とむやんの氣まぐれ雑想記

〈探幸王〉を目指して、さまざまな想いを綴ります☆

「マイボイコット」のススメ。


最近もあれこれ考えてはいるのですが。
うまくまとまらず、なかなか書けないでいます。

なんだかいろいろと、この国の状況はかなりひどいことになっていると感じています。
そのひとつひとつを検証する間もないくらい、次から次と問題が出てくる。


こういうときこそ、もっと「BOYCOTT」を!と思います。
以前にも、ちょこっとだけ書いたことがありました。

身体のストライキ。 - とむやんの氣まぐれ雑想記



今日(2019.3.30)も、ジョージ・クルーニーブルネイの9つのホテルをボイコットしようと呼びかけている、というニュースを見ました。
ブルネイでは、同性愛者などに鞭打ちや石打ちの処刑など、4月3日から施行される新刑法には非人道的な刑罰が含まれていて、問題視されているのだそう。

最近では、スウェーデンのグレタ・トゥーンベリさんが学校をボイコットして、国会前で座り込み、温暖化対策を訴えたことが大きな話題となりました。


けれど、日本ではまだまだ馴染みのない「BOYCOTT」。
何となく、「ネガティブ」なイメージが強いのかなぁ。

ぼくがボイコットに注目するようになったのは、環境運動家の辻信一さんの影響。
2007年の情熱大陸で、辻さんは「Bボイコット・Bブッシュ・Bビーフキャンペーンを、ひとりで勝手にやっている」みたいなことを、明るく言っていて。
それがすごく印象に残って、真似しようと思ったのでした。

そういえば、「キャンドルナイト」もボイコット運動の発展形。

ちなみに、今日は「EARTH HOUR(アースアワー)」という、世界中の人々が同じ時刻に消灯することで、地球温暖化防止と環境保全の意思を示すプロジェクトがあって。

EARTH HOUR(アースアワー) 2019 青い地球を、未来へつなぐ60分|WWFジャパン


20:30から1時間、ぼくも参加してみました。

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ハーブティーを淹れて、キャンドルを灯して。
それぞれ、20:30を迎えた地域から消灯していくので、消灯リレーが地球をぐるっと一周する、という。

こういうことも、「1時間くらいやったところで変わらない」とイチャモンつける人もいるでしょう。
これだけやって満足して、他のことを何もしないとすれば、確かに問題なのかも。

けれど、こういうことを扉として、関心をもつ人が増えるのはいいと思うけどなぁ。



さて、「BOYCOTT」がなぜあまり浸透しないのか。

たぶん、批判的だったり否定的だったり、そこが「ネガティブ」に感じられるのかな。

みうらじゅんの「マイブーム」みたいに、「マイボイコット」とかだったら?
そう考えたら、もっと氣楽にできるんじゃないかな。

ちなみに、「マイボイコット」を言い出したのはぼくではありません。
いつもウィットに富んだ発想をする、詩人のアーサー・ビナードさん。


あくまでも自分ひとり勝手にやっているだけ、それでいいと思う。
むしろ、異なる意見を否定したり批判するから、ややこしくなるのでしょう、きっと。

例えば、「ベジタリアン」の場合。
たまに、「肉を食べない」ことにすごく批判的な人がいたりして、ビックリします。

ベジタリアンの人は、「自分が肉類を食べない」と言っているだけ。
「あなたも肉を食べるべきじゃない」と批判しているのではないのです。
まあ、一部には批判的な人もいるのでしょうけど。

相手に呼び掛けたり賛同を求めたりはしても、強要したり否定したりはしない。
「マイボイコット」をする上で、とても重要なことだと思います。


ぼくは、そういう「マイボイコット」的なこと、自分なりにいろいろやっていて。

テレビは家にないので、基本テレビは見ない。
出かけるときなどはできるだけ水筒をもっていく、自販機は利用しない。
などなど。

音楽でも、「この人(グループ)のは絶対聴かない」と決めているものもあります。
ミュージシャンとして全然カッコいいと思えない主義主張を知って、この人たちの曲は一切聴かない、と。
まあ、不思議と大抵の場合、最初から興味なかったパターンが多いのですけど。

だからって、誰かが「この曲好き」とか「〇〇っていいよね」と言うのを否定したりはしません。
ひっそりと、「自分は聴かない」と心に決めているだけ。

「ぼくはあまり聴かないなぁ」とか、「実はあまり好きじゃないんだよね」ぐらいは言うかもしれません。
でも、その人がどう思うかをこっちの「正義」でジャッジしない、押し付けない。

それはぼくからしたら、「マイボイコット」の流儀に反する、というのかな。

先ほどのジョージ・クルーニーも、「私たちがボイコットしようと、法を変えるほどの影響力はないかもしれない」というコメントをしていました。
ただ、「人権侵害の手助けをしたいとは思わないよね?」と。


先日、ぼくの家にNHKの集金の方が来ました。

その人は全然イヤな感じじゃなかったんですけど。
「受信料の取り立てが以前より厳しくなりまして」みたいな説明があったので。
そういう態度のNHKに腹が立って、つい「申し訳ないけど、NHKって大嫌いなんです」と言ってしまいました。

まあ、こういうことは普段は言わないようにしています。
集金の人がしつこかったり高圧的だったら別、ですけど。

これについても同じことが言えます。
ぼくは今のNHKのあり方はおかしいと思っているし、もう見たくありません。
いっそ、なくなってしまえばいいと思ったりもします。

だけど、それは集金の人には関係のないこと。

「そもそも、受信するテレビもスマートフォンもないし、PCにもチューナーはない」ということを説明しました。

それで、じゃあNHKを見る人を批判するかというと、それはありません。
批判の対象は、あくまでもNHK(この場合)。

ただ、たまに「NHKにだっていい番組はある」とか、「その中でがんばっている人もいる」とか言う人もいます。
それこそ、こっちの知ったことじゃない。

そういう人がNHKを辞めて、別の放送媒体をつくってくれたらいいのにとは思います。

そう、「いい人」こそどんどん「マイボイコット」した方がいい、と思うのです。


元号もそう。
Twitterでも、元号をボイコットしようというような声をよく目にします。
ぼくも元々使わないようにしていましたが、それでも役所などでは押し付けてくる。

今回、転居してからの手続きで市役所に行ったとき、やることが多過ぎてつい、ボイコットするのを忘れました。
やっぱり、正直メンドウなことではあるのです。

だから、「首相の想いの込められた」新元号を拒否しようという流れは、ぼくにとっては「渡りに船」かもしれません。


そうそう、「マイボイコット」のいいところはできる範囲でやる/やれるということ。

その代わり即効性はないし、効果も見込めないかもしれません。
でもそれがかえっていいんだ、と思います。

影響力が強い方がある意味キケンだったりするもの。

なので当然、「ボイコット」をすればすべて解決、というようなものでもありません。
「ボイコット」をしたという経験から、違う視点から捉えたりできるようになる。
自分自身の変化を楽しむ、そういうスタンスが大事なのかなと思います。


もうひとつ付け加えておくと。
何を「ボイコット」するのか、当たり前だけどそこの見極めがとても大切です。

選挙に行かないというのは、「ボイコット」としてはあまりオススメしません。

選挙に行って、「〇〇党には絶対入れない」という「ボイコット」をする。
つまり、選びたくない選択肢以外に票を入れればいい、ってことですよね。

そう、「ボイコット」を突き詰めると、単に「選ばない」というところから、「対抗馬を選ぶ」に発展するわけで。
「ボイコット」や「不買運動」は、積極的に「これを応援したい」というものとセットに考えていくと、ますます「ネガティブ」ではなくなります。


最近知った言葉「There is no alternative(TINA)」とか、「詭弁・強弁」についてもあわせて考えてみたかったのですが、今日は時間切れかな。

また何かの形で書けたらと思います。


あ、最後にもうひとつだけ。

「ボイコット」の語源って知ってました?
今回調べたら、なんと人名なんだそう。

しかも、そのボイコット大尉は「ボイコット」した側、じゃなくて排斥された側。
まさか、後世にこんなに名前を知られるとは、思ってもみなかったでしょうねぇ。


                    せれんでぃっぽ☆とむやん