とむやんの氣まぐれ雑想記

〈探幸王〉を目指して、さまざまな想いを綴ります☆

身体のストライキ。


昨日、10月1日は「コーヒーの日」。
日頃、コーヒー好きを公言しているからには、何かしら書こうと思っているのに。

なぜか、いつも過ぎてから氣付くのです。

ブログを始めた2015年↓

ナマケモノカップ♡ - とむやんの氣まぐれ雑想記


2016年はスルーしてますね、どうやら…。

2017年、昨年は書いているときに思い出していますが。
結局、別のことを書いています(笑)

9月後半のライブ、3つ。 - とむやんの氣まぐれ雑想記



で、今年こそは~と思っていたのに。
前日から風邪っぽく、ちょっと回復したかな?と思ったら、結構熱が上がって。

ブログどころではありませんでした。

実はさっきTwitter見たら、書こうとしていたことがかなりタイムリーだったみたいで。
まあ、しかたないですね。

今日(2018.10.2)は他のことを書きます。
コーヒー関連?の話はまたそのうちに。



そうそう、奇しくも昨年のブログを見ると、同じ時期にやはり体調を崩していて。
そのときは胃腸風邪だったようで、収穫祭なのにほとんど何も食べられず…。

でも、季節の変わり目には大抵、風邪を引いたりしています。

それで、「寝込んでいて」と話をすると、心配してくださるのはありがたいのですが。
「よく体調崩すよね?」とか、妙に「病弱キャラ?」を押し付けてこられたりして。

確かに、子どもができてからは、寝込む機会も増えたような氣がします。
必ずしも、「感染」とか「うつる」わけではない、と個人的には思いたいのですが。
それでも、次の日に看病したこっちが寝込んで、子どもはピンピンしていると、そう思いたくもなりますよね。

まあ、それはともかく。
いずれにしても、体調を崩すというのは、とても大事なことだとぼくは思っています。

現代は氣兼ねなく体調を崩すことができない、のかもしれません。
台風のときですら学校や会社を休めないとか、さすがに今年はちょっと変わってきた?みたいですけど。


身体の言うことを聞く、自然の言うことを聞く。
体調や天候、季節やタイミングに影響される。

そういうことがいつの間にか、当たり前でなくなってきているのでしょうか。

そして、人が他者や自分をコントロールしたり、果ては「支配」したりできると、思い込んでいるのでしょうか。
それは、思い上がりというもの。

学校も会社も、たとえば家庭でも。
ストライキ」とか「ボイコット」って、もっとあってもいいと思うんですよね。
ところが、実際には逆行している、「ストライキ」なんてほとんど見ない。

で、体調を崩すって、言ってみれば「身体がストを起こしている」ってこと。


体調を崩したら、しっかり寝込む。
もちろん、そうは言ってられないということも多々あるでしょう。

だけど、結局後々「ツケ」が回ってくる。

自分の都合で体調を崩せない、ぼくはそんな生き方にはどうしても戻れないなぁ。
それだけを見ると、すごく生きづらい感じに思われるかもですが。

でも、おかげさまで日々元氣にハッピーに暮らしています。
それは、何ヶ月かに一度しっかり寝込むから、と言っていいのかもしれません。



そんなわけで、2日間しっかり寝込んで。
お昼ご飯をつくって(自分はほとんど食べずに)、歩きに行くことにしました。

以前にも書いたことがありますが、お氣に入りのコースがあって。

歩くこと。 - とむやんの氣まぐれ雑想記

(↑このときは遠回りしたり、別ルートも通っていますが)

細い曲がった坂道、小さな土手。
そこにはいつもこの時期、彼岸花がキレイで。

残念ながら、今はもう全部散っていました。

曼珠沙華☆ - とむやんの氣まぐれ雑想記

(↑以前書いた記事に載せたのは、そこで撮った写真です)

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(↑写真は9月半ば、別のところで撮ったもの)


その後はBOOK OFF寄ったり、マックスバリュで買いものしたり、世俗的な時間を過ごしましたよ(笑)

でも、そこでふと思ったこと。

身体の言うことを聞くってことは、人によってはオーガニックにこだわること、かもしれない。
ある人にとっては、ジャンクなものを食べたいと、そのときはそれが最良の選択かもしれない。

当たり前だけど、人によって違うんですよね。
人によって、だけじゃなくて、その人の今日と明日だって違うかもしれない。


パートナーのメイコは、付き合い始めたとき、「糖尿病一歩手前」の状態でした。
だから、デートしてても急に座り込んじゃったり、飴玉は手放せなかったり。

結婚してからはぼくも玄米菜食になって、いろいろ買いに行ったりしました。
大変な面も多かったけど、学ぶことも多かったと思います。

そして、きっと子どもは無理だろうという状態から、今では3児の母ですからね。

今ではもう、厳密なマクロビオティックとかできないと思うし、ベジタリアンでもなくなってきています。
でも、そのときは本当にやっていてよかった。

結果、ぼくは結婚してから2年間、毎月2キロずつ体重が落ちて、最終的に18キロ痩せました。
それに、料理が楽しくできるようになったのも、この時期があったから。


ぼくの周囲には、「砂糖断ち」をしている人が結構います。
ぼく自身も、そういう経験があるから、本当はそうしたいのですが。

で、こういう話をすると、「砂糖は悪だと言うのか」とか、その逆のことを言う人が出てきたりだとか。
あのね、そういう話じゃないんだって。

でも、なんですぐにそういう対立構造になってしまうんだろうと、いつも思っていて。
(実際、友人は周りにはなかなか理解されないんだよね~」と言っていました)

それって、ひとつには「身体の言うことを聞く」習慣がないから、なんだろうなぁ。
コントロールしたい、支配したいという、そこから抜けられない。

だけど、そういう意味で言うなら、人生はコントロールできない。
身体は支配できないし、思い通りになんてならない。

じゃあ、どうするのかと言うと。
世界をもっと信頼してみる、委ねてみる。

流れに乗って生きると、もっと楽になる。

これ、言葉にするとどっちにも解釈できるので、余計伝わらないんだと思いますが。
(まだこねくり回している、「雲の意図」という歌は、その辺がテーマになりそう)

自分の身体がストライキも起こせないくらいになっていると、世界というものに対して「疑心暗鬼モード」が解除できなくなるのでしょう。
そしてぼく自身、ずっとそうだったんだろうなぁ。

「疑心暗鬼モード」は、「許さない」「許したくない」が凝り固まったもの。
まずは自分の身体が寝込むことを許すことから始めたら、案外うまくいくかもね。


                    せれんでぃっぽ☆とむやん