とむやんの氣まぐれ雑想記

〈探幸王〉を目指して、さまざまな想いを綴ります☆

お福分け☆


このところ、かなり「ツイてる」なぁと思う。

元々は五日市剛さんだったり斎藤一人さんだったりの本の影響から、「口グセ」にするようにはしていた。
ここ最近は、氣にしていなくても実感として口にしている、そんな感じ。

まずはちょっとしたことかもしれないけど、何氣に嬉しかったのでご報告を。



先日、このブログで書いた「はてなブログ5周年ありがとうキャンペーン」。

はてなブログ5周年ありがとうキャンペーン。 - とむやんの氣まぐれ雑想記


なんと、グッズが当たりました!当たっちゃいました!
ありがとうございます☆

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中には「そんなことでツイてるとか言われても」とか、「自分もこないだあったし」って方々もいるでしょう。
まあ、これはあくまでも序の口、ってことで。



ぼくが滋賀に越してから住んでるのは、昭和な雰囲氣漂う小さなアパートの一室。
普通、そんなところにわざわざいろいろな人が来てくれるなんて、ちょっと想像しがたいでしょう、自分でもそう思う。

けれど、嬉しいことに、さまざまな用件でウチを訪れてくれる人がいるのです。

アパートの部屋で、実験的に「珈琲スタンド」的なことをして。
今月は2回、金曜日の夕方に二時間ほど、時間を設定して告知したりしていました。

ただでさえ狭くて、生活している空間ですから。
「まあ来なくて当たり前」ぐらいに思って、やっていたりします。

ところが、今月はすごかった☆

先週はわざわざ「結婚のご報告を」と、二人で訪ねてきてくださったり。
昨日は埼玉の実家でお会いした、滋賀が実家のイラストレーターさんが来てくださったり。

どちらも、「こんな場所でこんなことやっても」と思ってたら、来てもらえなかったと思う。
うまくは書けないけど、とにかくビックリするような嬉しいことが、しかも立て続けにあったのだ。

イラストレーターさんとは滋賀のネタでいろいろ盛り上がり、新婚のお二人からは幸せオーラをいっぱいいただいたり。

「お裾分け」のことを「お福分け」という言い方もするらしいのですが、まさにそれ。



本当に幸せなことって、分けても減らない。

よく例えられるのは、キャンドルの炎と同じ、いくらでも分けていける。
本当の「ツキ」って、独り占めしたり出し惜しみしたり、そんなことする必要がない。


ブログのグッズもそうだけど、当然書かなきゃ当たらなかった。
食べて、祈って、恋をして』という映画で、こんなイタリアの冗談があった。

教会で貧しい男がお祈りをする。
「どうか、宝くじが当たりますように!」
神さまは答える
「どうか、お願いだから、まず宝くじを買ってくれ!」


過去、自分は何をしても「ツイてないなぁ」と感じていた頃は、結局行動に移すことがほとんどなかった。
行動、といってもほんのちょっとしたことだったりする。
でも、それさえもあれこれと言い訳を探してやらなかった氣がする。

まず何が必要かって、結局「人を好きになる」ってことなんじゃないかな、きっと。
この場合の「人」は漠然とした「人」。

「お金」も「縁」も、「ツキ」も「福」も、人が出会って巡っていくもの。
人嫌いだった過去の自分は、そういうものも全部避けてたわけだ、結果的に。

今は人と会って話すことがとにかく楽しい。
「ツキ」を呼ぶ生き方って、何氣にそんなことなのかもしれないなぁ。


                    せれんでぃっぽ☆とむやん