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お題、「迷い」と「決断」について。
興味深いテーマだな、ゆっくり考えよう、と思っていたら案の定ギリギリ滑り込み。
(6月5日、今日が締め切り)
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「〈決断〉のとき」というのは、ぼくにもこれまでたくさんあったはず。
けれど一方で、自分は〈決断〉というものをそんなにしてこなかった氣もします。
いつも迷って、「きっぱりとした結論」よりも「とりあえずやってみる」の連続。
例えば、結婚。
どういう流れで結婚しようということになったのか、実はあまり憶えていなくて。
何となく、そろそろ結婚かもね、って感じだったような。
元々は妻もぼくも、結婚という制度自体、自分たちに馴染まないと思っていましたし。
大きな流れが来て、乗ろうかどうしようか迷っているうちに、波に巻き込まれていく。
どちらかと言うと、そんなイメージなんです。
〈決断〉というニュアンスからは、かなりかけ離れていますね。
例えば、滋賀に移住したときもそう。
2人目の子の出産を関東で、というのはさまざまな不安要素がありました。
原発事故の影響、続く余震、計画停電、などなど。
だから当初は、「とりあえず一年、別のところで暮らす」ということにしたのです。
結果的には滋賀がとても住みやすかったので、「移住しよう」ってなったんですけど。
今回の京田辺への引っ越しだって、「寝耳に水」でした。
でもこれもまた、何か大きな流れのようなものを感じたので。
その大きな流れって、こちらに「選択の余地がない」ように思えます。
まるで、台本に書いてあるかのように、「行く」というシナリオがそこにある。
それなら、どうやってこの流れを受け入れていこうか、日々試行錯誤している最中。
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別に、〈決断〉という言葉に難癖をつけるつもりはないのですが。
でもやっぱり、「断」という字が入っていることに、ぼくは違和感をもちます。
〈迷い〉を断ち切って決める!みたいなイメージ、ですよね。
確かにまあ、そういう方がかっこいいのかな、と思うときもありますけど。
退路を断って、どちらかに決めるという〈決断〉よりも。
とりあえず直感に従ってみようというような、フレキシブルな〈決断〉があってもいいのでは?
「違ったかな、じゃあやっぱりこっちで」、とやり直すことも常に意識しつつ。
迷いながら行けよ、行けばますますわからなくなるかもしれないけど。
でも、ダンジョンだって迷路だって、迷わなかったらおもしろくもなんともない。
たぶん、大抵の人は「迷って宙ぶらりん」の状態でいたくないんだと思います。
そこから抜け出そうともがくことは、大きな推進力になるのに。
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今思い付いたんだけど。
〈迷う〉ことは、マイナーバージョンアップ(minor upgrade)なのかも。
逆に、大幅なバージョンアップ(major upgrade)がしたいなら。
何かしらの〈決断〉をする必要がある、のかもしれません。
先日読んだ、『コーヒーの人 仕事と人生』。
その中で、Little Nap COFFEE STANDの濱田大介さん、こんなことを仰っています。
暑い日に飲みたいコーヒーと寒い日に飲みたいコーヒーは違う。
だから、豆のブレンドも少しずつ変えているし(中略)
環境や自分の感覚が変わるから、メソッドも豆も日々変わり続けています。
オープンしたての頃の味と今の味は変わらないね、と言ってくれる人もいるんです
けど、きっと長い間店に来続けてくれている人にとって飽きないということは、味
が絶えず変わり続けているっていうことなんですよね。
これと同じような言葉が、『コッペパンの本』にも書かれていて。
滋賀のつるやパンも、変わらない味のために定期的に配合率を変えたりしているんだそうです。
変わらないために変わり続ける、変わり続けるから変わらない。
禅問答のようですけど、真理だなぁと思います。
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「本当にこれでよかったのかな」という迷いは、誰でも心当たりがあるはず。
それならそれで、〈迷い〉も旅のお供にしてしまおう。
ビジネスの世界ではどうなのか、ぼくはわかりませんが。
一般的には、「〈決断〉のとき」なんてしょっちゅうあるわけじゃない。
「結婚」や「転職」などの人生の大きな岐路。
それが何の前触れもなく、いきなり人生に立ちはだかったりしないでしょう。
だから、まずはリサーチしてみたり、やっぱりやめようかなと逡巡してみたり。
そういう「ゆるやかに決めていく」こと、〈決断〉とはちょっと違うニュアンス。
何かいい表現はないのかな。
ぼくはこれからも、迷いながら、そしてそれを楽しむくらいの気概で生きていけたらと思っています。
せれんでぃっぽ☆とむやん
#「迷い」と「決断」
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