とむやんの氣まぐれ雑想記

“探幸王”を目指して、さまざまな想いを綴ります☆

2018年1月の上映会。


1月も、氣付けばあっという間に半分が過ぎましたね。
(今日は2018.1.17)

9日に青春18きっぷで埼玉の実家から滋賀に戻ってきました。
その前々日に熱が出て丸一日寝込んでいたのと、帰る当日の温度変化や疲労が重なって、一週間以上寝込んでしまい。
今週は月曜日からぼちぼちリハビリ的に動いて、やっとブログも書けるまでになりました。



実家で借りてきた本に、今すごく影響を受けています。
もしかしたら、今後のブログの書き方も変わるかもしれないし、変えたいとも思うのですが。

その本は『ニュー・アース』という、タイトルだけ聞くと何とも怪しげ(笑)

サブタイトル?なのかな、「Awakening To Your Life's Purpose」とあります。
人生の目的に目覚めること、この方が内容的にはわかりやすい。

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実は何年か前に、友人と話をしていたときに教えてもらったのです。
そのときは氣になったものの、スルーしてしまいました。

今回の帰省で、実家に置いてあるのを見て、それを思い出しました。
母も、喫茶店のお客さんから借りているとのこと、了解をもらって今ぼくが借りています。


この本の大きなテーマは、「エゴの克服」なのだけど。
かと言って、あまり深刻に捉えるのではなく、「氣付き」さえすればいいのだという。

2017年は激変と言ってもいい、おもしろい一年だったけど。
流れの「滞り」を感じた原因を振り返ってみると、やはり「エゴ」があったように思うのです。


今を生きるということ、その既にある「豊かさ」を受け取ること。
自分なりの言葉にすると、そういうことかなと思います。



1月30日[火]に、滋賀・草津の友人宅で上映会をします。
『サティシュ・クマールの今、ここにある未来』いう映画。

イベントは、碧いびわ湖主催の「居ごこちのよい暮らし体験会vol.2」として開催します。

スローシネマ・カフェ 「サティシュ・クマールの 今、ここにある未来 」上映会〜居ごこちのよい暮らし体験会vol.2〜


まさに、「今、ここ」はドンピシャのテーマ。
いずれにしても、サティシュさんの言葉は何度聞いてもいいし、この映画を観終えてからの感想シェアもたくさんのことを学べます。


映画の内容やサティシュさんについてはまた改めて書けたらと思います。
今日のところは、この辺で。


                    せれんでぃっぽ☆とむやん

異なる感性、異なる経験。


視点や感じ方を変える、真逆の経験をしてみる。
常識に捉われていたり、自己中心的にしか考えられない、そんな自分への「縛り」を外してみる。

たとえば、オーストラリアやニュージーランドでお土産として売られている地図と、そこに書かれた「no longer down under」。
自分にとって、膠着しやすい意識を再確認するための、ある意味象徴的な〈踏み絵〉的存在だったりする。


今朝(2018.1.4)、何氣なく実家の部屋の壁を見たら、その地図が貼ってあった。
そういえばあったんだっけと思いながら、よく見れば地図には違和感が、ある?ない?!

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そう、確かお土産でもらったんだったと思うけど、そのニュージーランドの地図が〈逆さま〉に貼られてしまっている。
つまり、「New Zealand」や「no longer down under」、それぞれの国名の文字が、〈逆さま〉にされてしまっている。

〈逆さま〉にわざわざつくられた地図なのに、これでは「形無し」だろう。

この発想は、自分にはなかったなぁ。

たぶん、母はこの地図の意味を知っているはずだ。
知った上で、見慣れた形、落ち着く形に貼っているんだと思う。

〈逆さま〉を、また〈逆さま〉にする。
それじゃあ、最初のままだ、と思うかもしれない。

けれど、その過程とひっくり返ったままのアルファベットにこそ、意味がある、のかもしれない。



いつだったか、ウクレレサロンに参加してくれた女性が二人、意気投合していた。
音楽の趣味が結構似ているみたいで、そしてある歌の話で盛り上がっていた。

ところが、ひとりはその歌詞は男女について歌っているといい、もうひとりは同性同士のことだと思っていた、と。
どちらが正解というわけじゃない、もちろん作詞した人には意図しているものがあるのだろうけど。
歌にしたって何にしたって、受け取り手の解釈は自由だ。

そう、それがかえって、話を盛り上げていたんじゃないかと思う。



昨年末12月5日、cafe salon STILLROOM(滋賀県栗東市)で、ブックカフェをさせてもらった。

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(嬉しいことその1、入り口にお知らせを出してくれていたこと)

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(嬉しいことその2、机には本がずらり、「一日ブックカフェ」になっていたこと)


この日は「BROOCHES」という ビーズ刺繍などをされているKumiさんが来てくださり、水木しげるの『猫楠 - 南方熊楠の生涯 - 』をもってきてくれた。
(ブックカフェでは、任意で紹介したい本などをもってきてもらっている)

Kumiさんには何度かお会いしたことはあったけれど、こんな風にお喋りをする機会はなかった。

それが、水木しげるが好きで、南方熊楠が好き、とは。
もちろん、そのマンガに出てくる台詞などにも共感するところがあるということで、もってきてくれたのだけど。

ある種のギャップ、だけどそれで一氣に親近感がわく。

ぼくも『猫楠』は読んだことがあったのに、彼女が示してくれた台詞のところは、まったく記憶になかった。
そういう人それぞれの読み方が見えてくるのも、ブックカフェの醍醐味だと思う。


これには後日談があって。
このブックカフェに、KumiさんはSTILLROOMの「珈琲一杯」をドネーションをしてくれた。

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ちなみにこの写真は、店主のちすずさんがそのことを忘れないために、さっとメモしたもの、だそう。
なんとも格好いいチケットなので、撮らせてもらった☆

それで、その数日後にたまたまKumiさんとお会いしたときに、〈リリくじ〉を引いてもらった。
(〈リリくじ〉は、ぼくのオリジナルソングの歌詞の一部を書いた、おみくじのようなもの)

〈リリくじ〉と、その他告知。 - とむやんの氣まぐれ雑想記


それで、またまた数日してお会いしたときのこと。
(そうそう、この月はなぜか遭遇率が高かった、〈ご縁〉があるのかなと勝手に嬉しくなってしまう)

引いた〈リリくじ〉には、『Slow Walker』という曲のサビの部分が書かれていたと言う。

Slow Walker - とむやんの氣まぐれ雑想記


 ぼくは のんびりと行くよ
 だから お先にどうぞ

それを見て、Kumiさんはちょっと悲しくなった、と言うのだ。

ぼくは正直ビックリして、いろいろ聞いてしまった。
だって、自分は『Slow Walker』に悲しい要素を盛り込んだつもりがなかったから。

でも、聞いてみて、なるほどな~と思った。
もちろん、歌詞の一部を抜き出したから余計に意味が変わる、というのはあるかもしれない。

それにしても、解釈というのは本当に人それぞれだなぁ、と感心してしまった。

Kumiさんの感性を否定するつもりは、もちろんまったくない。
むしろ「それがおもしろい」と感じて、あれこれと聞いたり、自分があの歌詞を書いた意図を話したりした。

「こういうつもりで書いたのだから、こう思ってほしい」ということでは、ない。
こちらの意図とは異なる解釈があるというのは当たり前にあると思いながらも、自分にとっては意外な盲点を突かれた感じだ。

スポーツやゲームなどの競技のおもしろさも、共通したものがあるかもしれない。
自分の想定と違う動きを相手がするのでなければ、つまらないだろう。

競う競わないに関係なく、そこを探り合ったり予測したりする楽しさや、慌ててみたり余裕で返したり、そんなことがおもしろいんだと思う。



100人いたら100通りの感性がある。
それは、経験というものはある程度共有できたとしても、やっぱり捉え方で違ってくる。

たとえば、ひとつ前の記事のように同じ映画を観て、違う感性を確かめてみるのも一興。

もしくは、ぼくが企画する【ABC】というブックカフェのように。
同じ本を読んだわけでもない(たまたま読んでた、ということはあっても)不特定多数が集まる、その「読めない」からこその展開を楽しむ。

ブックカフェ「ABC」☆ - とむやんの氣まぐれ雑想記


さまざまな経験を経て、多種多様な感性をもち、その人たちがふらりと集まる。
その集まりの場で、異なる感性を「交流」させることで、自分はしないかもしれない経験を垣間見させてもらう。

映画を観たり小説を読んだり、それ自体が「異なる感性」「異なる経験」の「交流」だとも言える。



さて、まとめどころがわからなくなってしまった。
最後に恒例?の告知。

明後日(2018.1.6)は埼玉・川口の実家、カフェ・ド・アクタで「オルタナティヴ・ブック・カフェ【ABC】」を開催する予定です。

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氣構えることなく、だけどある意味刺激的なイベントになるはず。
来てくださる方によって雰囲氣も変わるし、でも毎回それぞれおもしろいんです。

是非、遊びに来てみてください。


                    せれんでぃっぽ☆とむやん

仕えることのよろこび。

「2017年一番良かった《映画・ドラマ・アニメ》」


お題、2017年のイチ推し作品。
2017年の作品でなくてもいいということなので、いろいろありそうですが。

そういえば、一年前の1月2日初日に『人生フルーツ』をポレポレ東中野に観に行ったら、昼の回はもう満席で。
それ以降、結局観れていないのです。
もし観てたら、『人生フルーツ』にしてたのかもなぁ。

余談ついでにもうひとつ。
ポレポレ東中野で2月から公開の『おだやかな革命』、これは是非観てみたい。

映画・おだやかな革命 | 地域再生を描くドキュメンタリー映画 ~これからの暮らしを巡る物語~




さて、本題。
この年末、帰省した次の日に実家で企画されていた上映会。
ホメオパスで『ホメオパシーのくすり箱』の著者、藤田円さんが企画してくれました。

東京を中心に全国・世界で活動する ひまわりホメオパシー - 楽しく幸せで健康な毎日を!ひまわりホメオパシー


映画のタイトルは『ヒルデガルト 緑のよろこび』。

内容紹介 | スローシネマムーブメント|slow cinema movement


ごめんなさいだけど、ぼくも最初はなんだかよくわからなくて、まあタイミング合えば観るかな、ぐらいにしか思っていませんでした。

これは「スローシネマムーブメント」の一環としてつくられたもので、ほかの作品はいくつか観たり、上映会もやったりしていたんです。
だけど、これは正直ちょっとスルーしちゃってました。

結論から言えば、想像以上によかった!

そもそも、中世ドイツに「フェミニズムの先駆者としても知られる伝説的な女性」がいたなんて。
全然知らなかったです、ぼくは。

なので、いろいろな面で衝撃を受けました。
1000年前ですよ?
現代にいたとしても、結構ビックリなんじゃないかと思いますけど。

でも実際、クローズアップされてきたのって、生誕900年の1998年頃からなんですって。
時代が、やっと追い付いたんですね。
(まだまだなところはもちろんあるけど)

内容については、ぼくももう一度観たいです。
ここに書けるほど、まだまだ全然吸収できていない。

この日は上映会の前に、種についてのお話会があったりとか。
今、ようやく『百姓レボリューション』を読み出したこととか。
そのへんのことがすごくリンクしていて、なおさらおもしろかった。

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上映が終わってからの感想シェア会もすごくいい時間で、それも込みで有意義な時間だったなぁと思います。

ひとつ、ニンゲンって植物(自然)に対して、ずいぶんひどいことをしている/してきたんだな、という話が出て。
実際、そこは否定できない事実だろうと思います。

だけど、「だからニンゲンって存在は、植物からしたらいない方がいい」かというと、そこはちょっと待って。

そのシェアのときにも発言したんですが。
そのヒルデガルトが生きていた頃は、奇跡的に女性に対してそれほど厳しくはなかった。
でも逆に、それ以降の長い歴史において、男性優位の社会で女性は虐げられてきたとも言えるわけです。
じゃあ、女性にとって男性は「いない方がいい」のか、というとたぶんそうじゃない。

むしろ、「いなきゃいいんでしょ」っていうのは、場合によっては〈当事者性〉を体よく軽くしているに過ぎなかったりする。
言い方がわるいけど、ちょっと「ずるい逃げ」としても使えるんですね。

だけど、この映画を観た人は、そして少なくともその場にいた人たちは、みんな植物に対して申し訳ないと思い、償いをしたいと考えていたんだと思います。
それなら、今できることをする、それに尽きるのかなと。

年末に、種蒔夫さんという方と出会いました。
ハッピーヒルという、福岡正信さんのつくった稲の品種があって、それを全国で配っているんです。
彼は、植物に、種に動かされているんだ、というようなことをおっしゃっていました。

そう、もし植物に対して、女性に対して、申し訳ないと思うのなら。
そこに「仕えて」動く、という償い方があるのだと思います。

〈償う〉には、〈継ぐ〉という意味から成り立ったみたいなのですが、まさにいいものを継いでいくことこそ、本来の〈償い〉なのかもしれません。

そうそう、何かに〈仕えること〉ってことこそ、本来の〈仕事〉ですよね。
今の組織に〈仕える〉のも、それはそれでひとつの形かもしれませんが。

もっと大きな、「愛の行い」による〈仕事〉であれば、なおいい。
近江商人の言うところの〈三方よし〉につながりますね。



ぼくの2017年のイチ推し作品は、『ヒルデガルト 緑のよろこび』です。
これはDVD買って何度も観たいし、上映権も手に入れて上映会もしたい。

ちなみに、スローシネマのほかの作品も、どれもいいです。
ぼくも全部は観れていませんが、初期のものは上映権ももっています。

今月末には、友人宅で上映会もする予定です。
大好きなサティシュさんの『今、ここにある未来』という作品は、何度観てもいいし、何度も観たくなります。

そして、それを一緒に観た人と共有するのが本当に楽しいです。
もちろん、その後の実践があってこそ、ですけどね。

(上映会の詳細や告知は、また改めてUPします)



                    せれんでぃっぽ☆とむやん

New Year's Resolution


新年、あけましておめでとうございます。
2018年もよろしくお願いいたします。

本当は年越す前にもうひとつ、投稿するつもりでいたのですが。
あれこれやっていると、本当にあっという間です。

実際、2017年はかなり早かったなぁ。

一応、日頃はできるだけ旧暦を意識しているつもりですが。
せっかく「区切り/句切り」があるのなら、それもまた活かしたい。

ぼくは何年か前から、新暦の元日から旧暦の大晦日までを「移行期間」的に捉えてみることにしています。
つまり、リレー走でいうところの「テイクオーバーゾーン(バトンパスを行う場所)」みたいなもの、かな。

Heart Of Gold - とむやんの氣まぐれ雑想記

(↑2年前にも、ちょこっと書いてました)


そんなわけで、年は明けたけど。
2017年をちょっと振り返りながら、これからのことを考えてみたいと思います。

2017年にやってきたこと、今やってみたいことを、この機会に書き出してみたい。
ただその前に、改めて「2018年の抱負」に触れてみたいと思います。
前回も書いたけど、それはそれとして。



年末年始は実家で過ごすから、というのもあるのですが。
ちょっとの間とはいえ、実家の喫茶店での経験が今とても役に立っているなぁと、最近つくづく感じています。

カフェ・ド・アクタについては、前にも一度書いたことがありますが。

カフェ・ド・アクタのこと。 - とむやんの氣まぐれ雑想記


母が18年前に自宅の一角で始めた喫茶店で、ぼくも一時期カウンターに入っていました。
今では若い人も来てくださるようになったみたいですが、ぼくがいた頃は大抵自分よりも年上の方ばかり。
それも、普通にいたら言葉も交わさないだろう、接点がないだろう人たちです。

けれど、話をしてみると、これがおもしろい。
接点が少ないなりに、そこをかえって掘り下げて聞いてみたり、共通項を探してみたり。

たとえば、元新聞社の男性の方。
今もご健在なのかは残念ながらわかりません、あの当時でも高齢ではあったので。
日本人にはちょっとめずらしい感じの、矍鑠とした紳士的な方でした。

その方はあえて、質問をしてくるんです。
「ともくん(とその方に呼ばれていました)はそれじゃあ、○○についてはどう思うの?」
ぼくが答えると、その反論だったり別の見方を、優しく的確に投げかけてきます。

あれはなんだか、「ぶつかり稽古」のようでした。
その方はそれを楽しんでいたようだし、ぼくも楽しかった。


ほかのお客さんも、基本的には話をするのが好きな人が多い、個人店にわざわざ来るんですから。
だからこそなのか、大抵一人で来て、ぼくらや他のお客さんと喋ったりする。

自分の意見をもつこと、相手の話を聞くこと、そしてそのバランスをどう取るのか。
もしくは視野を広くもって、自分にはない考え方を客観的におもしろがれるか。

いつの間にか、そういう「訓練」みたいなものを、させてもらっていたのですね。



一方で、ひとりでいること、「孤独」がちゃんと好きになれました。
いつ誰とでも喋れるということは、かえって「孤独」でいることが大切だったり。
それについてはまた、別の機会に。


2017年の新年の抱負は、「常に変化して、新しい自分であること」でした。

旧暦新年の抱負。 - とむやんの氣まぐれ雑想記


ちなみに、上に貼り付けたのは「旧暦の新年の抱負」。
その中で、「新暦の新年のブログでもちょっと書いたのですが」と書いているのに、自分でその箇所が見つけられない…。

まあ、それはともかく。
「新しく挑戦していく」ことはこれからも続けていくのですが、2018年はますます〈実体験〉が鍵になっていく氣がしています。

〈実験〉的よりも、〈実体験〉。
失敗も含めて、リアルタイムに進行していく。

よりオープンマインドに、けれど自分のペースは確固としてもっている。
相手に対するリスペクトを忘れず、でもだからこそ尊重しつつ距離をもつ、etc.。

カフェ・ド・アクタで経験させてもらったことなどを土台として、今年はさらにその上に建てるもの、目に見える部分に着手していく。
そんなイメージ。

TVなどで「忖度」を茶化しておもしろがっている風潮とか、あれは自分にとっては間逆の感覚。
当事者ど真ん中でありたい、そんな感じかなぁ。

ちいさな活動、ブックカフェであったり、吟遊ソングライターとしてのソロ活動であったり。
それを今までは〈実験室〉として捉えて、そこに「社会科見学的」に来てもらう感覚だったかもしれない。

今年はそれがもっと〈屋外〉になったり、〈SHOP〉になったり。
やっていることはもしかしたら、周りから見たらほとんど変わらないかもね。
要は自分の〈心構え〉の問題。



まだまとまらないふわふわしたものを、綿菓子(綿飴といったら関西では通じないことが多い)のようにからめとっていく。
なので、今日は荒削りのままで。

いずれにしても、「実際に会いに来ました」と言ってもらえる、そんな状況をつくりたいんだろうな、きっと。
(余談だけど、今話題のウーマンラッシュアワーの村本さんも、その辺を突いてきてるんじゃないかと思っている)


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写真は、真ん中の子がお正月に書いてくれた「犬とトンビとカラス」。


                    せれんでぃっぽ☆とむやん

ノッポさんになる。

今週のお題「2018年の抱負」


いよいよ、2017年もあと1日ちょっと。

12月後半は、楽しいこと嬉しいことの連続で、一年の締めくくりとしては最高の流れだったかなと思います。
うの家での「いろは市」での珈琲出店、cafe salon STILLROOMでのキペルス・パピルスLIVE。
一日空けて、子ども2人と青春18きっぷで埼玉・川口の実家へ。

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(↑「いろは市」でのちゃたくんのドーナツ、しあわせになれる美味しさ)


「駆け抜けた」感はあったものの、ともかく無事に過ごせてよかったなぁ。

実家に来てからは、いつものPCじゃなかったりとか、子どもと早々と寝てしまったりとか、そんな感じだったので、久々のブログです。



昨日(2017.12.29)は「滋賀暮らしの記録」と題したTALK&LIVEイベント。
ぼくの企画、実家の喫茶店カフェ・ド・アクタで開催させてもらいました。

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やってみて、いろいろと氣付いたことが多かったので、次回はもっとレベルUPしたものができそう。

年末は特に、落ち込んだり反省したりせず、「よくやったなぁ」という部分にフォーカスすることにします。
(「年末年始こそはなるべくhappyでいてください」という、しいたけ占い/蟹座で出ているから、というのが大きな理由だったりしますが)



12月24日のcafe salon STILLROOMでのクリスマスライブは、おかげさまでたくさんの方に来ていただきました。

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キペルス・パピルスとして、STILLROOMでのライブは結構久々。
今回はいつもとはちがって、立ち位置を逆にしてみました。

そして、壁にはステキなロゴが。

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しかも、照明の下にあるヒンメリの影が偶然「十字」になって、いかにもクリスマスな感じ。

ライブのあとは、地鶏のじゅんじゅん忘年会。
(じゅんじゅんとは、すき焼きのこと、滋賀では昔からそう言うらしいです)

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忘年会では、いつもウクレレサロンに来てくれている女子2人とウクレレTime、それがまた楽しかった。
(ライブでも一曲、参加してもらいました)

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ライブも好評だったみたいで、ほっと一安心。
オリジナルの曲も、喜んでもらえました。

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いつもついつい忘れてしまう、写真もちゃんと撮ってもらって。
(上の2枚はSTILLROOMのちすずさんが撮ってくれました)

そうそう、ステキな花束をいただきました。

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ライブをやる動機って、結局「喜んでもらいたい」から。
いろいろなリアクションが返ってくると、「喜んでくれたんだな」って思えるし、それが何より嬉しい。

その上で、自分たちも「楽しかった~」って、心から喜べる。



何に書いたのだか、なぜか今全然思い出せないのですが。
2018年は、「〈吟遊ソングライター〉として、ソロでの活動もいろいろやっていきたい」と思っています。

単純にライブをする、というだけではなく。
歌うときもバンドのときとはちがった形だったり、曲も雰囲氣を変えてみたりだとか。

まだアイデアとしては固まっていないので、これから楽しく考えていくつもりです。


先日、ふと考えたことがあります。

自分は「ノッポさんになりたかった」んだと。
ちゃんと憶えているわけじゃないし、そもそも定かではないのだけど。
子どものとき大好きだった「できるかな」のノッポさんに憧れて、「大人になったらノッポさんになる」と思ったような。

事実かどうかは別にしても、今の自分が目指すべきは「ノッポさん」的存在だなって。

何かちょっと「普通」じゃない、よく言えばちょっと「ミステリアス」な。
一歩まちがえば「怪しい」のに、誰からも愛される存在。

「キャラ」としてのノッポさんだけじゃなく、俳優/歌手としての「高見のっぽ」さんもステキな方ですよね。

http://www.nopposan.jp/


ぼくはムーミンが好きで、その中でもスナフキンという存在はとても大きいのですが。
でも、自分にとってのスナフキンって、「高嶺の花」なイメージ。
もちろん、「ノッポさん」だって簡単ではないけど、あくまでも「エッセンス」として。

そんなわけで、「抱負」なのかどうか、よくわからないですが。
2018年は「ノッポさん」を目指します。

あ、でも、「一言も喋らない」というところは目指していません(笑)


                    せれんでぃっぽ☆とむやん

〈black coffee FRIDAY〉


この週末と昨日(2017.12.18)と、マルシェ系イベントが目白押しでした。
そのことは改めて書きたいと思っていますが。


珈琲出店をしたのは昨日だけ。
友人宅での「ひらけdoma」というオープンデイで、今回で3回目。

ありがたいことに「ひらけdoma」には初回から、というか打ち合わせ段階から参加させてもらっています。
(↓以前、ちょこっとだけど、「ひらけdoma」について書いています)

ええあんばい - とむやんの氣まぐれ雑想記



この「ひらけdoma」、まず何よりお家がステキ。

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3回目の今回、かなりお客さんが多かったように思います。
珈琲もたくさんオーダーいただいたので、結構時間がかかってしまって、申し訳なかったなぁ。
でも、みなさんイヤな顔せず、待っていてくださいました、感謝☆


今回はホットコーヒー2種(東ティモールデカフェ)と、カフェオレにもチャレンジ。

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写真上のカップケーキはスパイスりんごクランブル、出店していた友人「ひとゆら」のもの。
(ちなみに、その下のハニカム出版のクッキーも、「ひとゆら」プロデュース)



この機会に、〈black coffee FRIDAY〉について、書いておこうかと思います。

以前にもちょこっとは書きましたが。
元々は友人ちゃたくんのカフェ「ハクハク茶小屋」で珈琲担当をさせてもらうことになったのがきっかけ。

ブログを書きたくなるとき - とむやんの氣まぐれ雑想記


最初はお互いの予定の合う金曜日だけの予定だったので、名前にFRIDAYを付けることにしたのですが。
後に別の曜日にも入れるようになって、でも名前はそのままにしています。

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〈black coffee FRIDAY〉は語呂がいいかなぁと、思い付いたもの。
ところが、Instagramハッシュタグを付けてみたら、外国の方の投稿が結構あるんですね。
どういう意味合いで使われているのかは、正直よくわからないけど…。


ぼくなりには、珈琲の「正解」みたいなものをなくしてもいいかな~と、そんな想いでやっています。

つまり、「珈琲ってブラックじゃなきゃ!」みたいな風潮があるんじゃないか、それがある人にとっては珈琲を遠ざける要因になっていたりするのかもしれない。
そうだとすると、すごく残念だなぁって。

一方で、「正解」を押し付けるのではなく、でもブラックでも美味しいと思える珈琲を淹れたいと思っていて。

だからせめて、いつもじゃなくても、金曜日のそして一口目だけでも、ブラックで飲んでもらえたらいいなぁと思っているのです。


さて、ここからが悩ましいところ。

じゃあ、ブラックで一口飲んで、後でミルクを入れて…でもいいのですけど。
せっかくミルクを入れるなら、バランスも考えて最初からカフェオレとして出した方がいいのかなって。

なので、ミルクを入れたい方はカフェオレ、砂糖だけかもしくはブラックならホットコーヒーで。
その2択に、余裕があるときはデカフェ(カフェインレス)も加えて。


とまあ、この辺のことはまだまだ実験的な段階です。
別にみんながみんな、珈琲を飲まなくていいし、好きにならなくてもいい。
ただ、「普段は珈琲飲まないんです」という方が、「美味しい」と言ってくださると、やっぱり嬉しいものです。

もちろん、珈琲好きな方から言われるのも、すごく嬉しい。


来年も〈black coffee FRIDAY〉は続く予定です。
今年のハクハク茶小屋での〈black coffee FRIDAY〉は、明日12月20日[水]が最後。
(ハクハク茶小屋の営業はまだあります)

それから、ハクハク茶小屋として、12月22日[金]23日[土]の「いろは市」というイベントに出店します。
守山のうの家にて。


カフェオレはあるときとないときがありますので、ご了承ください。


                    せれんでぃっぽ☆とむやん

「くれない」夜叉。


「かけた情けは水に流し、受けた恩は石に刻む」。
野口嘉則さんの『鏡の法則』に出てきた言葉、だったかな。
(手元にないので、確認していないけど)

そんな風に生きられたら、と思う。
けれど、どうしてもまだまだ、今でも「拗ねて」しまうことがある。

他人から「理解してもらえない」とか、「評価してもらえない」とか。
あれして「くれない」、これして「くれない」。

でも、本当にそうなの…?



この一年、いろいろなことを試してきた。
今年もブックカフェ〈ABC〉を何度かやったり、珈琲も出店やハクハク茶小屋で淹れるようになったり。
〈【個別的】くらしとせいじカフェ〉という思い付きや、〈わたし誌〉という超個人的な「メディア」とか。
ウクレレサロンも日野でやることになったり、ライブもいろいろなところで呼んでもらったり。
ライブは、コラボもたくさんさせてもらって、どれもすごく楽しかった。

そんな感じで、一年以上前からやってきたことも、着実にじわじわと発展してきていると思う。

2016年を振り返ってみる☆ - とむやんの氣まぐれ雑想記

(↑一年前の振り返りと比べると、よくわかる)

でも正直、どれにしたって「絶賛」されるわけじゃない。
だけど、誰かが必ず「いいね」と言いに来てくれることが多くなった。

それって、やっぱりすごいことだよなぁ。

今日(2017.12.14)も友人が、「〈リリくじ〉、あれいいね」と言ってくれて嬉しかったり。

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どんどん挑戦しながら、続けていく。
やらなくなったものもあるし、新しいこともどんどん思い付いたらやってみる。

毎日を実験的に遊ぶように暮らす - とむやんの氣まぐれ雑想記

(↑以前、こんな記事も書きました、まだ続きが書けていませんが)


「反応」が思わしくなくて、落ち込むこともある、寂しくなったりもする。
一方で、そんなすぐに評価されたんじゃ、そんなに大したことじゃなかったのかも、と考え直したりもする。

でもでも、不思議と少し経ってから、「あれ、よかったですよ」と声を掛けられたりして。

このブログも、つい先日「ファンです」と書いてくださった方がいて、しかもステキだな~と思っている人からだったので、続けてみてよかったとつくづく思ったり。


〈「くれない」夜叉〉歴がずいぶんと長かったぼくも、ようやく卒業できそうな感じ。
(元プロレスラーの紅夜叉とは関係ないですからね)

「夜叉」とは、古代インド神話に登場する鬼神。
鬼神だけど、人に恩恵をもたらす存在でもあるんだそう。

他人からの評価を求めたり、対価を欲したり、それ自体はもちろん悪いことじゃない。

だけど例えば、過去の自分の失敗を認めなかったり、一番最初に書いた言葉とは真逆の感覚でいたり。


別の例えで言えば、「いつまで謝ればいいんだ?」とか、「オレがやってやったのに」とか。

それって、やっぱり「粋」じゃない。
そんな生き方はしたくないよなぁ。


最後に、ひとつだけ。

先日、カナダのジャスティン・トルドー首相が、「カナダ政府がかつて性的少数者LGBT)を差別していたこと」を議会で謝罪した、というニュースを見た。
そして、下院議員たちは首相のこの発言を、温かい拍手で歓迎したという。

政治もそう、この国では「不粋」だなって思っちゃうことの方が残念ながら多い。


                    せれんでぃっぽ☆とむやん