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今日(2020.4.20)は久々に、「後悔日記」ではないものを。
ちなみに、ここまで6回、「後悔日記」を書いてみて。
常体(~だ/である)の方が書きやすいな、と改めて思ったり。
今は特に、誰かに向けての記録、というわけでもないし。
(fbにシェアするのも、何となくやめている)
そんなわけで、今日は普通?のブログだけど、常体で書いてみることにする。
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土曜日日曜日と、アースデイ東京2020が「オンライン」で開催。
昨日は見なかったのだけど。
一昨日はちょこちょことチェックをして、夕方はしっかり見てみた。
まず、なぎら健壱さんのLIVE映像。
もうかなり前だけど、友人に誘われて吉祥寺になぎらさんのLIVEを見に行ったことがあったなぁ。
そして、Yaeさん、辻信一さん、高野孝子さんのトーク。
「コロナの時代の新しい地球環境と未来の可能性」、これがまた本当によかった。
大気汚染が原因の死亡者数は、全世界で年間880万人に及ぶ、のだそう。
ちなみに、トークの中で辻さんが言っていた数字とは違うかもしれない。
正確に憶えていないので、さっき検索してみた。
(ドイツのマインツ大学の研究結果、2019年3月の記事)
喫煙が原因の死亡者数は年間720万人と推定、それよりも多いということになる。
しかも、喫煙以上に避けることが難しい。
グレタ・トゥーンベリさんのことも話に出てきて。
当然(?)のように、辻さんはセヴァン・スズキさんの「伝説のスピーチ」のことに触れて。
1992年、リオデジャネイロでの地球サミット。
12歳だったセヴァンさんのスピーチ。
「どうやってなおすかわからないものを、壊し続けるのはもうやめてください」
「新型コロナウイルスは敵なのか?」というような問いがあった。
そう、残念ながらどうやら〈敵〉として駆逐すればいい、というものではないようだ。
そもそも、排除できるのか、ということもあるけれど。
それならば、人類は地球にとって〈敵〉なのか?
これまでのやり方はもう通用しない。
戦後、そして原発事故後、ずっと向き合わないできてしまった問題が今、突きつけられているのかもしれない。
コロナとともに、どう生きるのか。
辻さんが語ったのは、金子みすゞさんの「大漁」の視点だ、と思う。
今読んでいる『幸せになる勇気』に、こんなことが書いてある。
【世間一般で考えられている共感、つまり相手の意見に「わたしも同じ気持ちだ」
と同意することは、たんなる同調であって、共感ではありません。共感とは、
他者に寄り添うときの技術であり、態度なのです】
この本はベストセラーになったし、今はよく「共感の時代」だと聞く。
ならば、相手に敬意をもって寄り添う視点というのは、これからますます重要になっていくはず。
先日、noteにこんなことを書いた。
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最近、とても落ち込む。
以前落ち込んでいたのとはたぶん違う理由で、でも同じように「落ち込むことは悪いことではない」と思っている。
今、落ち込むのは〈落とし込む〉ため。
「諦め」なければ、「明らめ」られないのと似ている(氣がする)。
「終息」ということはきっと「ない」し、いずれにしても元には戻らない。
戻れないし、戻っちゃいけない。
そうは言っても、やはりなかなかその現実は受け入れがたい。
だから、落ち込んで、家に籠りながら内を見つめて、また落ち込んで。
やっと、「元に戻る」のとは違う、この先を考えてみたいと思えるようになってきた。
こんなに急激に変わるなんて、もちろん想定していなかった。
でも、変わらなければいけないと思っていたし、その準備だって多少はしていた。
前もっての心の準備は万全ではなかったけど、それならもう「受け止める」しかない。
〈覚悟〉するのは、落ち込む必要があるのかも。
「成功するマトモな経営者」と自称する人がTwitterで、「同業者の倒産はBADニュースではありません」と書いていた。
「コロナ回復局面が来たとき、有利に残存者利益を得られる」とも。
「これまで」ならそれが〈成功〉だったし、必要なことだったんだろう。
競合をさまざまな方法で蹴落としてきたんだろう。
けれど、「これから」はそれではうまくいかない、とぼくは思っている。
もし、それで利益をより多く得られたとしても、それを〈成功〉だとは言いたくない。
そう、もう変わってしまったんだよ。
その辺のことは、また改めて書くつもり。
(もしかしたら、noteの方で)
思い付くままに書いたので、また整理して今思っていることを書き留めておきたい。
特に、「これから」について。
そうそう、もうひとつだけ。
一昨日は義理の弟が来てくれた。
産まれてまだ半年ちょっとの娘を連れて。
初めて抱っこさせてもらった。
赤ちゃんは「守らなければいけない存在」、なのになぜかこちらが守られるような、力と癒しを与えてくれる。
希望であり、しっかりしなければ、と改めて思ったり。
午前中、地元の和菓子屋さんに行ってみた。
氣になりつつ、まだ行ったことがなくて。
京田辺らしいもの、ということで「一休どら焼き」。
お昼を一緒に食べて、その後のコーヒータイムに。
せれんでぃっぽ☆とむやん