とむやんの氣まぐれ雑想記

〈探幸王〉を目指して、さまざまな想いを綴ります☆

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今日(2016.7.7)は七夕。

いつもなら新暦ではスルーして、できるだけ月暦(いわゆる旧暦)を意識しているのだけど。
まあ、選挙も近いので、こんな短冊を書いてみた。

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「あ~、また選挙のことか」と、うんざりしている人もいるかもしれない。
SNSでも毎日のように飛び交って、食傷気味だという人もいるだろう。
自分にも、そういうところがないわけじゃないから、わかるなぁとも思う。

だけど、それは「政治」というものがタブー化されていることにこそ、問題があるんだとも思っている。
人によっては、自分の子どもの投稿に対しても、難癖つけたりもあると聞く。
そう考えると、その根底にあるのは「やっかみ」なんじゃないかな、自分にも心当たりがある。

政治やその他タブーに限らず、「自己主張」があまりにもしづらい雰囲氣を感じる。
「やっかみ」というのはどうも、「出る杭」を叩きたくなるものらしい。

氣に入らないことって、そりゃいろいろあるけど。
その「自己主張」を地均しするみたいにつぶしていくのは、本当にやめてほしいし自分もやめたい。

最近のことで言えば、フジロックに対して「政治をもち込むな」「音楽の政治利用」などという批判の声があったとか。
これとかも、いちいち反論するまでもないと思うけど、「主張」することに対してなぜそんなに牽制するのだろう?
ちなみに、今井絵理子さんを出馬させた党に対して、「音楽の政治利用」だと叩くのは筋が通ってると思うけどね。


ぼくが高校生のとき、国語の授業で先生が「戦争はなぜいけないのか?」というような質問をしてきた。
手を挙げて発言したのはぼくひとり、他の生徒はとにかく黙って時が過ぎるのをじっと待っている感じで、45分が過ぎた。
その状況と、今の社会はあまり変わらないように感じる。

誰かが熱く語ると、なんで周りはそんなに冷めちゃうんだろう?
まったく、これこそ日本の教育が「目指している」ことなんだろう、意図してても意図してなくても。

「自己主張」することが、できることがもっと当たり前になって、そっちの方がいいよねっていうくらいにはなったらいいなと思う。
政治についても意見を言える方がかっこいいとか、その方がいい。

そうやって、政治とか選挙のことを日常的に語ったりして、それが楽しくなっていけばいい。
「無関心」で「波風立てない」方がいいなんて、そんな人生も世の中も、ぼくはつまらなくていやだな。

選挙に行こうよ、というだけでなく、せっかくだから楽しもうよ。
そんな風に動いてる人がぼくの周りにたくさんいるし、それは純粋に尊敬する、かっこいいと思う。
あとは自分は自分なりに、やることをやる。

大衆にアピールできる人もいれば、たったひとりではあっても対話して、歩み寄っている人もいる。
自分の意見をもって、主張して、そういうことはどんな一歩でもいい、誰にでもできること。

そうなってこそ、社会全体も本当に成熟していくんだろうと思う。
そう、選挙に行くってのはその一歩でもある。

何かの主張に対して「炎上」させたり「論破」したり、それこそもうウンザリだ。
そんなことする暇があるなら、自分が動くことだ。

ただし、権力に対しては別、だけど。
残念ながら、強いものには尻尾を振って、弱いものに吠えまくる、そんなパターンが多くみられるんだけどね。
そんな風にはなりたくないな。


ぼくは2年ほど前だったか、ふと思いついて、「オシャレして投票に行く」と「投票日の夕飯はできるだけご馳走にする」というキャンペーンを個人的にやってます。
できることやしたいことをしてたら、人のことなんて氣にならなくなる、それでいいかなって思う。


                    せれんでぃっぽ☆とむやん