とむやんの氣まぐれ雑想記

〈探幸王〉を目指して、さまざまな想いを綴ります☆

metamorphosis


ここ最近のテーマ、〈報われない感〉。
そして、〈話が通じない感〉。

共通するのは、ざっくり言えば「また新たなステージへ」ということ、なのかな。
脱皮だったり換羽期だったり、もっと言えば「変態(metamorphosis)」だったり。

eclipse - とむやんの氣まぐれ雑想記

(ちょっと前には、「エクリプス」という言葉を使ってみました)


そういや、性的倒錯を表す「ヘンタイ」も、同じ「変態」なんだなぁ。

変態さ。 - とむやんの氣まぐれ雑想記
以前書いたように、自分の中の「変態さ」に氣付くってことが大切なのかも。
(なので、「変態」はどちらかというと、自分にとっては褒め言葉)


で、話を戻すと。

今、ぼくが着目している「話が通じる/通じない」というのは。
この場合、自分と相手の「読解力」の差から生じること、とはちょっと違って。
(「読解力」については、別の機会に考えてみたいですね)

そもそも、既に同じ土俵(フィールド)に立っていない、レイヤーが違う状態。
だから、話だけじゃなくて、存在そのものが「すれ違って」いる、と言っていいかも?

そう、「変態(metamorphosis)」した後って、生息環境を変えたりするもの。
なのに、以前と同じ状況に自分を置いているとしたら、合わないのは当然のこと。



さみしい氣もちになるときって、「新たなステージへ」ってことなんじゃないかな。

さみしさの論理。 - とむやんの氣まぐれ雑想記


《ABC》でも、「さびしさからはじめよう」というテーマを何度かやっていたり。

失恋状態ってなんなんだ? - とむやんの氣まぐれ雑想記


歌にもあるけど、ハナレグミの『サヨナラCOLOR』のサビ、「さよならからはじまることがたくさんあるんだよ」だったり。
佐野元春さんの『グッドバイからはじめよう』は、よく考えたら先ほど書いた「さびしさからはじめよう」の元ネタだな。

「終わりは はじまり」、ほんとそうです、その通りです。



実は今年、年が明けてすぐのこと。
ちょっとさみしくなっちゃうような、そんなことがありました。
と言いつつ、詳しくは書かないけれど。

話をしていた相手から、「低く見られている」「軽く扱われている」というのかな。
自分はそんな風に感じてしまった、受け取ってしまったのです。

だから、単なる「取り越し苦労」、「下種の勘繰り」だったんでしょう。
時間が経って、今はそう思えます。

ただ、事実としてどうだったか、ということよりも。
「氣付いてしまった自分」、というところがポイントなんだろうなぁ、きっと。


例えば、恋愛とかでの常套句、「もっとキレイになってやる!」みたいな。
別に、相手は「キレイじゃなくなった」から、他のオンナに鞍替えしたわけじゃない。
でも、ある意味ではまさに、「低く見られている」「軽く扱われている」ってこと。

そういう、「見返してやる」マインドって、案外わるくないんじゃないかな。
ただ、「不釣り合い」になってしまった、そこが重要なんだと思います。

「高い低い」があるわけじゃなくて、「チャンネルが違う」だけ。

だから、うまくいかないなと思うときは、意識的に「離れて」みる。
それって、ちょっと「さびしい」ことかもしれないけど、そこからはじまる。


周りが忙しなく、目まぐるしいスピードで動いているとき。
そういうときは、ちょっと立ち止まってみてもいい。

ふと、空を見上げてみたら、もっといいのかも。
逆に、足元に注目してみたり、とか。

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止まることができたら、逆に「迷わなくて」済むのかもしれない。
「迷ってもいい」んだけど、それよりは次の手を実行しちゃった方がいい。

それがまた違うなと思ったら、また立ち止まってみる。

「迷子」になったときみたいに、わかっている地点まで戻るのって、案外むずかしい。
でも、それで余計に現在地がわからなくなってしまう。
ますます「アウェー」な氣もちになってしまう。


「変態(metamorphosis)」/変化を怖れる必要はない、ということ。
むしろ、楽しんじゃっていい。

「すれ違い」や「不釣り合い」を感じたら。
それは、また「旅立つとき」が来たというサインかもしれない。
もしくは、もう「旅立った」ことの確認だったり、とか。

そう考えたら、ワクワクしてくる。

そういや、「サナギ」って、旅立つ前の準備。
立ち止まって、「変態(metamorphosis)」/変化するときなんだ。


                    せれんでぃっぽ☆とむやん