とむやんの氣まぐれ雑想記

〈探幸王〉を目指して、さまざまな想いを綴ります☆

「青春ノ帝国」


最近読んだ本。

『青春ノ帝国』/石川宏千花

 

 夕暮れの職員室。
 一本の電話が
 私をあの夏の日へと連れ去った。
 けっして忘れることのない
 14歳の、あの夏の日に。




そうして、中学二年生の頃の記憶が綴られる。

主人公関口佐紀(さき)、弟の朋典(とものり)。
その朋典が通う一風変わった《科学と実験の塾》の塾長、久和(くわ)先生。
26歳になったばかりで、右目が義眼、けれど特にかくそうともしていない。
助手の百瀬(ももせ)さん、もう30歳で、本人いわく。〈大好きなだんなさま〉とのふたり暮らし。
そして、奈良くん。
久和先生の甥っ子で、佐紀の同級生。

佐紀は弟のお迎え係として、坂の上にある一軒家の塾に足をはこぶ。
「週にたった二日しかない、救いの日。」
「その日だけを待ちわびて、惨めで惨めでしょうがない毎日を、どうにかやり過ごしている。」


【どうしてあのとき、なんであんなことをしちゃったんだろう】
このお話の、大きなテーマのひとつ、がこれだと思う。
そしてそれは、青春のテーマそのもの、かもしれない。
闘い抗うべき本丸、その苦しさはいつまで続くのか…。

歩き出すこと、歩きつづけること。
「そうしているうちに、やがて見えてくる新しい眺めがあるはずだ。」

「そんなにすぐには変わらない、と覚悟した途端に、こんなにも急加速で、目に映る風景が変わりだすなんて。」

最初の、「わかっている。わたしに絶望なんかはない。ただ、惨めなだけ。」から、「しあわせだった。ただただしあわせだった。」となるまでの展開、見事だなと。
正直途中、結構つらくて読むのやめようかとさえ思ったりもした。

ただ終盤で、そのしあわせを得た代わりに、あるものを失ってしまう。
それは引き換えに、ではなかったかもしれないけれど、佐紀はそう感じてしまう。
そして…、ハッピーエンドとはいえないエンディング。
そのへんは、好き嫌い分かれるところ、かもなぁ。

個人的には、すごくもやもやした。
それは、小説としてのあり方に文句があるということではなく。

でも、「人の気持ちを思いやることができる人たち」が報われないとしたら?
それはやり方が微妙にまずかったのか?それとも、この不明瞭な結末をアンハッピーと決めつけなくてもいいのか?

やっぱり、こうではないもう少しハッピーな結末を探してしまう。
けれどもそれは、小説そのものを否定しているわけじゃないんだ。
書き手もまた、勝手に書き換えられないお話、なのかもしれないと思うから。

そのもやもやも含めて、読んでよかった、とこれを書きながらまた思う。

今調べてたら、この著者はまさに「14歳」に向けて小説を書いているそう。
もし自分が14歳のときに読めていたら(実際にはムリだけど)、どう感じただろうなぁ。

                    せれんでぃっぽ☆とむやん