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今回、新しいカテゴリーを追加してみました。
「ABCのためのD」。
このブログを書いていて、もしくは【ABC】というブックカフェを主催してみて。
ブックカフェ「ABC」☆ - とむやんの氣まぐれ雑想記
普段当たり前に使っている単語が、人によって認識が全然違っていたりする。
もしくはやけにネガティブに捉えられていたり、解釈が曖昧だったり。
最近、語源や成り立ちに興味があって、よく調べるようにしている。
また、不当な扱い(?)をされている言葉に光を当ててみるのがおもしろかったり。
(↓以前、「雑」という言葉の「面目一新」するべく(大袈裟かな?)書いた記事)
そもそも、普段当たり前のように使われている熟語などでも、明治の頃につくられた「和製漢語」や「新漢語」といわれるものが結構ある。
正直言うと、「誤訳でしょう」と言いたくなるようなものもあるし。
そのことを別に、否定しているわけじゃない。
ただ単に、いっそのこと創作的な要素も含めて、再定義してもいいんじゃないかと。
そして、それがいくつも集まったら、「辞書」っぽくしてみたらどうだろう?
つまり、「D」はdictionaryのこと。
そんな思い付きを、ちょっとずつ形にしていけたらと思う。
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そういえば、この「辞書」という言葉もどういう意味なのか。
「辞」は、元々は「辭」という漢字。
「糸に上下から手をかけ、乱れないようにする」象形と、「入れ墨をするための針→罪人を責める」象形から成り立っているそう。
それが「詞」という漢字と音が同じで、「辞」も同じ意味をもつようになったとか。
あれ、なんかオチがあまりにもあっけない…。
でも、そうやって見てみると、音の響きというのはやはり重要な要素。
おせち料理とか縁起ものだって、駄洒落的な語呂合わせも多いし。
たまに、漢字の書き替えを「氣に入らない」という人がいるけど。
実は昔からあったことだし、個人的にはそんな目くじら立てなくてもいいかな、と。
(例えば、「上機嫌」を「上氣元」や「上喜元」と書くなど)
むしろ、もっと遊び心を発揮して、新しい言葉をつくってもいい。
そうやって言葉は、かえって生き生きとしてくるんじゃないだろうか。
「言葉はいきもの」なんて言い方もよく耳にする。
これまた「間違いを正当化するな」って怒る人がいたりして、まあいいけどさ…。
昔、天声人語に茨木のり子さんの「日本語」という詩が紹介され、別の随筆の言葉も引用されたことがあるらしい。
「いやな日本語を叩きつぶせば、美しい日本語が蘇るというものでもないだろう」
「正しい」と思うことを自分は貫く、それはいいことなんだろう。
自分は「いい」と思うものに、ただひたすらに光を当てていけたらと思う。
だけど、「悪い」と思うものを「切除」や「排除」してしまえばいいというのは、何か違う氣がする。
前回の記事にもつながる部分だけど、そこを「叩き潰す」ことって、実はそれ自体を抹殺しかねないこと、だったり。
そして、「人に向けた刃は自分に返ってくる」というけれど。
本当にこれは世の常だなぁと、そう思っているから。
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ところで、今月もまた【ABC】を開催予定です。
滋賀県栗東市のぼくの自宅アパートで、こじんまりと。
ヴァレンタインデーの2月14日、10時30分ごろから。
テーマは、「甘くて、ちょっぴりほろ苦い」。
いつも通り、ゆるい感じで楽しくお喋りができたらと思います。
《滋賀・栗東》オルタナティヴ ブック カフェ 【ABC】
新しいカテゴリーの「ABCのためのD」も、またこれからぼちぼち書いていこうと思いますので、よろしくお願いします。
せれんでぃっぽ☆とむやん