とむやんの氣まぐれ雑想記

〈探幸王〉を目指して、さまざまな想いを綴ります☆

後悔日記 2020/12/31


今日(2020.12.31)は大晦日、2020年ももう終わる。
昨日書いたように、最後はやはり「後悔日記」で。


もう何度もこのブログで書いている氣がするけど。
できるだけ「旧暦」を意識するようにしていて、だけど新暦は無視するわけじゃなく。

やっぱり、節目としては新暦の年越しも大事。
それに、2020年という年は、明日から2021年に切り替わるのだから。


自分は誕生日が7月21日で、21という数字に何となく愛着があって。
2021年も、勝手に親近感もってたりする。


それにしても、こんな年になるとは思わなかったよなぁ。
でも一方で、「今のまま」が続くとも思ってはいなかったけれど。

STAY HOMEの時期、世界中で大気汚染がなくなったり、なんだやればできるんじゃんって教えてくれた年でもあった。
これまた何度も書いているけど、「コロナ以前」なんて、戻らない方がいい。

まあ、そもそも戻りたくても戻れない、はずだよな。



今朝は、メイコと子どもたちがつくった蒸しパンと、茶楽園のほうじ茶。

この後、残しておいた「たまぱん」のシュトレンをみんなでひと切れずつ、大人は珈琲を淹れて。
(ママ友にいただいた升尾珈琲の豆)

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この話はInstagram&fbにも書いたんだけど。
末っ子は今年、「パン屋になる」と宣言?して、それからはコーヒーを挽くときも率先してやってくれる。
「パン屋はいろいろできないと」とか言って。

それはとても嬉しいことなんだけど。
今日、ぼくが「子どもたちが…」って言ったら、「ぼくが一番やった」と言い出して。

「一番とか、ないよ」と言っても、全然引かない。

それで、除夜の鐘の話題になって、末っ子が「(お寺の)鈴は誰が鳴らすの?」と聞いてきた。
サンタクロースの話と混ざってるのかな?

それはさておき、ぼくはすかさず「人には「自分が一番」とか、そういう「煩悩」ってのがあって、それをもち越さないために108回鐘をつくんだよ」と。
「煩悩」なんて言われてもわからんだろうけど、何となくは理解したみたいで、氣まずそうにしてた。

その後は機嫌を損ねることもなく、いろいろお手伝いしてくれた。


お昼は、ぼくが簡単に。
油揚げと紫キャベツ、お弁当用に冷凍していた豆もやしとかを炒めて、ごはんに混ぜたもの。
子どもには2つ、大人は1つ、タコさんウインナーものせて。

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風が強くて寒かったけど、買いものへ。
年末に珈琲豆を買おうと思っていながら、タイミング合わずで。
(今週、買いに行ったのだけど、もう閉まってた…)

自転車で行くにはちょっと遠いかな?と思いつつ、はじめて行く喫茶&焙煎のお店へ。

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迷いはしなかったけど、思っていたより時間がかかってしまった。
カフェでお茶して、豆も買ってと思ってたけど、どうしようかな、って思ってたら。

扉を開けたら、まあまあ人がいて、それがギロリとこっちを見てくる。
正直、ちょっとイヤ~な感じ。

ぼくはコンタクトレンズしてても、あまりよく見えなくて、表情とかまでわからない。
だから、別に睨まれたわけじゃないのかも、だけど。

あ~、これは豆だけ買って帰った方がいいんだな、と。
会計して、さっと出てきた。


今年、「後悔日記」をつけてるから余計に、なのかな。
こういうことが多いような、でも以前もあったけど記憶に残っていないだけなのか。

いずれにしても、そうやって「場違い」なのかなって思ったときは、長居は無用。
タイミングじゃないのか、そもそも縁がないのか、その両方か。


他の買いものもして、家に着いて時間を見たら。
やっぱりカフェはしなくてよかった、と思った。

晦日、みんなで蕎麦を食べないと。
子どもたちも手伝って、天ぷらを揚げていて、ちょうどできたところ。

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美味しかった。
長男が出汁をとって、それがまたよくできてた。


買った珈琲豆は新年の楽しみにしよう、きっと美味しいはず。

でも、夜だけどもう一度珈琲淹れて、飲みたいなと思った。
シサムコーヒー、茶漉しドリップでひとり分。


そんな感じの大晦日
実は、もうひとつ、ちょっとしたことがあって。

「栗屋敷~栗コーダカルテットの年末年始~」という特別番組がNHKラジオである、しかも、あがた森男さんがゲストだと。
これは絶対聴かなくては、と思っていたのだけど。
なんとなんと、午前と午後を見間違えてて、午後8時過ぎてからそれに氣付いた…。

まあ仕方ない、「聴き逃し」で今度聴こう、ということになった。

これもまた、タイミングなのかもね。
リアルタイムで聴きたいとは思うけど、何かわからないけど、そうじゃない方がいいよ、ってサインだったり。

そう思うことにする。



2020年、最後の「後悔日記」。
結局あんまりこの一年の総括的な話にはならなかったな。

なので、最後にそれっぽいことを書き残しておこう。


たまぱんのシュトレン、ほんと美味しかった。

今日はぼくは端っこをもらって。
ドライフルーツも端まで詰まってて、その感じがたまぱんのパンがどれだけ愛にあふれているか、をあらわしている氣がして。

シュトレンとしてはそれは当たり前?なんだとしても。
今まで食べたたまぱんもそうだった、やっぱりそれは「愛」だな、って思う。

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(クリスマスのときにもUPした写真だけど、もう一度)

たまぱんのたーさんって、ほんとに「愛の人」、ぼくにとって「メンター」のひとり。
そのことを本人に言ったことはたぶんないけど。
「メンター」っていうのも、勝手に思っているだけのことであって、「心の友」ならぬ「心の師匠」みたいなものだからね。

「こういうとき、たーさんだったらどう言うだろう、どうするだろう」とか。
(当然のように、たーさん以外の人、生きている人そうでない人、友人から著名人までいろいろ、自分にとっての「メンター」が数人いる)

自分が珈琲淹れるとき、たまぱんのような、ほんとに美味しいなぁとしみじみ思うような、そんなものにしたい。
もちろん、珈琲に限らず、他のことも。

それで、愛って「躊躇がない」んだなって思った。
「いざ」っていうときに迷いがない。

これまた、このブログで何度か書いている「迷い」。
迷うことは全然わるくない、むしろいいことだと思ってるし、そう書いてきたんじゃないかな。

そういえば、オリジナル曲『Slow Walker』で「迷うことは誰だってあるさ、それが人生だろ?」って書いたなぁ。

それは今も同じ意見、でもやっぱり「いざ」というときには迷わない。
迷っちゃいけない、んじゃなく、そこに愛があれば「迷いがない」。

歌を歌っているときも、最初の頃はそういう「勢い」がなかった。
躊躇があると、大抵うまくいかない。

そういえば、運勢ってのも「勢い」だって聞いたな。

愛があるなら、運勢だって当然よくなる。
逆に、運勢がよくないのなら、愛があるか、疑った方がいいのかも。

あ、ここで言ってるのは、恋愛的な愛じゃなく、もっと広義的な愛ですよ。

生きること自体、「愛」というテーマは避けられないわけだけど。
だから、取り立てて言う必要ないかもだけど、2021年も「愛」をもって迎えたい。

いろいろあったけど、2020年、いい年だったな。
強がりで言ってるんじゃなく、改めてそう思う。

え?最初と言ってることが違うって?
「こんな年」にはなったけど、それも必然だから。

「後悔」もたくさんできて、よかった。
来年もしっかり「後悔」して、繰り返さないようにしたい。

そんなわけで、2021年はもっとおもしろくする、楽しんじゃうぞ~と思ってる。
まだまだ、こんなもんじゃないんだから。

このブログを見ている人がいるのか、わかんないけど(どっちでもいいか)。
2020年、ありがとうございました☆


 後悔日記 2020/12/31


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