とむやんの氣まぐれ雑想記

〈探幸王〉を目指して、さまざまな想いを綴ります☆

〈メンドウ〉をおもしろがる。


今月は引っ越し準備やらなんやらで、やっぱりバタバタしそう。
書きたいことはたくさんあるけど。

今日(2019.1.11)はさらっと、メモ程度に。



何の為に生きるのか。
アンパンマンの歌みたい、ですけどね。

なぜ「身体」をもって生まれてくるのか。
そして、なぜわざわざ不自由な状況で、人生を送るのか。


あんまり、意味とか考えなくていい、とも思ったりもしつつ。

〈メンドウ〉なことって、実はそれを考える上でとても重要なんじゃないか。
そんなことを思ったので、書き残しておきたくて。



人と揉めたり批判されたり、人間関係ってわずらわしいことが多いけれど。
でも、結局「どこにフォーカスするのか」、なんでしょうね。

自分もすごく〈メンドウ〉なニンゲンだな、って自覚しているつもり。
ただ、そういう〈メンドウ〉な人ほど、おもしろいと思っていたりもする。

まあ、〈メンドウ〉にも種類があって、関わらなくていいものもあるのかも。
ここで言いたいのは、何でも「〈メンドウ〉だ」で済ませてしまうと、人生がつまらなくなる。

だって、言ってみれば「人生なんて〈メンドウ〉なことだらけ」だもの。


スポーツやゲームだってそう、〈メンドウ〉なときほどおもしろがれるかどうか。

大概「イヤだな~」って思っちゃうし、それがダメってことじゃなくて。
ゲームで例えるなら、「Normalモード」終えて、「Hardモード」に挑戦するように。

体験する、体感する。
ときには痛みを怖れず、行動する。

岡本太郎的に言えば、〈メンドウ〉な道にこそ挑む、みたいな。



と、ここまで書いてみて、調べてみた。
〈メンドウ〉と、わざとカタカナで書いてみたけど、「面倒」の語源は?

「ほめる」や「感心する」という意味の「めでる」から、という説と。
モノをもらったときに言う感謝の言葉「めったい」などから、という説と。

いずれにしても、感謝を表す言葉から、だそうです。
意外。

語源を知ると、ますます〈メンドウ〉が人生のカギなのかな、って思っちゃう。

「ままならぬ」を楽しむ。 - とむやんの氣まぐれ雑想記

最近では、こんな記事も書きましたが。

〈普通〉の人。 - とむやんの氣まぐれ雑想記

以前書いた〈普通〉についても、合わせて考えてみたいところ。


〈メンドウ〉なことを一緒に楽しめる人がいたら、それってやっぱり幸せなこと。
思えば、結婚だったり家庭だったり、チームってそういうことなのかもしれない。

今年はさらに、〈メンドウ〉をおもしろがってみたい。
改めて、そう思ったところです。

f:id:serendippo:20190111232933j:plain

(↑年始に行った科学博物館で撮ったもの、ちょっと幻想的でおもしろかったので)


                    せれんでぃっぽ☆とむやん