セレンディピティ
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このブログを「はてな記法」で書くようになったら、ずいぶん楽になった。
どうしてもっと早く氣付かなかったかなぁ。
iPadでメモしたものをコピーするのに、これだとそのままコピペできるのだ。
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さて、水曜日は住道へ。
次男の付き添いで毎週夕方に行って、2時間ほど「自由時間」がある。
今日はまず、アメツチへ。
スケジュール等をチェックするために、カフェによく行く。
もうひとつのお氣に入りの、cafeねむの木堂は来週行けたらと思っている。
クリスマスイブだけど、混むのかな、どうかな。
今日は、豆乳くるみスコーンと、ジンジャーチャイ。
朝からあまり調子がよくないので、コーヒーはやめておく。
スコーンは、古都華いちごのジャム付き。

出かける前ぐらいから降り出した雨は、このときもまだ止んでいなかった。
写真もなんとなく、もやっとしている(外との寒暖差のせいでもある)。
18時ちょっと過ぎ、お店を出てセカンドストリートまで歩く。
ズボン類がほしかったのだけど、あまり探す時間がなかった。
それなのに?インテリア雑貨や、前から目を付けていたマイクスタンドを買う。
今度やる配信に使えるかも?と思って。
そうだ、今日はズームでイベントの視聴をする予定があったのだった。
ワイヤレスイヤホンを忘れたので、仕方なく駅前の百均で買ったイヤホンで。
『京大マガジン』構想のためのスペシャルトーク「言葉と人間」、というタイトル。
三宅香帆さん、藤原辰史さん、三島邦弘さん、というすごいトークセッション。
買いものしながら、音声だけを聞く。
(現地には行けないので、配信を申し込んでいた)
やはりおもしろかった。
一部、聞きにくかったり、集中できなかったりで、聞き逃しているだろうけれど。
三宅香帆さんの本、ぼくはまだ読めていない。
藤原先生によれば、「ノイズ」という言葉がキーワードとして出てくるんだそうで。
それを、藤原先生が解きほぐしていくのがおもしろかった。
ちなみに、「先生と呼ばない」という話もあった?みたいだけど、その辺はあまり聞けていないのと。
藤原先生が、ご自身も「先生と呼ばれたくない」話だったかは未確認。
それと、どうしても「藤原先生」で慣れてしまっているので、今回はこれで。
話を戻すと。
どうして「紙」の媒体にこだわるのか、それが好きなのか。
その辺の話がおもしろかった。
紙媒体には、「ノイズ」が多くなるわけだけど、端的に言えばそれが「魅力」なのだ。
本屋や図書館の、例えば隣にある本が目に入る、とか。
そういった「思い通りにならない」ことにこそ、紙媒体のよさがある。
三宅さんは、デジタル媒体は「貸し借り」ができない or しにくいことも言及されていた。
これは一見、「思い通りにならない」が真逆のようだけど。
デジタルの場合はただ「融通がきかない」という感じがする。
紙媒体は「貸し借り」がしやすくても、同時に「思い通り」にならないことが発生してくる。
それはまさに、「ノイズ」のようなものだろう。
クリスマスの時期の恋愛映画で、ぼくが大好きな『セレンディピティ』。
そもそも、「セレンディピティ」という言葉が好きで、だからこの映画も観た、んだったはず。
(「セレンディピティ」は本で知ったのが先、だったはず)
クリスマスの、映画と絵本と、音楽と。 - とむやんの氣まぐれ雑想記
(前に、映画のこと書いたよなぁと確認したら、なんと10年前だった)
セレンディピティは「思いがけない偶然」、特に「失敗」から生まれた偶然の産物、それを見逃さない力、のこと。
このトークは、最後に「失敗」というキーワードで終わるのだけど。
そういえば、汗や涙など、出そうと思って出すものではない「体液」、それを「ツヤ/艶」として藤原先生は表現をされていた。
これもまさに、ニンゲンが「思い通りにならないこと」であって、だからこそ発見の余地があるし、おもしろいのだ。
アーカイブはない感じなので、リアルタイムでなんとか聞けて、よかった。
/とむやん