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水曜日の夕方は、いつものように住道へ。
そんなわけで水曜日は忙しいのだけど、昨日(2021.10.6)は特にバタバタした。
住道では、久々のアメツチ。
本日のコーヒー(ブラジル)と、リンゴとグラノーラのケーキ。
お茶をしながらと、帰りの電車、そして帰ってから、この本を読んだ。
(その前から少しずつ読んでいたけど、昨日半分くらい読んだ)
『30年目の待ち合わせ』
/エリエット・アベカシス /斎藤可津子 訳
パリが舞台の、大人のラブストーリー。
時代の移り変わり、携帯電話が出てきて、フェイスブックが出てきたり、その辺もまたおもしろい。
(その都度、連絡の取り方や会い方が変化する)
しかし、タイトルにあるように、まさかの30年越しの再会。
(途中何度か「再会」はしているのだけど)
フランスだからなのか、この人の特徴なのか、ちょっと変わった(ぼくはあまり馴染みのない)言い回しとかが多くて、少しだけ戸惑ったけど。
相反する言葉がひたすら羅列されたり(愛ははかなくて永遠、瞬間的でずるずる引きずり、以下略)。
そのくせ、最後はわりとあっさり、という氣もする(それがいいわるい、ということではなく)。
一番氣になったのは、アメリの結婚相手。
「裏切り」の後の彼は、まあほんとにひどい。
ちょっとそこから脱線して。
「私は悪くない」みたいな言い分って、ぼくも当然あるし、でもでもこれがほんとに厄介だなって思う。
ここからは愚痴的なことになってしまう(そしてこれを読む人は何のことかわからないだろう)けど…。
「あの人」は決して悪い人ではないし、まあ「悪氣」もないのはわかってる。
でも、自分の「否」を認めないし、それは「頑として」と言うよりは「のらりくらり」と言う方が近いのかもしれない。
結局、「私のせいじゃない」とやんわり主張することで、(大抵は)子どもたちのせいにする。
疑い、ときにはそれをいやみっぽく言い、はたまた自虐的になったり。
パッと見ではわからないのだけど、よく聞いているとそういう「余計な一言」が多い。
子どもたちはいつも聞いているから、もう「あの人」の言うことをほとんど聞かない。
ぼくもまた、そのことをどうにかしようとは思えない。
最近はもうほんとにうんざりしてる。
『30年目の待ち合わせ』とは違って、恋でも結婚でも、相手がそこまで「えげつない」ということでもないのだけど。
「私は悪くない」という人生を「捏造」しようとすると、ほぼ間違いなく「脱線」するよな、と思う。
前回の後悔日記に書いたように、自分の「二面性」とか「否」を認めることって大事だよなと改めて思っているところ。
今回は、自分でも後で読み返したら「何のことかさっぱりわからん??」となるかもしれない。
それでもともかく、この今の心境を書き残しておきたかった。
後悔日記 2021/10/6
せれんでぃっぽ☆とむやん