とむやんの氣まぐれ雑想記

〈探幸王〉を目指して、さまざまな想いを綴ります☆

Watching the Wheels


一昨日、12月8日はジョン・レノンの命日。


以前買っておいたのに、しまい込んでいてまだ観ていなかったDVDを発掘。
その日の夜、子どもたちが寝てからひとり上映会をした。

『PEACE BED アメリカ vs ジョン・レノン』というドキュメンタリー映画

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この映画は2006年公開のとき、試写会に当たって観たはずなんだけど…。
今改めて観ると、だいぶ印象が違うというか、あの頃はまだよくわかってなかったなぁと思う。


原題は、『THE U.S. VS. JOHN LENNON』。
なぜジョンは、アメリカと対決する形となったのか、なぜ世界平和をそこまで願ったのか。
そして、そのためにジョンが起こした平和的な革命は、どんなものだったのか。
案外、そこは知られていないのではないかと思う。


ジョンがオノ・ヨーコと出逢ってからは特に、その平和活動は常に「アート」だった。

さまざまな手法はどれも、最初から好意的に受け取られたわけじゃないようだ。
「バギズム」も「ベッド・イン」も、「ヌートピア」も。
センセーショナルというよりも、世間はスキャンダラスに捉えていた感じがする。

たぶん、ジョンとヨーコのやってきたことは、どれも簡単なことじゃないだろうなぁと思う。
けれど、周囲はそんなことも知る由もなく、怪訝な顔ばかりだったんだろう。
それもわかった上で、挑発的にというか、煽ってる部分はあったのかもしれないけど。

「そんなことして何が変わるの?」、それはある意味自分との対決なんだろうな。

はっきり言って相当面倒な氣もするけど、結局そこから対話をしていくしかない。
きっと何度も挫けそうになったんだと思う、ジョン・レノンでさえ。
実際、「ぼくは何度もあきらめようとしたけれど、ヨーコが支えてくれた」という言葉もある。


ジョンの曲としてはあまり有名ではないけど、ぼくが好きな曲のひとつに、『Watching the Wheels』というのがあって。

ジョンの主夫時代の五年間、これまた周囲には不評というか、全然理解されなかった。
それに対して、いい加減ほっといてくれよと、そんな内容の歌だと言われている。

「ただ座って、車輪が廻るのを見ているんだ、もうメリーゴーランドには乗らないよ」。
サビはそんなような歌詞で、最後に「I just had to let it go」と歌われる。

「let it go」と来れば、今ならすぐ「ありの〜ままの〜」を連想しちゃうところだけど。
ありのまま、というよりももっと強い意志があるというか、これで行くんだ!っていう宣言みたいな。

この歌も、別に投げやりになってるとか、そんなんじゃないんだなって。
愚痴ったり批判しているわけでもないんだろう。
この映画を観て、ジョンの曲をいろいろ改めて聴き直してみたいと思った。

何かと他人にあれこれ言うのって、日本に限ったことじゃなく、人の性なんだな、きっと。
だけどジョンは、他人に目を向けるのをやめて、ただ自分がしたいようにするだけ、ぼくはそうしてるよって。
人にどう言われるとかどう思われるとか、そんなの氣にしなくていいんだ。

実際はどう思ってこの曲をつくったのか、わかんないけど。

お互い他者への過干渉をやめて、自己を意識した日々を過ごす。
何てことはないけど、そんな自由な生き方をしている人って、実は相当少ない。

それに、人に干渉すると、お互いに余計なカルマを増やすだけ。
…とまあ、この辺は話し出すと長いので、また別の機会にでも。


焦れば焦るほど、うまくいかないもの。
自分が正しいなんて、主張すればするほど、ますます周りの反感を買う。

だから、信念と勇気をもちながらも、淡々と一歩一歩進むしかない。
もちろん、付いてきてくれる人がいるなら、それはとても嬉しいはずだ。

わかる人がわかればいい、というのかな。
ぼくができるだけ子育てに関わりたいと思ったのだって、ジョンの主夫時代に影響されたからだし。
そんな風に、静かにだけど確実に、波紋は拡がっているはず。

ジョンからいろいろなことを学んで、愛とユーモアのある夢想家を目指したいと、改めて思う。

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                    せれんでぃっぽ☆とむやん