした。

念頭にはミヒャエル・エンデの『モモ』のことがあったり。
今読んでいる本がまさにそのテーマなので、読み終えたらまた書こうと思います。


いずれにしても、この歌をつくろうとしていた頃。
SNSで、「自分はまちがってない」的な投稿を立て続けで見たりして。

自分もそういうマインドだったときがあるし、今も多少あるのかもしれませんが。
そういうときって、「自分だけが正しい」と頑なになりがちで、人の声が届かない。

そして、そこがある意味ウラハラで、おもしろいと思うのですが。
その「聞く耳をもたない」のって、自分に自信がないから、だったりして。
自信過剰のようでいて真逆、というか、そもそも両極が同じ性質だというか。

だから、こういうときこそ思い込みを捨てた方がいい。
せっかくのチャンスなんだし、「聞く/訊く」ことが大事なんだろうなって。


そんな経緯がありつつ、新曲『太陽に問う』ができました。

実は結構自信作なので、実家滞在の間にデモ動画を撮れたらと思っています。

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(↑次男が書いてくれたお正月の絵の一部、太陽と虹が描かれていました)


                    せれんでぃっぽ☆とむやん


太陽に問う

太陽に訊いてみればいいのさ
太陽に訊いてみればいいのさ

狭い枠の中で どれだけもがいても
行き着く先は たかが知れてる
人とちがう道を えらべば運命は
暗く輝き 絡み合う

なまぬるい風に流されて
何も感じなくなって いるのなら

太陽に訊いてみればいいのさ
太陽に訊いてみればいいのさ
世界中に大笑いされたって 平気で
自分のやりたいように やるんだ

夜が明けたらまた 生命(いのち)はよみがえる
目的なんて 別にいらない
だから今はひとり 自由にどん欲に
子どもみたいに 遊びたい

 間奏】

常識の頭、捨て去って
情熱の炎、飛び散って
燃えあがる 燃えあがる

正しさにばかり縛られて
大事なものうしなって 気付くより

太陽に訊いてみればいいのさ
太陽に訊いてみればいいのさ

 サビ】

自分のやりたいように やるんだ

太陽 太陽に問う
太陽 太陽に問う