とむやんの氣まぐれ雑想記

〈探幸王〉を目指して、さまざまな想いを綴ります☆

後悔月誌2025年05月〜07月

ずいぶんと放置していた。

5月に、後悔日記を書こうと下書きまでは残していたが。

「後悔日記 2025/05/28」は、結局投稿しないまま2ヶ月が過ぎた。

5月17日、父が他界した。

あっという間だった。

入院したと聞いて、もう長くはないかもと聞いて。

高速バスで埼玉に帰った、そのときの心境はメモに残していた。

【今、京都駅に向かう電車の中で、これを書いている。

【この何日か、不安で胸が苦しい。

【父が入院した、長くはもたないだろう、という。

【水曜日のいつもの用事を済ませて、荷物を転がして、これから深夜バスに乗るところだ。

【なんとなく、覚悟はしていた、つもりだった。

昨年の夏、帰省したときの帰りの川口駅で。

父の背中を見ながら、何となくもう会えないような、そんなことを考えた。

そんな「予感」は慌てて振り払ったけれど、やっぱりそうだったかと思ってしまう。

6月に、ほんの入り口で「弾き語りの入り口」という店内ライブをさせていただいた。

7月は、参議院議員選挙、そしてオーガニック&つながるマーケットで歌ったこと。

あとは、子どもたちの予定が結構タイトで、忙しいまま、7月もまた終わろうとしている。

その辺のことは、また別で振り返るつもりだが。

まずは、これを書いておかないことには、次が書けない、と思った。

「日記」ではないから「月誌」、妙なタイトルになってしまった。

ブログをずっと再開できなかったけれど、SNSがいろいろ問題のある今、「主軸」をブログに戻したい。

せっかくつくった別のはてなブログ2つも、これを機に書きたい。

弾き語りの入り口のことは、そっちに書こう。

今回は、これ以上書けない。

父の葬儀のことは、改めて書こうと思う。

ちょっと前まで書く氣力がなかったけど、書きはじめると「はずみ」がつくのかもしれない。

 

 

葬儀がすむまで、落ち着かなかったから、赤羽自然観察公園に行った。

そのときの写真↑

 

 /とむやん

音沙汰2024/12/21


以前、「わたし誌」という、名刺代わりの超個人的なフリーペーパーを何回かつくった。
最近は、いろいろな活動も減って、手渡す機会もほとんどなくて、つくっていない。

2023年にソロ活動の名義を「芥 知之介」とした。
ちょうどその頃、手紙のようなフリーペーパーをつくれないかな、と考えていて。
要は、「わたし誌」よりも、もっと超個人的なもの。

それで、「音沙汰」という言葉にピンときて、ライブも「音沙汰Live」として。
1通目は、そのライブに来てくださった方への「お礼状」として書いて、ソロライブをやった実家のカフェ・ド・アクタに送った。
(カフェのお客さんたちだったので、母から手渡したり、してもらった)

先日、12月22日にキペルス・パピルスでミニライブをやった。
近江八幡の食堂ヤポネシア、ぼくはまだ行ったことがなく、お客さんもはじめましての方が多いのかな、という印象。

これは是非、「音沙汰」をつくってもっていかなくては、と思った。

だけど、ライブの準備も手一杯で、いつものように手書きできなかった。
(途中までは実は書いた、読みにくいし間違えたし、そこでやめた)

苦肉の策で、iPadでメモしていた文を、ワープロソフトで4つ折りできるようにして。
当日、滋賀に向かう途中で、コンビニのコピー機で印刷した。

せっかくそこまでしたのだけど、ライブ当日はやることがたくさんあって、「音沙汰」のことにまで、意識がまわらなかった。
ということで、たぶん誰にも渡せず、手元にある。
(そもそも、5部しか印刷していなかったけど)

これは、年を越して2025年に、出会った方々に渡す(受け取ってもらえればだけど)つもりではいる。
ただ、年末のご挨拶、という形なので、もし読んでくださる人がいるなら、このタイミングがいい、と思った。



そんなわけで、ブログにも貼っておこう、と。

今度は、すっぱり手書きをやめて、ペーパーレスにして、となるかはわからない。
でも結局、「音沙汰」に関しては、そういう流れになりそうではある。

何はともあれ。
音沙汰2024/12/21、よかったらお読みください。




ご無沙汰しております。芥知之介です。
この、「音沙汰」と名付けた手紙のようなもの、も今回で4通目。
一番最初が2023年の8月でした(その後、12月、2024年は5月に)。
筆不精な自分にしては出せている方、かもしれません。

そもそも、「音沙汰」は「ない」ことでしか使われない言葉、「音沙汰がないなぁ」と思われるくらいでちょうどいいのか、とも思ったりしてます。


さて、2024年がもうすぐ終わろうとしていますが、どんな年でしたか?
ぼくは、7月に50歳になり、振り返ってみるとまあまあ大きな転機ではあった、ようです。
そもそも40代は、なんだかんだ山あり谷ありでした。
でも、そう思ってみると、20代も30代もまあいろいろあったよな、って。
ただ、ある種の充実感というか、手応えみたいなものは、歳を重ねてからの方が得られている氣がします。
もちろん、今でも悩むし落ち込むし、身体ももうあちこちガタがきているし。
その辺は、自分に期待し過ぎないこと、「自己採点」を甘くすること、がうまくなってきたのかも。

あとはやはり、「歌をつくる」ようになったこと、これは本当に大きいです。
この9年でつくったオリジナルソングは、30ちょっと。
で、今年は実は、一曲しかつくれませんでした。
だけどそれは、これまでの集大成、と言っていいように思います。
パレスチナのこと、そこに水俣や原爆/原発(Nuclear)のことが交差してできた『約束の鍵』という曲。
昨年からずっとつくらなければ、と思っていながら、書けずにいたものです。
自分の中の感情、特に「違和感」としてモヤモヤするものは何なのか。
モヤモヤどころか、怒りや哀しみとして湧き上がるこの感情は何なのか、そこに向き合わないといけない。

世界の現状やシステム、目指そうとする(もしくは流れ着く先の)未来とは、ぼくはどうも合わないところが多いのです。
結局、自分はそれを「生きづらさ」として感知している、ということなのでしょう。
その大きな流れに反するもの抗するもの、そういう人や取り組みに関わりたいし、光をあてたい。
(実際、そっちに「推せる」ものがたくさんあるので)

そのためにもそれを、どう言語化して伝えたらいいのか、もがいていたのが40歳前後、だった氣がします。
それが、歌をつくるようになって、どう伝えるか/どう伝わるか、にあまり執着しなくて済むようになって。
氣負いがなくなると、歌詞として言語化することも、苦ではなくなってきました。
ぴたりとくる言葉が出てこないときは、多少の苦しさとか、もどかしさはありますけど。
そうなったらもう、熟成させるように「寝かせておく」しかありません。
まあだから、パパっとはできない、でも焦っても仕方ない。
伝わるかどうかについても、焦らなくなった、のかもしれません。
いつか伝わったらいいなぁとか、たったひとりに届いたらそれでもう充分嬉しいとか。

それはSNSでも、この「音沙汰」も、同じです。
ただの自己満足や独りよがりに陥らないように、でももっと「自分本位」でもよくない?とでも言えばいいでしょうか。
歌詞なんて基本、自己満足なものになりがちだし、だから人前で歌ったりするのってすごく重要なんだな、と。
そこは料理と似ていて、「自分さえ美味しければいい」とはならないし、かと言って自分の好みじゃないものはあまりつくりたくない。
「平和」とか「しあわせ」とか、自分はこう考えてる、こうなればいいなという「提示」はできるけど、それは「伝える」とはちょっと違う感じがしています。


先日、谷川俊太郎さんが、「詩を疑ってきた、言葉を疑っている」と仰っていた記事を読んで、この感覚はすごく大事だなと思いました。
けれど一方で、谷川さんの訃報を知った人たちが、谷川さんの詩や言葉、本などをSNSに次々とあげていくのを見て。
詩には、言葉には、やはり期待も大きくなるよな、と改めて思ったり。


来年は、本当に自分のやりたいようにやって(これまでもそうしてきたつもりだったのですが)、新しいことにも挑戦してみたいと思っています。
「音沙汰」を読んでくださってありがとうございました。
愛と感謝を込めて。
2025年が、あなたにとってもすばらしい年となりますように。

 /芥 知之介(とむやん)

残念だけど、うちではペットは飼えそうにない、という話。


埼玉の実家に、帰省することの楽しみの、ひとつ。
それは、黒猫のネロに会うこと。

ネロは、震災の半年前に実家に来た猫。
前に飼っていた猫は、ぼくが高校生のときに連れてきたメス猫で、引き取り手を探して預かっているあいだに、家族みんなすっかり猫の魅力にやられてしまった。
メイは、母がカフェをはじめてからは看板猫として、うちの長男が生まれてからは養育係として、19年生きた。

なので、猫は(というかペット全般)もう飼うことはない、と言っていた母の氣もちはよくわかる。


と思っていたら。
いわゆる保護猫で、あまり容態のよくない黒猫を飼わないかと声をかけられた。
それからもう、15年近くになるのか。
当時ぼくは実家にあまり寄っていなくて(たぶんそうだった)、一年後にはぼくらは滋賀へ移住。
その後京田辺に移り住んでからはコロナ禍もあって、実家に帰れなかった時期もあったり。

そんなこんなで、ネロには頻繁に会うことができず、うちの子どもたちも会えるのをすごく楽しみにしている。

ちなみに、メイもネロも、「名付け親」はぼくだ。
5月に来たからMay、黒猫だからNero(こちらはイタリア語、発音としてはネーロと少し伸びるらしい)。


さて、前置きが長くなった。京田辺の家で、猫を飼えないか考えたときがある。
あるとき、物干し&自転車置きのスペースに猫が迷い込んで。
その猫はニャーニャー鳴いて騒いだ後、結局どこかへまた逃げてしまった。
そのときに、大家さんにペットを飼えるか一応聞いてみたところ、ダメだという。

それが、この夏急遽引っ越すことになって、川を挟んで斜め向かいなのだけど。
ここはペットOKで(以前住んでいた人は烏骨鶏を飼っていた)。

それで、何か飼ってみてもいいかもね、という氣運が高まってきていた。


で、この夏の帰省。
一週間ほど帰ることができて、子どもたちも久しぶりにじいじばあばとネロと会えて、本当に嬉しそうだった。
ネロも、言うことを聞いてくれる人が増えて、まんざらでもない様子。

メイがいた頃は、家の前が工場だったこともあって(祖父が働いていた)、自分で勝手に外に出ていた。
昨今、猫は家から出さないのが主流で、ネロも自由に外に出ることはない。

ただ、いろいろな理由があって、喫茶店の前ではリードを付けて、その範囲では外に出ることがあったり。
リードを付け忘れたり、開けたドアをすり抜けて脱走したり、そういうことは何度かあった。

そう、今回も、ネロが夜中に逃げ出してしまった。
ネロは一度入ってきたものの、リードを使って扉が閉まるようにした仕掛けがうまく動かず、もう一度逃げてしまった。
そして、運悪くその直後に大雨。

真夜中の二時頃だろうか、弱弱しい声で鳴き、ネロが入ってきた。
今度はうまく扉を閉めたが、どうも様子がおかしい。

探しに出ていた父がちょうど帰ってきて、見ると左の牙が折れている。
左の足を少し引きずっているし、妙に怯えているし。

そんなわけで翌日、ネロをケージに入れて、父と動物病院へ行った。

結果から言えば、レントゲンや超音波などの検査でも、異常は見られなかった。
交通事故のように、後から影響が出てくることもあるそうで、でもそれもなく、回復してくれた。
とにかく、ひと安心。


会計に呼ばれたときのこと。
父は、なぜか聞き間違えて、全然違う人が呼ばれているのに、会計へ向かう。
ぼくは、あれ?と思いつつも、会計の横に並んだ。

3万5千円、だったか、そんな金額を告げられる。
2人の手もちで何とか足りそうな金額、でもやはりこんなに高いのか。

と、思っていたら、受付の方が、「あの、〇〇さんですか?」と聞いた。
ほら、やっぱり違う人が呼ばれてたんじゃないか。
ちなみに、本来呼ばれていた人は、だいぶ耳の遠い方だったみたい。

今度こそ、自分たちが呼ばれて、会計の金額を聞いて正直ほっとした。
さっきよりは全然下の金額だった。

けれど、2ヶ月前に自分が整形外科に行って、初回の会計で驚いた金額よりも高かった。
そう、ペットには保険がきかない。
人間の医療費も高くなっているのに、ペットはそれよりさらにかかってしまう。

ネロは帰ってきたし、大丈夫だったし、本当によかった。
だけど、ペットを飼うということは、お金もかかるし、いろいろと大変だなと改めて痛感させられた。

当たり前っちゃ当たり前なんだけど。
でも、猫を飼いたいという氣もちは、だいぶ引っ込んでしまった。

ネロも、ずっと若い猫だと思っていたけれど、もうだいぶ年老いてしまったんだな。
それもまた、ペットは飼えそうにない、の方に矢印が向いてしまう。

と、まあ、そんな話。
ここまで書いといて、でもひょんなことから飼うことになったり、そういうご縁があったりもする。
そのときはもう、腹をくくるしかないんだろうね。

傍らに猫がいる生活は、やっぱりいいなぁとは思うので。


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2024年にやりたいこと。


2024年最初のブログは、春分の日に。
単にここまで書けなかっただけだけど、結果的にはいいスタートかもしれない。

先日、「しずかなインターネット」を知って、密かにはじめてみた。
これが今の自分にピッタリで、今のところ続いている。

それが起爆剤になって、もうひとつのブログには記事を書いた。

その後の、花桃の咲く頃に。 - キシダ式Songwriting Notes


そして、このブログもそろそろエンジンをかけよう、と思った。



2023年は、1月31日にやりたいこと(のようなもの)を書いた。
ちなみに、そこで紹介したノート「TO DO & MEMO」は、今も活用している。
アナログで書いておいて、見返したり書き足したりするのは、やはりいい。

さて、自分がやりたいこと。

昨日YouTubeで、作家の本田健さんの動画を見た。
『【絶対これだけはやって!】2024年春分の日』という動画。
なかなか圧の強いタイトルだけど、でもタイミング的にはちょうどよかった。

動画の中では、「世界一周」を例にあげている。
ぼくは、「世界一周」には正直興味がないのだけど、じゃあそれに代わる(もしくは近い)ものは何だろう?と考えた。



2023年は、ソロ活動の名前を「芥 知之介」にした。
夏には埼玉の実家、「カフェ・ド・アクタ」でライブもやった。



その後は、キペルス・パピルスとして何度かライブをやった。
芥知之介名義でやったのは、11月の三井寺オーガニックマーケットと、年末のル・シエルでの最後のライブ。

今年は、ソロ名義でももっと活動をしたいな、と思っている。
2024年は、2月に柘植のAPRIL BOOKSでキペパピとしてライブをさせてもらった。
いろいろととてもよかったのだけど、やはりバンドでの練習がなかなかできていないのが、悩みどころ。



で、ふと思った。
芥知之介でツアーがしてみたい、と。

実際に「ツアー」と言っても、連日になるのはきつい。
今はまだ、何日も家を空けるというのはムリなので。

キペルス・パピルスとしても、いつかやりたい!と話をしたことはある。
バスと運転手を貸切って~みたいな、映画とかにもあるような、まあそんな夢物語。

ソロなら、機材を運ぶという大きな問題はありつつも、スケジュール面ではちょっとだけ身軽だと言える。

行きたい場所、ご縁のあるところに行って、ライブがしたい。
「世界一周」の代わりに思い付いたのは、そんなこと。



それにはまず、オリジナル曲を整理したい。
今、ソロで弾き語りできるものが、あまりに少ない。
(アレンジやキーを変えたり、忘れてたりするので)
音沙汰Liveのときは、それでも何とかやったけど、課題が多く残った。

新しい曲も増やしたいし、ソロで演奏するときのアレンジも練り直したい。
それを、YouTubeにあげていきたい。

あとは、オリジナル曲も含めて、存在を知ってもらわないと。
テープはつくれないけど、それならまずはアルバムを想定した歌詞集とか。

で、その表紙をテープの絵にしたらかわいいな、と先日妄想していた。

やりたいことは、やはり「吟遊ソングライター」のことが中心になるかな。
パレスチナのことも曲にしたいし、つくっているところ。
「音楽家は音楽だけやってろ」的な風潮が強くなればなるほど、抵抗したくなる。

しなきゃいけない、と心を新たにする。

ブログは、これと「Songwritting Note」と、もうひとつ「妖怪クラフト作家」用のものも実はもうつくってある。
こっちも始動させたいのだけど、2024年内にできるかな。



以上が、2024年のやりたいこと。
2024年内に、ということじゃなく、先々も見通して、じゃあ今年何ができるか。

そうそう、もうひとつ。
この「氣まぐれ雑想記」は、書きはじめるとどうしても長くなってしまう。
それで、下書きのままだったり、書き出すことが億劫になったり。

「しずかなインターネット」の方では、今のところそれがない。

こっちでも、もう少し短く簡潔に、書き残したことは明日でいいや、くらいのスタンスでいけたらいいな、と思う。

いずれにしても、ブログも再始動したい。
いや、するぞ~!


                    せれんでぃっぽ☆とむやん

2023年を振り返る。


2023年もまた、ブログを全然書けなかった。
この振り返りも、あと1時間ほどで年越し、という中で焦って書いている。



今年のことで、書き残しておきたいのは。

フリーペーパー「音沙汰」を出したこと(8月と12月)。
音楽のソロ活動で、芥知之介を名乗り、初のライブ「音沙汰LIVE」をしたこと。

野洲のル・シエルが年内で閉店と聞き、曲をつくりライブをしたこと。
そのときの名義は、芥知之介とLe Cielラバーズで、オリジナル曲は『フカフカ』というタイトル。

インボイス制度」が導入されてしまい、暗澹たるきもちになった。
地道な音楽活動もやりづらくなるだろうけど、なおさら自分の「オリジナル曲」を売るようなマネはしたくない、と思った。
ちょうどそのとき、岡本太郎は自分の絵を売らなかった、と知った。
金もちの部屋に飾られるだけでは、作品の意味がない、と。

音楽はその点、広がることができるわけだけど、それはそれで「お金にならない」という問題にもなるだろう。
今だって、いくらオリジナル曲をつくったところで、一銭の儲けにもなっていない。
それを、ライブなどで披露して、チケットや投げ銭などで稼がない限り。

でもともかく、金のために曲を書く、ということは元々できないのだ。

『フカフカ』も、あくまでもル・シエルに対してのLOVE SONGだ。
(内容についてはまた、別のブログに書くつもりではいる)

ル・シエルのライブで披露して、ライブ自体は交通費+アルファをいただいた。
それとは別に、企画呼びかけのひとり、よんちゃんから「たまパン」のシュトーレンをもらった。


うちにとって、このシュトーレンは特別なものだ。
けれど、今年は買うタイミングがなく、諦めていた。

オリジナル曲を書いた報酬が、これ、という単純な話じゃない。
だけど、結果的には自分の「ほしい」と思ったものが報酬として手に入った。

これは何だか、とても示唆的に思えた。
これからのひとつのモデルケースとして捉えてもいいのではないか。

もうひとつ書いておくと。
12月29日、望年会に参加するため滋賀に行った。
ル・シエルはその日入れてあと2日で閉店。

その何日か前に、きんちゃんは「新作ケーキ」をつくっていた。
そのfb投稿を見て、「これは曲になる」と思った。
これは、何としても新作ケーキを食べなくては。

『最後の新作』という仮タイトルでつくりはじめた曲は、まだ完成していない。
けれど、今日の時点で8割くらいはできてきている、ように思う。

そのことは、曲が完成したらまた書こう。

で、その日に新作ケーキを喫茶スペースで食べた。
ちゃたくんと、タルトレットと半分こずつ、玄米珈琲と。

ふと、座った席の後ろ、似顔絵や色紙などを見た。
30周年のときに贈った、寄せ書きがあって、ぼくも書いていた。
贈ったことは何となく憶えていたけど、何を書いたかはすっかり忘れていた。

メッセージには、「そして、いつか演奏しに行きたいです」と書いていた。
どういう形であれ、結局それは叶えられたのだ。



自分以外のことでは。
ビートルズの「最後の新曲」がリリースされたこと。
ちなみに、『最後の新作』は、そのことも念頭にあった。

そして、パレスチナのこと。

今ここにざっと書いたことが、ぼくの中では不思議とどれもリンクしている。

これまでは、そういったリンクが「負の連鎖」になり、問題は悪化していくばかりに思えた。
今もそれは断ち切れていないわけだけど、でも変化の兆しはそこここにある。

2024年は、ようやく「すべてをひっくり返す」タイミングになりそうだ。
いや、なりそうというか、ラストチャンスなのかもしれない。

いろいろな組織や価値観や、ダメなものは総とっかえしようじゃないか。
そういう年にしよう。

という決意をして、2023年の振り返りとする。

2023年にやりたいこと、のための心がまえ。

特別お題「わたしの2022年・2023年にやりたいこと


自分にとっての2022年は、漢字一文字で表すなら「失」、だったと思う。
有り体に言うなら、「踏んだり蹴ったり」の年。
でも要は、いろいろと見「失」っていたんだな、と氣付く。

「失うこと」は、わるいことばかりじゃない、とは思うものの。
それでしか「氣付きを得られない」みたいな流れは、あまり好ましくない。
早めに再起動or軌道修正できた方がいい。

だけど、2022年はもう「なるべくしてなった」、という感じだ。
昔の感覚を忘れて、それより前のあまりよくない時期にまで戻ってしまった。

「GET BACK」はよかったけど、戻り過ぎた。

で、端的に言えば、2023年は「やりたいことをやる」年にするつもりだ。
そんなこと「何をいまさら?」なのだけど、ほんとに見失ってた。

結果的に、これも仕方ないとは思うのだけど、ブログもほとんど書けなかった。
これは痛い、ブログに記録を残しておくと、案外助かることが多いから。



「やりたいことをやる」には、まずは「時間持ち」になること。
「金持ち」ではなく、「時間持ち」というこの言い方、果たして誰が言い出したのか?

昔からおもしろい言い方だと思っていたけれど、実践編となるとダメだった。
でも、今年はもうやる!と決めた。

それは、ウィリアム・レーネンさんのツイートに影響された、というのもある。
「アイデアは48時間以内に形にする」というようなこと。
正確に知りたくて、ツイートを調べようとしたら…

レーネンさん、現世を旅立たれたとのこと(アカウントは消えていた)。
(レーネンさん、ありがとう)


ともかく、そのツイートを見てから、1月のあいだだけでも心掛けてみたら。
何だかおもしろいことになってきた。

実際にやりたいこと、やることは、またの機会に書くつもり。
そうそう、「書くこと」もまた改めて意識しようと思っている。


奈良の東急ハンズで、一目惚れ的に買ったノート。
TO DOは、「やらなきゃ」じゃなく、「やりたい!」と捉えることにする。


                    せれんでぃっぽ☆とむやん

「青春ノ帝国」


最近読んだ本。

『青春ノ帝国』/石川宏千花

 

 夕暮れの職員室。
 一本の電話が
 私をあの夏の日へと連れ去った。
 けっして忘れることのない
 14歳の、あの夏の日に。




そうして、中学二年生の頃の記憶が綴られる。

主人公関口佐紀(さき)、弟の朋典(とものり)。
その朋典が通う一風変わった《科学と実験の塾》の塾長、久和(くわ)先生。
26歳になったばかりで、右目が義眼、けれど特にかくそうともしていない。
助手の百瀬(ももせ)さん、もう30歳で、本人いわく。〈大好きなだんなさま〉とのふたり暮らし。
そして、奈良くん。
久和先生の甥っ子で、佐紀の同級生。

佐紀は弟のお迎え係として、坂の上にある一軒家の塾に足をはこぶ。
「週にたった二日しかない、救いの日。」
「その日だけを待ちわびて、惨めで惨めでしょうがない毎日を、どうにかやり過ごしている。」


【どうしてあのとき、なんであんなことをしちゃったんだろう】
このお話の、大きなテーマのひとつ、がこれだと思う。
そしてそれは、青春のテーマそのもの、かもしれない。
闘い抗うべき本丸、その苦しさはいつまで続くのか…。

歩き出すこと、歩きつづけること。
「そうしているうちに、やがて見えてくる新しい眺めがあるはずだ。」

「そんなにすぐには変わらない、と覚悟した途端に、こんなにも急加速で、目に映る風景が変わりだすなんて。」

最初の、「わかっている。わたしに絶望なんかはない。ただ、惨めなだけ。」から、「しあわせだった。ただただしあわせだった。」となるまでの展開、見事だなと。
正直途中、結構つらくて読むのやめようかとさえ思ったりもした。

ただ終盤で、そのしあわせを得た代わりに、あるものを失ってしまう。
それは引き換えに、ではなかったかもしれないけれど、佐紀はそう感じてしまう。
そして…、ハッピーエンドとはいえないエンディング。
そのへんは、好き嫌い分かれるところ、かもなぁ。

個人的には、すごくもやもやした。
それは、小説としてのあり方に文句があるということではなく。

でも、「人の気持ちを思いやることができる人たち」が報われないとしたら?
それはやり方が微妙にまずかったのか?それとも、この不明瞭な結末をアンハッピーと決めつけなくてもいいのか?

やっぱり、こうではないもう少しハッピーな結末を探してしまう。
けれどもそれは、小説そのものを否定しているわけじゃないんだ。
書き手もまた、勝手に書き換えられないお話、なのかもしれないと思うから。

そのもやもやも含めて、読んでよかった、とこれを書きながらまた思う。

今調べてたら、この著者はまさに「14歳」に向けて小説を書いているそう。
もし自分が14歳のときに読めていたら(実際にはムリだけど)、どう感じただろうなぁ。

                    せれんでぃっぽ☆とむやん