とむやんの氣まぐれ雑想記

〈探幸王〉を目指して、さまざまな想いを綴ります☆

Thank you for your presence☆


昨日(2016.10.10)もまた、一昨日に引き続き、氣付きの多い一日でした。


いちょうまつり終わって、似顔絵描きで出店していたちゃたくんとお疲れさま会。
ウチに来てもらって、ちょっと寒くなってきた時間帯だったけど、外でお茶しました。
名付けて、「ウチのソトcafé」。

木育ひろばでの二度の出番を終えて戻ったときには、いちょうまつりの食べもの出店はどこも完売状態。
でも、今回一番お目当てだったラシェーヌさんは奇跡的にまだちょこっと残ってた♪

それをわけわけして、珈琲淹れて。

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ちゃたくんとの会話は、いつも話題にこと欠かない、尽きることがない。
昨日は、一昨日の本屋&出版社の話の続きとか、これからのこともあれこれ、たくさん喋った。

その話の中でふと浮かんだことがある。

「今までは労働や技術によって対価をもらっていた。」
「これからはそこに【存在している】ことにこそ、多くの対価が払われる。」

本当にそうなのか、正直わからない。
外から「受信」したみたいに、自分で発した言葉に驚くことがある。
もしかしたら昔聞いたり見たりしたことが、ふと出てくるのかもしれないけど。
出た言葉を反芻してみると、おもしろいなぁと思うことが多い。

さて、話を戻すと。
もし、「対価=賃金」ということなら、もしかしたらムリな話かもしれない。
けれど、【存在していること】、例えばその人から湧いてくるアイデアや直感とかに、今後はもっとエネルギーが注がれるはず。

「対価」をもっと広く捉える必要があるし、一方で「お金の本質も愛」であることに氣付けたらいいんだろうな。


ちゃたくんの焼くホットケーキは、結局ちゃたくんが焼いてくれることにこそ「秘訣」がある。
レシピやテクニックを聞き出しても、それだけではあの幸せなホットケーキにはならないんだと思う。

それは別に、労働や技術を否定しているわけじゃなくて。
ただ視点をオルタナティブに、という話。
そして本来、労働も技術もまた、「本質は愛」であることを思い起こせばいい。

誰もが唯一無二のオリジナルであるのだから、逆にそこに固執する必要もない。
ただ打ち出せばいい、やりたいことをとことんやるだけ。
そうすれば、うまくやろうとしなくてもいいし、人の真似をしたり変に氣を使わなくてもいい。

昨日ちゃたくんに喋ったことはそんな感じ。
そこに付け足したり、言い換えたりはしているけども。


そしたら、フェイスブックのコメントで、「いてくれるだけでありがとう」「存在がありがとうやわ」ときた。
あまりにタイムリーでビックリだし、すごく嬉しかったな。

それに何より、むしろぼくの方こそ「いてくれてありがとう」と声を大にして言いたい、そんな人たちなんだよね。
本当に、「コミュニケーションは鏡」だなってつくづく思う。

昨日は、大阪からわざわざ来てくれた知人もいた。
以前からつながりはあったけど、この流れで今日お会いするとは!ってパターンもあった。
ラシェーヌさんともお会いしたかったし、タルトも食べたかったし、ちょっとお喋りできてよかった。
そうそう、夫婦のアコースティックデュオ「スプートニク」の森くんとの練習も楽しかったな。

自分が「そこにいてよかった」ことと、あなたが「いてくれてよかった」ってことは、当たり前かもしれないけど、ちゃんとつり合いが取れるんだよね。

改めて。
あなたに会えてよかったです、いつもありがとう☆


                    せれんでぃっぽ☆とむやん