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今日は12月25日、クリスマス。
(実際には日付けをまたいでしまった…)
ぼくはクリスチャンじゃないのだけど。
その辺はあまり氣にせず、楽しんだらいいんだろうと思っている。
とはいえ、今のクリスマスのあり方には辟易する部分も多い。
じゃあ、「クリスマスなんてなくていい」とか、そうは思わない。
批判的なことを言うと、そういう極論を言う人がいる、正直イジワルだなぁと感じる。
どういうスタンスであれ、それを楽しめばいい。
それにはただの文句ではなく、かといって批判的なことを避けるのも違うように思う。
単に、その世間の人の「楽しい」の感じ方のあまりの違いに、ウンザリというかザンネンというか、そんな複雑な氣もちになった。
23日に、訳あっておもちゃ売り場に行ったのだけど。
お目当ての商品を探しながら歩いて、いろいろなおもちゃを見ていく。
男の子ものは特に、武器や戦闘機などなどそういうものがあふれかえっている。
そういうものの方が売れる、たぶんそうなんだろうね。
でもだからこそ、「これは誰のためのものなんだ?」と首をひねりたくなる。
それはそのおもちゃに対してであり、クリスマスに対してであり。
お菓子売り場に行っても、同じように感じる。
子ども向けのお菓子の成分表には、明らかに食べる人のことを考えてのことではない、いわゆる添加物の名前が並んでいる。
本当に、誰のためのものなの?
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いきなり小言のようなことから入ってしまったけれど。
今日は久々に大阪へ行く用事があって、眩暈がしそうな人の多さにクラクラしたから、かもしれない。
さて、話題をちょっと変えよう。
昨日のクリスマス・イヴには、妻のメイコが参鶏湯(サムゲタン)を、ぼくはスペインオムレツ風のものとケチャップライスをつくった。
オムレツにはルッコラとジャガイモとキャベツ、スイスチャードとケールのソテーを添えて。
ルッコラが多かったせいでちょっと苦くなってしまったが、子どもたちは喜んで食べてくれた。
食後には、たまパンのシュトレン♡
そう、世間の人はこういうシンプルで本当に美味しいものを知らないのだ。
という言い方、今度はぼくがちょっとイジワルモードかもしれないけど、まあいいや。
一番下の息子が胃腸風っぽくて、クリスマスディナーはみんなで一緒に食べれなかったのは残念だった。
それでも、こういう時間がもてたことは、やはりよかったなと思う。
クリスマスの絵本を読んであげた後、長男は「このシュトレンをサンタさんにあげたい」と言い出した。
サンタさんに手紙を書くというお話だったから、余計にそう思ったのかもしれない。
前回も来てくれたサンタさんに手紙を用意していた、今回はちょっと簡易版。
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今朝、早速プレゼントを見つけた上の二人の息子は、それぞれのおもちゃを手に、嬉しそうにしていた。
日常的にほぼおもちゃを買い与えない我が家にとって、クリスマスが単なる「おもちゃのもらえる日」になってしまうのは、特に危惧しなければいけない。
今のところ、サンタさんを氣遣ったり、ちょっとしたことでもそういう感覚はあってほしいと思う。
残念ながら、大人の大半はもう、「何のため?」や「誰のため?」という問い自体を、忘れてしまっているようにも思う。
誰もが、自分も人も幸せであってほしいと、心から願う世界であればいい。
プレゼントとは、「pre前もってsent送る」という説もあるが、「あらかじめある」という語源が有力なようだ。
子どもの頃には誰もがもっていたはずの感覚こそ、こういう日には再確認してみたい。
せれんでぃっぽ☆とむやん