とむやんの氣まぐれ雑想記

〈探幸王〉を目指して、さまざまな想いを綴ります☆

十年一昔。


十年一昔(じゅうねんひとむかし)、というけれど。

f:id:serendippo:20170606221424j:plain



今日は6月6日、長男の誕生日。
あれから10年が経つとは、歳月の流れよりも、ただただ信じられない感じがする。

一年前の今日も、ブログを書いたのだけど。
あのときとはまたちょっと、心境が微妙に違う氣がする。

長男の誕生日に思うこと。 - とむやんの氣まぐれ雑想記



長男のときは、妻がまだ東京の教員をしていた頃だったので。
昼間などは、ぼくがいつも一緒にいて、「一対一」という構図が多かった。

楽しい思い出もたくさんあるし、申し訳なかったなと思うこともたくさんある。

そうでなくても、最初の子というのは、よくも悪くもチカラが入ってしまう。
今がいいのかどうかはわからないけれど、余計なチカラはだいぶ抜けてきたように思う。

10年という月日の、そのときは「今現在」に振り回されているだけかもしれなくても、「小さな積み重ね」ができていくのだろう。
それを変に大切にするでもなく、かと言って無視することもできない。

ともかく、「正解」を知りたいわけじゃないってこと。

f:id:serendippo:20170606225245j:plain




長男は小学校4年生、だけど学校には行っていない。
一年生のときからほとんど行かなくなり、今は放課後に少しだけ時間をつくってもらったりしている。

最初の頃は妻もぼくも、長男を学校に行かせようと無理強いしてしまった。
今振り返って、それは間違っていたとつくづく思う。

長男も、「あの頃は行きたくないことをうまく言えなくて、それがつらかった」というようなことを、最近になって言っている。

ぼくも、そうじゃないことを薄々わかっていながらも、でも「ただの怠け」なんじゃないかと思ってしまっていた。
今なら言える、それがたとえ「怠け」だったとしても、イヤイヤやることに何の意味がある?と。

二年生になって、担任の先生が変わって、初めは熱心に「復帰」できるように毎日来ていただいた。
けれど、親の方はもう「明らめて」いたし、その担任の先生もゆっくりと関係性をつくっていってくれた。
おかげで、彼の「行きたくない」という氣もちを受け止めてくれて、別の形でサポートしてくれたりして、親としても本当にありがたかった。

今は妻が「まなぶ くらす」という形で、ホームスクーリングを行っている。
(この辺のことは、また改めて書きたい)

まなぶ くらす




こういう話をすると、何と言うかちょっと「嫌がられる」ことがある。
実際、学校に行かなくなった当初、何人かに「親が行かせたくない」って思ってるからじゃないの?と言われたりもした。

子どもや親が「学校に行かない」という選択をしたからと言って、それは「学校に行っている」子や家庭への批判ではない。
もし「批判」だと感じられるとしたら、それは自分の中にその種があるからだと思う。

そういう個々の選択を、ただの「身勝手」と捉えるとすれば、社会として「人権」という意識が低いのではないか、と言わざるを得ない。

イヤなのにやらなければいけない、好きではないことにも「果敢に挑戦」すべきだ、そういう価値観の押し付けは、残念ながらむしろ逆効果だと思う。

繰り返すけれど、これは誰かに対しての批判ではない。
ただ、自分や自分の子の選択を尊重してほしい、それだけのこと。

それを尊重したからといって、その他の人の選択が阻まれるとしても、それは別の選択をした人のせいじゃない。


f:id:serendippo:20170606230150j:plain


長男が2歳になったばかりの頃、初めて滋賀を訪れたときの写真↑
このときはまだ、滋賀に住むことになるとは、思ってもみなかった。



書き始めたら、なぜかちょっと重たい内容になってしまった。
ついでなので、もう少し書いてみたい。


反町隆史の「POISON」という曲に、こんな歌詞があった。
「言いたいことも言えないこんな世の中じゃ」

言いたいことをすぐに言えるなら、それはとてもいいことだと思う。
後になって言うのは、ちょっと「ズルい」と思うときも、確かにある。

だけど、誰だって経験があると思うけど、その場で言い出せないことなんていっぱいある。

だから、「そのときに言える/聞ける」というシステムを構築することはとても大切なことだと思う。
それがないのに、「今になって言うな」というのは、強者の一方的な論理でしかない。


昨日は滋賀大学経済学部の公開授業で、タルマーリーの渡邉格(わたなべいたる)さんの話を聞いてきた。

「行動してから考えてきた」という格さんは、「頭の思い込みのウソを、身体で暴く」と言っていた。
まさにそれが、今日書いたことにもつながる。


子どもと関わると特に、そういう感覚に切り替わりやすい。
「親になる」という経験をさせてもらって、本当にありがたいと思う。

f:id:serendippo:20170606232258j:plain



                    せれんでぃっぽ☆とむやん