とむやんの氣まぐれ雑想記

〈探幸王〉を目指して、さまざまな想いを綴ります☆

選挙について。


7月10日は参議院議員通常選挙

選挙権年齢が18歳以上に引き下げになったことも、とても氣になるところ。
投票率は上がるかなぁ。


先日、ジャーナリストの守田敏也さんのお話を聞いた際に、「政治家ってのは別に偉くないんだよ」というような趣旨の発言をされていた。

本当にそうだよなって、別に人として優れてるわけでもなんでもない。
と言うと失礼かもしれないけど。
要は偉いから政治家になるわけじゃなく、政治家だろうが官僚だろうが、人は人。

そう考えると、「選挙で投票したい人/党がない」という言葉をよく聞くけど、ちょっと待ったって思う。
いや、ぼくもそう思ってきたところがあるけど、あぁちがうんだなって。

心情としてはよくわかる、自分の思う理想的な人に一票を投じたい。
だけどそれって、たぶん幻想なのかもしれない。

もし本当にそう思うなら、自分が出ろよって話かもしれないし。
逆にそう思ってみると、完璧なんて求めれても困るってことがわかる。

言うまでもなく、完璧な人なんていないし。
もしそんな人がいたとしても、政治家になられても困るんだよね、実は。

だから、投票ってのがどういうことなのか、もう一度考えてみたい。
投票にきらびやかな幻想を抱いている人なんて、いないだろうけど、でもそれでいいんだろう。

だから、「現段階では」でもいいんだけど、選挙はダメなところに審判を下すというか、そんなスタンスでいいのかもしれない。
そういえば、最高裁裁判官の国民審査も、ダメと思う人にバツを付ける方式だし。
だけど、誰かにバツを付けるって、それがキライなやつだってなかなかむずかしいし、そっちの感覚のが正常だよ、とも思う。

それで、「よりマシ」な方に票を投じるわけだ。
「そんな消極的なの、イヤだよ」と思うかもしれない。
でも、それは「完璧さ」を求める感覚から抜け出せば、案外むずかしくないな、という氣がする。



話は変わって。

先日、これもまた図書館で借りたのだけど、『「憲法改正」の真実』を読んだ。
樋口陽一さんと、小林節さんによる対談形式なので、読みやすい。
一氣に読んでしまった、これはもう絶対「買い」だと思う。

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本当に、このお二方が並ぶなんて、以前なら想像できなかったことだ。

自分の憲法観は、井上ひさしさんと樋口さんによる『「日本国憲法」を読み直す』がベース、と言ってもいい。
今調べてみたら、20年近く前の本だと知って今更ながら驚いた。
また改めて読み直してみたい、全然古さを感じないはずだ。
樋口陽一さんの切り口は、健在というか、ますます磨きがかかっている。

そして、小林節さんは自民党のブレインでもあったから、「内部事情」ということにも精通している、それがまたおもしろい。


さて、特に今回の選挙で重要なことがある。
まず、今回の選挙の争点はなんですか?ってこと。
ネットのニュースなどでもチラチラと見かけるけど、「憲法」に関すること、これはとても大きいと思う。

『「憲法改正」の真実』の中でも中心となってるのが、自民党が2012年に出した改憲草案のこと。

これがもう、とにかくひどい、それに尽きる。
小林節さんが、「"壊憲"草案」と呼んでいるけれど、まさしくそんな感じ。

そのことについては、ぼくも以前ナナイロつーしんにちょこっと書かせてもらって、それを読み上げた「音声版」をUPしたこともあります。
よかったら聞いてみてください↓

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本書の中で、ある法制史専門家の言葉を紹介している。
自民党改憲案は、「慶安の御触書に回帰するようなものだ」と。

イマイチわかってなかったので調べたら。
慶安の御触書とは、「百姓に対し贅沢を戒め、農業など家業に精を出すよう求めた内容」、だったそうだ。

つまり、今の日本は、「近代国家をやめるかどうか」の瀬戸際なのかもしれない。
そう、近代国家の基本とも言える、「立憲主義」を捨ててしまうのか、どうか。
それこそが、この選挙の争点のはず。

なにしろ、現政権は明らかな憲法違反を侵している。
それをこのままにしていいはずがない。

まずはそこをはっきりと「ノー」と言わなければならない。
これは大きな分岐点だと思う。


だいぶ長くなってしまった。
ここまで読んでくださった方が、「選挙に行かない」ということはなさそうではあるけれど。
でも、今回の選挙をどう見るかとか、直接いろいろ話をしてみたい。
この記事が、そのきっかけにでもなれば、とても嬉しい。


                    せれんでぃっぽ☆とむやん