とむやんの氣まぐれ雑想記

〈探幸王〉を目指して、さまざまな想いを綴ります☆

茄子の蒲焼き、そしてバイアスについて。


Twitterを見ていたら、「話題のツイート」に〈現状維持バイアス〉という言葉が。

ちなみに実はこれ、化粧品の会社のコマーシャルでした。
でも、〈現状維持バイアス〉をコピーに使うなんて、おもしろいなとは思いました。


〈バイアス〉とは、先入観や偏見のこと。
「思い込み」より、脳が無意識的にそう処理してしまうニュアンスがあるの、かな。

「呪い」のメカニズムとも関連してそうだけど。
(そこまで掘り下げると終わらなくなるので、今回はやめておきます)

〈バイアス〉には元々、「自己防衛」の機能の面もあるだろうし。
うまく活用することもできるのでしょうけど。


例えば、都合のいい情報しか信じなくなり、偏った情報ばかりを集めてしまう。
(〈確証バイアス〉というそうです)
反対意見や都合の悪い情報を排除すれば、ますます偏って…という悪循環。

「鎖でつながれたサーカスのゾウ」の例え話、あれも〈バイアス〉かな?
子どものときに鎖でつながれていたサーカスのゾウは、大人になっても細い鎖でも逃げようともしない。


今回の選挙でも、こんな意見?をよく目にしました。
「今の生活に満足ではないけど、積極的には変えたいとは思わない」。

現状維持でいい、という人は与党に投票するか、そもそも投票に行かない。

今の状況からすると、「現状維持を望むならむしろ投票に行って野党に入れないと」。
この意見もよく目にしました。

ところが、バイアスかかっていると、この言葉自体がスルーされてしまう。


ぼくはいつも「人生はエスカレーターを逆走するようなもの」と思っています。
現状維持と思っても歩かなきゃ同じ場所に留まれない。
立ち止まってもいいけど、止まっているだけだとどんどん後退してしまう。



ところで、一昨日(2019.7.27)は土用の丑の日でした。

これまたTwitterの話、しかも半年くらい前のこと、なんですけど。
ある落語家さんが鰻を食べたとツイートしたら、「絶滅危惧種の絶滅に協力していると公言している」と文句をつけられた、というひと悶着があったらしい。

確かに、この指摘の仕方はどうかなぁとは思います。
でもそれに対して、「鰻食って怒られたんじゃ何も呟けないよ」「私は鰻を食べます」と返したんですね。

申し訳ないけど、それはそれで「大人げないなぁ」と思っちゃう。


ニホンウナギは今や絶滅危惧種

ウナギという魚の絶滅の危機 |WWFジャパン

ヨーロッパウナギの稚魚も密輸され、3600億円規模の闇ビジネスになっているんだとか。

そういう現状を知っているのかどうかはわからないけれど。

落語家さんだったら、こんな返答を期待するのはヤボでしょうか?
「そうか、絶滅か、そいつは困るな」
「オレは鰻が好きだから、子や孫の代にも食べさせてあげたい」
「わかった、オレは一生分の鰻は食った、次の世代のためにオレはもう鰻を食べない」

そう言って、こっそり老舗の鰻屋さん行ってたっていいんですよ。
いずれにしても、こんなような受け答えなら、さすが落語家さんは粋だなぁってなるのに。

まあ別に、お説教しようとかそんなつもりはありません。
この落語家さんがどういう生き方をしようが、どんなツイートをしようが興味ないし。

それに、彼ひとりの問題ではないですからね。

ただ、これにぶら下がるコメントがひどかった。
問題だなと思うのはむしろそっち。


鰻については、ぼくも「食べるな」とまでは言いません。
本当に絶滅を危惧するほど減っているのか、調べる必要もあります。

だけど、「土用の丑の日に鰻」はもうやめていいんじゃないですか?と言いたい。

そして、現状を認識して共有して、解決策を考えていきたい。
(これは鰻だけの問題ではないはずなので)


実際今年は鰻以外の提案もたくさんあったらしいです。
ナマズやサケ、豚肉などの蒲焼き。

うちも、それに合わせたわけじゃないんですけど、茄子の蒲焼きをしました。
以前やって美味しかったのを、長男がたまたま思い出してリクエストしてくれて。


焼いた茄子にタレをかけただけの簡単なお料理、です。
でも美味しいんですよ、味は鰻とは全然違うけど、見た目は案外似てる。
(焼き方などで、もっと似せることもできます)

f:id:serendippo:20190730003043j:plain



タレは煮切ったみりんに醤油を足しただけですが。
調味料にこだわるとそれだで完成度が高くなります。


f:id:serendippo:20190730003106j:plain




ちょっといろいろ脱線氣味でしたけど、やっと本題。

この「土用の丑の日の鰻」、平賀源内が発案したというのが定説、最近はよく知られた話になっています。
真偽はともかく、夏に売れない鰻を何とかするために「土用の丑の日には鰻」で売り込んだ、というは間違いなさそうです。

土用の丑の日に鰻」はつくられたブーム、根底には〈バイアス〉が見え隠れする。
こんなものを後生大事に、根拠もないまま「土用の丑の日に鰻」を食べることを習慣化するなんて。

鰻屋さんや魚屋さんはともかく、スーパーやコンビニで大々的に売る必要があるの?
それを「季節感」とか言ってごまかすのは本当にやめてほしい、って思います。


「季節感」を手軽にイベント的に楽しむ、それが悪いとまでは言いません。
でもそれなら日頃、生活の中で季節の移り変わりを感じているのでしょうか。

野菜だって魚だって、「旬」ってものがある。
ちなみに、鰻の旬って10月から12月だそうですよ。

夏に鰻が売れなかったのだって、ちゃんと理由があったんじゃないかってこと。

特定の日にだけ、お手軽なフレーズとして出てくる「季節感」。
その一方で、普段はそのセンサーを切ってしまっているのが現状。

土用の丑の日に鰻」、それを「季節感」と思い込んでいること。
〈バイアス〉は思考停止、というよりも〈思考開店休業〉って感じなんでしょうか。


ついでに、コンビニやスーパーでのクリスマスケーキや恵方巻も、一旦やめません?
フードロスのことも、そろそろ本氣で考えたいところ。


絶滅危惧のことを書いたから、かえってわかりにくくなったかもしれません。
でも、もしかしたら「絶滅」してしまうかもしれないという状況に対して、世間はあまりにもにぶい。
それは、地球規模の氣候変動のこともそう、いわゆる「不都合な真実」ですね。

まともな反論があるのならまだいいのですけど。

打つ手がない、続けるしかない、何もしたくない。
〈バイアス〉に囚われていると、なんだろう、氣力をできるだけ使いたくない感じ?
妙な「省エネモード」になってしまうのでしょうか。
(そして発展形が〈思考開店休業〉ってことなのかな)



〈バイアス〉がかかっている人のお決まりのセリフ、「〇〇ってこうなんでしょ?」。
大抵、いつまでも情報を更新することなく、場合によっては誰かの受け売りそのままだったり。

そう、これでは絶対幸せになんてなれない。
別に幸せになんてならなくていいし、というのなら、たぶんこのブログは不必要です。
「〈探幸王〉を目指して、さまざまな想いを綴ります」というサブタイトルだし。

自分でもすっかり忘れていましたけど、と思ったら、一年前にも同じように書いてる。

No Revolution, 農 Life. - とむやんの氣まぐれ雑想記


「迷いと決断」、そして〈現状維持〉を抜け出して「幸せ」を探し出すには?
今回、実はその長い前振りだったりもします。

なんか、やっと言葉にできそうなところまできました。
でもそれには、こうやって思いついたことをとにかく書き出すこと。

この辺のことはもっとわかりやすくまとめたりもしようと思っています。
次回、もしくはもうちょっと先か、続きを書くつもりです。


                    せれんでぃっぽ☆とむやん