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「雑」という言葉を、今年はますます注目していきたい、と思っている。
環境運動家の辻信一さんが著書などで書かれていて、おもしろいなぁと思っていた。
作家の高橋源一郎さんとトークイベントなども開催したそうだ。
「雑」には、「とるに足りない」とか「まぜこぜ」といった意味合いもあるけれど。
こんな状況だからこそ、再評価されていいのではないか。
ちなみに、このブログのタイトルにも「雑」を入れています。
「雑想(ざっそう)」って、響き的にも結構お氣に入り。
(思い付いてすぐ検索してみたら、やはり既によく使われているみたいで、それはそれでちょっと嬉しい)
辻さんは、「生物多様性というけれど、「雑」はそれを超えて完全な調和をつくり出している」と言う。
前回書いた「調和の回復」を考える上でも、この「雑」という概念がキーワードになるかもしれない。
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なぜ急に、「雑」のことを書く氣になったかというと。
ひとつには、正月には欠かせない「お雑煮」を食べたから。
「雑煮」というのは地域によっても家庭によっても本当にさまざまで、まさに「雑」そのものだと言える。
そして、この「雑煮」を食べていたら、世の中のこともより考えやすくなるような感覚があった。
ネットには、「お雑煮多様性マップ」なんてものもあって、なかなかおもしろい。
日本全国『お雑煮多様性』マップ 珍しいお雑煮がいっぱい – grape [グレイプ]
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辻さんは、「ものごとを単純化しようとする今の現実」を危惧している。
単純化して結論を出すことに焦る、そんな流れに対抗するのが「雑」だというわけだ。
そういえば、こんなことをふと思い出した。
珈琲を淹れるときは、できるだけ「雑味」が入らないようにする。
早く抽出すれば「雑味」は出にくい、遅過ぎれば「雑味」が多くなる。
けれど、「雑味」がない方がいいかというと、それでは深みがなくておもしろくない。
やはり、適度に時間をかけることが肝要だということか。
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今日は妻と一番下の息子と、senkiyaさんへ行ってきた。
埼玉県川口市にある一軒家を改装したカフェで、周囲にはギャラリーや工房などが集まる。
そこは今、「KAWAGUCHI SHINMACHI」として一大拠点となっている。
(もちろん、従来の価値観の「一大拠点」と全然違うことは強調しておきたい)
はっきり言ってしまえば「僻地」なわけだけれど。
むしろ、そこに県内外からたくさんの人が来る。
今日もカフェのみランチなしの営業にかかわらず、着いたとき(15時過ぎ)には満席だった。
まさにここは、褒め言葉としての「雑」の、見本のような場所。
大都市では「雑味」が排除される傾向が強く、つまらなくなっている氣がする。
(東京のオリンピック関連のことは、まさにその象徴のよう)
だから余計に、こういう流れに敏感な人が増えているんじゃないだろうか。
(↑これは妻が撮ってくれました)
「雑」に注目すれば、人生も世の中もますますおもしろくする、かもしれない。
今ぼくがやっていることもやりたいことも、そういえば「雑多」なことなんだよなぁ、とつくづく思いつつ。
せれんでぃっぽ☆とむやん